第23話 ここが誰かの居場所なら
「こちら、私の前の職場の上司で武楽黒乃さん」
「初めまして、武楽黒乃です。こちらは夫の銀児です」
「ご紹介に与った武楽銀児っす! ご近所さんとして、これからよろしくお願いするっす!」
村崎家へのご挨拶を数日後に控え、大代父子の縁切りから数日後。紫織の口利きでご近所の空き家に引っ越してきた武楽夫妻は、紫織から聞いていた通りの素敵なご夫婦だった。
黒乃さんは少し厳しくてクールなイメージの女性だけれど、隙あらば銀児さんの方を目で追っていたり、彼が近くに居ない時はそわそわしていたり、かなり旦那さんにぞっこんな可愛い女性だったし、銀児さんはちょっと天然なところもある熱血系なのかなと思っていたら、黒乃さんが言葉に詰まるとさらっと話題を逸らすか代弁してくれたりと、意外と気遣いのできる男性で、二人揃ってギャップの強いご夫婦だ。
「こっちの二人は私の親友で同居人の呉内紅葉と大代橙花といいます」
「呉内紅葉です。力仕事は得意なんで、何かあればいつでも呼んでください! 畑仕事もしてるんで、そっち方面でもお手伝いできますよ!」
「大代橙花でっす! 人脈はそれなりにあると思うから、村の付き合いで困ったこととか、何か都会とのギャップで困ったこととかあったらなんでも訊いてね!」
「もう一人、紅葉の養子が一緒に住んでるんですが、今は学校に行っていて……紅葉も、お昼からは仕事ですので、力仕事で手伝いが必要でしたら午前中に言ってもらえると助かります」
こっちも挨拶を返すと、武楽夫妻は「お近づきの印」として旦那さんの地元銘菓である「びわゼリー」のギフトセットを戴いた。これは後ほどお茶の時間にご夫婦も呼んで一緒に食べようとお約束すると、今はまだ引っ越し直後ということもあって忙しいだろうと、あたし以外の二人は家の奥に戻っていった。あたしは紫織から「荷物運びの手伝いをしてあげて」と言われたので、ご夫婦には「お気遣いなく」と言われたが、少しの遠慮合戦の後「じゃあ車の荷物を玄関まで運んでもらっていいっすか?」という旦那さんのお言葉に乗っかる形で手伝いが決まったというわけだ。初対面の相手に私物を触らせるのは不安だろうけど、あのミニバンけっこう荷物入ってそうだったからなぁ……。
「――っと、これで最後ですね」
「了解っす! いやー、実は車から運ぶと靴を脱いだり履いたりで面倒だったんで、すげー助かったっす! 本当にありがとうございます!」
「私では軽い荷物しか運べないので、とても助かりました」
「いえいえ! こういうのは助け合いですから!」
あたしがそう言うと、二人は少し嬉しそうな、それでいて少しだけ戸惑うような表情を返した。
その表情がどんな意味を持つのか、あたしにはわからないけれど、あまり長居しても二人の邪魔になるだろうと思い、「じゃあひとまずこれで」と言って玄関のドアに手を掛けると、それを呼び止めたのは黒乃さんだった。
「紅葉さん」
「……はい?」
その制止の意図を訊ねるように返事を返すと、黒乃さんは真剣な眼差しであたしの瞳を捉えていて、妙な緊張感が体中を強張らせた。
「私たちの住んでいたところでは……こんなにも他人から親切にされたことはありませんでした。だから教えてください。あなたがこんなにも優しいのは……あなただからなのか、それとも……」
「そんなの、この村じゃ普通のことですよ」
言葉を遮るように、あたしは言う。
「悪い子がいたら注意しなさい。周りの大人の言うことをちゃんと聞きなさい。……そういう、子供の頃から言われてきたことをずっとやってるだけです。だからほら、こういうのも子供の時に言われませんでしたか? 『困った時はお互い様』『地域の仲間は助け合い』みたいなこと。この村は、そういう「子供の頃に教わったこと」が根付いてるんですよ」
「だが、私たちはまだ今日引っ越してきたばかりの新参者ですし……」
「はい、今日引っ越してきた新参者の『地元仲間』です。だから新しい仲間のことはいくらでも助けますよ。「仲間を大切にしなさい」も、ちゃんと子供の時に習ったので!」
そうだね、確かにこの村に住む上での心得みたいな話をしていなかったのは配慮が足りていなかったかもしれない。でもだからこそ、今ここでそれを話せてよかった。
あたしは武楽家の玄関を出て、100メートルもせず到着する家に向かって思わず駆け抜けた。これからの毎日が今まで以上にいいものになる気がして、嬉しくて思わず走り出した。
「……いいご近所さんができましたね」
