ハイスペック・ドロップアウト!

espo岐阜

第1章

第1話 ドロップアウト

 木々を揺らす冷たい風。視界のすべてを新緑に染める山々。歩くアスファルトの両端にある側溝には一切の淀みに汚されることのない水が流れ続け、それを挟んで幾つもの田んぼが立ち並んでいる。

 田舎だ。日本人の古き良き田舎風景、と言えば聞こえはいいかもしれないが、昔からこの村の風景に見慣れた者にとっては、いまさらなんの変哲もない、ただの田舎だ。

 けれど――そんな見慣れた田舎が、昔から何も変わらないこの田舎が、心と体を疲弊しきったあたし――呉内紅葉くれないくれはには優しく沁みた。


 この村の名前は三色村みしきむら。岐阜県の山奥にある集落のようなところで、村の7割が老人、2割以上が大人。20歳未満の子供は1割にもならない。

 同世代の友達はみんな都会に働きに出ているし、たまに戻ってきても、2・3日も腰を据えずに戻っていくと、村の老人たちは全員が寂しげに口を揃える。


「――ただいま、おじいちゃん」


 そんな三色村の中心部から少し外れた平屋の家の前で愛車・Ninja400 KRT EDITIONを停めると、あたしは少し畏まるように挨拶をかけた。

 半年前に祖父は他界した。それからしばらく、この一人暮らしには広すぎる家は主を失っていたけれど、今日からはあたしがその「主」の席に腰を据えることになるんだと思うと、少しだけの不安と、抑えきれないワクワクが込み上げる。

 ひとまずはバイクをガレージまで牽こうと思い、エンジンを切ってハンドルに手をかけ――、


「あーっ!! くーちゃん! くーちゃんだ!! ねぇしおしお! くーちゃんが帰ってきてる!!」

「紅葉……? 本当に紅葉なの……? まさか、またこの村で三人集まれるなんて……!」


 ――ようとしたところで、背後から声をかけてきた二色ふたいろの声は、もはや振り向いて確認なんてしなくてもわかる。

 ひまわりのオレンジみたいに明るく無邪気な声色は、学生時代「愛嬌の天才」と言われていた大代橙花だいだいとうか

 あじさいのパープルみたいに落ち着いた優しげな声色は、同じく学生時代「勉学の天才」と言われていた村崎紫織むらさきしおり

 どちらもあたしにとっては「大」が何文字ついても足りないくらいの親友で、自分で言うのもなんだけど「運動の天才」と言われたあたしにとっては、ジャンルは違えども最高のライバルでもあった。


「おかえりなさい紅葉。こうして会うのは何年ぶりかしら」

「紫織が高校を出てからは会えてなかったから、3人で会うのは10年ぶりだね」

「くーちゃんはいいよ、高校でもしおしおと会えてたんだから。わたしなんてしおしおと4つ離れてるから中学以降ほとんど会えなかったもん」

「いや学校終わったら速攻で紫織んち行って3人で遊んでたでしょ……」


 この三色村の少子化は時代の波なんて言葉じゃ片づけきれないくらいに激化していて、複学式どころか小中合併していて、学校というより寺子屋みたいなところだった。

 それは2048年現在も変わりなく、ここに来る途中で挨拶した村長さんによれば、今の三色小中合同学校の在籍生徒数はたったの20人。小1から中3まで全部含めて20人。さすがにまずいとは思っていても、あたし含め村の人たちが何をどうしても少子高齢化が留まる様子はない。当たり前だけど。


「でも本当に懐かしいよ。二人はいつまで三色村こっちに居るの?」

「え? あー……そっか、くーちゃんは一時的な帰省だもんね。またすぐ東京に……」

「いや? あたしはしばらく残るよ。仕事やめて療養しにきた身だし」

「そうなの? 実は私たちもこっちに帰ってきて――療養? え、紅葉あなたどこか悪いの!?」

「んー、あたし的には別にそんな騒ぎ立てるほどじゃないと思うんだけど、お医者さんが「さっさと仕事やめてしばらくは就職とか考えず地元で療養してください」って言ってたからその通りにした感じかな」

