第29話 招かれざる客
ドロップアウト家がいよいよ本格的に「家族」という意味を持つようになって、いくらかの時が経った。
最初は親友三人がそれぞれの傷を癒すだけの場だったはずなのに、いつの間にかもっと暗くて深い傷を持つ少年を預かることになったり、その子も合わせて四人で暮らし始めて……。
はじめは遠慮がちでよそよそしかったつくもは、今はすっかり家に馴染み、彼を養子として引き取ったあたしはもちろん、紫織と橙花にとっても「息子」として可愛がられているし、橙花は長いこと苦悩していた父親が村を出ていき、それを機に決別することができた。紫織は……少なくとも前ほど誤解はひどくなくなった。相変わらず自己主張がヘタクソな親子なだけに、互いを愛し敬い合っていることが上手く伝わってない感じはあるけれど、変に拗れそうになる前にあたしがストップをかけられるようになったのは、間違いなくいいことだろう。今はあたしも絹衣さんの「義理の娘」ということになるわけだし。あたしは……少なくとも前の職場のことに関してはとっくに整理がついていたはずなのに、あのバカが押しかけてきた時は本気で肝が冷えた。今はもう会うこともないだろうけれど。
――と、ここまで聞けば順風満帆。いや、別に「実際はそんなことはなく」的なことを言いたいわけじゃないし、実際もばっちり順風満帆ではあるんだけれど、それはそれとしてトラブルとは言わないまでも頭を悩ませる問題というものは田舎でスローライフをしていても尽きないんだなと痛感する出来事にぶつかったというか……簡潔に言ってしまえば「説明があまりにもめんどくさい相手」というのが、今あたしたちの目の前でお茶を啜っている。というのも……。
「いやぁ……まさか親元を離れて都会に働きに出た実の娘がブラック企業で酷使されてることも知らされないままとは、僕らの信用は滝を流れる奔流の如く下りに下っていたわけだねぇ」
「愚痴や泣き言どころか、そもそもなんの連絡もなく数年……。夫の仕事の都合もあったけれど、海外移住は早計だったわね。ごめんなさいね紅葉」
あっ、これは口では「ごめんなさい」って言いながら、実のところ「お前がさっさと愚痴なり弱音なりを言えば対処できたのになんで黙ってたんだ」って責めにきてるな?
うちの親、外面はいいけど家庭内の空気はプラマイで言えば間違いなくマイナスなタイプだったから、言い回しがいちいちネチネチしてるんだよね。まぁ基本的には放任主義だし、あたしも親に対してなんの期待も持ってないからいいんだけれど、こうしてハッピーライフを送ってる時にいきなり海外から戻ってきて文句だけ言いに来るのはなんなの。少なくともこの家の所有権ならおじいちゃんから直接もらったものだからお父さんにもお母さんにもどうこうする権利はないし、二人もそこには興味ないだろうけど。
「しかも村に戻ってきて静養するかと思ったら昔のお友達とルームシェア。しかも僕らに断りもなく養子を抱え込んであまつさえ結婚とは……これも僕らの育て方を間違えたせいかな?」
「そのようです。まったく……昔は手のかからない良い子だと思っていたのに、いつからこうも不良になってしまったのかしら?」
おっ、さてはあたしが何も言わないのをいいことに悪口をエスカレートさせていく気だな? やめとけやめとけ。既にあたしの両サイドが危険で危なくてヤバいことになってるのがわかんないかな。すごいよ、左隣の紫織はいつものクールな雰囲気が嘘みたいに怒りの熱気が燃え滾ってるのがわかるし、右隣の橙花はいつもの太陽サンサンな笑顔をほっぽり出して氷河期みたいなめちゃくちゃ冷たい視線を送ってるんだけど、気付かないの? あたしは左右の温度差で風邪ひきそうな勢いなのに。
「……とりあえず、言いたいことは言い終わった? じゃあそろそろ帰ってもらっていい?」
「なんだ、実の親に向かってその言いぐさは。そもそも帰るも何も、元はといえばここは僕の父の家で、そうなれば僕の家でも――」
「違うよね? ここはおじいちゃんの家であって、お父さんの家じゃないよね? お父さんはこの家を建てるにも維持するにも一切お金を支払っていないし、おじいちゃんから正式にこの家を受け継いだわけでもないよね? あたしがこの家に来て早々に大掃除した時も、誰かが管理してた様子はなかったし、おじいちゃんが何か言うならまだしも、お父さんがあたしにこの家のことで何かを言える立場じゃないってことくらい、お父さんがバカじゃないならわかるよね?」
あ、ちなみにあたしもこんな親に育てられたおかげか、口喧嘩ならそれなりに弁は立つ方だと自負してるよ。あたしを挟み込む両サイドの二人がレスバトル強すぎるだけで。
