第3話 畑と向き合う
あたしたちが三人暮らしを始めるにあたって「第一回
加えて、三人とも社会をドロップアウトしているとはいっても、さすがに先立つものは必要だっていう当たり前の認識は共通していて、畑で採れた野菜のうち、食べきれない量になりそうなら余った分を直売所で売りに出そう、という計画を立てている。そのために、橙花には近所の直売所のオーナーをしているおばちゃんに話を通してもらっている。
初めての畑仕事で緊張と不安はぬぐい切れないけれど、おじいちゃんが残してくれたノートと畑には、おじいちゃんが畑に向き合い続けた何十年分のノウハウが詰まっている。あとはあたしがそのノウハウにしっかり馴染んで自分のものにできれば、きっとみんなに喜んでもらえるような野菜が作れるはずだ。
「ただ……さすがにちょっと広すぎるなぁ。ノートには五月直前くらいから夏野菜の準備を始めるって書いてあるけど、もう五月も半ばまで入っちゃったし……トマトみたいな支柱やビニール屋根が必要な野菜は、さすがに諦めないとダメかな。きゅうりは……支柱と網かぁ。これも時間的に余裕ないから来年だね。となると……ピーマンとレタスかな。虫とかも付きにくいっぽいし」
後からノートを見返して気づいたんだけど、実は「夏野菜の準備」っていうのは夏野菜を植えることじゃなくて、夏野菜を植えるために畑を耕したり肥料を撒いたり石を取り除いたりっていう作業のことだったみたいで、種植え自体は五月半ばで問題なかったらしい。これが結果オーライってやつなんだと思う。
「よし、じゃあさっそく植えていこうかな。こっちがレタスで……ピーマンはあの辺に2つか3つでいいかな」
おじいちゃんの農業ノートによれば、ピーマンは3つも植えれば夏の間ずっとお昼御飯がピーマンになるくらいの数が生るみたいなので、女子三人暮らしなら売りに出す分とわけても十分お腹いっぱいになると思う。あと、レタスもそうだけど基本的に苦い野菜は虫が付かないらしい。逆に甘いキャベツとかはどんなに蝶々が好きな人でも殺意を覚えるくらい芋虫の犠牲になるという。芋虫かぁ……紫織と橙花なら悲鳴あげるだろうな。あたしが畑担当で本当によかったと思う。あたしは虫とか毒がなければなんともないし。
「まず
いきなり出鼻を挫くように知らない単語が出てきたので、ポケットからスマートホンを取り出してネット検索。田舎とはいえ、さすがに電波は問題なく届いてるけど、さすがに通信料が怖いから近々モデムとWi-Fiルーターを購入しようと思ってる。月額一定ってすばらしい響きだと思うんだ。
「えーっと……ああ、畝ってあの小さい山みたいなやつのことか」
畝というのは、ようは種を撒く時に土を盛り上げて作る野菜のための布団みたいなもののことで、これを作らないと水はけが悪くて根腐れを起こすんだって。……なんか「平畝」っていう背の低い畝と「高畝」っていう大きい畝があるけど、これはなんの違いがあるの? ……なるほど、作物によって低かったり高かったりした方がいいんだ。覚えること多いなぁ。
……ん? 5月に苗を植える? 種じゃなくて? 苗ってあれだよね、種が発芽してちょっと大きくなったやつ。もしかして今から種を植えてももう遅かったりする?
一抹どころでない不安を抱えてネットで調べてみたら、同じレタスでも地形とか天候とか気温とかによって植える時期とか全然一定じゃなかった。おじいちゃんそういうのもっとちゃんと書いてよ! 種とか苗とかそういうの書いて……あったわ。「夏のレタスの種は3月、遅くとも4月に植え、苗になるまで一か月ほどポットで育て、畑に植える。残念ながら我が家の畑は粘りが強く水はけが悪いため20cm~25cmほどの高畝を作り、水はけ対策を徹底する」って物凄くちゃんとした文章形式で書いてる。
どうやらあたしはノートの読み方を根本的に間違えていたみたいで、これ「初めて読む人のための助言書」じゃなくて「覚えた知識の書き留め」なんだ。だから書いてあることの順番に規則性なんてなくて、ほしい知識があればきちんと該当するページを探さないといけないんだね。ノートの最初の方から順番に見てけばいいわけじゃないんだ。
でも、そうなるとかなりまずいね。今あたしの手元にあるのは夏野菜の種だけ。苗はひとつもない。見た感じ、種が苗になるのって一か月くらいかかるのかな。だとしたら6月中旬……夏には収穫したいから今から種を撒いて7月くらいに収穫できる野菜なんてある……?
