第20話 橙花の復讐
昨夜は本当にてんてこ舞も甚だしいというか、頭のおかしくなりそうな情報量のある一晩だった。あの後すぐお巡りさんが駆けつけてくれて、あたしたち三人の無事を確認した後、数人の応援を周りの交番から集めてくれた。田舎のお巡りさんはだいたいが転勤族で、ほとんど定住しない分あんまり地元民に馴染まないなんて話も聞くけれど、三色村に来るお巡りさんはそうでもないようで、新しい人が来るたびに野菜だの余り物のおかずだのを差し入れしたり、地元の催し事に誘ったり、とにかく積極的に接してるせいで一か月もすれば村想いのいいお巡りさんに早変わり。今回駆けつけてくれた人も例に洩れず、とても親身に事情を聞いてくれた。
あたしの前の会社の上司が来て会社に戻れと言ってきたこと、あたしは既に前の会社を退職していること、紫織は胸倉を掴まれ、あたしは怪我を負うレベルの暴力と暴言を受けたこと。加えて、あたしも売り言葉に買い言葉で相手のことを煽ってしまう言い方をしたこと、手を掴まれて宙ぶらりんの状態から解放されるためとはいえ相手の鳩尾を蹴ってしまったことも白状した。仮にこのトラブルが裁判沙汰になったとしても、前もって自分の非を隠蔽したと言われるよりは、少なくとも蹴りくらいは正当防衛だったと判断してもらうためだ。
せめてあの時の会話の録音があったらなぁ、とあたしがボヤいた時、横からスッと現れて「これでいいの?」とか言ってボイスレコーダーを取り出した紫織には惚れたよ本当に。
で、まぁ確かにあたしの煽り文句はあまりよくはないけれど、その言動に至るまでの前職時代のあれこれは先にも述べた通りしっかり説明していたし、会話の経緯からもそう言いたくなるような高圧的な態度を相手がとっていることもあって、蹴りは正当防衛が適用されるであろうということと、相手の傷害・恫喝もあたしの傷と経緯の録音のおかげで証明できそうだった。お巡りさんには「早めに病院で診てもらって、どんなに小さな怪我でも診断書をもらってきて。あとは頼れそうな弁護士さんを探した方がいい」と言われたので、今日はそのために郵便局のアルバイトを休ませてもらった。配達担当の正局員さんには「そのクソ野郎を豚箱にブチ込むまで安心して休んでいいぞ」と言われたけれど、そこまでやろうとすると時間も費用も掛かりすぎてしまうので「そんなに休みませんよ」とだけ返しておいた。
「――で、弁護士探しなんだけど」
あたしが呟くようにそう言うと、あたしと紫織の視線がほとんど同時に橙花へと向けられた。
橙花もそれはわかっていたようで、にっこりと笑みを浮かべながら、
「わたしの友達に弁護士の子いるよ」
「さすが橙花ね。助かるわ」
「友達が茨城県人口より多い女は仕事が早い」
すごいのはわたしじゃなくて弁護士の友達だよ~、と言う橙花だけれど、その弁護士にすぐさまアクセスできる橙花の人脈の方がはるかに凄いと思う。
決して弁護士という仕事を軽くみているわけでも、弁護士になったその友達の努力を浅く見積もるわけでもないけれど、橙花の持つ人脈と、それを可能にさせた彼女自身の愛嬌やカリスマ
は努力ではどう埋めることもできない天性の才能だと思う。少なくとも、運動や勉強では橙花に負けないつもりのあたしと紫織ではあるけれど、やっぱりこういう時にそれが役に立つことはないんだ。人が人らしく生活する上で、コミュニケーション能力に勝る武器はないんだと思い知るよ。そして、そんな橙花を敵に回したあのバカにほんの少し同情も……いや、それはしないな。ざまぁみろって気持ちしか湧いてこない。
「くーちゃん、前の会社の名前とか憶えてる?」
「え、株式会社○○スポーツってとこだけど……」
「ああ、じゃあミノさんが専務やってるとこだね。おっけ、そっちにも話通しとくね」
「え、あ……うん……」
ミノさんって……蓑原専務のこと? なんで橙花が専務と知り合……いや、橙花だしなぁ。
社長と友達じゃないだけリアリティがある。それくらい橙花の人脈はどこにでも広がっている。
「じゃああのおじさんの名前も教えてもらっていい?」
「
「どこ住んでるとかはわかる?」
「え、どうだっけ……取引先の人と個人的に仲良いから、その人なら名詞もってるかも」
「じゃあその人から住所聞いといて。その周辺地域に友達がいたら今回のこと話しとくから」
あっ、これ単に裁判沙汰で終わらせてくれないやつだ。
