熱に魘されたパープルスピネル


 私は、弱かった。

 私は、美しくなかった。

 私は、自分に自信がなかった。

 だから――――。





 視界の揺れが収まった頃、あらゆる本が並ぶ無数の本棚が目に飛び込んできた。

 先程までいた空間とは違う、何処かの図書室に連れて来られたらしい。

「どうして君が此処に居るんだ」

 少女を連れて来た張本人である男が問う。

 どうしてと問われても困る少女は男を振り返ると、ただ首を横に振った。

「自分の意思でここに来た訳じゃないのか」

「たぶん……なにも、おぼえてなくて……」

 少女の返答に男は数秒ほど思案するように少女から視線を外すも、直ぐに一人納得した表情で少女を見遣った。

「君は、此処から出たいか?」

 ――わからない。

 記憶がない少女には、自分がどうしたいのかが解らなかった。

 けれども、ノエルには逢わなければと今も思っている。

「その様子だと直ぐには答えられないか。まぁ当然だろう、急に見ず知らずの場所に放り込まれたようなものなんだから。……、迷い込んだだけなら、君は夢から醒めるべきだと思う」

 男は愛想笑いの一つも浮かべはしないものの、声音や視線から何処か暖かな印象を少女は受けた。

 ――このひとは、だいじょうぶ。

「あの。ノエルってひとをさがしてて。どくひめさんが、わたしをあずけてもしんぱいないひとだって」

「ノエルは僕だが」

「えっ」

 驚いて声を上げる少女に構わず、二人に着いて来たのか、先回りしてここに居たのか解らない白猫が男の足下で突然口を開く。

「その方はフロア・パープルスピネルの魔女ノエル様であり、夢葬博物館の管理者であらせられます」

 ――ねこが、しゃべった。

 更に驚いた表情で、少女は屈んで白猫を見つめる。

 アリスの傍らにいた兎とは違い、人間のように洋服を纏っていないし、二足歩行でも、継ぎ接ぎでもない。

 毛並みのいい、人語を喋ること以外は何の変哲もない猫だ。

「わたくしがそんなに珍しいですか?」

「うん。しゃべるねこ、はじめてみた。……と、おもう」

「それはそうでしょうね。先程のフロアにいたあの継ぎ接ぎ兎もわたくしも、魔女の使い魔なのです。その為、こうして言葉を話すことが出来る訳です」

「なる、ほど……?」

 魔女の使い魔という存在を恐らく初めて目にした少女は、解っているのかいないのか曖昧な反応を示した後、ノエルに視線を移した。

 少女と同じ濡羽色の髪は濃青の紐で束ねられており、紐から腰まで流れるように落ちたその髪は照明の光で煌めくサマが天の川のようで、青紫の瞳は陽が沈んだ宵の空を連想させる。

 裾に腕を通さないコートはマントの特徴である流線的なシルエットを描き、きっと誰が見ても美しいと思うだろう。

 洗練された美を纏う彼は、男性であるが確かに魔女と呼ばれるに相応しい容貌をしている。

 ノエルは少女の視線に気付いているものの、何かの本のページに向かって「ありがとう、助かった」と囁いた。

 その光景に首を傾げた少女に、白猫は説明をする。

「フロア・アクアマリン――お嬢様とわたくしが出逢ったあのフロアですね。彼処の、今は不在である魔女の被造物、つまり作品の一つに“物語に溺れる花嫁”と呼ばれるものがあります。その作品はこの図書室内かアクアマリンの魔女の書斎にある、小説の中に脈絡なく顕れるのです。心霊写真をご存知ですか?」

 写真に死者が映り込んだ、アレだろうか。

 頷いた少女に白猫は続けた。

「よろしい。“物語に溺れる花嫁”は、心霊写真の小説版、いわば心霊小説とでも思ってもらえればいいです」

「しょうせつのなかに、はなよめさんがきゅうにでてくるってこと?」

「そうです。読者が違和感に気付き、彼女を見たページを読み返そうとしても彼女は既に別の小説の世界へ移ってしまっていて、探すのに苦労するんです」

 その作品に、何故ノエルは礼を告げているのか。

 答えは直ぐにノエルの口から語られた。

「彼女は恥ずかしがり屋なのか、普段は呼んでも姿を見せてくれないんだが……今回、君をここまで連れて来る為にダメ元で力を貸してくれないかとお願いしたら、二つ返事で引き受けてくれたんだ」

「だから、おれい?」

 納得した少女も、既に別の世界へ移っている花嫁に向けて「ありがとう」と告げた。


「ここのことを教えておく」

 図書室を出たノエルと少女、そして未だ館内の見回りの途中だったらしい白猫は、次のフロアを目指し紫一色の空間を進む。

 心細いのか、それとも短時間で懐いたのか、少女はノエルのコートをぎゅっと握っていた。

「ここは、五人の魔女が創り出した幻想さくひんを展示する所。そして、来館者たちにとっては一夜の夢幻ゆめまぼろし。名を、夢葬博物館。魔女はそれぞれが宝石の名を持つフロアのマスターを務めていて、その証にフロア名になっている宝石の装飾品を身に着けている。アリスならエメラルドの指輪。彼女たちは原則違うフロアには出入り出来ないが、僕は博物館の管理者だから全てのフロアへの出入りが可能だ」

「だからみまわりをしてるの?」

「嗚呼、いや。見回りはディオンだけだ。僕は余り自分のフロアからは出ない」

 ディオンと呼ばれた白猫は、館内に異常がないか辺りを見回しながら、二人の前をゆったりと歩いている。

「装飾品を身に着けていると言ったが、どういう訳か僕だけがフロアマスターの証であるパープルスピネルの装飾品はない。作ることも出来なかった。その代わり、一目見ただけで作品名、フロア名が解る目を持っているから、魔女たちは僕が管理者の権限を前任者から強奪したものだと思って僕を毛嫌いしているらしい」

 後方の二人を一瞥をすることもなくディオンが口を開く。

「お嬢様はノエル様と行動を共になさった方がよろしいかと。何せ、ノエル様と同じで宝石を持っていないにも関わらず同じ目をお持ちなのですから。記憶がないのを良いことにお嬢様を狙い、ノエル様を失脚させようと四人の魔女は企むに決まっています。……いえ、フロア・レッドスピネルのメーティス様だけは他の魔女に無関心でしたね」

「そうだな。メーティスは気にしなくていい。問題は次のフロア、ラブラドライトとアウイナイトだが、……待て」

 ノエルの一言で、全員が動きを止めた。


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