第69話 競馬

 ディナンが馬たちの前に立って、手で後ろを示した。

 村人たちはすでに茶の準備やむしろを敷いたりと、観戦気分だった。


「さて、フェルナンドとエイジはこれから行うゲームを初めて見るだろう。いわば馬を使った競争だ。どの馬が一番早く駆けるか、着順を当てるのさ」

「一頭だけでいいんですか?」

「ああ。二番目以降は気にしなくていい」

「距離はどれぐらいなんですか?」

「そうだな、あそこに一本だけ立っている木が見えるか?」

「ええ、わかります。杉の木ですね」

「正確に言えばレバノン杉だね」

「あそこが折り返し地点だ。いつも左回りにぐるっと回りながら、あの木を目印に折り返している」


 示された先に一本の杉の木が立っている。

 ずいぶんと古い木なのだろう。

 背が高く、芝に大きな木陰を作っていた。


「いつも?」

「ああ。何か問題が?」

「大有りですよ。もしそうなら、ディナンさんはどの馬が強いか知っているってことでしょう? 今日初めて競馬をする私たちが勝てるわけないじゃないですか」

「その対策も考えている。いつもとは言ったが、走る馬は毎回変わっているし、これまでに優勝した経験のあるような強い馬ばかりで選んでいるから、正直どの馬が勝っても不思議じゃない。ああ、それだけじゃない。俺は一頭だが、お前さんたちは二人いるから、二頭を指名すればいい。これだけでも大きなハンデだろう。選ぶのも先にすれば良い」


 ディナンとの質疑応答を幾つかした後、フェルナンドと相談する。


「フェルナンドさんはどう思いますか?」

「どれだけ情報を聞き出すかだな。正直僕には馬の良し悪しなんてわからないよ」

「私もです」


 ディナンはパドックのような、品定めする時間を設けてくれた。

 エイジは馬の間近へと寄りながら、一頭一頭の馬を観察していく。

 同じ馬といっても、様々な違いがあることが分かる。

 毛の色や体格はもちろんだが、顔もまた一頭一頭違い、人それぞれならぬ、馬それぞれといった様子だった。


「それじゃあフランが、二人を案内するぞ」

「よろしく」

「栗毛のラナは臆病な性格だけど、優しいし、逃げ足は早いぞ、芦毛のハーフはいっつもフランに偉そうにしてるけど、実際足が早くて、特に負けん気が強いから、ゴール前で伸びるぞ」

「色が違うと、見分けがつきやすいですね」

「馬の見分け方は、色だけじゃないぞ。基本的に胴がゴツイ馬は短距離向きだ。後肢が発達しているかや脚の長さも関係する。意外かもしれないけど、ちょっと短足な方が短距離は早いぞ。まあ、フランはそんなの関係なしに早い奴が分かるけどな」

