第17話 授業参観

 四月。学生にとっては新入生・新学期・健康診断と行事・イベントの多い時期。学生じゃなくても新入社員……あたしの場合は新入局員? が入ってくる頃なんだけど……まぁ、三色村と比べればだいぶ栄えているとはいえ七ツ川市もたいがい田舎だ。局員の顔ぶれが変わった感じはしないし、橙花も神社のバイトは誰ひとりブレていないらしい。在宅ワークの紫織に関しては言うまでもない。ただ、つくもはそういうわけにもいかなかった。

 三色村の中学校はクラス替えはおろか、そもそも1・2年生複式学級なので友達と離れ離れということにはならなかったけど、さすがに席替えは避けられなかったらしくて、緑郎くんと美桜ちゃんとはほぼ対角線くらいの位置まで離れてしまったらしい。しかも、金萌ちゃんは前の席にいるので休み時間は2人きりで話すことが増えてしまったせいで、「ぷらちな桜餅がぷらちなと桜餅になっちゃった」とよくわからない不満を洩らしていた。ぷらちな桜餅って何?

 とにもかくにも、問題は学生であるつくもには四月の行事やイベントが多いってこと。そしてその中には「授業参観」も含まれている。

 他の多くの親と違って、うちはあたしも紫織も橙花も授業参観を「親側」で見に行くのは初めてだ。しかも、中学二年生で。

 つくもは真面目で穏やかな子なので、授業参観の不安はつくもじゃなくてあたしたちの方だ。


「つくもの授業参観、行きたい人は挙手」


 あたし、紫織、橙花がまっすぐ高々と手を挙げる。なるほど、戦争というわけだね?


「この中で一番時間に融通が利くのは私よ」

「コミュニケーションはわたしの役目だったよね?」

「正式につくもの母親をしてるのはあたしだよ」


 三人それぞれ自分の強みを主張していくけれど、どれもがゲームエンド級のパワーカードを切っているせいで主張に優劣が生まれない。

 元々、三人がそれぞれ違うジャンルで特化した手札を握っているせいで互いに代えが効かないのもあって、対抗できる反論がないのもつらい。


「……ひとつひとつ解決していきましょう。まず時間。二人は大丈夫なの?」

「先月のうちにプリントが来てたから、今月のシフト組む時に空けてもらったよ」

「うぇ……あたしまだ言ってない……」

「じゃあ橙花はアウトだね。あと紫織、父親が来てないって確証はないんだけどそっちは大丈夫なの?」

「うっ……ちょっと、難しいかもしれないわね……」


 紫織が橙花を討ち取り、あたしが紫織を討ち取った。勝利のゴングが脳内に鳴り響く。

 二人には「来年は二人が行くことになるかもしれないから、そのテスターとして行ってくるってことで」と適当な免罪符を放り投げて、追及をそこまでに留めさせた。

 そうして、その日のドロップアウト家族会議は終了。あとは当日を待つばかりとなり、翌日から授業参観までの十数日はいっそう仕事に身が入った。


 



 授業参観当日――とにかく、他のお母さん方に助けられるばかりの一日だった。うちがちょっと特殊な家庭環境だってことは村の間ではすっかり有名になっていて、周りのお母さんたちからは「初めての授業参観が中学校は大変でしょ」と気にかけてもらった。周りは中学生の子供がいるお母さんばかりで、みんなあたしより一回りくらい年上の人ばかりだったのは、予想していたこととはいえ緊張した。

 生徒数の少ない学校だからか、保護者全員が教室内に収まり、教室内には「親」には伝わりづらい子供特有の緊張が走っているようにも感じる。これは、あたしがまだ心のどこかで「親」になりきれていないから感じるものなのかもしれないし、あるいは年齢的なものかもしれない。とにかく、他の保護者たちがこのプレッシャーに気付いている様子はなかった。


「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」

「はい、佐倉さんありがとう。ではここまでの文をひとつひとつ読み解いていきましょう。まず、「春はあけぼの」……あけぼの、の意味がわかる人は?」


 挙手を求める国語の担当教諭に対して、生徒たちは保護者の前だから普段以上に手を挙げづらそうにしている。それは先生もわかっているのか、「では」と生徒を名指しすると、その生徒は観念したように解説していて、やはり「わからない」わけじゃなく「手を挙げられない」んだろうというのがうっすらと伝わってくる。

 けれど、このやりとりのおかげで生徒たちが授業についていけていないのではない、ということは、あたし以外の保護者たちにも理解できたようで、苦笑いを浮かべながらも「仕方ない」とホッとした様子だ。つくもはどうだろう。こういうことに緊張するタイプには思えないし、国語は得意だったと思うけど、周りと同じように挙手しなかったことには少し疑問が残る。


「続く「やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて」は、周囲の景色が少しずつ明るくなっていき、山々のすぐ上の空が白んでいく様子を表していますね。「紫だちたる雲の細くたなびきたる」は……国語の得意な真城くんに答えてもらいましょう」

「はい。紫だちたる雲、は直前の描写から「朝日で薄い紫色に染まっている雲」のことだと思います。たなびきたる、はその通りたなびく……えっと、雲や霞が横長にかかっている様子なので、「朝日で薄い紫色に染まったた雲がいくつも細長くかかっている」という意味だと思います。あと、「山ぎは」は山の際と書いて、空と山の境目の空のほうを指します」

