第70話 鋸と鉋

 競馬を終えてひと時が経って、ディナンは少し疲れた表情で、家に戻ってきた。

 共に入ってきた妻のキアラの手にはパンやチーズといった夕食を持っている。


「いやー、やっぱ祭りってのは始めるのはいいんだが、片付けが面倒だよな」

「放っておくわけにもいきませんしね。言っていただければ手伝いましたよ」

「バカ言うな。客に手伝わせるわけないだろうが」


 ディナンは走らせた馬の世話をして、賭けの取り分を分配していたらしかった。

 村総出で行われる賭けだ。

 一つ一つは小さくとも、合わせればかなりの量の分配になるのだろう。

 ゴキゴキと首を鳴らすディアナの横で、キアラが食事を並べていく。


「今帰ったぞ」

「お帰り、フラン。早く座って」

「おう。今日はごちそうだな。いただきます!」

「こらっ、全員の準備が終わってからだ」

「お、おう。ゴメンなさい」


 帰ってきたフランが、一目散に食事に向かい、手を伸ばす。

 怒られると反省はするのか、しゅんと肩を落とした。

 ディナンはエイジとフェルナンド二人に頭を下げた。


「すみません。以前から躾ているんですが、なかなか上手くいきませんで」

「いやあ、可愛らしい娘さんじゃないですか」

「突拍子もないことばかりでね。村の人間は知ってるから、気にしないんですが、さすがにお客には申し訳ない」

「気にしないでください」


 料理が揃ったところで、食事を始める。

 料理を次々と口に掻き込んでいくフランはとても幸せそうで、見ている人間まで楽しい気持ちになる。

 きっと、子どもを持った親の気持ちは、今のような感情を抱くんだろうなとエイジは思った。

 同じように優しい目つきで見守るキアラが、口を開く。


「エイジさん、フェルナンドさん、お二人の話を聞かせてくださいな」

「私たちですか?」

「ええ。こんなに遠方から人が来られることなんて、めったにありませんからね」

「そうだよなあ。シエナ村だっけ。初めてだぜ」


 自分が鍛冶屋であることや、妻がいてもうすぐ子が産まれることを説明すると、ディアナとキアラが二人して驚いた。


「その年でまだ一人目か。ずいぶんと遅かったんだな」

「少し事情がありまして」

「まあ、人生って本当にいろいろあるわな」

「ええ、本当に……」


 まさか、この島に来て一年と少ししか住んでいない、と事情を話すわけにも行かない。

 言葉を濁すしかなかったが、幸い二人が追求してくることはなかった。

 話をしていて、村はどうなっているだろうかと少し気になった。

 この村に来るまでに早くも一週間以上が経っている。

 帰りは、川を上る分さらに時間がかかるだろう。

 風が追い風になっているから、ある程度は帆を広げて進めばいいが、ある位置からは逆風になるはずだった。

 そこからは畜力による川上りだ。速度は望めないだろう。


 タニアが妊娠中ということもあり、ムリをしていなければいいなと心配になった。

 ジェーンとピエトロに気をかけてもらうように伝えているから、おそらくは大丈夫だろうが。


「どちらにせよ、無事に丈夫な子が生まれたらいいな」

「本当に。初産は大変だからねえ」


 経験者らしいキアラの言葉に、エイジは頷く。

 そうだ、ジェーンも初産は大変だと言っていた。

 それに産褥熱も心配だ。

 衛生観念が違うから、消毒を徹底する必要があるだろう。

 家畜小屋を併設しているような場所で、子どもを産ませる訳にはいかない。

 出産に関していろいろと話を聞く。


「お湯をしっかりと作り続けること、長丁場になることを覚悟すること。旦那が狼狽えないこと。その点ディナンはどっしりとしていて、私は安心したわ」

「止せよ。俺は何も出来なかったから、ただ黙ってただけだ」

「それでいいのよ。産むのは女の仕事なんだから。変に口出されたり、狼狽えられるのが一番嫌ですわ」

「フェルナンドさんの場合はどうでしたか?」

「いやあ、恥ずかしながらさ、僕は冷静になれなくてね」


 フェルナンドは出産時、邪魔になるからと家の外に放り出されてしまったらしい。

 残念ながら貴重な体験談を聞くことは出来なかった。

 だが、それもまた一つの経験談だろう。

 成功例と失敗例を同時に聞け、少なくとも心の準備だけはしておこうと思った。


「それでさ、エイジ。お前のところは鍬や鎌を売っているんだろう?」

「そうですよ。切れ味は保証します。ちゃんと手入れすればですが」

「犁はないのか?」

「今は手元にありませんね。最初の商談で持ってくるには大きすぎますよ」

「それもそうか……。ほら、俺の村は馬が多いからな、犁が多くあった方が助かるんだよ」

「分かりました、次回持ってきましょう」

「そうか、助かる!」

「あと――」

「木と大工などはどうですか?」


 エイジはディナンの言葉を遮って、その先を言った。

 ディナンは息を呑んで、目を見開いて驚いた。

 ビンゴだ。

 推量があたって、思わず口元に笑みが浮かぶ。


「……どうして分かった」

「この村のあたりって、少しも木がないじゃないですか」

「そうだな」

「私たちが船で川を移動している時も、森から抜けて結構ありました。そこからさらに馬に乗って一時間弱移動して、となると、結構な距離ですよね。しかも一本の木が目印になるような場所ですからね」

