第25話 恋は愛となる
八月の初日、日曜日。今日は特に予定もなく家に居るつくもを橙花に任せて、あたしは紫織を伴って村崎家を訪れていた。
理由は、紫織との関係をご両親に打ち明けて、紫織の見合いを取り下げてもらうためだ。紫織を想う絹衣おばさんのこと。紫織には明確に好意を向ける相手がいるとわかれば、無理に見合いを推し進めるとは思えない。だから、あたしも紫織も、勝ち戦とまでは言わずともさほど厳しい話し合いになるとも思っていなかった。――それこそが慢心だったのかもしれない。あるいは、その慢心を見抜かれて、絹衣おばさんの警戒レベルが跳ね上がったのだろうか。
その日は珍しく、紫織の父親であるアレクシスおじさんも家に居た。普段はほとんど家を空けているから、学生時代の紫織はもちろん絹衣おばさんも寂しそうにしていた覚えがある。
アレクシスおじさんは陽気な人で、アメリカ人らしく同性恋愛に対する見方は現代日本人よりも遥かに大らかというか、そもそも恋愛は当人同士でするものであって、親といえど部外者が口を出すのは自分の子供が理不尽な目に遭った時だけ、というスタンスのようだった。対して、絹衣さんは同性恋愛そのものに偏見はないが、それが愛娘である紫織に関わるとなると、難色を示した。現代において、同性恋愛はさほどおかしなものではない。そもそも「同性恋愛」という言葉そのものが今の時代では廃れてきていて、異性恋愛に固執する人のことを「異性愛者」と呼ぶこともあるほどだ。つまり、2049年現在の日本において、恋愛に性別は関係ないと言って問題ではないだろう。ただ、高齢者の中には未だに根強い異性愛思想があり、同性愛をタブー視している人もいる。そうした人々からの理不尽が紫織に降りかかることを危惧している……みたいなことを言いたいんだろう、というのはわかる。あたしにはね。
でもこの人、紫織の前だと「紫織にカッコいいとこ見せなくちゃ!」「紫織の理想の母でいなくちゃ!」みたいな変な張り切り方をするせいで、その思いやりが紫織に届いてない。
めちゃくちゃ回りくどい言い方をするし、そもそも口調がキツいせいで紫織が委縮しているし、何より否定の語気が強いせいで関係そのものを却下されているのだと紫織が勘違いしている。絹衣さんは関係そのものを否定しているんじゃなくて、あたしたちの関係が紫織に対する理不尽を誘発するんじゃないかって話をしてるんだけど、たぶん紫織の中にある「お母さんの言うことは常に正しい」フィルターが発動している。こうなると、紫織は「お母さんが叱るということは自分がいけないことをしたから」「お母さんが否定するということは自分はよくないことをしている」みたいな思考に陥る。そもそも絹衣さんは叱っているんじゃなくて心配しているだけだし、否定もしてない。ただ言葉が強いだけだ。
「……紅葉ぁ」
「――あの、すみません絹衣さん。一度、話を区切らせてもらってもいいですか?」
「あっ……ごめんなさい、一方的だったわね」
昔アレクシスおじさんに聞いた話によると、絹衣おばさんは自分が紫織の理想に応えるためとはいえ、彼女に対して厳しすぎる言葉を向けている自覚はあるみたいで、毎夜毎夜めちゃくちゃセルフ反省会をするタイプらしい。だから、ここまで黙して話を聞いていたあたしがストップをかけたことで、自分の主張がそもそも紫織に対して湾曲して伝わったことをうっすらと理解しているようだ。
「紫織、大丈夫だから。絹衣おばさんはね、紫織を心配しているだけで、あたしたちの関係を否定してるんじゃないよ」
「でも……お母さんが……」
「絹衣おばさんは、あたしたちが恋人や婦妻という形で付き合っていく上で、決して強くはないし多くもないけれど、必ず存在する不安があることを教えてくれているだけだ」
「……本当に?」
縋るような視線をあたしに向ける紫織に対して、あたしは視線を別のところへと向けた。その視線をたどって、紫織も同じところを見つめる。
そこには、さっきまでの力強い主張はどこにいったのか、不安げにこちらの様子を見守る絹衣さんと、そんな彼女の肩に手をやりながらあたしたちに微笑むアレクシスおじさんがいた。
「あれが、あたしたちの関係を……紫織の想いを否定する人たちの顔に見える?」
「…………」
紫織は静かに首を横に振る。
その沈黙の中、微かに響く小さな嗚咽を、あたしは聞こえないフリをしながら彼女の顔を隠すように抱きしめる。
「絹衣おばさん。アレクシスおじさん」
「…………」
「ああ」
肩を震わせる紫織に手を伸ばそうとして、それを自ら引いた絹衣おばさんの想いは、どれほど推し量っても余りあるものがあった。
