第15話 お別れとお返し

 三月に入って、ここのところは雪もほとんど溶けてなくなった。積もることはおろか降りしきる灰色の雲さえ、最近はめっきりだ。

 今月の末にはつくもの誕生日。あたしだけでなく紫織と橙花も表情には出さないものの、どことなくそわそわしているのが長い付き合いのおかげか伝わってくる。

 去年、つくもに告白してくれた上級生も卒業が近づいていて、あの一件の後も親しい先輩として接してくれた彼女に対して、つくも自身も思うところがあったようで、卒業式が近づくにつれて少しずつ落ち込んでいるというか、寂しさを隠さないようになっている。でも、その寂しさや切なさはあたしたち「家族」では埋めることのできないものだし、たとえどれほど落ち込むことになっても、つくもを取り巻く友達や仲間がきっと支えてくれるはずだから、敢えてあたしたちはその話題を掘り下げることはなかった。だから時折、つくも自身がその気持ちを洩らすことはあっても、あたしたちはただ静かにそれを聞くだけに留めている。


「つくも、大丈夫かしら……」

「告白を断ってから好きになった、っていうパターンじゃなくて、純粋に「仲のいい先輩」とお別れするのを寂しがってるみたいだし、どうすることもできないよ」

「恋愛とか特別な友達とかなら個人的な繋がりができるけど、単なる先輩後輩だと学校とか学年の違いって致命的だもんねー」


 今日は何か月かぶりにあたしと橙花の休みが重なったから、作業時間を調整できる紫織があたしたちを食堂まで引っ張り込んで、ドロップアウト家の結成から幾度目かの家族会議(つくも不在)が行われている。議題はもちろん「最近のつくもについて」だ。

 男性不信の紫織ではあるけれど、つくもに関してはやや過保護なくらい可愛がっていて、最近ではつくもを背中から抱え込むような体勢で包丁の使い方を教えようとして、つくもから「さすがに包丁くらいは扱えるよ?」と苦笑いされていた。とはいえ、そんな風に接近したり接触したりしても抵抗がないくらいには可愛がっているものだから、先に述べた通り目に見えて落ち込んでいるつくもを放っておくことができないようで、状況を客観的に見て「いやあれは仲良しの先輩がいればみんな味わうものだから」と傍観の姿勢をとっているあたしと橙花を巻き込んで、どうにかつくもを励ますことができないかと試行錯誤しようとして、だけれどあたしたちの中で最も賢く冷静な紫織があたしたちでも思い至る結論に辿り着かないはずもなく、「放っておいても問題ない」という冷静な紫織と、「どうにかしてあげたい」という感情的な紫織がせめぎ合っているみたい。


「大好きな人との別れのつらさ、寂しさは誰でも味わうものだし、それは誤魔化しの効かないものだからこそ尊いんじゃないかな」

「そうだよー。小学校の頃は二人ともあたしを残して卒業しちゃうし、中学校と高校の時なんてしおしおは当然いないしくーちゃんを見送るのもつらいし、大変だったんだよ」

「……そうね。私は橙花と、特に紅葉に見送ってもらう側だったから、ちょっと耐性がなかったのかもしれないわね……」

「いや紫織だって仲のいい先輩くらいいたでしょ」

「あなたたち以上の拠り所なんてなかったわ」


 うっ……こういうことを照れもせずしれっと言うのが紫織だよね。仲のいい相手に対しては躊躇なく好意を見せてくれるから、こっちも好きになるしかないんだよね……。

 でもまぁ、確かにこういう事情なら紫織の暴走もわかる気がする。つまりは、ドロップアウト家において最年長の紫織は、あたしとか橙花と違って「特別仲のいい相手を見送る」ということに慣れてないんだ。あたしたちの中で最も賢い紫織ではあるけれど、実のところその賢さゆえになんでも上手くこなしてしまうせいで情緒を育むだけの「困難」や「逆境」というものに縁遠い人生を歩んできた。情緒は確かに多くの愛情や信頼といった良い環境の中で育まれるものも多いけれど、逆境の中でこそ育まれるものも少なくない。だけど、紫織は環境・境遇どちらの面においても「上手に」渡り歩く知識・知恵・技術があったせいで、結果的に「賢い幼女」みたいな情緒になっているのかもしれない。ただ、その情緒さえも自力でセーブして合理的に動くだけの理性があるのもまたすごいところで、情緒の育成を阻んでいる最大の要因にもなっていそうだ。

 

