第12話 終わりまでの日々
マクレイ卿は出入り禁止。
夫人は屋敷の一室に軟禁。外出等は厳しく制限した上で、クララへの接触はもちろん不可。
伯爵の下した判断は苛烈さに欠けたが、証拠の品を押さえたとはいえ、伯爵とクララ両名への健康被害は明確に立証することができず、何より「身内の
これが妥当な線だろう、とレスターはアレンに告げた。声は暗く表情も冴えないもので、到底納得していないのは感じられたが、手を出せば越権行為になりかねないのかもしれない。
「次期公爵様はなんて言っているんですか?」
アレンが尋ねると、レスターは難しい顔で「あの方は具体的な指示など出さない。いつも『好きにやれ、責任は私が取る』としか言わない」と答えた。
その声にはやはり、わずかに迷いが滲んでいるようだった。
* * *
「見てみて。素敵な帽子を買ってきてもらったの。これって『強欲』だと思う?」
明るい話題といえば、クララがそれから数日でさらに、劇的に容態が良くなったこと。
何を見ても「物欲とは……」「どうせ死んだら何も持って行けないのではなくて」と言っていたのが嘘のようで、「もし外に出かけるとしたら、どんな格好すれば良いのかな」と言って、笑うようになった。短い距離、アレンの支えがあれば歩けるようにもなってきた。
とはいえ、足腰がだいぶ衰えていたので、さしあたり部屋の中を二人でぐるぐるするところから。
疲れるとぬいぐるみの占拠したソファに場所を作って並んで腰掛け、壁の絵を見たり、天井の空の絵を見上げて過ごした。
「この絵やぬいぐるみは、すべてお母様が集めたの。私が寝込みがちだったから、せめて部屋を賑やかにしたいって」
クララは黒猫のぬいぐるみを膝にのせ、しみじみと言った。
「初めて見たとき、かなり賑やかだと思った。僕は空の絵が一番好き。天井」
「あれは……、あれはお母様が描いたのよ。描いたというより、塗ったと言うべきかしら。ベッドで寝ている私の横で、おやめくださいって騒がれながら椅子を積み重ねて、天井に絵筆を振りかざして。いつも、垂れた絵の具を浴びて髪が固まっていたわ。あれでよく伯爵家の奥様をしていたと思うの……」
「それはもはや、武勇伝だね」
(娘とは違って、ずいぶん元気そうな……。あ、でももう故人……)
アレンの考えを読んだように、クララが呟いた。
若くして死んだわ。私と同じ病気だったけれど、私はお母様と違って、結婚も出産も何もしないうちに終わりそう。空の絵を描くこともないと思うの。
「絵を描くのなんて、今すぐにでもできる。道具を揃えてこよう」
アレンが立ち上がろうとすると、ジャケットの裾をクララが掴んだ。
最近のクララは、湯を使って全身を洗い上げ、昼間は寝巻きではなく、ゆったりとしたドレスを身につけている。カタログからアレンが選んだ耳飾りをつけ、髪も邪魔にならない程度に結っていた。初めて会ったときよりも、格段に肌艶が良くなっている。
「絵よりも……。
「悪魔の供物になるような、色欲まみれの?」
くすっと笑ってアレンは軽口で返し、その場を離れようとしたが、クララは掴んだ手を離さない。どうしたの? とアレンが軽く小首を傾げると、クララは目を瞑った。
キス、という囁きが耳をかすった。
アレンは体ごと向き直ると、クララの肩に優しく手をのせて身を
唇が触れる寸前。
カタン。
異音に、アレンは素早く反応してドアを振り返る。
軟禁されているはずの夫人が、にこにこと笑みを浮かべて立っていた。友好的としか見えない態度で、ドレスの裾をさばきながら歩み寄って来る。
「ずいぶん元気になったと聞いていたけど、本当だったのね。だけど、それならそういったことはだめよ、クララ。まともな嫁ぎ先が無くなるわ。今からでも遅くないから、そんな汚らわしい男とは手を切りなさい」