「「ちゃんと詳しく説明して」」

「あっ、はい……」


 そこからは質問責めに次ぐ質問責めで、ひとまず庭先で語るには長引くからと家の中に入って昔のように縁側に並び、村に戻ってきた経緯を話した。


 そもそもは、あたしの体力と精神力が人よりも優れていたことが発端だったのかもしれない。

 高校卒業後、村を出て東京の大学に進学したあたしは、祖父の「乙女たるもの文武両道であれ」という言葉に従い、勉学やサークル活動だけでなく、ボランティア活動や趣味においても常に一生懸命に活動していた。それらで出会った人々からも、口々にお褒めの言葉をもらったというのは、さすがに自慢が過ぎるかな。


 就職活動もそんなに苦労はしなかった。運動が得意である以上に好きだったあたしは、スポーツ用品の有名メーカーの営業部に入り、とにかくガムシャラに頑張った。

 体力には自信があったから、他の人よりもたくさん走り回って、大小を問わずとにかく誠実に取引をさせてもらった。そうして少しずつ同僚だけでなく先輩たちからも目を向けてもらえるようになった。――それが二年目に入る直前の話。二年目になるとそれまで部長だった人が退職して別の人に替わった。そこから歯車が狂い始めた。


 その部長は常に不機嫌を撒き散らしているような人だった。あたしはとにかく取引先の規模の大小に関わらず誠実に実直に対応し、相手の要望や相談をお聞きするためなら食事や休憩を削って対応した。そのために削った時間は、体力と気合にものを言わせ、足で稼いでどうにかした。

 でも新しい部長は……意訳すると「小さい企業には適当に売ってデカい企業だけ相手しろ」とあたしに怒声を浴びせた。他にも暴言やセクハラ発言は数えきれないくらいされたし、何度か業務を妨害されたこともあった。けど何よりキツかったのは、残業の強要とタイムカードの改竄をされていたことだ。

 前の部長の頃は残業は最長2時間まで、残業代もきちんと出ていたし、部長を含めみんなで互いに労い合っていたからどうにかこなせていたけれど、新しい部長は「作業が終わるまで帰るな(意訳)」と言って、労いの言葉はおろか怒声を置き土産に自分は定時で引き上げていく。

 そして何人かの同僚が心を病んで辞職しようとしたけれど、人事に辞表が行き着く前に握り潰し、勤務態度の悪化と無断欠勤を理由に解雇。退職金すら与えなかった。


 そんなだから、次から次へとリタイアする人は増えていった。だけど幸か不幸か、あたしは体力的にも精神的にもタフだった。……タフすぎた。

 人員を欠いた部署の業務をそれまで通りに回しきるだけの技術と体力があたしにはあったし、部長からの暴言やセクハラを受け流しながら部長に怯える新人の教育と同僚のフォローを並行させるメンタルがあった。

 それがつい先月まで――約三年間続いて、ついにあたしにも限界が訪れた。


「倒れた原因は過労とストレス。お医者さん曰く「自覚があったかどうかはともかく、心も体も満身創痍だったはずだ」って。それで地元に戻って療養に専念した方がいいからって診断書もらって人事部に辞表と診断書を叩きつけて帰ってきた感じ」

「えっ? その上司はコンクリ詰めにして東京湾に沈めなかったの?」

「橙花の中のあたしのイメージなんなの」

「そうよ橙花。紅葉がそんなことするわけないでしょう? ……でも指は詰めさせたのよね?」

「嘘でしょ、紫織までそっちサイドなの?」


 二人が仁侠映画とかハマってるんじゃないかという疑惑がわたしの中に浮上したけれど、それはそれとしてさっき「私たちもこっちに帰ってきた」みたいなことを言ってた気がするので、二人の事情についても詳しく聞いてみた。

 あたしだって赤裸々にドロップアウトエピソードを語ったんだから、二人の分も暴露してもらわないと公平じゃないだろうと詰め寄れば、二人は意外なほどあっさりと答えてくれた。


 紫織は元々、お母さんが高山の老舗旅館の女将だったということもあって、子供の時から「女性はエレガントに」と教わってきたようで、外見そとみはもちろん内面的にも強く優しい「理想の女性」であるために努力を重ねてきた。今思えば、あれは相手こそ定まっていないけれど花嫁修業だったんじゃないかと思う。