「それはスゴイですね」

「まーな。フランは馬のことならなんでも分かる」

「今回走るコースは、距離としてはどの程度なんですか?」

「ちょうど中間ぐらいだ。どの馬にとっても不利にならないようになってるそうだぞ」


 しかし、とエイジは呻いた。

 どの馬も毛艶があって、並ぶと壮観だった。美しいと思った。

 この大きな体が、いざ走るとなったら一斉に猛スピードで進んでいくのかと思うと、知らず心がふるえる。

 馬はエイジを怖がることもなく、じかに触らせてくれる。


 その中でも、やはりギュスは別格の存在感を示していた。

 ギュスは他の馬に比べて一回り大きい。

 だが、決して鈍重という感じはしなかった。

 足回りがしっかりと絞られているからだろうか。

 むしろ、この細い足でよくこの巨体を支えられるな、とエイジは疑問に思ってしまう。


「そうですね。では私はギュスにしましょう」

「おう! ギュスはいい馬だぞ!」

「やっぱりあの大きさだからな、一番に選ぶと思っていたぜ」

「フェルナンドさんはどうしますか?」

「うん、僕はこの白馬にしよう。何だか目があったら、自分を選べ、って言われているような気がしてきた」

「ランも良い馬だぞ! スタミナがあって、いつまでも走っていられるんだぞ」

「じゃあ、あの馬や、あっちの馬は?」

「ここにいる馬は全部いい馬だぞ! お父は嘘はいってない。どの馬も勝っておかしくないぞ」


 えへん、と平たい胸を張るフランの様子には、笑うしかない。

 少しも参考にならないじゃないか。

 エイジは苦笑を浮かべながらも、邪気のないフランの様子に、怒る気になれない。

 きっと本心から、どの馬も良いと言っているのが分かるからだ。

 馬が決まったところで、ディナンの元へと戻ると、、彼はニヤッと笑った。

 豪快な笑みだった。


「じゃあ、何を賭ける?」

「ちなみにそちらは何を?」

「うん、うちの名産は馬だ。あんたらが勝てば、うちは馬を贈ろうと思っている。年寄りではなく、悍馬だ」


 どうだ、と言われて、エイジは言葉に詰まった。

 馬一頭の価値は非常に高く、時に年収に匹敵するという。

 ただで手に入るなら、これほど大きな儲けはない。

 だが、それだけにこちらのベッドする賭け分の大きさを思うと、思わず尻込みしたくなった。

 だが、たしかに自分たちは馬を求めに来ている。

 賭けの内容としては妥当だろう。


「それは、大きく出ましたね」

「その代わり俺が勝ったら、それに相応しいものを貰うぜ」

「例えば?」

「そうだな、さっきの鐙の作り方や使い方も良いが……そいつは勝ってから考えようか」


 ディナンの笑みが恐ろしいが、こちらから提供できるものは限られている。

 いくつかの選択肢を提供し、それで納得してもらえば良い。


「心配するな。無茶な要求は誇りに誓ってしないからよ」


 そう言われれば、断ることも出来なかった。





「よし、それじゃあそろそろ始めるぜ! みんな、賭けは決まったか?」

『おおっ!』


 ディナンの掛け声に、村人たちが歓声を上げて答えた。

 村人同士でも公然と賭けが行われているようだった。

 博打が問題になったシエナ村と違うのは、村長が管理しているかどうかなのだろうか。

 問題を起こさずに賭博を開くのは難しい。

 ディナンの管理はそれなりにしっかりしたものだろう。


 エイジが考えていると、それまで隣に立っていたフランがすすっと、前に出た。


「あ、危ないよ」

「フランも出るんだ。大丈夫だ」

「君が?」

「おう! ギュスの騎手はフランだぞ! ギュスは乗せる相手を選ぶから、フランじゃないと操作できないんだ」


 フランが軽い足取りでギュスに近づくと、軽やかな身のこなしでギュスに乗った。

 その姿は堂々としたもので、少なくとも不安そうには見えない。

 他の村人が一人も問題視していない以上、これまでも行われてきたことだと分かった。


 馬が一列に並び、旗を握った男が、棒を水平に保っている。

 出走ゲートとゴールは、同じ場所になるようだった。

 二本の細い棒が離れて立てられていて、結んだ線がゴールになるようだった。

 会場の熱気にやられたのか、興奮している馬がいる。

 騎手が首を撫でながら、平静を保とうと必死な姿が見える。


 旗が振り上げられた時、馬が一斉にスタートする。

 ギュスは一番左側だった。左回りのコースなので、ほんの少しの差だが、一番近いことになる。

 ギュスの姿は落ち着いていて、王者の風格をうかがわせた。


 エイジはゴール横の最も見晴らしのいい場所に腰を下ろし、スタートを待った。


「なんだか、緊張しますね」

「ああ、レース前のこの感じはいいな。なんかこう……血が冷たくなるっていうかさ」

「緊張しているんですか?」

「ああ。そうだね。賭け事の度に、熱くなる心と、冷静な自分がいる気がするよ」

「お二人とも、せいぜい楽しんでくれよ」


 ディナンが言った時、旗が振り上げられた。

 その瞬間、一斉に馬がスタートを切った。

 途端に湧き上がる歓声。

 地響きのように足音が連なり、土を蹴りたてて馬が進む。

 移動時のゆっくりとした動きとは違う。

 全力の馬の走りは驚くほど早い。

 その中でも、フェルナンドの選んだ馬のランは、遥か先頭を突っ走っていた。

 明らかに異常なペースで、何馬身と差をつけている。


「ギュスは集団の三番目か。いい位置についているが……知っているか?」

「なんですか?」

「体の大きな馬というのは、短距離ならともかく、長距離では速度を保てないんだ」

「では、ここから脱落していくと?」


 不安になる話だった。

 だが、ディナンは首を横に振る。


「さて、それはどうだろうな。まだトップスピードで走ってるわけじゃない。スタミナは温存しているだろう。どうだ、こういう知識がありながら観戦すると、より面白いだろう?」

「ええ、他にもあれば教えてください」

「良いぜ。競争は脚が速いだけじゃダメなんだ。ポジション取りに失敗すると、前を塞がれてどれだけ余力が残っていても進めない。だから、押しのけて前を取れないような臆病な馬は最初からトップを走り、全力で後続を引き離す、“逃げ”という戦法をとる奴が多い。逆に最後の直線で追いつき、溜めておいた脚を使って追い抜く“差し込み”タイプもいる。大体競争で見られるのはこの二つのパターンだ」

