第8話 今、考えなくちゃいけないこと

 つくもがこの家に来て、早くも三日が経過した。事情が事情だけに、あたしたちだけで抱えきれる問題じゃないというのは、あたしが敢えて言うまでもなく紫織も橙花もわかっていた。

 とはいえ、この子を元の家に戻すのはさすがに危険だし、何よりあたしも自分から関わると決めたのなら、それを投げ出したりしたくない。だから、まずは村の信用できる大人たちに、このことを相談してみた。紫織はこれを機に男性不信の改善をしたいからと、つくもの世話を買って出てくれたので、あたしと橙花の二人で大人たちに事情を説明してみた。すると――、


「そりゃあ一大事じゃねぇか。警察とかには相談したんか?」

「したいんだけど、もし警察に相談して、元の家に戻されたりしたらって思うと……」

「あー、それもそうだな。……わかった、俺も信用できそうなやつに話を通しとくよ。役場勤めのダチもいるし、学校とかにも通わせてやれねぇか聞いてみる」

「ありがとうゲンさん。今度うちの野菜ができたら一番最初におすそ分けに来るよ」

「ああ、そりゃあいい。紅葉ちゃんの野菜がどんなもんか、いっちゃん最初に味わえるのは嬉しいねぇ」


 あたしはご近所周りを中心に、より身近な人たちを味方に引き入れることにして、橙花には役場で直接つくもをどう扱うべきかを聞きにいってもらったんだけど……。


『橙花ちゃんの力にはなってやりたいけどね、お役所仕事ってのは手順と段階ってのが何より大事なんだ。そこに情を挟んじゃ拙いからお役所仕事なんだよ。転校手続きをするなら、まずは前の役所に転居届を出してから、学校に転校の旨を説明しないと。ただ、現状はそのつくも君が保護を求めていて、家に戻ることで危険が差し迫る状況ってことだから、橙花ちゃんたちはつくも君を「緊急一時保護」してるってことになる。でも緊急一時保護の期限は2か月だ。その期間中に児童相談所が問題のあった家や子供に聞き取りをして、安全が確保されそうなら家に戻されることになってるんだよ。その子を今後も保護するかどうかは、向こうの出方次第ってことだ。これを超過して保護しようとしたり、なんの届け出も出さずにいると、それは誘拐になっちまうんだよ』


 と、説明を受けている間に覚えきれないと判断した橙花が途中から「録音するからもう一回説明して」と言って録ってきてくれたボイスレコーダーの内容を確認して、あたしも紫織も項垂れた。いや、まぁ想像はしていた。つくものためとはいえ、どこにも公的な説明をしていない現状は、事情がどうあっても誘拐に等しいってことは。

 児童相談所につくもを連れて事情説明に行けばどうにかなると思っていたあたしの見積もりは随分と甘かったんだって突き付けられた。

 でも、必要なことだ。手順と段階……役場勤めのシゲさんが「お役所仕事」の本質を教えてくれたのは有難かった。公的手続きっていうのはつまるところお役所仕事だ。それは逆に言えば、手順と段階さえ間違わなければ、それらの過程においてはある程度フレキシブルな対応ができるってことだ。

 あたしたちはつくもが眠った後、居間の座卓を囲みながら今後の対応を話し合った。


「児童相談所に事情を説明すること自体は絶対に必要だと思う。公的第三者に味方が居れば心強いし、いざって時につくもを守ってくれる人がいないとまずい」

「それは間違いないけれど、相手は遠縁とはいえつくもの親戚よ。私たちのような完全に無関係な人間よりは保護者として優先されてしまうかもしれないわ」

「親戚とつっくんの間であった出来事の経緯を、つっくんに確認をとってもらいながら説明して、わたしらがつっくんの味方だって主張すればなんとかならない?」

「どうだろうね。あっちが親戚の子供つくもを誘拐されたと主張すれば、あたしらがつくもを恐喝してそう言わせてると見ることもできるしね」


 とはいえ、一番に優先されるのは子供の主張だ。

 ケースとしては異なるけれど、前の会社で奥さんが不倫して離婚したっていう先輩がいたんだけど、13歳の娘さんの親権は先輩がとれたらしい。その時に聞いた話では、親権は基本的に女親が優先されるけれど、子供が15歳以上なら子供の意思を聴く必要があるらしいんだけど、実は15歳未満の場合でも10歳前後から本人の意思確認は可能らしいんだよね。ただ、確認に法的義務が発生しないのと、あくまで判断材料のひとつにしかならないみたいなんだけど。

