第14話:知らなくても分かること


「なんかね今日も会いたいって思ったの。でも用事ないしなぁって」

「……」

「そしたらお母さんに持ってけって言われて。あ、これじゃん! って」


 駄目だ、違う、冷静になれ。

 抱きしめたいって俺よ、お前それは下心からきてないか?

 いや、それはない。断言できる。

 本当にそうか? そうだよ。


 こんな自問自答は無駄である。だって確かに感じたんだ。例えば親戚に生まれた赤ちゃんや近所の子猫に抱いたような、……愛おしい、なんていう気持ちが溢れたのを。

 ……いや、少し違うかもしれない。そんなふんわり温かい気持ちではなかった、もっとこう、熱があったように思う。

 だけどそんなん一瞬ぶわって起きたことで、今更温度チェックも出来ないし、ほんと感覚なんだけど。


 いや、いやいや。

 つかそんなんどーでもよくて。


 下心だとか愛おしいだとか、そんなん抜きでだ。そもそも論だ。

 やりたいんでします、ってのは気持ちが通じ合ってる者が許されてる行為だろう。

 俺がやっちゃ駄目だ。


「……瑠奈サン」

「はい」

「とりあえず、手離してもらえますかね。揉みたくなるんですけど」

「ぎゃっ!」


 ぎゃっ、てお前がやっといて。

 そんなツッコミは勿論言わなかった。


 解放された手で自分の胸元を押さえる。服がシワになろうが知らん。押さえないと苦しいんだ。いや、押さえても変わらないんだけど。

 なんだよ、なんかめっちゃ胸が痛いんですけど。ぎゅーって締め付けられるんですけど。


「なんか千早くんって余裕あるよね」


 それは俺の言葉のせいか?

 だとしたら俺は冷静に見えたということか。良かったよ、思ってもない揉みたいだの言ってさ。


 え? 思ってないよ。まじで。

 そこまで余裕ねーんだよ。年齢=彼女ナシの男子高校生のキャパを大きく見積もってはいけないぞ。


「私と違うよね。私、今心臓だよ?」

「……。えっと、心臓とは」

「私の全部がどっくんどっくんって、心臓みたくなってるの。分かる?」


 俺の方へ身を乗り出して懸命に「自分は心臓である」と訴える瑠奈に笑ってしまった。あ、ちょっと苦しいのなくなったかも。


 余裕、か。そういう風に見えるのは決して悪いことではないはずだ。安堵もしたし。

 なのに今度は俺の番だと思った。お前だけじゃなく、いや比べることは出来ないが俺の方が、と。

 思った次の瞬間には瑠奈の手を取って左胸に押し当てていた。


「……ドキドキしてる」

「はい」

「私と一緒だねぇ」

「だろ」

「生きてるねぇ」


 俺は恋愛経験なんてない。だからこんな、手を取り合って至近距離なんて経験はない。

 なのに何故だろう。


「ちはや、くん……」


 今ここにある空気は、知らないのに分かるんだ。


 逸らさない視線はぶつかったまま、胸に当てていた手は握り合うものに変わった。

 瑠奈は少し顔をあげて俺は少し顔を下げて、ゆっくり距離がなくなる。

 お互いの息を感じる、僅かな隙間しかなくなってから瑠奈の目がゆっくり閉じられた。


 順序だとかやり方なんて学ばなくても自然と俺たちの動きは同じ目的に向かう。

 瑠奈の小さな唇に俺の唇が重な――


「……」

「……あ?」

「ち、はやくん……」


 ――らなかった。

 ピンポーンと静寂しかなかったリビングに鳴り響くチャイムのせいで。



「……はい」

『あなた様にお祈りを』

「間に合ってます」


 スッと立ち上がりスッと通話ボタンを押しブツッと切断した。ちらりと瑠奈を見れば、両手で腹を抱えて体を揺らしている。


「う、あはは……っ、すごいタイミングでお祈りきた……ぶくくっ」

「言うな」


 さっきまでのことなど忘れたのか、それとも俺と同じで恥ずかしいのか、瑠奈はソファの上で笑い転げる。そんな様につられるけどどんどん羞恥は大きくなる。


「……あー、なんか腹減ってきた!」

「えぇ? さっき食べたばっかなのに」


 普段よりも大きな声を出したい気分だった。無性に動きたい気分だった。キッチンの作業台に置いた空の紙袋が目に留まったからそんな言葉が出てきたのだと思う。

 帰ってすぐに冷蔵庫に入れたタッパーを一つ取り出した。腹減ったと繰り返しながら。


 なのに俺の意識は記憶に繋がる。


 俺、いま、キ……しようとした?

 したことないのに?

 そんな初めてを付き合ってもない子に?


 記憶から生まれる自問自答。俺は今日何度これをやればいいんだ、しかし今回は答えは何も出ない。


 おい俺よ、ぎゅーは駄目ですって自制したくせにそれ以上のことやろうとしてたぞ、お祈り来なかったらくっついてたぞ、どうすんだくっついてたらどうしてた!


 どうしてたかな……なんて思うと頭の中に浮かんできた瑠奈の姿にタッパーを落としそうになった。

 見たことないのに! なんで裸を想像した! あわわたわわ。


「うぉお、肉じゃが! 最近食べてねぇ」


 妄想を消すべくタッパーを開けた俺はやっぱり普段よりもでかい声になった。テンションも少々おかしくなっているのは致し方無い。だって、じゃないと、想像力が仕事をしてしまう。


 こんな程度でいっぱいいっぱいになるんだよ、いやはや経験値が低いと脆いものだ……。だから瑠奈が背後に立っていることにも気付かなかった。


「好き?」

「……好き」


 何が? と思ったさ、お前が? とか一瞬思ったよ。だから変な間空いてしまったけど、分かってる。肉じゃがね、うん分かってる。いい加減頭のスイッチ切り替えようぜ。

 行儀が悪いことは承知で俺はそこから一つジャガイモを口に運んだ。


「うまいな、これ」

「本当!? めっちゃ嬉しい!」

「めっちゃ喜ぶやん。ほんとお母さん好きね」

「え、お母さん? あー、違うよ。これ私が作ったんス」


 少し照れたように瑠奈は笑った。

 お母さんが持ってけとの発言から完全にお母さん作かと思っていたんだが。まぁ、誰が作ったかなんて大した問題じゃ……いやいや、大有りだ。

 だって瑠奈の手作り?



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