第2話 周りの人々
あたしと紫織と橙花の三人暮らしが始まって、一週間が経過した。
同じ村の中とはいえ、荷物運びはそれなりの量があって女三人だけじゃそれなりに大変だったし、二人も家族を説得するのに苦労したみたいだけど、中でも紫織のところがとにかく大変だったみたい。
紫織は
それでも、紫織がこの家で暮らすようになってから絹衣おばさんがここに押しかけてくることはなかった。狭い村なので、近くのスーパーに行けばばったり出くわすこともあったけれど、紫織がいる時は見て見ぬふりをしていた。――けど。
「こんにちは、絹衣おばさん」
「絹衣さんこんにちはー!」
「あら、紅葉さんと橙花さん。こんにちは。いつもうちの娘がお世話になってるわね」
絹衣おばさんとこのスーパーで会うのは、あたしたちが三人暮らしを始めてからこれで3度目。まだ一週間しか経っていないのに、もう3度目。無暗にお金を散財するような人じゃないし、紫織が前に「うちは土日のどっちかで一週間分の食料を買いだめしてるわ」みたいなことを言ってたので、絶対に偶然とかじゃない。
いやあたしと橙花からすると今に始まったことじゃないというか、たぶん気づいてないの紫織だけだと思うんだけど、絹衣おばさんって表情に出ないだけでだいぶ紫織のことを気にかけてるっていうか、端的に言って親バカなんだよね。なのに紫織の理想の母であろうと気を張ってるせいで当の娘から怖がられてるっていう本末転倒ぶり。
あんまりこういうことを友達のお母さんに言うべきじゃないのかもしれないけど、けっこうバ……ぽんこつな人なんだよね。
しばらく――といってもほんの3、4分ほど雑談をすると、絹衣さんはひとまず不安げな表情を拭って去っていった。この一週間、会うたびにこんな感じだ。
最初の遭遇時は橙花じゃなくて紫織が買い物に来てたんだけど、絹衣さんと出くわしてからは橙花にその役目を譲った。このあたりの店で買い物をするなら橙花の方が円滑にコミュニケーションを取れるし、運が良ければ値下げしてくれるかもしれないという打算的な意味と、絹衣さんと遭遇した時に気まずいという理由が2:8くらいの割合であるのだろう。
まぁ車と違ってあたしの
「やっぱり紫織のこと心配してるんだね」
「まぁ絹衣おばさんの娘ガチ勢っぷりを知らないのってたぶんしおしお本人だけだもんね」
今日・明日の分の食料品をカゴに入れ、たまにお菓子を投入しようとする橙花を制止したりしつつ、一通りの買い物を済ませる。
駐輪場に戻ってシノブくんに跨り、リュックを背負った橙花がタンデムシートに乗ってあたしの腰に手を回す。……どさくさに紛れて腹筋をまさぐるのやめてくれないかな。
「こうやって二人乗りするたびにくーちゃんのおなかと自分のおなかを比べてイラっとくるよ」
「どっちに?」
「くーちゃんに」
「体形管理を怠った橙花の自業自得なのに理不尽すぎない?」
ギアをニュートラルから一速に入れて、ゆっくりと帰路につく。法定速度に遵守したとしても、自宅まで20分もかからない距離だ。舗装はされているとはいえ、道中がえげつない勾配の山道なのでとても徒歩で通う気にはならないけれど、天気がよければバイクで毎日行き来してもストレスじゃない。逆に言えば、あたしたちが
「今日はお昼からどうするの?」
「あたしは畑仕事かな。幸いおじいちゃんの農業ノートもあるし、どうにかなると思う」
「しおしおは家の大掃除の続きって言ってたけど、わたしはどうしよう。二人みたいに普段から家に貢献できるような得意分野があるわけじゃないし」
「電話番とか回覧板とか、近所の人が訪ねてきた時の対応とか、橙花が一番うまくやれることをやってくれればいいよ。別にあたしらそういうの求めて三人暮らししてるわけじゃないし」
橙花は基本的にポジティブで楽観主義だけど、頭や気が回らないわけじゃない。
むしろ気遣いが上手い上にそれを本人が苦とも思ってないからこそ「コミュニケーションお化け」なわけで、自分だけ平時の役割がないというのが気掛かりだったのかもしれない。でも橙花がご近所さんとうまくやってくれてるからこそ、あたしも紫織もただ畑や家事に集中してるだけなのに周囲から親しく声をかけてもらえたり、時々お野菜のお裾分けを貰えてるんだから、もっと胸を張ってほしい。
「うーん……ま、そっか。でもとりあえず今日はくーちゃんのお手伝いもするよ。電話とかご近所さんが来たら抜けるけど」
「そう? ならお願いしようかな。あたしもまだ畑を始めたばっかりだし、正直ひとりじゃ心細いところもあったんだ」
そんな風に話しながら飛ばしていたら、あっという間にあたしたちの家が視界に入ってきた。村の中心からは外れているけれど、おじいちゃんのひいじいちゃんに当たる人が、村長とは別の……ほぼ人望だけで実質的なリーダーになっていたような人で、この家を建てるにあたって村中の大工さんやら家具屋さんやらが集まって、結果的に村で一番立派な屋敷になったって話だ。本当かどうかはおじいちゃんしか知らないから、今となっては真偽の確かめようもないけれど。
でもそんな立派な我が家の前に、普段はあまり見かけない車が一台。黒塗りの高級車みたいな明らかにヤバい類のものでもなければ、いろんな事件で悪評ばかりが有名になりがちなバンでもない。やわらかいパステルブルーで彩られた普通の軽自動車だ。ただ、当然だけどあたしの両親の車ではないし、紫織と橙花の実家にもあんな車はない。
近所に似たような車に乗ってる人は何人かいるけれど、そういう人はだいたい路肩とかじゃなく敷地の中の砂利庭で適当に駐車するから、少なくとも村の人ではないと思う。