弁護士さんと一緒に法的に殺して、会社の上司に事実説明して社内評価を殺して、家の周りの視線で家の評価を殺して、最終的に家庭崩壊させるやつだ。
悪いのはあのバカだけで家族の方には申し訳ない気もするけれど……まぁ、あたしたちには関係なし。あっちが家族を傷付けられて怒るだけの義憤に燃えるなら、橙花もたぶんあたしが傷付けられてブチ切れてるだろうし、加えて紫織は胸倉を掴まれて男性不信が男性恐怖症にグレードアップしそうな勢いだし、加えて三色村のことまでバカにされたとあれば……今回の件で一番キレてるのは間違いなく橙花だ。本気で容赦なく潰しにかかってる。
加えて、あくまで橙花は会社や相手の近所の人間に「タレコミをしている」わけじゃない。単純に「会社の偉い人や、部長の家の近所の人と個人的にお友達だったから世間話をした」だけだ。世間話で相手の身近な人について話題が出ることはおかしいことではないし、まして橙花は何も嘘をついていない。本当にただ事実だけを話すつもりだ。
「実家周りも仕留めきれればよかったんだけど、さすがにそこまではね」
「さすがに心が痛む?」
まぁご実家は縁切りでもしない限りあのバカと付き合い続けなきゃいけないし、これでもしあいつが会社をクビにでもされれば、いい歳のおっさんになった息子をまた世話しなきゃいけなくなるし、ご両親は苦労で胃が蓮コラみたいなことになってもおかしくない。……ちなみに蓮コラが何かわからないなら検索はしないことを薦めるよ。
「ううん。実家がどこかわからないからやれないよねって話」
「専務さんなら人事にかけあって地元の地域くらいわかるんじゃない?」
「いやーさすがに個人的な復讐に付き合わせるためだけにコンプラ違反はさせられないよー」
「あ、そっか。ごめん、さすがに浅はかだった」
「大丈夫。あたしその会社の友達あと15人くらいいるから、その人が社外で親しくしてる相手とか教えてもらうよ」
「……もしかしてあたしがその会社に勤めてた時って……」
「え? あ……バレた?」
「紫織! これたぶん紫織もやられてるよ!!」
こ、こいつ……! さてはあたしたちが都会で働いてた時その友達を通してあたしたちの動向を見守ってたな! 道理でパワハラは受けても絶対に味方してくれる人が多いなと思ったよ! 世の中なんだかんだ善人の方が悪人よりいっぱい居るもんなんだなって思ってたあたしの純粋な心を返せ! あ、別にその人たちが橙花に頼まれたからか、あるいは頼まれた上で善意でやってくれたのかは今は横に置いておく。問題はそこじゃないからね!
「だだだだいじょぶだって! 様子を見守ってあげてほしいとは言ったけど、べべっ、別にお給料とか待遇がよくなったわけじゃなかったでそ!?」
ぐいんぐいんとあたしの手で前後に振られる頭のせいで至近距離ドップラー効果みたいになりつつも、橙花は「最低限のラインは守ったから!」と言ってくる。
もしかしてこの家で一番怖いのって紫織じゃなくて橙花だったりしない……? 少なくとも社会的な意味における殺傷力は我が家で随一だと思うよ。
「……っとと、きたきた。ふんふん……なるほど、実家は四国なんだ。へー……愛媛県○○町○○○番地かぁ……じゃああの子がご近所さんかな。ごめん二人とも、ちょっと電話してくるねー。少し長くなるから、おやつ出しといてー」
「ホントに実家まで扱ぎ付けたよ……もはや橙花から逃げるにはアマゾン行くかサバンナ行くかしかなくない……?」
あとは宇宙ね、と笑う紫織の目は、途方もなく遠いどこかを見ていて、諦観に似た何かを宿していたようにも見えた。
「……とりあえずおやつの準備しよ?」
「そうね……。ハーブティーでいいかしら?」
「うん。あたし、畑から春キャベツもってくるから、塩キャベツも作ろ」
「……合うかしら?」
合う合わないはわかんないけど、まぁ美味しいものはどう食べても美味しいから大丈夫でしょ。
あたしたちはしばらく仕事を休み、念には念を入れてつくもも学校を休んでもらいながら、徐々に……というにはあまりにも急加速的に、比米代部長の首を引きちぎる勢いで絞めることに注力し始めた。……んだけど、それから三日とせず橙花がいきなりなんの前触れもなくVサインをあたしと紫織に向けてきたので、賢いあたしたちは互いの顔を見合わせながら察した。
――「あ、こいつやりきったんだ」って。
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