第15話:なんか、おかしい


「良かった! 私、煮物は得意なんだー。お母さんの好物だから」

「……お前料理とかするんだ」

「凝ったものは作れないけどね」


 いや、十分だろ。煮物なんて俺からしたらめちゃくちゃ凝ってるぞ。

 二人暮らしになってすぐ、千鳥が煮物に挑戦したがそれはそれは大惨事だったからな。


 冷えててこんなうまいんだな、残りは夕食にしよう。

 再び冷蔵庫にしまい指を洗っていると「あ」と瑠奈の声がして振り返った。けどそれは俺に向けた言葉ではなかったようだ、カーディガンのポケットから取り出したスマホを見ている。


「……ねぇ千早くん。まだ私と居たいですか?」

「はっ?」

「友達から呼ばれてんだけど、千早くんとも居たいしなぁって思うんだよ。だから千早くんはどうかなぁって」


 返事を出来ずにいるとこちらへ目を動かした瑠奈が、スマホで口元を隠して言う。


「またえっちぃことしちゃうかな」

「なっ! おま、お前、なんてこと言うんだ! してないだろ、まだしてない!」


 大きく反応してしまった。だって未遂だ!

 それになぁあれくらいでえっちぃこととか甘いんだよ。あの先にはもっとすげーことをあれやこれやとだな。

 ……おっと、やめておこうな。この流れはまた想像力さんが仕事始めちゃう。


「する?」

「!」

「うっそー」


 人が極めて冷静であろうと努力しているというのに、そんなことは思いもしないのであろう瑠奈は、ちろっと舌を出して笑った。さっきも見た赤いアイツ。

 あー、なんだろうこの気持ち。なんか、なんか、胸の中にふつふつと黒い感情が。


 気が付いたら俺は両方の手の平で瑠奈の両頬を挟んでいた。瑠奈の唇がぶにっと前へ突き出る。


「お前さぁなんなの、わざとなの」

「え、にゃにが」

「お前はベロしょっちゅう出しちゃうの?」

「わかりまふぇん」

「いろんなとこで晒してんの?」

「ひょんにゃこちょは」

「なんて?」


 挟まれていることに抗うことなく返事を頑張る姿は可愛かった。何て喋ってんのか分かんねーよ。たまらずふはっと噴き出した。


「あんまむやみやたらに出すなよ、そういうの見ちゃう男いるからね」

「あぁ、千早くんは見るんだね?」

「ねぇ、誰がそんなこと言った?」

「じゃあ千早くんいない時は気を付けるよ。気持ち悪いもんね、そんな、ベロ見てくる男子いたら」


 すいません。

 気持ち悪くてほんとすいません。……あれ、でも俺には見られていいの?




 瑠奈はうちを後にした。送らなくて大丈夫だと言うので玄関で別れた。エレベーターに乗るまで見送った。昨日の話を聞くのを忘れていたのに気付いたが、仕方ない。今日はほら、ね、うん、仕方ない。

 帰り際「焼く手間かかるけど生姜焼き入れてあるよ」と言っていたので冷蔵庫からタッパーを二つ出してみれば、何やら付け込まれている肉とポテサラが入っていた。

 三品も用意してくれたのか、ありがてぇ。


 パタンと冷蔵庫を閉めてリビングを見渡すとひどく静かだと思った。テーブルには半分ほどココアが残ったカップ。それをぐいっと飲み干した。


「あー、あま……」


 まだ一緒にいたかった、と思うのは静寂のせいだ。きっと。



 ***



 登校してから何度目か分からない欠伸をする俺に隣から「遅くまで遊んでたの?」と冷ややかな声が届く。麗華だ。

 朝だというのにしゃんと伸びた背筋はさすがだね。お前背もたれって知ってる? 別にそんな浅く座らなくてもいいんだぞ、もたれちゃっていいんだぞ。


 コイツはきっと昨日追い返したことを根に持っている。そういう性格ではないが、若干だけど声色が厭味ったらしい。


「あー、いや、そういうわけじゃふぁい」


 言いながらまた欠伸が出てしまった。

 そう、夜遊びなんかしていない。ただ眠れなかっただけだ。


 羊は二匹目で瑠奈になるし、ベロ赤いし、笑うし、千早くん千早くんと言うんだぜ。

 これ以上ないってくらいの至近距離で見た瑠奈のまつ毛とか息とか、触れたものとか、もういろいろ頭の中に溢れて。

 うっすら化粧してたな、とか思い出したりさ。

 とにかく大変だった、昨夜の俺は戦っていたんだ。


「……楽しかった? 昨日」

「あ? んー、まぁ」


 視線は廊下に向けて頬杖をつく。あふ、とまた欠伸が出てしまった。


「どこか行ったの?」

「んー、いや」

「……まさか家に呼んだんじゃ」


 麗華の声は左耳に届いてはいるが俺は昨日の夕食を思い出していた。

 美味かったなぁ、生姜きいてたしちょっとフルーティーな味もしたようなしなかったような。ポテサラも美味かった。母さんのはごろっと芋感があってそれはそれで美味しいのだけど、瑠奈のやつの方が好みかもしれん。


 はぁ、と息を吐くと手の平に熱がこもった。


「千早?」

「……んー」

「どうしたの? 具合でも悪い?」


 突然影が被さったかと思えば立ち上がった麗華の手の平が俺の額に触れた。


「熱はないわね」

「失礼だな、通常通りだわ」

「でも、変よ?」


 お前のそのストレートな物言い、俺は嫌いじゃないぞ。ズバッと本質を見抜く目、いいと思う。

 そう、俺は変だ。


 登校時からずっと、俺の神経は瑠奈を探すことに使われている。

 耳は声を、目は姿を探し、人の気配を感じれば振り返ってしまう。

 今こうして廊下を眺めているのも言わずもがな。


 ……な、おかしいだろ。姿を見たいなんて。見つからないことに落胆しているなんて。変だろ。


 今日はパンを買っていない。食堂に行く前に教室を覗いてみようか。



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