「こういうところで育てられれば、生まれてくる子もきっと心身健やかに成長してくれるかもしれないっすね!」
◆
「へー、じゃあこれからしばらくはご近所付き合いとかどうするか家で話し合いとかしなくちゃいけない感じか」
「うん。まぁ紅葉さんと橙花さんがけっこうそういうの得意だから大丈夫だと思うんだけどね」
「そうかぁ? 二人ともけっこうグイグイ行くタイプだと思うし、そういうの苦手な人とかだとキツくないか?」
「紫織さん曰く、橙花さんならそういう人相手でも上手に立ち回れるみたいだからたぶん大丈夫だよ」
夏休みの真っ只中の7月末。今日は久しぶりに緑郎くんと二人で福祉委員の新聞音訳ボランティアの録音作業。音訳っていうのは、目に障害がある人のために文章を読み上げることなんだけど、うちの学校では社会福祉協議会と提携しながら定期的にこの音訳データを送って社会貢献しているそうな。……ホントにボランティアだよね? いくらなんでもお金とかもらってないよね? この学校そんなに古いわけでもボロいわけでもないけど、生徒数が少ないからお金に困ってそうなイメージあるから不安だなぁ……。
ていうか生徒数が学校側の収入に与える影響ってやっぱり大きいのかな。それとも学費以外のところから収入とかあるのかな。補助金とか。
「えーっと……次どこから読むんだっけ?」
「ここからここまで。今文字に起こしてるからちょっと待ってろ」
「んー……あっ、ここルビお願い」
「あいよ」
音訳はただ新聞をそのまま読むだけが作業じゃないというか、むしろ読むだけならまだ楽な方だ。
この音訳ボランティアは福祉委員会みんなやってるんだけど、それぞれ「読み上げ班」と「原稿班」に分かれていて、大変なのはだいたい原稿班だ。
新聞だけじゃ小さくて読みにくいから、まず単純に「読み上げ班が見やすいように」という理由で原稿班がいるわけだけど、新聞のメインターゲットって当然ながら大人なわけで、読めない漢字とか平仮名が続いてるせいで区切りがわかりにくいところとか、そういうのを読み上げ班にわかりやすく文字にしてくれる。読める漢字でも、ルビがあれば読むのが楽になるしね。
まぁそれでも原稿班に行くって人はたいがい「他人の声を聞かれるのが恥ずかしい」って理由なんだけど。
で、そんな原稿班の頑張りを経て、僕ら読み上げ班のお仕事はまず「誤字脱字チェック」「イントネーション確認」「発声練習」の末にようやく録音となる。発声練習はだいたい原稿班が文字起こししてる間に済ませてるけどね。
「よし、できたぞ」
「うん。先にチェックした分も誤字脱字なかったよ。こっちも……うん、大丈夫そう」
「じゃあ録音すっかー」
「はーい」
マイクのボリュームはいつも通り。何度かチェックを繰り返して、ノイズやハウリングがないことも確認。生温い水で喉を潤して……準備おっけー!
「じゃあいくよ」
「ん。3、2、1……」
ゼロ、のカウントもなく「録音開始」がクリックされた。
「『2049年7月29日、木曜日。音訳担当、真城つくも。○○新聞。――28日、岐阜県土岐市では夏の風物詩となる炎の祭典、土岐市織部まつりが行われた。毎年7月の暮れに行われるこのイベントは、今年は好天にも恵まれ――』」
句読点の位置、句点と読点による間の取り方に注意しながら、聞き取りやすい発音を心掛けつつ一定のテンポを保つ。
丁寧にしすぎればテンポが崩れる。テンポを意識しすぎると単語への意識がおざなりになる。だからその配分を間違わないよう、軽やかで確実な発声を心掛ける。
緑郎くんは、紙同士が擦れる音を立てないよう、僕の朗読にミスがないか原稿と照らし合わせている。時々、区切りのいいところで録音を一時停止にして、深呼吸したり生温い水を飲んだり背伸びをしたりして、またすぐに録音を再開する。
それを何度か繰り返せば、音訳はおよそ15分程度で記事ひとつ分を終えた。
「――ん、録音終わり。オレらはここまでだな。片付けて帰ろうぜ」
「そうだね。金萌さんも一緒に帰れたらよかったけど、園芸部の仕事で花壇の様子を見に来ただけみたいだから、もう帰っちゃっただろうねぇ」
「美桜も部活で来てはいるが、女子陸上部はもうすぐ中体連の大会あるし、夕方まで掛かるだろうな」
最近、あまり四人で遊べてないことが寂しい。……そうだ!
「じゃあさ、次に四人集まった時に何して遊ぶか考えながら帰ろうよ」
「おっ、いいなそれ。そうだな……まずはキャンプとかか?」
「お金とか場所とか色々準備しないとね!」
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