「あたしたちの関係は、二人の時代とは少し違うかもしれない。だけどそれは二人の時代が変えてくれて、今のあたしたちは「これ」が当たり前の時代を生きている。だから……確かにあたしたちに対して大小の理不尽を投げかける人は未だにほんの少し存在するけれど、そんなのはもう多くないんだ。おかげで、あたしも紫織も、この気持ちを裏切る必要なないと思ってる」
あたしは、二人の不安をできるだけ除けるように、あたしたちの時代が、あたしたちを否定しないことを伝えた。
「そして、もしもその理不尽があたしたちの目の前に現れるとしたら、あたしはそれに屈したりしない。紫織のことは必ずあたしが守る。紫織があたしではどうしようもないところで傷付いてしまっても、必ず傍らで支えて一緒に乗り越えていく。あたしたちは……この三色村の風を受けて育ったから、手を繋ぎ合って互いを支え合って生きていく大切さも知っている。だから……」
あたしは紫織を放すと、座布団を下りて額を床につけながら懇願の姿勢をとる。
「お二人の自慢の娘さんを、あたしだけの特別にすることを許してください」
◆
あたしと紫織がドロップアウト家に戻る頃、日はすっかり西へと傾いていて、日も高々と照らす中、村崎家で行われた宴会ではテンションが爆上がりしたアレクシスさんが秘蔵の酒をありったけ持ち出していて、あたしは
お二人にはせっかくだから泊まっていけと言われたし、あたしも紫織もそうしたい気持ちはやまやまだったけれど、あたしたちが帰るのを待っている人たちがいると伝えると、繋ぎ留めようとする言葉を飲み込んでくれた。これは……ひとつの別れだ。紫織にとっても、絹衣おばさんとアレクシスおじさんにとっても。会おうと思えばいつでも会える距離にいるけれど……昨日までは「親子であり家族」だった関係が、これからは「他人の妻とその親」になるんだということを見せつけられた。
うちの両親は……海外移住しちゃったしなぁ。まぁメールでいいか。うち両親はけっこう放任主義だし。
「……で、くーちゃん。ご挨拶の感想は?」
「めっっっちゃ緊張した……。相手の両親へのご挨拶ってこんなに緊張するんだね……そりゃみんなバツイチになりたくないよね。二度も三度もやりたくないよこんなの」
「でもかっこよかったわよ。元々ぞっこんだったけれど、改めて惚れ直したわ」
「こんなに好意ダダ洩れにしてる紫織さん初めて見た……」
で、帰ってきたら当然といえば当然なんだけど、橙花からの質問ラッシュが凄かった。
まぁそりゃそうというか、橙花からすれば親友と親友の恋路における一大イベントなわけで、あたしも同じポジションならウキウキで話を聞くと思う。……けど、実際に挨拶に行った身としては「緊張した」以外の感想が出てこないのもまた事実だ。もう自分で何を言ったのかすら覚えてない。ただ、頭が真っ白になっていた。でも、だからこそ嘘は言ってないはずだ。あたしはあたしの想いを真っ直ぐ言葉にしたと思う。ていうかあの緊張の中で嘘つけるようならあたしは女優か詐欺師だよ。
「昔のドラマとかで観た「お前に娘はやらん!」みたいなのなかった?」
「それは全然なかったよ。まぁ二人ともまったく知らない人じゃないしね。ただ、アレックスおじさんはだいたいニコニコしてるんだけど、穏やかそうな空気の中でたまーに「娘を不幸にしたら地獄の底に叩き落すからな」みたいな雰囲気が隠し切れずにチラつくことがあって、あれは肝が冷えるどころの話じゃなかった。こう、見えないナイフを喉元に突き付けられてる感じだった」
「「こわ……」」
絹衣おばさんの娘大好きムーブのせいで隠れがちだけど、そもそも娘のいる家庭の男親なんて、娘がどれだけ反抗しようと可愛いことには変わりないっていうし、ましてや紫織なんてだいたい親の言うことをちゃんと聞くいい子だったわけで、そりゃあ父親としては可愛くて可愛くて仕方ないに決まってるんだよね。そんな愛娘を横から搔っ攫うわけだから、あたしは殺気という名の見えないナイフを突き立てられても仕方のない立場だったわけだ。
「でも……これで恋は終わりね」
呟く紫織に、つくもが「え?」と声を洩らした。
「だってそうでしょう? 紅葉と幸せになりたいと願うのが恋なら、私の願いはこれからずっと叶い続けることになるんだもの」
「じゃあ、恋が続くからいいんじゃないの?」
つくものそんな純粋な疑問が、随分と可愛らしく聞こえる。
「人はね、幸せというものに慣れてしまう生き物なのよ。だから、そのせいでたまにとんでもない間違いをするの」
「そうそう! だからね、人は恋だけじゃ生きていけないんだよ」
あたしはつくもに「せっかくだから、愛と恋の違いを覚えておくといいよ」と言うと、紫織の肩を抱いた。
「『この人と幸せになりたい』と思うのが恋で、『この人となら不幸になっても構わない』と思うのが愛なんだよ」
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