第4話 一緒に過ごしていく

 あたしが買い物から帰ると、暇を持て余したのだろう橙花が、わざわざガレージまで出迎えてくれた。

 ホームセンターで買った肥料やら殺虫スプレーやらなんやらを見せると、「リュックがくさい!」とお𠮟りを受けてしまった。確かに、このリュックは「買い物用」と雑に用途を決めてはいるけれど、そもそもは二日に一度の食料調達のために使うもので、つまりは食べ物を入れるものなので、意図したわけでないにせよ悪臭をつけてしまったのは間違いなくあたしの落ち度だ。

 これはさすがに怒られるかも、と思いつつ、あたしではどうすることもできないので居間でクロスワードパズルをしていた紫織に助けを乞うことにした。

 

「紫織……」

「うん? どうかしたの、紅葉?」

「今ホームセンター行って畑用の肥料とかスプレーとかいろいろ買ってきたんだけどさ……」

「うん。……うん? 肥料を? えっ、それどういう肥料なの? 化学肥料の方よね? 有機肥料じゃないわよね?」

「……牛糞堆肥」

「あなた頭いいのに時々どうしようもなくバカなことするのやめなさいよ」


 すごいよね紫織って。1つ2つ説明すると全容を即座に理解するもんね。すべてを言い終える前に「洗濯するから」と手を差し出されたので、素直にリュックを預けた。

 そのまま畑の方に逃げていってしまいたかったけれど、「あなたは話があるから少しそこで待っていなさい」と言われたので素直に正座して待つことにした。

 ……ちら、と窓の外を見れば、この正座の意図を理解したらしい橙花が頭に手をあてて「あちゃー」みたいなポーズをとっている。

 唯一の救いは、紫織のお説教は無駄に長くなくて、問題の要点をドストレートに突き付けて改善策を提案するっていう、時短かつ効率的なお説教だっていうところかな。





 紫織にしてはやや長めの10分強に及んだお説教は、特にこれというペナルティもなくお昼ごはんへとシフトした。というか、畑仕事の途中、思い付きのような形でお昼ごはん直前に出かけてしまったので、お説教する時間すら惜しかったらしいけれど、紫織曰く「問題が起きた時に叱らず後から蒸し返すと、単に空気が悪くなるだけで反省を促せない」という理由でごはんよりお説教を優先したとのことだった。

 いや……別に怒声とか暴力とかは紫織が一番嫌ってるから、そういう面ではまったく怖くないんだよ。けどね、自分の行いのどこがダメだったかとか、どうすればそれを避けられたかとか、ひたすら「ですよね」みたいな事実を突き付けられるっていうのも精神的にクるものがあるんだ。まぁ端的に言うと紫織のお説教は全部「もっと考えてから行動しなさい」に収束するんだよ。それでいかに自分の考えが浅かったのかを痛感させられるんだ。ひぇ……。


「いただきます」

「めしあがれ」


 今日のお昼ごはんは、この家では基本となっている玄米とお味噌汁に、鶏むね肉のフリットと千切りのキャベツ。

 実は当初、あたしと橙花は「金銭的なタイムリミット」を引き延ばすためには、食費を多少削ってもいいんじゃないかって話をしたんだけど、紫織は頑として「穀物・お肉・お野菜・汁物を三食必ず出す」と言って譲らなかった。実際、今のところそれが破綻したことはない。


「紫織って本当に料理うまいよね。あんな安いお肉でこんなに美味しく作れるなんて……羨ましいを通り越して嫁にやりたくないよ」

「それはつまり自分のために一生ごはんを作ってくれってこと?」

「言い方」


 でもこの美味しいごはんを、いずれはあたしじゃないどこかの誰かが独り占めするんだろうと思うと、あたしと橙花のためだけに作ってもらえる幸せを少しでも噛み締めようと、箸が少しだけ速く動く。


「ごちそうさま」

「おそまつさま。お茶碗は水に浸けておいてね」

「うん。じゃあ、もうしばらく畑にいってくるから、何かあれば呼んでね」


 食べ終えた茶碗とお皿を洗い桶に入れて、蛇口を開けて水を出すと、あたしは後のことを紫織に任せて畑へと足早に向かった。

 畑に着けば、何をどうすればいいかもわからないだろうに、橙花が畑の土を耕していた。まぁ何も植えてないから困ることはないし、子供じゃないんだから怪我の心配もないし、なんの問題も――、


「あっ」

「あっっっぶな!? えっ何!? 何をどうやったら鍬が背後に飛ぶの⁉」

「くーちゃんナイスキャッチ」

「今そういうのいいから!!」


 ――三人暮らしを始めてからしばらくナリを潜めていたから油断した。それまでガッシャンガッシャンと、特に目的もなく力任せに土を掘るためだけに振るわれていた鍬は、まるで「付き合いきれない」と言うかのように彼女の手を離れてあたし目掛けて空中を回転しながら降ってきた。なんとかキャッチには成功したけれど、一瞬だけかなり濃厚な死の匂いが漂ってきた。

 いや……橙花に悪気がないのはわかってる。たぶんこれがあたしじゃなければ、たとえキャッチ出来てたとしても全力で頭を下げてただろうってこともわかってるし、逆説的に言えばあたしはそうしなくても許してもらえると思っている橙花なりの信頼とか甘えがあるからこそなんだろうって。そして、橙花のトラブルメイカーぶりに関しては、彼女が150社受けて105社に入社できたのに、その105社全てを「トラブルで」クビになったことからも、彼女のそれが並々ならぬものだってことを裏付けているし、あたしと紫織はそんな彼女と幼馴染やってるんだから、知らないはずもない。

 でも! それはそれとして! さすがに死ぬかと思ったしデコピンくらいは許してほしいよね!!