 そこであたしが気になったのは、つくもも今ちょうど12歳なわけで、本人の意思や説明能力がどこまで発言力・優先度を持っているかってこと。


「一応、法的には「自己判断で意思表示できる年齢」ではあるんだよね」

「こういう言い方はよくないと思うけれど、体罰みたいな目に見える暴力の痕とかがあれば、間違いなくこっちに分ができるのだけど――」

「紫織」

「だから、よくない言い方だというのは理解してる。そうならなかったことが本当によかったとも思ってる。ただ、目に見える証拠が何かあれば、という話よ」

「あ……いや、わかってる。ごめん……」

「いいのよ。私も配慮のない発言だったわ。ごめんなさい」

 

 とにもかくにも、この話し合いで決まったことは「児童相談所への説明と相談は決定事項」ということだけだった。

 その後の、特に役場や学校への手続きだとか、場合によっては警察に説明が必要なのかとかは、まずは今決まったことを片付けた後で決めることにして。



 


「この度はご足労いただいてありがとうございます。今後この件を担当させていただく野村です。緊急一時保護をしていただいた呉内さんと村崎さんでよろしかったでしょうか」

「はい。えっと、つくもは……」

「つくも君は他の者が見ておりますのでご安心ください。まずは、電話口でも簡単にお聞きしましたが、もう一度つくも君を一時保護するに至った経緯から説明いただけますか?」


 翌々日。あたしは紫織とつくもを連れて、三色村から町ふたつ離れた県立病院に併設された児童相談センターに訪れた。

 あたしたちはつくもから聞いた話と、あたしたちが保護してからの経緯を全て説明して、今後どうしたらいいのか、つくもを守るすべが知りたいと訴え続けた。


「なるほど。では、少しお待ちください。つくも君の担当者から事実確認を行ってきます」

「はい。お願いします」


 紫織は静かだった。途中途中であたしが説明を端折った部分を補填してくれたり、雑にしてしまった部分の詳細などを加えるだけで、あたしの腕に手を回しながら、やや怯えた様子で小さくなっていた。担当の野村さんが男性なので仕方ないとは思うけれど、それにしたって普段以上に怖がっている。

 野村さんが部屋を開けている間に「どうしたの」と問うと、むしろこれが普段の紫織の男性への対応なのだそうだ。三色村では顔見知りのおじさん・おじいさんばかりだから軽減されているだけで、初対面だとか、そうでなくとも深く関わりのない男性と話している時は、いつもこうなっていたそうだ。……学生時代も男性不信ではあったけれど、ここまでひどくはなかった。そう思うと、紫織をここまで追い込んだ前の会社の男どもを蹴り飛ばしてしまいたくなる衝動に駆られるけれど、さすがに今ばかりはそれを抑え込む。


「――失礼。確認がとれました。はい、問題ありません。少なくとも、お二人がつくも君に強制・教唆した様子は確認できませんでした。ですので、今後これらの内容が事実であると前提して、お話を進めさせていただきます。加えて、ここまでお二人に対して懐疑的な態度・言動をとっていたことをお詫びします」

