終幕のレッドベリル
マリアの領域であるフロア・ラブラドライトと、その先にあるフロア・アウイナイトには展示された作品の他に動くものはなく、どちらのフロアも照明が消えていた。
「可笑しいですね。展示品に異常は見られませんが、その他が異常です。魔女の使い魔すら見当たらないとは」
魔女が何処かに潜み少女を狙っているとしても、魔女の使い魔の気配をディオンやノエルが全く感知出来ないのは異常と言えた。
「ラブラドライトの照明はマリアが脱落したと同時に消えたのだろう。問題はアウイナイトだ。……彼女の身に何かあったと考えるのが自然だろうな」
何が通常で異常なのか解らない少女は、不安げにノエルの手を握って辺りを見回す。
鹿の骨らしきモノで顔を覆う“花に蝕まれた悪魔”。
仄かに緑がかった暖色の光で周囲を照らしている“ドレスランプのヴァンパイア”。
暮れていく空と水面を映す“黄昏を望む窓”。
「……あ。あのひと、さくひんじゃない」
“茨シリーズ、抱擁”と題されたソレの腕に抱かれ、眠っている魔女の衣類には赤が滲んでいる。
「あれは……此処のフロアマスター、ヒナタ様ですね。どうして己の作品に」
「そんなの解りきってるだろう」
最後のフロア、というよりは一本の長い回廊になっているフロア・レッドベリルへ踏み込んだ瞬間、壁に掛けられた絵画から声が響いた。
「他のフロアへ侵入できることを知ったアリスが不意打ちでヒナタを殺ったのさ。なぁ、我らがフロアマスター?」
秋の艶やかな紅葉を背に笑みを深めた絵画の青年は、いつの間にいたのか、ノエルたちの行く先に佇む自身の造物主へ言葉を投げる。
長い黒髪はノエルや少女よりも純度の高い闇色で、前髪から覗く瞳は深い憎悪を燃やしたような赤紫。
黒を基調としたゴシック調のワンピースドレスを纏うその女の胸元で、レッドスピネルのネックレスが煌めいている。
フロア・レッドスピネルの魔女メーティスは心底面倒そうに、使い魔の代わりである絵画に指先で触れると、其処から波紋を生み出し、何の躊躇いも無く片腕を突っ込んだ。
波紋の奥で掴んだモノを引き摺り出すと、薄紅色の桜の絨毯を思わせる大理石の床上に放る。
「コレ。さっさと回収していただけると助かるのですが」
「いったぁ……私への扱いが雑じゃないかしら!」
フロア・エメラルドで遭遇したアリスは、縛られているせいで受け身を取ることも出来ず床に転がり、自身に対しぞんざいな扱いをするメーティスを睨んだ。
臆することなくメーティスはそんなアリスを見下ろしている。
「当然です。正直、他の魔女がどうなろうと知りませんけど、如何なる理由があろうとも来館者は全員無事に帰すのが私の役割ですので。それを邪魔するなら容赦しません」
「あら、じゃああなたはノエルの代わりになる子がいればいいって思わないの?」
「思いません。誰が管理者であっても構わないので」
「その管理者が、代わりになる子と一緒に外へ出る可能性があるとしても?」
「…………」
アリスは芋虫のように床を這いながらノエルへ近付いた。
「どうしてみんながあなたを嫌いかわかる? 魔女であるにも関わらずあなただけが男性体を選んで、フロアマスターの証を持たない魔女の出来損ないのくせに、ここの管理者の座を得たことがこの上なく気に入らないの。――ここは、魔女だけが永遠に夢を見ることを赦された最後の楽園。それを、管理者であるあなたの一存で終わらせることも出来てしまう。そんなの、あんまりだわ」
――ああ。このひとのいかりは、せめられない。
楽園であるはずの居場所をいつ失うか解らない恐怖。
その恐怖が、ノエルという絶対的な存在を排除せずにいられないのだろうと、少女は幼いながらに察した。
それでも。
――ごめんね。
記憶のない少女は、心の中で謝った。
「手間を取らせないで」
ノエルの足下へ辿り着くより先に、メーティスは容赦なく魔法で編んだ、少女の身長ほどの針でアリスを床に張りつけた。
「彼の肩を持つ訳じゃないけど、そういう日もいつかは来るでしょう。それが今かもしれない、というだけの話です」
メーティスは何か言いたげに口を開いては閉じるノエルに向き直ると、彼女なりに気遣っているつもりなのか、僅かに口許を緩める。
「私たちは仮住まいしていただけですから。続けるも止めるもお好きなように。永遠とは、終わらないことではないんですから」
「……」
何も答えられずにいるノエルの思考を読んだのか、少女は彼の手を強く握って、初めて笑った。
「ノエル。いっしょに、いこう」
「……」
少女と同じ色をした瞳を見開いて、それからノエルも笑って頷く。
夢の終わりへ進む二人の背を、ディオンだけが見送った。
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