 でもそれが必ずしも良いことだけじゃないのが悲しいかな世の常というもので、紫織は穏やかな言葉口調だけど気は強いし口喧嘩なら負けなしだったから、男子と喧嘩をすると最終的に男子が手を上げることがよくあった。でも紫織はどんなに喧嘩が白熱しても絶対に手だけは上げなかったから、男子に対して軽度の苦手意識を持つようになった。

 別に話しかけただけで逃げるようなレベルとかじゃないけど、初対面の男性には表面上なんともなさそうに見えて警戒心バリバリだし、近くにあたしか橙花がいるときは手とか服の裾を掴んで平静を装おうとする。それくらい彼女にとって「暴力」はご法度で、それを気軽に振るう男性に対して警戒心が強い。

 だけどやっぱり「理想の女性」を目指して磨いた女子力は相当で、あたしより10センチ以上低いにせよ168センチの長身にすらりと伸びた手足とハリのある白い肌と純白のワンピースは、本当に28歳なのかと疑いたくなるくらいの「美少女」っぷりで……だからこそ起きるべくして起きた悲劇だったんだろう。

 あたしよりも二年早く社会に出た紫織は、男性社員からのセクハラがひどかったらしい。幸い、紫織以上に気の強い先輩が庇ってくれていたみたいだけど、5年目のある時、仕事を終えて帰路につこうとしたところ、上司に無理やり車に連れ込まれかけたらしい。

 たまたま居合わせた何名かの女性社員に助けられたみたいだけど、さすがに身の危険を感じた紫織はそれまで以上に男性が怖くなってしまって、早々に退職して村に戻ってきた――というのが去年の話らしい。


 そして橙花はというと、彼女は元々コミュニケーションお化けというくらいには老若男女問わず誰とでも仲良くなれる最強の陽の者なんだけど、とにかくうっかりが多くて学生時代も半年で20近いバイトをクビにされていた。面接に落ちたとかではなく、雇われた上で20以上クビになったのは、当時は校内で伝説になったくらいだ。

 ちなみに何をどうしたらそんなにクビになるのかというと、レジ打ちで桁を間違えたとか、皿洗いをしていて棚一つ分の皿を全滅させたみたいな洒落にならないものや、他のバイトに騙されて売り物を食べたみたいなタチの悪い対人関係によるもの、あとは小さいミスを短期間でやらかしすぎたみたいなトラブルの積み重ねによるものなど色々だ。

 だが何が一番すごいかと言えば、橙花は別に頭が悪くないってこと。橙花は一度やったミスは絶対に繰り返さない。つまり最後の「小さいミスを短期間でやらかしすぎた」にしても、全部パターンの違うミスで、一度指摘されたミスはやっていないからこそ、店側も被害を最小限にするため彼女をクビにせざるをえないらしい。

 で、まぁそうなると橙花がドロップアウトした理由はなんとなく察せられるというか、むしろ何社受けて何社クビになったのか、という方が気になる。あたしと紫織と違って橙花は高卒で社会に出たから、社会人歴はあたしたちより長いはずだから、怖いもの見たさ的な興味が湧いてしまう。


「……ちなみに何社クビになったの?」

「5年で150社以上受けて105社受かって105社クビになった」

「平均すると一年で30社受けて21社受かってクビになってる計算ね……」

「そんだけ短期間にそんだけクビになっても150分の105社が採用するのはさすが橙花っていうか……」


 橙花の性格上、履歴書の経歴を改竄したりしないだろうし、むしろクビなった会社だけじゃなくバイトの経歴とかも全部書いたはずなのに、それでも採用させるくらい性格と愛嬌がよかったってことだよね。そりゃコミュニケーションお化けの面目も総立ちよ。


「うるさいなー! 二人だって理由は違うけど社会ドロップアウト組じゃん!」

「「一緒にしないで」」

「はー!? なんだなんだ、クビじゃなくて辞職したのがそんなにえらいんですかー!? こうなったら喧嘩だ喧嘩! あっちの田んぼまでかけっこして負けたらジュースおごりね!」

「それあたしに勝てると思ってんの?」

「だったらおお昼ごはんで誰が一番おいしいおかずを作れるか勝負だ!」

「それ私に敵うと思ってるのかしら」

「終戦! 争いは虚しさしか生まない! 我々は手を取り合うべきだ!」


 半泣きになりながら終戦宣言という名の白旗フルスイングをする橙花ではあるけれど、あたしにたって紫織にしたって、友達の数じゃ橙花には絶対に敵わない。もしも橙花の友達の数を数えたら、どこかしらの都道府県の総人口くらいにはなるんじゃないかってくらいだ。