「はい結構。たなびく、山際、という耳にはするもののしっかりと意味を理解しないことも多い言葉についても詳しく説明してくれましたね。では、続きを水鳥くんに読んでいただきましょう」


 その後も、先生はそれほど多くはない生徒に偏りなく名指しすると、まだ全て読み切る前に名指しが二周目に入ってしまった。


「では……先ほどは解説をお願いしたので、今度は真城くんに朗読をお願いしましょう」

「はい。冬はつとめて。雪の降りたるは、言ぶべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もてわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし」

「結構。それでは「冬はつとめて」のところから、と言いたいところですが、これは由来から説明しないとわかりにくいので先生から。まずこの「つとめて」とはこのような……「努めて」「勉めて」「勤めて」ではなく、早朝を表す「つと」から来ています。つまり、冬は早朝がよい、と言っているわけですね。ここまで「春は夜明けがよい」「夏は夜がよい」「秋は夕暮れがよい」と言っているように、清少納言が日本風景の何に趣を見出したか、というお話です。しみじみとした趣を描き「あはれの文学」と称された紫式部の「源氏物語」とはよく比較され、明るい趣を描いた清少納言の「枕草子」は「をかしの文学」と呼ばれることもあります」


 では次を……と、解説役を他の生徒に指名する先生だけれど、答えられる子もいればそうでない子も当然いて、こうしてみると最初の春の解説をすらすらと答えて補足までやってのけたつくもは、こと国語においてはこの学級でも本当に優秀なんだろうということが察せられた。


「では最後の一文を……古鐘さんにお願いしましょう」

「え゙っ。あっ、ハイ……。……えっと……」

「――、――――」

「お、お昼ごろになって……少しずつ寒さが和らいでいくと……火桶の火をほったらかして真っ白な灰になってしまうのは、あんまよくない……的な?」

「……結構。「お友達と」よく勉強しているようで何よりです」


 ……今の、つくもだよね。後ろで教科書に隠れて教えてたの。しかもたぶん先生も気付いてるよね。

 先生がわかってる時点で周りの席の子たちも気付いてるだろうけど、何も知らないみたいに振舞ってくれているあたり、このクラスって本当にみんな仲がいいんだなって思う。

 こんな環境で友達作って……都会に進学したら大変だろうなぁ。あたしも東京の大学では本当に苦労したからね、人間関係。今まで当たり前のように「同じクラスの子はみんな友達!」みたいな交友関係だったから、大学で「友達」がどれだけ貴重で大切な存在なのかを痛感したよ。それでも、未だに高校時代までの同級生はみんな「友達」のつもりでいるけれど。


「最後の一文でわかりにくい単語は、やはり締めの「わろし」でしょう。響きは「笑える」「笑う」のようなので、そこから「おかしい」「たのしい」と思いがちですが、これは「悪い」から転じて……「わろし」と書きます。つまり通して読むと「冬は早朝がよい。雪の積もる時などは言うまでもなく、霜が白く降りている時も、またそうでなくとも極めて寒い朝に火を急いで熾して炭をもっていくのも大変よい。しかし、昼になって少しずつ寒さが和らぎ、火桶の火をほうって真っ白な灰にしてしまうのはよくない」という意味になります。最後の「よくない」というのは直接的な「悪さ」というよりは、風情に似つかわしくない、趣を損なう、といった意味ですね」


 真面目にノートをとる生徒、先生の話だけ聞く生徒、集中力が途切れそうになっている生徒……いろんな反応がそれぞれに面白い。

 つくもは前の席に座る金萌ちゃんから何かを後ろ手に受け取り、こそりと一言なにかを呟いていたけれど、それがどんなやりとりだったのかはわからない。たぶん、さっきのことでお礼を言われたのかな。にこにこと笑顔のまま、本当にたった一言程度だったので、「どういたしまして」とかそんな感じのことを言ってたんだと思う。


「では最後に、四季それぞれの趣を描いたこれらの文の共通点についてわかる人はいますか? ……今日はみんな大人しいですね。では、このクラスで一番国語が得意な人にお願いしましょう。みなさん、推薦する人はいますか?」

「……なんでみんな僕を見るの」

「満場一致ですね。では、真城くんお願いできますか?」

「はい……」


 これで3度目。二周目は当てられていない生徒も少しだけ残っている中で、3回当てられたのはつくもだけだ。つくもの親としては嬉しいけれど、他の保護者の方から圧をかけられたりしないかな……。この後、懇談会もあるから少し不安だ。先生から「真城くんの家は今回が初めてということなので多く当ててしまいました」みたいなフォローが入ればいいけど……。

 そんなあたしの不安は遥か彼方に、懇親会でも他の保護者のみんなは「つくもくんすごかったわね」とか「ちゃんと勉強しててえらいわね」なんて言ってくれて、雰囲気は悪くなるどころか終始ずっと穏やかな空気のまま帰路につくことができた。……そんなにドロップアウト家ウチって周りから見ると庇護対象なの!?

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