「いや、よく観察している。では大工は?」

「そのような木の少ない環境なのに、丸太を切っただけのログハウス風の家になっているところでしょうか」

「なるほど。お見事だ。俺たちにも大工は以前いたんだがな、病に倒れてから、後継ぎがいなくて困っていたんだ」


 問題はそれだけではないだろう、とエイジは思った。

 大工道具が遅れているこの島の技術水準では、板一枚、柱一本を綺麗に作り出すこと自体がすでに難しいのだ。

 のこぎりかんなもなく、一枚板を綺麗に削りだすなど、かなりの難題だろう。

 木に楔を打ち込んで断つ割木工で、たまたま杢目の真っ直ぐな断面を出るのを待つのは、一体どれほどの無駄を生み出すのだろうか。


「そうですね、ここで大工を派遣するというのも一つの手なんですが……急に家が必要だったりするわけでないんですよね?」

「あ、ああ。机や椅子、柵といった木を上手に扱えるようになりたいな」

「それでしたら、大工道具をお渡ししますよ。明日、実際に使ってみて、試してみましょう」

「俺ら素人で出来るのか?」

「大丈夫です。いきなり素晴らしい物はできないでしょうが、それでも柵作りなんかはかなり捗ると思いますよ。フェルナンドさん、明日実演お願いします」

「うん、任せておいてくれ」


 フェルナンドが頷くことで、この提案はすんなりと通った。

 あとは実際に、実演して鋸と鉋の価値を知ってもらうだけだ。

 どちらもこの島では使われていないものだから、かなりの価値になるだろう。

 明日の交渉が楽しみだった。






 次の日の朝、食事を終えたエイジたちは、ディナンと表に出ていた。

 フランも、扉を出るまでは行動を一緒にしていた。


「じゃあ、少しフランは行ってくる」

「どこまで?」

「ギュスと少し、朝駆けだ。丘まで走ってくる。エイジも行くか?」

「私はこれから君のお父さんと用事があるからね、遠慮しておくよ」

「そうか。走りたくなったらいつでもフランに言うといいぞ」


 フランが離れていく。その先には馬が柵の中で放し飼いになっているらしかった。

 エイジは積んできた荷物を確認する。

 今回は大部分を船に残したままだ。

 鋸を入れておいて本当に良かった。


「じゃあ、切っても大丈夫な木のある場所に連れて行ってもらえますか?」

「こっちだ。ついて来てくれ」


 ディナンが連れて行ったのは、廃屋だった。

 とはいえ、使い手がいなくなっただけで、手入れ自体はされていたらしい。

 木自体が廃れているわけではない。

 表面を削れば中はまだ現役で使えるだろう。


「では、よく見ておいてくださいね。こちらがご紹介する鋸です」

「ふむ。表面がギザギザだな」

「あ、危ないから触らないでくださいね」

「わ、分かった」

「ではやってしまってください、フェルナンドさん!」

「なんで君が偉そうなんだよ」


 苦笑を漏らしながらも、フェルナンドが鋸を丸太に当てて、ゆっくりと前後に動かす。

 最初は筋道を立てるためにゆっくりと。

 刃先が安定したら、後はリズミカルに素早く鋸が動く。

 細やかな木屑が飛び、鋸の刃の音が鳴り響く。


「おおっ! 本当にまっすぐに切れてるじゃないか!」

「これ、フェルナンドさんも最初見たとき驚いていましたよね」

「あたりまえだろう。こんな物があると知っていたら、これまでの作業がどれだけ楽になったか」

「ということは、これを考えたのは大工であるフェルナンドではないのか」

「考えたのも作ったのも、この良く分からない鍛冶屋のエイジです。僕はそれを上手く使えるだけですね。……っと、ご覧のとおり、真っ二つに切れましたよ」

「なんとスゴイんだ……では鉋は?」

「鋸で切った後の木の断面って、けっこうザラザラしているんです。さあ、フェルナンドさん」

「で、それを滑らかに綺麗にするのが、鉋の役割だ」


 名人が鉋をかけた後は、木材がつやつやと美しく輝く。

 表面は滑らかで、やすりをかけた後のような手触りになる。

 鉋は何種類も使い分けるのが理想だが、こうして見せる分には一種類だけでも問題ない。

 整った表面を見て、ディナンは言葉を失ったようだった。


「なんという……なんという……!」

「ディナンさん?」

「素晴らしいぞ、エイジ! お前、俺の息子にこい! 今ならフランを嫁にやるぞ!」