「トマトときゅうりは除外で……ピーマンはまだギリ大丈夫なんだ、よかった……。あとは……枝豆? 五月中旬に種撒いて五月中に苗植えられるの!? どういう成長スピード!? 野菜こわ……。未満児レベルの速さで成長するじゃん……」
あたしは手元の種を確認して、さっそく畑を放り出して家の倉庫からポットを引っ張り出してきた。ノートを確認しながら……えっ、「ポットの土は必ず買ったものを使用する」ってどういうこと? ……いや、なんかさっき書いてたっけ。うちの畑は水はけが悪いみたいな。よく言えば「保水性が高い」ってことなんだろうけど、もしかしてそれって野菜にとってあんまりいいことじゃないのかな。
でも、あの節制に厳しかったおじいちゃんが土のためだけにお金を使った方がいいって言うなら、その違いは明々にして白々なんだろう。
……となると、ホームセンターに行かないと。あたしはひとまず農具を畑の隅に置いておき、橙花からリュックを借りて愛車のシノブくんを走らせた。
「土……土かぁ。あたしがよく遊びにきてた時はいつでも何かしらの野菜があった気がするけど、あれっておじいちゃんの知識と経験をフル活用して出来てたんだなぁ……」
正直、自宅の畑で作るレベルの野菜だと思って「適当に種を撒いて定期的に水かけてたら出来る」程度の認識だった。農業そのものを本気でナメてたんだと、今なら痛感する。
野菜の種類によって種を撒く時期も、苗になるまでのスピードも、植える時期も違う。うちの畑はなんのケアもせず野菜を植えていいような土じゃないし、畝の高さに意味があることすら知らなかった。肥料も……まだわかんないけど適当に撒けばいいわけじゃないんだと思う。
さっき「うちの畑は水はけが悪い」って書いてあったから、試しに鍬で掘ってみたら、40~50センチくらい掘ったところで粘土みたいな粘り気の強い土が出てきて、なんとなく原因はわかった。ネットで調べたら、こういうことは他の畑にもあるみたいで、改善策もあったんだけど……やっぱりすぐには解決できそうにない。トラクターがあればもう少し話は楽だったかもしれないけれど、うちにそんな便利なものはないし、あったとしてもあたしはその使い方がわからない。緑肥っていう育った作物を収穫せずそのまま肥料にするって方法で水はけを改善できるっぽいことも書いてあったけど、それもやっぱり作物をひとつ育てきるだけの時間が掛かる。
とはいえ、こればっかりは早めに対策を打たないと……むしろ、なんの野菜も育ててない今だからこそできることがあるかもしれない。野菜を育て始めたら、どうしても土の改善よりも目の前の野菜を優先してしまう。なら、土しかない今しかできないことをやるべきなんじゃ……。
まだ肌寒さのある三色村の風は、ライダーしか味わえない非日常的なスピードによって身を切りつけるような鋭さをあたしに打ち付ける。
けれど、その鋭く冷たい風が、さっきまであたしの中で渦を巻いていた焦燥感という靄を取り除いて、今のあたしが本当にすべきことと向き合わせてくれた。
「……まだ貯金に余裕はあるから、野菜は少し遅れてもいい。直売所のおばちゃんと、おばちゃんにお願いしてくれた橙花には後で謝ろう。とにかく今は少しでも畑の改善だ。まずは畑の水分を抜いて、そこから腐葉土とか動物の糞とか野菜や果物の切れ端とかで土に栄養を蓄えさせて……。必要ならビニールハウスも建てよう。そうだ……おじいちゃんも言ってたじゃないか。功を焦るのが、一番「成功」から遠のくことなんだって……」
ここでようやく、漠然とした「畑仕事」に具体的な目標が生まれた。
まずは土の改善。これはさっき言ったように、とにかく色んな方法を試しながら理想の土に近づけていく。ただ、さすがに稼ぎのないあたしたちには金銭的なタイムリミットがある。だからどんなに遅くとも今年中には何かしらの野菜を作って売り始めないといけない。
そしてそれに並行して農具の役割と使い方を頭に叩き込む。鍬と備中の使い分けもできない今の状態じゃ話にならない。
あとは……種撒きと苗植えのタイミングの暗記。今回みたいに苗植えのタイミングで種を撒くようなのは二度とないようにしないと。
ホームセンターに着いたら、まずは店員さんに畑の水分を抜く方法がないか聞いてみよう。まずは……10月までの猶予期間中にトライアンドエラーを繰り返して、畑と向き合う。
そうじゃなきゃ……おじいちゃんから受け継いだあの畑が、あたしを認めてくれないと思うから。
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