「おりゃっ」

「あ痛ぁーっ! デコピンの威力じゃないでしょこれ! エアガンのゼロ距離射撃じゃん!!」

「よかったね、実銃じゃなくて」

「死じゃん。どうかお許しぷりーず……。切に、切に……」

「あたしは許そう。……でも今の顛末を紫織にチクったら許してくれるかな?」

「それは精神的にマジの死じゃん!! 本当にすみませんでした!!」


 腰を90度に曲げた謝罪を尻目に、ひとまず店員さんにお勧めされた緑肥用のソルガムっていうモロコシ属の植物の種を撒いていく。

 今の時期から撒きにかかれば、7月半ば~8月頃には出穂して刈れるようになるらしい。最終的に2~2.8メートルくらいの高さまで成長するって聞いて、いやいやまさかと思っていたら、店員さんがスマートホンで実物の写真を見せてくれた。思わず「ひぇっ」って小さな悲鳴が出た。スギとかああいう大きい木を除いて、ひさしぶりに見た「あたしよりデカい植物」だった。


「橙花、この種を向こうからこっちに向かって撒いてきて」


 ソルガムの種をミニバケツに二等分して、その片方を橙花に渡す。

 橙花は一度やったトラブルは二度やらない。昔、橙花に水の入ったバケツを渡したら盛大にすっ転んであたしと紫織が水浸しになったことがあるので、少なくとも転んでバケツの中身をぶちまける心配はないと思っていい。橙花はトラブルメイカーだけど、別にドジとかバカとかではないんだよ。

  

「え、うん。……撒くってどうやって? ばーって適当にばら撒いていいの?」

「そうだね、指の付け根からつま先に軽く乗るくらい持って、量見てペース配分しながら畑の外に出ないように撒いてくれればいいよ」


 わかった、と告げてやや湿り気の強い土に四苦八苦しながら歩む橙花の足取りに若干の不安を感じつつも、実際に種を撒いていく。

 この種は別に土を被せたりしなくても根を張ってくれるし、土の栄養はできるだけ奪わず、地中の水分をがっつり吸って成長するみたいなことを聞いた。あと、だいたいどんな土壌でも育つので初心者向けらしい。逆に刈る時はめっちゃ大変らしいけれど。あとなんか線虫っていう「よくない虫」がこのソルガムをめっちゃ嫌がるらしいので、そういう意味でもお勧めらしい。

 ところで、このソルガムってモロコシ属なんだけど、モロコシ属とトウモロコシ属とは別物だし、もろこしの別名は「タカキビ」だけど、キビ属とも別物なんだよ。でも全部イネ科。昔おじいちゃんがトウモロコシ食べながら教えてくれたから、こういう雑学みたいなのは知ってるんだ。……畑仕事やり始めて、特に役に立たないなこの知識、とはちょっと思ったけど。

 確か似たような知識にサメのもあったよね。イタチザメがタイガーシャークで、トラザメがキャットシャークで、ネコザメがホーンシャークだっけ。綺麗に一方通行になってるやつ。


「これを撒いたら畑の中の石を取り除くかぁ。まぁぱっと見そんなに多くなさそうだし、一時間もあれば終わるでしょ」


 その後、種まきはそう時間もかからず終えることができた。

 ――けど、やっぱりあたしはどこまでも畑仕事をナメてたらしい。さっき見た感じ、本当に「一時間もあれば全部終わる」と本気で思ってた。なのにどれだけ石を取り除いても、まるで無限にリポップするゲームの雑魚キャラみたいに「お前さっきいなかったじゃん!」みたいに見つかる大量の石、石、石! もちろん最初から石の総数は変わってないので、単に見落としてたり「このくらい放置してもいいでしょ」のラインが引き下げられてあたしが勝手に無視できなくなってるだけなんだけど……それはそれとしてイラっとはするんだよ。


「くーちゃぁぁぁん……わたしもう疲れたぁ……」

「うーん……そうだね、けっこう長いこと日の下にいるし、今日はこのくらいにしてお風呂にしようか。ひさびさに背中流してあげるよ」

「やったー! 実は三人暮らしし始めてからまた一緒にお風呂したいなーって思ってたんだよ! この家のお風呂すごく大きいし!」

「あたしらみんなデカいもんね……」


 身長164cmの橙花があたしらの中で一番ちっちゃいんだから、そりゃ普通のお風呂は狭いよね。

 学生の時とか同級生の家でお泊りしてもあたしだけデカすぎて一人風呂して寂しい思いをしたよ……。ご先祖さま、このお屋敷のお風呂を大きくしてくれて本当にありがとう!!


「でもまずは農具の片づけだよ。ガレージに置きっぱなしの肥料も倉庫にしまわないと」

「そうだった……。農具やっとくからくーちゃんは肥料お願い。くーちゃんがごはん食べてる時に持ってこようと思ったけど、わたしには重かったよ」

「え、そんなに重かったっけ……?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る