アレンは冷静に、夫人の動作を目で追う。一方、クララは強いまなざしで夫人を見つめ、激高した様子で言った。
「何を言っているの……? 彼を侮辱するのはやめて」
「侮辱も何も。これはそういった
夫人がアレンの腕をひっつかみ、突き飛ばす。転びこそしなかったが、クララは悲鳴を上げ、「なんてことを……!」と絶望に染まった声で呟いた。
聞こえていないはずがないのに、夫人はにこにこと笑って、歌うように答えた。
「何って、少しでも汚されてしまったら、ヴィンスと結婚できなくなるわよ?」
「ヴィンスですって? なぜ今さら、あんな男と」
「決まってるわ、それがあなたの、一番の幸せだからよ」
これはひどい、茶番。
クララは全身をわななかせ、おぞましいものを見るかのように夫人に視線をぶつけている。
「どうしてそんなに、何もかも、わかっていないの? 自分が何をしたか、私にどう思われているか、一度でも考えてみた?」
「もう良いじゃない、過ぎた話は終わりにしましょう。私はクララのこれからの話をしているのよ」
「やめて。どうしてあなたは自分のしたことを、なかったことにしようとしているの? あなたには、罪を取り消すにあたり、なんの権利もなくてよ?」
クララの叫びを間近で浴びて、アレンは目を細める。
(限界だ。以前より体調が良くなったとはいえ、万全にはほど遠い。興奮させすぎないようにしないと……)
そう思いながらもアレンが止めるのを躊躇したのは、クララが紛れもなく純粋な怒りを発露していたせいであった。
ふっと、天井を見上げる。水色の伸びやかな青空を眺めて、胸の中で呟いた。
悪魔さん、見てる?
この「憤怒」は供物になり得るのかな?
「本当に、かわいげなのない、強情な子。義理の娘があなたでなければ、私はこの家でもっとうまくやっていけたのに……!」
夫人が、手の中に握りしめた棒状のものを掲げる。畳んだ扇のように見えたが、そこに鋭い金属の輝きを認めて、アレンは思い切り腕を横薙ぎにして、それを叩き落とした。
「いまの、お嬢様に怪我を負わせるつもりでしたね。普段から血の気のないお嬢様ですよ、出血の量によってはお命も危なかったことでしょう。しっかりこの目で見ました。言い逃れはできませんよ」
「たかが……! たかが男娼ごときの言い分など、誰が耳を貸すものですか!」
「貸さない相手にもしっかりと聞かせますよ。俺がどこの誰であろうと、あなたがお嬢様を傷つけようとしたのを目撃したのは、事実です」
冷静に話していたつもりであったが、やはり自分も「憤怒」の虜であると、アレンは意識の裏で気づかざるを得なかった。
紛れもなく、怒っていた。凄まじく。
「そこまで。よくやったよ、弟くん。君の証言に関してはこの私が保証しよう。何しろ、私もこの目で見た」
男性にしてはやや高く、女性にしては低い、涼やかな声が耳を打った。
まさか、と思いながらアレンがドアへと目を向けると、艶やかな黒髪を一本に束ねた細身の青年が、身を滑らせて部屋へと足を踏み入れてきたところだった。
雪白の肌に、煌めく蒼の瞳。磨き上げられた珠のような美貌。
(次期公爵様……!)
長兄レスターの学友にして真なる雇用主。なぜここに、と目を瞠ったアレンに麗人は微笑を浮かべ、はっきりとした声で告げた。
「手ぬるい処遇は好かない。取り潰せるだけの証拠を押さえにきた。メイナード伯爵家の今後に関しては私の預かりになる。クララ嬢、君もね。思ったより元気そうで安心したよ」
小気味好い笑い声を響かせているその背後から、レスターが顔をのぞかせる。頭一つ分小さい麗人を見下ろして「こちらも終わりました」と実直な態度を崩さずに報告していた。
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