第24話 今のお仕事

「いってきまーす!」

「いってきます!」

「はい、いってらっしゃい」

 

 この頃の朝の陽気は、出勤直後にもやや汗ばむ気温で、さらにはその数字は日ごとに増していく。

 岐阜県というのは南には日本一を何度も記録したところがあるし、北には21世紀以降に限定してもマイナス14℃を記録したところがある。20世紀ごろにはマイナス25℃という時もあったらしいけど、それはヒートアイランド現象以前の話なので、今の環境とは比較できないだろうから勘定には入れない。

 この三色村は岐阜県の東側に位置していて、隣の七ツ川市を跨げば長野県。ほんの少し北上するだけで、日本三名泉に数えられる下古温泉街に行ける。バイクでなら40分と掛からないせいで、あんまり有難みを感じられないし、シーズンは道が混みあって面倒に感じることも無くはないけれど。


「あ、ゴミ出ししなきゃ」


 本当はよくないんだけど、我が家からゴミの回収地点である公民館までは徒歩2分圏内。バイクなら数十秒。なので一速に入れたまま左手でゴミ袋を持って、片手運転でゴミを置きに行く。普通ならこんな危ない運転が見つかればお巡りさん案件なんだけど……ドロップアウト家は以前にも言った通り三色村の中でも中心部からは少し外れたところにあって、このあたりはあまり人通りも多くない。駐在所おまわりさんがあるのが中心部ということと、このあたりだとバイクにせよ自転車にせよゴミ出しの日はみんなこうだから、ほとんどお目こぼしになっている。

 あたしが公民館の集積所に着いてゴミを持っていくと、どうやら先客がいたようだった。


「……武楽さん?」

「あっ、呉内さん! おはようございます!」

「おはようございます。なんか困ってるみたいでしたけど、集積所ならここで合ってますよ?」

「あっ、はい。それは大丈夫なんすけど……今日って金曜日なんで可燃ごみと金物類の不燃ごみで合ってますよね? 誰も金物類出してないなって思って……」

「あー……可燃ごみは火・金で合ってるんですけど、金物類は第四金曜日なんで、来週ですね。そういえば前に口頭で説明しただけでしたね。配慮不足でした、すみません」

「いえいえ! こっちがちゃんと覚えてなかっただけなんで! 間違って出しちゃう前に止めてもらえただけでも有難いっす! ご忠言、ありがとうございます!」


 武楽さん、ちょっと熱血系というか、少し天然は入ってるけどあたしと同じ体育系って感じで話しやすい人だ。学生の頃の部活時代を思い出すよ。紫織とはあんまり相性よくなさそうだけど、あたしとしてはこういうさっぱりした性格の人は気が楽なので、ご近所さんとしてはすごく印象がいい。たぶん、村のみんなも受け入れやすいんじゃないかな。


「武楽さん、昔は運動部だったんですか?」

「はい! 中高大と空手をやってました! 顧問と諸先輩方のご指導ご鞭撻のおかげで、全国大会で準優勝までいったのは我ながら自慢のひとつっす!」

「えっ、すごいじゃないですか! あたしも部活じゃないけど空手は習ってたんで、全国大会出場の猛者たちがどんなものかはわかりますよ」

「いやいや、大代さんから聞いたっすよ! 呉内さんは空手・剣道・習字・算盤・将棋の習い事を全部こなしながら女子陸上のインターハイ優勝者だって! 自分からすれば十分すぎるくらい十分に雲の上のお方! 心から尊敬するっす!」


 あー、武楽さんたぶんこうやって相手のいいところを全部認めて、それがどれだけ凄いか理解した上でプレゼンできるタイプかぁ。なるほど、奥さんこうやって落とされたんだな。

 確かに武楽さんのところの奥さんは少し自己肯定感が低そうというか、すごくいい人だって紫織から聞いている割に、本人はそれを当たり前と思っているというか、やたら自分に厳しそうな印象を受ける人だったから、こういう旦那さんがぶっ刺さるのはよくわかる。こう、すごく気持ちのいい褒め方してくれるよね、この人。


「あっ、すみません長々と……お仕事に向かわれる途中なんすよね。引き止めて申し訳ないっす!」

「いえいえ、普段から少し早めに家を出てるんで。じゃあ、次は時間がある時に奥さんも連れてうちで喋りましょう。空手の話とかも、もっと聞きたいんで」

「押忍! じゃあ俺もこれを一回持ち帰らないとなんで、失礼します。お仕事がんばってください!」


 そう言って互いに逆方向に向かっていくと、一陣の風があたしとNinja400KRT Editionシノブくんの背を押したような気がした。

 この風は……三色の山に吹く優しさとなつかしさを感じるそれとは少し違う、力強くあたたかい風。これは……武楽さん夫婦がこの村に持ち込んだ新風、なのかな?





