第30話 いい土、夢きぶん
武楽さんご夫婦との交流はお二人が引っ越してきてからそれなりに経った今でもがっつり続いている。
奥さんの黒乃さんは、最初に出会った時には緩めの服装もあってわかりにくかったけれど、今はすっかりお腹が大きくなっていて、誰が見ても妊婦さんだということがわかる。
訊ねてみれば、既に7か月目ということで、旦那さんも今までの献身に拍車をかけて家事を頑張ってくれているそうだ。今は二人で名前をどうするか考えるのがとても楽しいらしい。
「お着換えとかはどうするんですか? ほら、足元とか見づらくないです?」
「ああ。だいたいの衣服はともかく、靴下などはどうするわけにもいかず、夫の手を借りている」
こういうとこ、橙花ってよく気付くよね。少なくともあたしと紫織はぽかんとしたよ。確かに、お腹が張っていれば足元は見づらく――、
「胸が大きい人とかも足元見えないって聞くから、お腹が膨らんでもやっぱりそうなるんだね」
「だからか……」
「なるほど……」
いや、別に橙花が特別大きいわけじゃないけれど、あたしと紫織はどっちも凹凸に富んでいる方じゃないから、そりゃ実感しづらいわけだよね。
まぁあたしは陸上やってる時も今も運動に邪魔なものがなくて助かってるくらいだけど、紫織は人並みにコンプレックスありそう。絹衣さんもスレンダーな方だから、これは遺伝かなぁ。
「男の子か女の子かっていつわかるんですか?」
「けっこう前に聞いたよ。男の子らしい。今は夫と名前を考えているところだが、もう少しじっくり時間をかけて決めるつもりだ」
候補を聞いてみたら、真面目な二人らしい由来つきの名前が三つ挙がった。昨今ではもうそれなりに「なんでそうなったの?」みたいな名前の大人も見かけるようになったし、おかげで名前を記入する書類なんかには「これなんて読むの?」を防止する目的でふりがな記入が必須になっているものもあるくらいだけれど、この二人に関してはそういうわけでもないみたい。
ちなみにあたしたちドロップアウト家で一番身近な「なんでそうなったの?」ネームはつくもだ。あれは「百から一を引いたら九十九になるから」っていう理由があるらしいんだけど、その「一を引く」っていうところにも「普段のつくもは
「うちは養子をとったので、赤ん坊への苦労は想像に留まりますけど……何かあったらいつでも頼ってくださいね。特に紫織なら在宅勤務だからいつでも来れると思うので」
「まるで私が暇人かのような言いぐさについては後で物申すけれど……紅葉の言う通り、呼んでくれたらいつでも駆けつけます。昔、あなたが私を助けてくれたように、今度は私が」
「……本当に、いい
その後、さすがに長いこと話し続けてばかりだと黒乃さんにも負担が掛かるだろうと、あたしたちは自宅に戻った。
◆
今日は日曜だし、つくもも友達と出かけていて夕方まで戻らない。9月となると、畑仕事的にはちょっと難しい時期だ。秋の始まりというには日中の気温はまだまだ高いのに、夜になると一気に下がることも少なくない。空気もまだ湿っぽくて雨もけっこうな頻度で降るから天候も読みづらい。残暑・熱帯夜という時も多いけれど、それだけに種まき・苗植えのどっちにしたって見極めが難しい。
まぁ、うちは種まきはプランターでやってて、夜は車庫に入れて温度管理してるから少しはマシだと思うけど、となると苗の植え付けタイミングが本当に難しいんだよねー。
だからというわけではないけれど、9月の畑仕事だけは橙花には手伝わないように頼んでる。最近は巫女のバイトついでに神主さんにお祓いというかご祈祷みたいなのをしてもらってるらしいんだけど、それでもまだ不幸体質は健在で、参拝客に配る甘酒が入った紙コップの底が抜けて怒られたり、境内を掃除してたら集めた葉っぱが突風に飛ばされて掃除する前よりひどい有様になったりしてるので、今この時期だけは畑と苗に近付くのをやめてもらっている。10月になればさすがに気温とか天気も安定してくるからいいんだけどね。
「さて……まだ二年目とはいえ、あの沼地みたいだった畑もだいぶいい土になってきたし、トウモロコシ様を崇める宗教にでも入ろうかな……」
いやぁ、ここに住み始めたばっかの時は大変だったね。水分多すぎて粘土に片足つっこんでるような土だったけど、腐葉土・有機堆肥を混ぜ込んで緑肥を育てて漉き込んで、ご近所のおじいちゃんおばあちゃんから簡単に育てられる野菜と種まきと苗植えのタイミングを聞いたりして、とにかくネットとコミュニティを駆使してようやくここまで持ってきた。もちろん未だに湿気の強い土には違いないんだけど、少なくとも沼じゃなくなった。こういうのは時間と手間をかけないとどうにもならないし、定期的に「何も作らない時期」を作って土を調整していくしかない。