「とりあえず最初から順番に答えさせてもらうけど、あたしの中で二人の評価なんて地底まで落ちきっててもう下がらないから安心してほしい。愚痴や泣き言を言っても解決してくれるとは思えないし、むしろ言ったところで「自分でどうにかしろ」「社会に出て自分のメンタル管理もできないの?」みたいな返事が簡単に想像できたから言わなかっただけだよ。どう? あたしってばお母さんのことちゃんと理解してるいい娘でしょ?」
「…………」
「あと友達とルームシェアは何が悪いの? 少なくともお父さんとお母さんと海外で暮らすよりはストレス溜まらないよ。養子に関しては法的になんの問題もないし、そもそも法的措置に則って正式な手順の元で引き取った子だよ。あとあたしもう27だし、そりゃ結婚くらいするよ。それとも同性結婚のこと言ってる? アメリカに移住したくせにまだそんなこと言ってるんなら、さぞかし向こうでは暮らしづらいだろうね。あっちじゃ日本以上にメジャーだもんね。いやぁ、こういう変な難癖をつけてくる親にちゃんと返事ができる娘に育ててくれてありがとうね。少なくともあなたたちよりは倫理的でまっとうな人間に育ったよ。二人の反面教師のおかげです。感謝してるよ」
「好き勝手言わせておけばぁっ!」
そう話に区切りをつけると、とうとう父親が立ち上がってあたしに殴りかかるけれど、これには紫織も橙花も微動だにしない。だって……。
「ふぐぁっ……!」
「あのさぁ、年齢的にも身体的にも、お父さんがあたしに勝てると思ってるの?」
確かに学生時代は陸上に力を入れてはいたけれど、それはそれとして空手と剣道の習い事もしてたんだよ?
しかもOLやってて体が鈍ってた頃と違って、最近は武楽さんとこの旦那さんが組手やトレーニングの相手をしてくれるからそれなりに勘も戻ってきてるんだよ?
そして運動系において身長は高けりゃ高いだけメリットになるんだ。それで? 50代男性の平均身長以下のお父さんが、27歳ゴリゴリ運動系179cmに勝てる理由は何?
「あたし、今のこの環境が何より幸せなの。愛する妻がいて、大切な親友がいて、可愛い子供までいて……放任主義のくせに会うとネチネチ文句ばっかり言う人間性のひん曲がったバカ親に遭わなくて済む。今ここにお父さんとお母さんがいるのは、お互いにとってなんの得にもならない。だから……もう一度だけ言うね」
――帰れ。
そもそも故郷も国も捨てて海外に根を張った以上、お父さんとお母さんの「帰る場所」はもう三色村にはないよ。
これ以上は痛み分けにもならない。ただ二人がバカみたいな理由でバカみたいに傷付いてバカみたいに尻尾撒いて帰る以外に手段なんてないんだ。
今なら傷は浅いはず。だから今のうちにさっさと「今の家」に帰ってくれないかな。
「紫織くん! 君はいいのか! こんな暴力的な女、君のためにも――」
「今現在、最も私のためにならないのはお義父さんとお義母さんです。そういう意味で、紅葉は私のためになることしかしていませんから、ご安心ください」
「……橙花くん! 君も友達付き合いをするなら相手を選んだ方が――」
「いやー、さすがくーちゃん! クソ親に頭を痛めた仲間同士、いつかやってくれるって信じてたよ! それでこそ
「つくも! 君だってこんな暴力を振るう親は――」
「あの、なんで僕だけ敬称ないんですか? 少なくともあなたたちみたいな人に呼び捨てにされていい名前は持ち合わせてないんですけど?」
あたしには口でも拳でも勝てないとわかったのか、外壁から崩そうとしたみたいだけど、ごめんその外壁たぶん
紫織はもはや今さら言うまでもないし、橙花なんてあなたたちが国に帰った後どう復讐するか考えてるだろうし、あと何気につくもが一番辛辣なのちょっと面白くて失笑しちゃった。
「あのさ……気付いてないかもしれないから言うんだけど、ここってあたしの牙城なのね? ルームシェアどころか、今じゃもう三人ともあたしの家族なわけ。で、あなたたちはそんな人たちの前でこの家の大黒柱をバチバチに貶めて煽ってるの。そっちはたった二人だけど、こっちは四人じゃなくてマジの全戦力なの。……で? それでも本気であたしに喧嘩売る気なの?」
あたしがそう言うと、お父さんとお母さんは尻尾をゼンマイのようにくるくる巻いて帰っていった。
つくもがお土産に熨斗を渡していて、橙花は「
あたし? あたしはもっと穏やかだったよ。サムズアップしただけ。うっかり間違って親指じゃなくて中指立てちゃったけど。
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