 あたしが所属しているのはとあるスポーツ商社の総務部で、前の業種とは部署も含めてほぼ同じ。

 スポーツ商社というからにはスポーツ用品を新たに生み出すことがお仕事なんだけど、実際に作っているのは開発部だし、それを売ったり宣伝したりっていうのは営業部だし、イベントで使うなら広報部のお仕事だ。特にあたしがいる部署は主に「開発部」と「営業部」の中継ぎを行う「総務二課」で、開発部が作ったものを資料にまとめて営業部にプレゼンをしてもらうのがお仕事。つまり、「作ったし資料もあるけど自分じゃプレゼンできないとこ」と「自分じゃ作れないけどプレゼンは任せろ」ってとこのために、「資料をまとめて実物の魅力をバッチリ文章化するからそれを使ってプレゼン・売り込みしてくれ」っていうのがあたしたちのお仕事ってこと。ようは資料作りが専門ってこと。

  

「呉内さん、この間の資料だけどさ」

「え゙っ、なんかミスありましたか!?」

「いや、めちゃくちゃ丁寧で見やすかったって、会議に持ってった担当ひとが褒めてましたよ」


 始業からまだ一時間と経たない内に声をかけてきたのは、あたしの教育係を務めてくれている家廊黄澪いえろうきみお先輩。

 入社3年目で、あたしにとっては年下の先輩ということになるのだけど、もともと運動部に所属していたこともあって、あたしとしてはあまり違和感はない。特に大学時代は年上の後輩もいたし、うちの陸上部にはいなかったけど年下の先輩というのも学内に居ないわけじゃなかったからだ。

 海外から飛び級で来た子を見た時は「飛び級って現実に存在するんだ……」と驚嘆したのを覚えている。


 それはそれとして、丁寧な資料を作っただけで褒めてもらえるのは、それこそ違和感というか、信じられない出来事だった。

 前の会社(郵便局のことではない)ではどれだけ丁寧に作った資料を提出しても、二言目には「この程度の資料を作るだけで無駄に時間を浪費するな」「猿でもできるような作業にどれだけ手間をかけているんだ」「この程度のことしかできないから女はダメなんだ」などとまぁ今思えばはらわたが煮えくり返るくらいに言いたい放題だった。

 今回も同じくらいの時間と手間をかけて同じくらいのクォリティのものを提出したに過ぎないんだけど、提出した時は「けっこう早かったけど、ちゃんと推敲した?」とその早さを驚かれてしまっただけに、他の人たちはもっと丁寧にやってるのかなって思ってついつい一度預かって再チェックしてしまった。結局どこにも誤字脱字はなかったし文法の乱れもグラフの入力ミスもなかったから、念には念を入れてテンプレートの再確認までしちゃった。結果、何もいじらないまま提出してこうして先輩づてに会議の進行担当の方からお褒めの言葉をいただいてるわけだけど。

 

「ありがとうございます、今後もがんばります」

「うん、まぁ頑張るにしてもほどほどにね。呉内さん中途だから同期も少ないし、なんかあったら僕にすぐ言ってね」

「はい、その時はよろしくお願いします」


 そう言って、先輩はあたしの席を通り過ぎていった。当然だけど、わざわざ褒めに来たわけじゃなくて、上司のデスクに行く途中に声をかけてくれただけみたいだ。

 気を取り直しつつ、目の前のディスプレイに向きあう。今作っているのは、家廊先輩を主導として企画しているうちの会社の新商品のPR資料の一部。

 本当はそれぞれPR資料を持ち寄って、先輩がそれを吟味しながら詰めていくんだけど、今年から入った新卒(と業務に余裕のある中途)はそれらを数人がかりで作って資料作りに慣れろということらしい。中途組はだいたい同業経験者だから最初っから一人で資料作りだ。こんなところで前の会社の無意味に高いハードルが意味を持つことになるとは思わなかった。

 あたしは先輩から「この間の資料作りけっこう早かったから、よかったら新卒組の手伝いをしてあげてくれない?」と言われて、両方やっている。

 もちろん優先順位は自分のものを優先して、手が空いた時に参考資料を提示したり、データの見方を改めて教えたり、実際のデータを元にプレゼンするポイントのまとめ方を教えたりしている。あとは新卒さんたちが自分たちで文章化すると言っているので、そっち方面の手伝いはテンプレートの提示以外していない。


(……これ、本当は新卒さんの教育係がやることでは?)


 もちろん新卒さんの教育係にも自分の業務があるんだろうけど、それはあたしも一緒なんだよね。別にいいけど。

 もしくは、(同じ月に中途で入った)同期のいないあたしのために、家廊先輩が気を利かせて新卒組と交流できる状況を作ってくれたのかもしれない。


「呉内さん、ここのデータってこういうことで合ってますか?」

「うん……うん……そうですね、合ってます。あとはここが他の商品より低く抑えられてますよね? こういうとこも推す感じで作れそうですか?」

「わかりました、みんなと相談しながらやってみます。ありがとうございました!」


 二か月くらいの違いとはいえ、会社としてはあちらの方が先輩なんだから、敬語にしてくれなくてもいいんだけどなぁ。

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