「いえ、必要なことだと思いますから」

「お気遣い感謝します。それでは、今一度基本的な確認をさせていただきます。指名・真城白ましろつくも、年齢は13歳。書類上の住所は和歌山県橋本市ですが、現在は岐阜県加茂郡三色村で一時保護。一時保護の理由はつくも君の衣食住を含めた安全の確保、目的はつくも君の心身の健全な安定。つくも君の性格・傾向による注意事項として、今回を含む過去の事例から大人に対する委縮、それに伴う自己に対する自発的な抑圧が見られること。何か不足はありますでしょうか」


 不足――というかはわからないが、この問題がある程度片付いたら、自分たちが里親としてつくもを学校に通わせてあげたいという話をさせてもらった。

 すると、野村さんは「それはつくも君にも確認が必要ですが、両者がそれを望むのであれば、里親よりもお三方のどなたかの養子として迎え入れた方がよいと思います」と提言された。理由は、里親制度というものは原則として18歳までで、それまでに元親のところに帰るか、18歳で自立することになるからだそうだ。

 また、特別養子縁組には養親が25歳以上で配偶者がいる必要があるけど、普通養子縁組なら養親が成人していて、養子となる子の年齢が養親以下なら配偶者の有無は関係ないらしい。

 ただ、問題は特別養子縁組と違って、普通養子縁組っていうのは「保護・支援などを必要とする子供のため」じゃなくて「家系の存続など親のため」らしいんだよね。

 そうなると、子供を守るために普通養子縁組っていうのは適用していいのかっていう問題が出てくるんだけど……。


「失礼ですが、呉内さんと村崎さんに結婚願望などは?」

「え、いやあたしは特に……。正直、今から男を探すよりは紫織とか橙花と老後まで一緒にいられればなって感じかな」

「そうね。私は特にそう思うわ。あるいは、いっそ紅葉がもらってくれるなら問題ないんだけどね」

「そうだね。法的にも問題ない時代になったし、あとは三色村がもう少しそういう意味で今の時代に適応してくれたらいいよねぇ」


 では、と野村さんは一言分の間をおいて、


「これは下世話かつ無粋な提言だと思いますので、あくまで例のひとつとして挙げさせていただきますと、お二人が婚姻関係になれば、つくも君を特別要支援として円満に迎え入れることは可能です。同性同士の婚姻は3年前から法的に認められていますし、お二人とも25歳以上ですので。本当に、本当に下世話な発言で申し訳ありませんが、あくまで手段のひとつとしてご検討ください」


 唖然――とは、ならなかった。不思議と。

 実をいうと、再会するよりもけっこう前……それこそ高校時代あたりから、紫織があたしのことをそういう相手として見ていたことには気づいていたし、あたしもそれが嫌ではなかった。

 ただ、あくまであたしは「そういう人もいるよね」というスタンスで、自分が同性に対してそういう目を向けることはなかった。

 けれど、今こうやって改めてそういう相手としてみれば、紫織はとても魅力的な相手だった。でも、だからといって今ここで「じゃあそうしようか」というのは紫織に対してあまりにも無礼だと思うし、あたしだって女に生まれたからにはドラマティックでロマンティックな恋愛に憧れる気持ちがないわけじゃない。

 今まで恋愛から縁遠いところで走り続けてきたんだから、これを機にきちんと「そういう相手」として紫織と向き合うのも悪いことではないかもしれないけれど、結論を出す時間はもう少し欲しい。


「ああ、いえいえ。大丈夫です。んー……でも紫織とかぁ。別に嫌とかではないんだけど、いまさらって感じがするよね」

「そうね。それにいざ結婚となると、橙花が遠慮がちになってしまいそうだわ。ああ見えて周りのことをちゃんと見てる子だもの」

「うん。まぁ、じゃあそれは最後の手段ってことで。ひとまず目の前の問題を解決してからだね。野村さん、まずはつくもの前の家のことから――」


 少し強引にこの話題を終わらせると、あたしは少し視線を斜め左に下げて紫織を一瞥いちべつして、今度こそテーブルの資料に向けなおした。

 今は――今できることを、今やるべきことを、済ませよう。あたし自身の問題は、もうちょっと後でも大丈夫だと思うから。

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