第21話 友達だから、親友だから
「――っていうのが、先月のハイライト」
紅葉さんの元上司さんって人が家にいきなり来てから一週間が経ち、さすがにそろそろ大丈夫だろうということで久しぶりに通学すると、ぷらちな桜餅の三人はもちろんのこと、クラスのほとんどの人が僕の元に押し寄せてきた。あの日、地元のお巡りさんは自転車で来たわけだけど、応援にきてくれた他のお巡りさんは当然ながらパトカーで来ていたので、田舎特有の狭いネットワークでは瞬く間に我がドロップアウト家で警察沙汰のトラブルが起きていたことが広まっていたらしい。
僕は事情と経緯を(橙花さんの報復を秘匿する形で)簡単に説明すると、みんなは同情するように励ましてくれたり、肩や背中をぽん、と叩いて解散していき、そのまま授業が始まった。
数日分の遅れによって見慣れない公式と数式が黒板に書かれる中、さらにその集中力を欠かせるかのように前の席に座る金萌さんから肩越しに投げ込まれる一枚の紙きれ。
『教科書2ページ戻ったら公式書いてあるよ』
数日分といえども明らかな遅れを痛感しているところで投げ込まれた紙切れにはほんの少しだけども「今がんばって追いつこうとしてるんだから邪魔しないでよ!」という気持ちがあったものの、その紙切れの中に掛かれていたそれは間違いなく僕の悩みを察して書かれた金萌さんなりの優しさで、僕は今ほど自分の浅慮を恥じたことはなかった。
ともあれ早々に教科書のページを遡れば、確かに今受けている授業に含まれる公式が書かれて――何この落書き。
いや、書かれてるよ? 確かに今やってるあたりの公式だよ。でもそのページに描かれている夥しい量の落書きは何?
『はよ学校もどってこーい』と大声特有のギザギザフキダシを出すきゅうりは何?
『金萌が寂しがってるよー』とめちゃめちゃラブリーなハートを大量放出する桃は何?
『サビシイ……』と半角カタカナで主張するコーヒー牛乳は何?
他にも芋とかバナナとかコーラとかよくわかんない飲食物の群れが口々に僕の帰りを待つ旨を語っていて、思わず僕はその場で堪えきれない涙を溢れさせてしまった。
でもまぁ泣いてるのが周りにバレなかったのは本当によかっ……いやバレてるねこれ。右隣の子はなんかニヤニヤしながらこっち見てるし、左隣の子はなんかもうピースまでしてる。いや「うぇーい」じゃないんだよ。涙も引っ込んだよ。金萌さんも肩越しにピースしないで。そんでもって指ぴょこぴょこしないで。かわいい。
授業が終わり次第みんなには感謝の罵声を浴びせることを心に誓いながら、今はただ目の前の授業に集中することにした。
◆
「いやぁ、随分とお騒がせしちゃったねぇ」
「そうね。紅葉も今頃、職場に謝り倒しかしら」
「かもしれないねぇ」
その日の橙花は午前勤で、紫織と共に食事をとると、午後は互いに趣味のクロスワードパズルやSNSをしながら、久しぶりに出勤した紅葉の様子を案じていた。
というのも、先日のいざこざは職場にも連絡していたものの、さすがに二日三日で片付く事態ではなかっただけに、職場復帰にかなりの時間をかけてしまったからだ。
「……なんかやけに距離近くないかしら?」
「えー、しおしお最近くーちゃんに構ってばっかりだったからスキンシップ充電してるだけだよー?」
「どうかしら。昔はあなた私に片思いしてたじゃない」
「今それ掘り返すの!?」
実は橙花は中学に上がった頃から高校卒業までの6年間、紫織に片思いしていた時期があった。厳密に言うと、高校一年の時には玉砕していて、二年間引き摺ったというのが正確か。
紫織が紅葉を意識し始めたのは橙花が紫織を意識し始めたのとほぼ同時期で、そこから今に至るまでひたすら紅葉一筋なわけだが、その経緯には大親友の恋に引導を渡した過去もあったのである。
今となってはこうして笑い話にできるようにもなったが、さすがにこのタイミングで掘り返されるとは思っていなかったのか、すすす……と紫織から距離をとる。
「あの頃は頼りになる年上はみんなカッコよく見えちゃう時期だったの! 別に紫織が特別だったわけじゃないもんね! 自意識過剰だよ、ばーか!」
「あら、じゃあ私のことは本気じゃなかったのね? ショックだわ。橙花は私のことを本気で大事にしてくれてたと思ったから真剣に返事したのに……」
「えっ、あっ……ごめん、言い過ぎた……。いや、あの時はあの時でちゃんとガチ恋してたっていうか……」
「あ、ポット湧いたわね。お茶入れるわ」
「ねええええええええええええええええ!! 違うじゃん! 今けっこうマジな空気だったじゃん!」
もっとも、既にそれは紫織にとっても橙花にとっても終わった話であり、今さら掘り返したところであの頃の情念まで蘇ってきてしまうほど二人ももう子供ではない。