「じゃあギュスは、先頭から離れているのは問題ないんですね?」

「さて、ランがそのまま逃げ切っちまうこともあるが……今回は難しいんじゃないかな」


 折り返し地点をぐるっと回る頃には、ランはやや減速し、後続の馬群が追いつくところだった。


「頼む! そのまま逃げてくれ!」


 フェルナンドが祈るようにして手を組み、頭を下げていた。

 祈りは通じないのか、ゆっくりと距離は詰められていく。


「あ、ああっ!」


 そして――食われた。

 餌となる小さな魚が、大魚に丸呑みされるように。

 馬群の中の先頭ではあるけれど、美しい逃げ馬は、逃げきれなかった。


 ランは必死に走っているようだったが、それでも後続の馬は早かった。


 折り返しからゴールまで半分を切った時、さらに動きがあった。

 馬群が横に広がり、どの馬も隙間を縫うようにして前を目指している。

 ギュスは――五番手に落ちていた。


 走っているギュスを信じる以外ない。

 フラン、ギュス、頼むぞ。

 エイジの心の声が聞こえたわけではないだろうが、ギュスはそのまま落ちていくようなことはなかった。

 抜かしては抜かれ、というような一進一退の状態で、全力で足を早めている。

 馬特有の長い首が大きく上下に振られ、いかに全身を使って走っているかが分かった。


「よしっ、着てる。このまま行け!」

「――勝てっ!」


 周りでは様々な応援の声が上がっている。

 エイジも知らず、声が出た。


「勝ってくれ、ギュス! フラン」

「フランに任せろ!」


 グン、とギュスの体が伸びるようにして加速した。

 これまで見せたことのない加速だった。

 鼻先が集団より前に出て、それが少しずつ広がっていく。

 鼻差が首になり、半馬身になった。

 そして、ゴールの線を、一番で渡りきった。


「うわああああああ。フェルナンドさん、勝ちましたよ! ギュスがトップです!」

「落ち着け!」

「これが落ち着いていられますか! フラン、ギュスありがとう!」

「君がこんなに熱くなるタイプだとは思わなかったよ」


 知らず隣に座っているフェルナンドに抱きついていた。

 冷静になると、すごく恥ずかしい行動だ。

 カッと顔がほてるのを感じた。

 エイジは自分の顔が真っ赤になっているだろうな、と思った。


「す、すみません」

「いや……まあ、勝ってよかったな」

「それはもう」


 優しいフェルナンドの言葉が胸に痛い。

 会場に目を向ければ、フランとギュスは勝利馬らしく、ゴール付近をグルグルと回って、手をあげて観客に応えている。

 ギュスの肌は大量の汗をかいているようだった。

 よく走ってくれた。

 後で人参でも贈れば喜ばれるだろうか?

 そんなことを考えていると、ディナンが横にやってきた。


「エイジ、おめでとう。いやあ、俺の馬は二着だと。負けちまったなあ」

「ああ、ディナンさん、ありがとうございます」

「約束通り、出る時までに馬を用意しておくよ。交易として他にも必要だったら、先に言っておいて欲しい。準備があるからな」

「では、もう一頭お願いします」

「分かった。用途は何だ? 農耕用か、それとも自分たちが乗るのかによって変わるぞ」

「船を牽いてもらうのと、あとは犁用ですね」

「よし、体格の良い奴を選んでやろう」


 ディナンはそう言って、清々しく笑い、競馬場を後にしようとする。


「ああ、ディナンさん」

「なんだい?」

「少し気になったんですけど、一体どういう意図があって、こんな歓迎の仕方を始めたんですか?」

「人は、普段よりも酒に酔ったときや、賭け事のときに本性が出る。お前さんは一見冷静そうだが、中に熱いものを持っているのがわかった。フェルナンドは負けても飄々としておるから、芯が強い。それに何より、競馬は楽しい。みんな熱中してくれて、馬を好きになってくれる。それだけ」

「……もう一つ、ディナンさんが勝っていたら、どうするつもりだったんですか?」

「俺が勝っていたらか……そうだな。村の長として、発展に使える技術があるなら、根こそぎ貰いたかったんだがな。まあ良いや。あとで交易もしよう」


 爽やかにそう言いのけて。

 訪れた他の村人に対して、いきなり賭けをふっかけたりする破天荒な人だと思っていたけれど。

 ああ、この人は良いトップなんだなと。

 心から思った。

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