「うぇ!?」


 一体何を言い出すんだ、このおっさんは。

 驚き慌てふためくエイジに、ディナンは感動のあまりか、エイジの体を抱きしめた。

 ディナンの力は強く、振りほどけそうにない。

 フェルナンドに視線で助けを求めるが、フェルナンドは嫌そうな顔をして、顔の前で手を振った。

 たしかに男の抱擁を助けるなんて、ぞっとする話だが、されている側はもっとたまらない。

 くそ、見捨てやがった。覚えてろ!


「フランじゃダメか? だがキアラは俺の妻だしな」

「まあまあ、ディナンさん、彼は妻帯者ですし、道具はまた持ってくればいいではないですか」

「お……? おお、そうだな。そう言われてみれば、言うとおりだ」


 冷静になったディナンは、すっと力をゆるめた。

 急いでその場から逃げ出し、発言で助けてくれたフェルナンドを見る。


「すまん、直接助けるのは難しかった」

「いえ、助かりました」


 それに、交易の宣伝にもなった。

 フェルナンドは出来る限りのいい仕事をしてくれたと考えていいだろう。

 あとは、エイジが同じようにいい仕事をするだけだ。

 出来上がった木板を渡し、実際に断面を見させる。

 百聞は一見にしかず。

 ディナンは元が丸太だった木板をしげしげと眺め、手で触り、唸り声をあげた。


「このようにですね、まっすぐの材を手軽に作れれば、木の損失をかなり抑えられると思います」

「使い方は難しくないか?」

「慌てないこと、力任せにしないこと。これだけ守れば、大丈夫ですよ」


 一番怖いのは、鋸を曲げたり、折ってしまうような失敗だろう。

 どちらも丁寧に使えば防げる事故だ。

 ディナンは木板を置くと、両手を上げた。

 降参だ、と言っているようだった。


「元よりそのつもりだったんだが、最高級の馬を用意するよ」

「よろしくお願いします」


 この交渉も、こちらの勝ちだ、とエイジは確信した。






「おい、なんか、ガタガタ音がしないか?」

「積み荷が崩れかけてるんですかね。フェルナンドさん、ちゃんと直しました?」

「もちろんだよ。まあ、確認してみてくれ。崩れて川に落ちたら大変なことになる」

「そうですね」


 昼になっていた。

 交渉を終え、エイジたちは再び馬に乗って川にやってきた。

 現在は川を下っている。


 ディナンに用意されていた馬は、競馬にも出走していた駿馬だった。

 一頭はヤン、もう一頭がユンと言った。

 どちらも栗毛なのだが、ヤンは頭の一部だけが白い。

 二頭は大人しく引っ張られ、船に乗せられた。


 エイジが甲板を歩いて、船尾方向へと歩いていく。

 ガタガタという音はひとまず止んだが、なにか不思議な気配があった。

 積み荷の一つに触れて、緩みがないか確かめる。

 大丈夫だな。もっと奥のほうだろうか。


「どうだ?」

「今のところは大丈夫そうですね」

「奥は?」

「今確かめています」


 荷の隙間へと体をくぐり抜けさせ、頭を突っ込む。

 そして、これまで遮られていた視界に、荷の奥が見えてきた。


 ――少女がうつ伏せに寝ていた。


「はい?」


 誰だ、と思ったが、そのすぐ後に正体が明らかになった。

 うつ伏せに寝ていた体が、寝返りを打って仰向けになる。

 フラン……だよな。

 一体なぜこんなところで寝ているのか。


 エイジは苦労して隙間に完全に入り込むと、足元で寝るフランを観察した。

 どうやらガタガタという音は、積み荷にぶつかった音のようだった。

 狭いところで何度も寝返りを打ったせいだろうか。健康的なお腹がむき出しになって、きれいな形のヘソが丸出しになっていた。

 女性らしい膨らみも、ちらりと覗いていてとても扇情的だ。


「どうした?」

「いえ、フェルナンドさん。こっちこれますか?」

「今、僕は操舵してるんだ。無理に決まってるだろ」

「そうでしたね。フランが寝てました」

「お前、まさか拐ってきたのか?」

「そんなわけないでしょう!」


 これは問題になるぞ……。

 どうしたら良いんだ。

 突然の自体に混乱するエイジを前に、フランは気持よさそうに、ムニャムニャと口を歪め、寝言を呟いていた。

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