その点、トウモロコシにはどれだけ感謝しても足りない。なんならトウモロコシの時期だけはできるだけトウモロコシだけを植えようと思う。土の水分と栄養をがっつり吸ってくれるから土の湿気がかなり減った。実は瑞々しく甘みがあって、夏はひたすらトウモロコシを食べまくった。途中から橙花がうんざりしてたけど、紫織が「茹でるだけでいいから楽」と開き直ったあたりからお昼ごはんがトウモロコシになる頻度が加速した。あたしとつくもは普通に喜んで食べた。
そして去年・今年と二度にわたるトウモロコシ様のご活躍の恩恵によって、今ではすっかりこの通り「ちょっと湿気強いな」くらいの土に! 嬉しすぎて涙が出てくる……。いや、去年はソルガムにもお世話にはなったんだけど、個人的に一番変化を感じたのがトウモロコシだったからね……。
もちろん身を全て刈り終わっても、さっきも言った通りトウモロコシには緑肥という大役があるんだけど……これがマジで大作業なんだよね。ある程度の大きさにカットして畑中に余すことなく敷き詰めて、それを土に漉き込むっていう、言葉で言えば「え? そんだけ?」みたいなやつなんだけど、これ手作業だと丸一日消費するんだよね。
しかもあたしはこれに合わせて腐葉土と堆肥を混ぜ込むっていう作業も同時進行でやるから……ご近所の畑仕事してる人たちから「わしらなら頼まれてもやらん」って言われた。まぁそりゃそうだよね。これ、本当ならトラクターでやることだもんね。
「多少なりとも無理の利く内にやっとくのが正解ってのは間違いないだろうから、今年がんばっといて良かったって思う日がいつか来るんだろうなぁ……」
実はこの作業は8月末にやったんだけど、一日だけじゃ漉き込むにまでいかなかった。収穫余りの実も含めたままやったんだけど、まずトウモロコシを根から掘り起こして、それを鎌とか鉈で細かくカットして……っていう時点で、軽く2時間以上かかった。畑そのものの大きさはそこそこなんだけど、今年はそれを全部トウモロコシ畑にしたものだから、数がえげつなかった。全部カットし終わってから「いや腐葉土と堆肥も入れるんだからこんなに漉き込めなくない?」って思ったんだけど、畑仕事のベテランであるご近所のおじいちゃん曰く「緑肥やるんなら少しくらい土が盛り上がってもええ。土ん中の生き物たちが分解していつの間にか元とあんまり変わらんくらいになっとる」と言っていたので、その通りにした。かれこれ2週間くらい経った今ではけっこうバッチリ土。ほとんどトウモロコシの残骸はないけど、分解しきるのに3~4週間は掛かるらしいので、まだまだって感じ。
「今のうちに種まきをしておけば、終わる頃には畑も使えるだろうけど……今年の夏はひたすらトウモロコシだったから、できれば次は種類を増やしたいな……。レタスとか最近は買うと高いし、紫織にも頼まれてるから確定として……チンゲンサイなら種まきも苗植えもだいたい同じ時期だからいいかな。収穫はレタスの方がちょっと遅いから、他にも何か……」
「はいはーい、わたし白菜ならいっぱい食べまーす!」
「……ああ、白菜。あれなら2か月くらいで収穫できるし、使い道も多いからたくさん作ろうか」
2か月で収穫というのが、チンゲンサイとほぼ同時にできてとてもいい。そうなると、収穫時期の目標は11月~12月あたりになる野菜を中心に見繕おうか。
苗植えから2、3か月で収穫できて、今から種を撒いて苗植えも間に合わせられるとなると……タマネギ、大根、カブあたりもそうかな。カブなんかは10月末には収穫できそうだし、ご近所から貰うお野菜のお返し用に少し時期をズラしながら多めに作ろうか。
タマネギと大根なんてどんだけ作っても足りないくらいに使い道が多いし、特につくもは大根のお味噌汁が好きみたいで、朝ごはんに出たら必ず一回はおかわりするくらいだ。
あんな小さい体のどこにそんなに入るのかな、と思ったけど、まぁ子供って遊んでる内にカロリー飛ぶからね。特にこんな村じゃ子供たちの遊びといったら季節に関係なく外遊びになるし。……いや、最近はパソコンでゲームしてるのも見るか。むしろパソコンでけっこうおしゃべりしてる割に、遊ぶ時はほとんど外遊びだよねつくも。まぁ、閉じこもるより全然いいから何も言わないけど。
「さて……種まきはこんなもんかな。首いった……」
「お疲れくーちゃん! 肩揉んであげるねー」
「……いや、確かにプランターと畑に近付くなとは言ったけどさ。よく一時間半もずっと眺めてたね橙花……」
「家の中でごろごろしてるとしおしおのお仕事に付き合わされるから……」
ただ見てるよりはそっちの方が楽しいと思うけどなぁ。
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