 中学時代まではギリギリ隣町くらいまでに収まっていたのに、高校からはインターネット、特にSNSという最強の武器を手に入れて、今やフォロワー数はそこらの芸能人をも軽く上回る。それでいて親しくなると県を跨いでいても気軽に会いにいくくらいのコミュニケーションお化けぶりにはどれだけのフォロワーが狂わされたんだろう。

 半年くらい前にちらっと橙花のアカウントを見たけれど、積極的にリプライをくれるフォロワーにお礼も込みで実際に話してみたいからといって青森まで遊びにいって、ひとしきり喋って遊んでそのまま帰ってきたらしい。コミュニケーション能力もそうだけど、体力も相当なものだと思う。

 だからあたしも紫織も、橙花をからかいはするけれど、同時に尊敬もしてるんだよ。そればっかりは、あたしたちじゃ絶対に真似できない橙花だけの強みだからね。


「……ねぇくーちゃん、今日からくーちゃんはこの家で暮らすの?」

「え? うん、そうだね。まぁお父さんとお母さんはあたしの知らないうちにアメリカに移住しちゃってたし、大好きなおじいちゃんの家だから、売りに出したり取り壊したりするくらいなら、あたしが住んで管理した方がいいと思うから」

「それなら……くーちゃんさえよければ、あたしたちもこの家に済ませてくれないかな?」

「ちょっと、橙花……!」

「え、なに? どういうこと?」


 ドロップアウトの経緯ほど長くはならないけれど、ようはあたしよりも一年早くこの村に帰ってきた二人は、他の村の人たちからは「若者が帰ってきた」と喜ばれたらしいけど、家族からは随分と叱られたみたいだった。

 特に橙花の家は元々あんまり親子関係がうまくいってなくて、同じ村にいる従弟の家で生活してたみたいだけど、叔母夫婦は全て理解した上で受け入れてくれたとはいえ、やっぱり引け目というか罪悪感みたいなものは感じてたみたいで、早く家を出なければとは思ってたみたい。

 紫織はというと、こっちは叱られこそすれど親子関係にヒビが入ったというより、紫織自身が慕っている母に対して期待を裏切ってしまったことに悔いとも気まずさともしれない複雑な念を抱いていて、日中はほとんど家の外を散歩しているらしい。朝の7時から夕飯の時間まで散歩って聞いて、生まれて初めて紫織の正気を疑った。


「ってことで、わたしたちちょっと家にいづらいんだ。だから、くーちゃんがよかったら……」

「いいよ」

「そうだよね、親しき仲にもなんちゃらって言うし――えっ?」

「えっ、なんで二人ともびっくりしてんの。こんだけ広い家だし、何よりあたしらの仲じゃん。別にいいよそれくらい」


 いやほんとこの家おっきいんだよ。あたし一人だと掃除とか絶対に行き届かないし、家は使わないとすぐダメになるって聞くし……何より、他の誰かならともかく紫織と橙花なら子供の時から一番近くにいた姉妹みたいなもんだし、問題なくない?

 合鍵作ったり部屋片づけたり、あと紫織と橙花は荷物運んだり……やらなきゃいけないことはいっぱいあるけど、一人よりも三人の方が早く片付くから助かる助かる。

 そうやって一緒に暮らす利点をつらつらと並べていると、二人はまるで話を聞いていない……というか、呆気にとられたような表情でぽかんとこちらを見つめている。何その顔、ほっぺ突っつかれたいの?


「……っ、さすがマブダチだぜくーちゃん! もうほんっとに大好き!」

「え、本当にいいの? 言っておくけど、ルームシェアってけっこう大変よ?」

「何言ってんの、あたしたちこの村じゃ誰もが認める姉妹みたいなもんじゃん。だからこれは他人が同居するルームシェアじゃなくて、仲良し姉妹が同じ家で生活する「三人暮らし」だから大丈夫だよ」

「なんかくーちゃんが物凄いトンデモ理論を並べてるけど、もうなんだっていいよ! ようはわたしたち三人が「家族」ってことでしょ!

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