そう思うと、家で留守番を任せていた紫織のことが心配になって、橙花に断ってスロットルを少し大きく回した。近所の人ならともかく、初対面の男性に対してはどうしても怯えがちな紫織に留守を任せたのは、今思えば失敗だったのかもしれない。けれど、今は悔やむよりひとまず紫織を安心させてあげようと、家の敷地まであと20メートルもないというところまで近づくと、その車の主らしき人物が玄関から頭を下げて出てきていた。
「あれ、隣町の小林さんじゃない?」
「いや隣町の小林さんだと西側にめっちゃ密集してるじゃん」
「ほら、「今日スーパーでレジやってたお姉さんの妹さんがお嫁にいってる家のお義父さんの小林さん」だよ」
「田舎民特有の家系図伝達やめて。人んちの血縁事情とか知らないから」
「え、じゃあ……「昨日このバイクにガソリン入れてくれたお兄さんの実家のお隣さんの小林さん」ならわかるよね?」
「もっと知らんわ!!」
子供の時から不思議だったけどなんで田舎ってあたしらの親世代はみんな人んちの家系図を網羅してるの……。
そして橙花はなんで親世代じゃないのにそれがわかるの。……いやでも橙花の友達ネットワークって老若男女を問わないからな……。上は幼稚園児、下は白寿なんてこともあったし、むしろ橙花に限ってはわからない方が不思議なのかもしれない。
それはそれとして同じレベルの理解度をこっちにも要求するのはやめてほしいけど。
「小林さーん! うちになんか用だったー?」
車に戻ろうとしている小林さんに橙花が声をかけると、どこか困ったような様子の小林さんは、まるで救世主を見つけたかのような表情でこちらに何度も頭を下げてきた。
あの感じでは紫織は一応対応してくれたんだろうけど、やっぱ明らかに警戒というか自分を怖がっているであろう女性に対して長時間話しかけるというのが心に堪えたのだろう。小林さんは橙花に「今度うちの近所で○○というイベントが~」とか「うちの会社の○○が今度異動になるので挨拶を~」みたいな話をしていて、たぶん小林さんが話したかった用事というのも含めて、たぶん紫織にはせず「ではまた後日伺います」パターンだったんだろうなというのがわかる。
ところでうち別に自営業とかでもなければ三人全員ドロップアウト組だからなんの仕事もしてないんだけど、なんで会社の話とか部署がどうのこうのみたいな話を橙花が聞いているのかというと、あれ全部ただの雑談で、実際にここに来た用事自体は「三色村の農業組合に用事があったついでに橙花ちゃんがお友達と同居を始めたって聞いたから挨拶しとこうと思ってお土産のお菓子もってきた」という、完全に仕事の合間を使ってダベりにきただけのおじさんだった。
東京で暮らしてたから今でこそ「ん?」って思うこともあるけど、地元民からすると割とある距離感なんだよねこれ。特に橙花が年齢を問わず誰とでも友達になるせいで、あちらの距離感も誘発的にバグってるんだよ。普通は仲がいいからって50代のおじさんが20代の女子三人暮らしの家に「○○ちゃんの友達の小林です。よろしくね」って言いながらお菓子もってこないんだよ。気づいてくれおじさん。それはここがドがつく田舎だから許されてるギリアウトのラインなんだって。
「ん、じゃあ今度そのイベントわたしも参加していい?」
「もちろん! 橙花ちゃんが来てくれたらみんな盛り上がるよ!」
「おっけー! ならまた詳しいこと決まったら連絡ちょうだい。あ、あと紫織はあんまり男の人が得意じゃないから、今度からは急に来てびっくりさせないであげてね?」
「そうするよ。えーっと、あの子が紫織ちゃんってことは、そっちの背の高い子が紅葉ちゃん? 呉内さんちのおばあさんには何度か世話になったけど、紅葉ちゃんとは初めましてだね。これからも何度か世話になると思うけど、どうかよろしく頼むよ」
ああ、おばあちゃんの知り合いでもあったのかこのおじさん。まぁそりゃそうでもないと家まで辿り着けないだろうし……いやむしろ誰から聞いたんだあたしたちがこの家で三人暮らし始めたこと。まだ村崎家と大代家にしか言ってないのに。……ならまぁ消去法で橙花のお父さんだな、うん。あの人の口は羽根より軽いし。
それよりも、「これからも何度か世話になる」って何。あたしらと小林さんに今後なんか接点できる予定立ってるの?
「あ、僕がこっち回りの巡業するようになったのは紅葉ちゃんが東京いってる時だっけな。じゃあ僕のこともわからないか」
「そうかもね。えっとねくーちゃん、小林さんって普段は農協の家のお薬を補充してくれてるんだけど、それとは別に企業とかじゃなく町民がなんかイベントとかプチお祭りみたいなのしようとすると、小林さんがまとめ役に入るのね。前にやったのだとアマチュアのダンサー集めてパフォーマンスしたりとか、ローカル芸人を呼んで漫才してもらったりとか。マジでお金ない時はみんなで私物を持ち寄って展覧会という名の「我が家の宝物自慢大会」とかやるんだけど」
「みんなイベントとか祭りに
そう言うとそのまま車に乗り込み、車窓を下げて「じゃあまたね」と残し去っていく小林さんは、見かけこそばっちり50代なのに中身が完全に20~30代だった。
橙花と絡んだ人ってみんなこういうテンションになるの? 嘘でしょ。あたしと紫織って一般の人からみたらあんなノリに見えてるのかな。
ちょっとだけ橙花が怖くなった日のことでした……。
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