「しおしおって間違いなく理性と賢さが邪魔になってるタイプだよね……」

「でも理性と賢さのおかげで大人として振る舞えてるんだよね……」

「難儀すぎていっそ笑えてくるよね」

「橙花は晩ごはんのアジフライ一尾抜くわね」

「なぁんでぇぇぇぇ!」

 

 

 ◆



 その後、本当に晩ごはんのおかずを減らされた橙花はともかくとして、あたしは紫織の部屋に赴いて今日の話の続きをすることにした。

 続きとはいっても、既につくもへの対応という意味での結論は昼のうちに出ていた。今のつくもには今までと同じように接し、先輩が卒業してから心が落ち着くまでを支えていく。

 特別なことは何もしてあげられないけれど、大人として、親として基本的なことをちゃんとやっていく。それに尽きた。

 じゃあ今、紫織のベッドに隣り合って腰かけながら何を話すのかといえば――、


「ホワイトデー、何か欲しいものある?」

「そうね……。紅葉のくれるものならなんでも、と言いたいけれど……それだとあなたが困ってしまうものね」

「あはは、そうだね。あたしも、できれば紫織の望んでるものをあげたいな」


 もうすぐホワイトデー。バレンタインには紫織からいただいたので、ホワイトデーはあたしから。

 去年まではしばらく縁のなかったイベントだけれど、学生時代は2月14日には必ず部活の後輩とか可愛い男子からとか、それなりに貰っていた方だと思う。……いや、なんで?

 とはいってもお返しをしていたのは紫織にだけだ。他はみんな貰う時に「お返しはできないよ」と断っていたし、あとまぁ橙花に至ってはあたしが貰ったものを一緒に食べていた。


「珍しいわね、あなたがチョコレートを一人分しかもらえないなんて」

「でも、それが一番ほしいたった一人からのチョコだったよ?」

「……あなた、そういうの本当にタチが悪いわ」

「紫織だってさっき同じことしたじゃないか」


 してないわよ、なんて言う紫織に、思わず溜息がこぼれる。あたしはある程度こういうのは意図的にやっているというか、学生時代にウケが良かった返しみたいなのが染み付いててやってるんだけど、紫織はナチュラルにやるんだよね。本人に自覚がないって意味では、あたしよりよっぽどタチが悪いよ。


「それで、どうするの?」

「そうね……本当なら「あなたが欲しいわ」と言いたいのだけれど、私にとっての紅葉はチョコレートひとつで得られるような存在じゃないものね」

「紫織の一生分のバレンタインチョコなら、考えてあげなくもないよ?」

「ダメよ。今年の分は今年の分。お返しの前借りなんて、エレガントさに欠けるわ」

 

 揺らぎのない水色の瞳があたしの目をまっすぐに捉えていて、女性として「エレガント」に振舞わんとする彼女の為人ひととなりを知るなら「なるほどそれもそうか」と思うけど、あたしもあたしで少しだけ本心を言ったつもりもあって、ついつい「残念だな」とも考えてしまう。

 現代社会で、女性同士の恋愛なんてもう珍しくもなんともない。あたしの高校時代でさえ、法的に認められていないとはいえそういうカップルはいたし、社会に出て都会に暮らすようになってからはさらに目に入る数が増えた。――のだけど、あたしはどっちかといえば異性愛者だ。別に女性がダメってわけじゃなくて、結婚相手ときいてまずは異性から相手を探す程度の意識なんだけど、それでも紫織にとっては不安要素のひとつではあるようで、たまにこうして「女性でも大丈夫だよ」的なアピールをしないと不安がらせてしまう。


「じゃあ、あなたが作るお菓子が食べたいわ。あなたが一番作りやすいものでいいから……めいっぱい真心を込めたものを食べさせてくれる?」

「……わかった。その時だけは家族のためじゃなく、紫織キミひとりのためだけに作るよ。美味しくできるかはわからないけど、それでいい?」

「ええ。……ふふっ、今から楽しみだわ。本番までのお仕事はこれをモチベーションに乗り切れそう」

「そう? ならあたしは、紫織の反応を楽しみに仕事を頑張ろうかな」


 あたしたちは二人して笑い合うと、互いにしばらくハグをしてから、あたしは紫織の部屋を出――えっ?


「何してんの橙花」

「あ、あははは……。なんかこんな時間に部屋から光が洩れてたから、つい……」

「紫織、どうする?」

「明日の朝ごはんも抜きましょう」

「嘘でしょ!? お願い嘘って言って! 晩ごはんも少なかったのに明日おなか空っぽで神社なんか行きたくなーい!」


 つくもも寝てるんだからこんな時間に騒がないでほしいなぁ……。

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