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 翌日の午後、フローラとオリガは『ピクニック』に出かけた。彼女たちの言う『ピクニック』は、お弁当を持ったりだとかどこか遠出するとか、そこまでのことはしない。ただ魔法瓶に紅茶を入れて、ちょっとしたお菓子とともに近くの丘の上へ登る。それが彼女たちの言う『ピクニック』であり、外界から隔離された孤児院で暮らすフローラにとって、丘への『ピクニック』は一番遠い外出であり、もっとも心がはずむ行楽のひとつだった。

「いい空気だね」

「うん」

 先を歩いていたオリガが振り返り、フローラは頷く。

「暑くなりそうだね」

 フローラは先を行くオリガの頭、踊るように跳ねる毛先を見つめる。

 いい夏の午後だった。

 昨日まで土砂降りだった雨はウソみたいに晴れて、濃い空が色鮮やかに宇宙まで続いている。残った雨露が芝の上で光り輝いていて、虫の鳴き声が澄み渡って聞こえてくる。

 前を歩くオリガの足はものすごく早くて、追いつこうと駆け足になるとたちまち息が上がってしまう。緑色の風が肺に流れ込んでくる。足に触れる芝がくすぐったい。肌の上で弾ける雫が冷たい。

 オリガの背中がふと立ち止まって、

「そろそろ、休憩しようか」

 空と同じくらい青い目が、眺めのいい景色を振り返る。フローラはオリガの視線を追う。そこに、ペギーがいたような気がしたのだ。昨日の人が変わったような彼女ではなく、自分たちの知っている、左目をウィンクして笑っているペギーが。

「うん」


「あー、疲れたーっ」

 それが自分の口から出たのかオリガの口から出たのか、フローラには分からなかった。

 いい風が吹いて体を冷やした。そしてしばらく、そのまま休んだ。

「はい、フローラ」

 オリガが紅茶を入れたカップをくれる。夏のさわやかな丘の風が、紅茶の香りをパッと捕まえて走り去っていくのが見えた。

「ありがとう」

「砂糖とミルクは? もちろん、いるよね?」 

 オリガはそう言いながら左手でカゴの中をガサゴソやって、

「……うーん。今日はね、いいや」

「いらないの?」

「うん」

 フローラの返答に、オリガは目を丸くする。

「……急に、どうしたの? 具合悪いの? ダイエット?」

「なんとなく、そんな気分なんだ」

 それだけ言って、砂糖もミルクも入っていない紅茶を飲んだ。まるでペギーがそうしていたように香りを楽しみ、大人の女みたいな微笑みを浮かべながら、砂糖もミルクも入っていない、ほんものの紅茶色の水溶液を口に含む。

 オリガはそんなフローラの横顔を見つめる。何か言いたそうに口をモゴモゴしながらも、結局彼女は何も言わなかった。

 土砂降りの雨、傘差すペギー。でもあのペギーはなんだか、自分たちの知っているペギーとはどこか違っていて、

「……オリガ」

 なんでダフネが見たペギーの存在を、あんなに強く否定したの?

 でもその問いは、真夏の風の中にこぼれて消えていく。

「……ううん、なんでもない」

 砂糖もミルクも入っていない、香りを楽しむための紅茶。

 甘くもなんともないただの紅茶は、残念ながらあまり美味しくはなかった。

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