少なくとも紫織にとってはこうして橙花をからかうための手札のひとつくらいには思っているし、それは同時に「もう橙花にもこうしてからかっても大丈夫だろう」という信頼のようなものがあってこそ口をついて出るものだ。
「……あなたはオレンジ。紅葉が赤で、私が紫」
「んぇ? あー、名前のこと? そうだね。何、いきなり」
「季節の花なら、私は紫陽花。あなたが向日葵で、紅葉は楓。楓の花言葉は「調和」「大切な思い出」……すごく、紅葉らしいわ」
「まぁ、たぶんわたしとしおしおの二人だけならこんなに仲良くなれた感じはしないよね。バランスをとってくれたり、離れそうになった時に繋いでくれたり。三人みんなバラバラで対等なのに、気付いたらくーちゃんの方を見てるんだよね。わたしもしおしおも。たぶん、くーちゃんと出会った人はみんなそうなんじゃないかな」
コミュニケーションという意味で、橙花の右に出る者はいない。それはつまり、橙花はあらゆるコミュニティの中心になれるカリスマを持つということでもある。
しかし紅葉という人物はそれとは違う意味で、究極のカリスマであった。少しでも紅葉と交流を持った者は、彼女の存在を無視できない。それがどんなに浅い交流だとしても、彼女を視界に入れてしまえば視線を引かれてしまうし、仲を深めるほどに「彼女ならなんとかしてくれるかもしれない」という上限のない信頼を向けてしまう。
それは彼女の性格が関わった人の重荷をほんの少し一緒に背負ったり、あるいは降ろす手伝いをしているからかもしれないが、同時に彼女には「この重荷を任せてもいい」「降ろす手伝いをさせてもいい」という安心感を与える言葉にできない
「向日葵は「憧れ」「情熱」……そして「あなただけを見つめる」」
「うぇ……なんかまだ未練があるみたいに言うじゃん……。でもま、確かにわたしがしおしおを好きになった理由はこれだよね。引き摺った理由もそれ。とにかく凄くてカッコよくて……憧れだった。めちゃくちゃに憧れたよ。そりゃもう、情熱的にね。当時はくーちゃんすら霞んで見えるくらいしおしおに憧れたもんだよ。ま、だからこそしおしおが誰を見てるかも知ってたし、告白もダメ元だったんだけどね」
そのダメ元の告白でも2年引き摺るくらいには「情熱的」で「紫織だけを見つめていた」ということでもあるのだが、紫織はあえてそれを口にはしない。
「そして紫色の紫陽花は「知的」「神秘的」「辛抱強い愛」」
「それまたしおしおらしいね。知的はそのまんまだし、見た目の綺麗さなんて神秘どころじゃないし……何より、マジで辛抱強くて「諦めてよかった」とわたしが思えるくらい」
「あらそう、なら私もフッた甲斐があったわ」
「ん? でも確か、紫陽花って紫に限らずそもそも「浮気」って意味があったような……」
「はい、今あなたの晩ごはんのおかずが一品減ったわ」
「ごめんて」
紅、紫、橙。三つの色が重なる中心にいるのは、いつだって――。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
「おかえりー」
裏口から聞こえる聞き馴染んだ声に、紫織の返事にも喜色が混じる。そしてそんな二人の様子を見て、橙花の声にも温かさが灯る。
ライダーブーツを脱いで家に上がったばかりの紅葉を迎えると、二人は無意識にその頬を緩ませていた。
「え、何そのニヤニヤは。別になんもお土産とかないけど……なんかいいことあった?」
「べっつにー? くーちゃんは幸せ者で羨ましいなーってしおしおと話してただけだよ。ねー?」
「そうね。私たちはやっぱり、紅葉がいないとダメよねって話をしてたところよ」
「……? いや、あたしからすると二人がいなきゃダメになるのは間違いなくあたしなんだけど……?」
それは、決して二人の言葉に対する意趣返しではなく、まして意図的なレシーブでもなく、ただただ自分の中にある事実だけを吐き出しただけに過ぎないのかもしれない。……紅葉にとっては。だが結果的に、それが紫織と橙花の心をこれ以上なく大きく揺らした。
なぜなら、それこそが二人が求めてやまなかった「答え」だったからだ。
「あなたのそういうところが、私たちをダメにするのよ」
「やーい、この人たらしー!」
「えぇ……? 珍しく早帰りした仕打ちがこれ……?」
嘘でしょ、と不満を洩らす紅葉だが、その表情に苦い笑みが零れていることを、二人は見逃さないし指摘もしない。
この、親友にしか見せない彼女の笑みは、自分たちだけが知っていればいい。
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