第68話 野生児
馬に乗り続けて三〇分ほどしただろうか。
ようやくエイジも馬の歩みというものに慣れ始めてきた。
船の揺れとも、自転車の不安定さとも違う。
それらは操作する人間の意志にダイレクトに応えてくれる。
いくら手綱を引き、意のままに動かすことが出来るといっても、最終的な操作は馬自身に委ねられる。
つまり、人馬一体となることが一番重要なのだ、ということがようやく分かり始めた。
エイジたちが馬に慣れはじめたのに気付いたのか、キアラがエイジとフェルナンドを見て、笑顔を見せる。
馬に慣れるのが早いね、と褒められた。
少し嬉しい。だが、それが完全なお世辞だと、次の瞬間には分かった。
「あんた、少しだけ足を早めたらどうだい?」
「そうだな。フラン、飛ばし過ぎるなよ」
「おうよ」
「エイジ、少し足を早めるぞ」
言って、ディナンとキアラがふっと綱を操作したかと思うと、馬が歩みを早めた。
小走りといって良いほどに加速する。
釣られるようにして、エイジが乗る馬も速度を合わせる。
「おおっ、と、ととっ」
とたんに不安定さを増した。
これは、つらい。
馬の動きに合わせて身体がガクガクと上下に振られる。
なるほど、ロデオマシーンの動きは確かに似ていると実感する。
だが一つだけ違うことがある。
視界の高さがあまりに違う。振り落とされれば、競馬騎手がときおり落馬で大けがをするように、自身も怪我を負いかねない。
太腿で馬体をはさみ、少しでも身体を安定させようとするが、使い慣れていない筋肉はすぐに限界を迎え、プルプルと震えだす。
足を浮かせたまま馬に乗ることは、ハンドルを持たずに自転車を操作するようなものだ。
それを苦もなく乗りこなせるアウマンの村人の技量が信じられない。
「ちょっと待ってください」
結局、エイジは一度歩みを止めてもらった。
空馬に積んだ荷をあらため、中から
引き馬を買って、船を遡上させると決めていた時から、鐙を使用することがあるかもしれないと考えていたのだ。
非常に簡易的なものだが、どうにか調整して付けると、足を置けるようになった。
エイジが鐙の具合を確かめていると、ディナンは不思議なものを見たという顔で、エイジに尋ねた。
「おいおい、なんだそりゃ」
「鐙という馬に乗りやすくする道具ですね」
「ふーん。まあ、俺たちの村には必要ねえかな?」
「そうですか」
もともと馬上の人は、最初鐙を軽視する傾向にある。
というのも、乗馬の補助具としての立ち位置が大きいからだ。
だが、その真価は馬上での武器の扱いやすさにある。
だが、気付かないならそれで良いか、とエイジは思った。
鐙は軍事技術の一つだから、武器と同じく手放しで広めるつもりはなかった。
価値に気付けば、教えれば良いと思っている。
新たな軍事技術が広まれば、それだけ死傷者が増える。
島の人口は少ないのだ、出来れば人を幸福にする技術が広まればいい。
「フェルナンドさん、どうですか?」
「うん、いいね。ずいぶん乗りやすくなったよ」
「私もです。これで少なくとも、モモを震わせなくて済みそうですね」
「まったくだ」
笑い合って、手綱を握り、再び馬を駆けさせる。
「おお、本当に変わったな。まるで這っていた赤子がようやく壁を使って立ち上がり始めたようだぞ。見違えた」
「それでも普通に歩いている、とはおっしゃらないんですね」
「自在に扱えるようになってこそよ。やはり興味が出てきた。どのようになっているのか、後々教えてもらっていいか?」
「ええ。どうぞ」
「しかし、シエナ村はあまり馬とは馴染みがないだろう?」
「そうですね」
「じゃあどうやってそんな道具を作る理由があったんだ? 不思議なもんだ」
「それは秘密ですよ」
「……まあ、それならそれでいい」
ディナンは腑に落ちていないようだったが、正直に答えるわけにもいかない。
言葉を濁し、馬を駆けさせた。
ディナンの家はログハウス風だった。
丸太を積んで、固定されているのだろうが、野性味あふれる外観だ。
家の中は土床で、敷物が敷かれている。
フランはディナンに用事を頼まれると、すぐに家を出ていった。
フランは樽から銅杯に白い液体を注ぐと、エイジとフェルナンドに差し出した。
受け取ると、アルコールと乳の匂いがプンと漂ってくる。
どことなく甘酸っぱい香りだ。
「これは?」
「馬の乳から作った酒だ。うめーぞ」
「……いただきます」
恐る恐る口をつけてみる。
マッコリのような白い液体は、舌の上を滑ると、あんがいサラっとした舌触りで、味はまろやかだった。
意外と、美味しい。
失礼な話だが、エイジは馬乳酒と聞いて、最初はかなり臭みが強いのではないかと身構えた。
だが、アルコールの度数も大して高くなく、意外と飲みやすい。
「ほれ、お前さんもこれを撹拌してくれ」
「この樽ですか?」
「ああ、客人はこの樽を回すのが習わしだ」
すでに馬乳酒になっている樽とは別に、まだ乳の入った樽をかき混ぜる。
空気とたっぷり触れることで発酵するのだろう。
交易の旅に出てから、どの村でも酒を勧められるが、作る側に回るのは初めてだった。
単純な作業の繰り返しなのだが、馬の乳を回していると酒になると言われると、不思議な感じがして、楽しい。
アルコールが全員の手に回ると、ディナンとキアラが座り、少し表情を引き締めた。
フランはまだ、帰ってこない。
「さて、フランの不思議な力について、聞きたそうだな」
「そうですね。一体どうやって私たちの来訪を知ることが出来たのか。それが分かりません」
「それを話すには、あの娘の過去も話せなくてはならない。長くなるが、聞くか」
「聞きましょう」
なにか特別な理由があるらしい。
まあ、不思議なことができるということは、不思議な理由があってもおかしくないか。
エイジは居住まいを正した。
「あの娘はね、俺のことを一応は父と呼んでくれてるが、実の娘じゃないんだ」
「その割には、よく慕ってるようでしたが」
「慕っていることと、血の繋がりは関係ないさ」
「それはそうですね」
「あの娘の本当の親は、迎えに来たギュスという馬を覚えてるか?」
「ええ。あのすごく大きな」
「あいつだけ規格外に大きいだろ。あいつがね、フランを育てたんだ」
「馬が、ですか?」
時に食えないような食糧難の年がある。
大人たちが満足に食料を得られず、仕方なく草の種をむさぼるような、そんなとてつもない飢饉の年が、以前あったのだという。
そんな時、一番に犠牲になるのは年寄りか、それか赤子か。
フランは口減らしに捨てられた子のうちの一人だったのだろう。
「ある日、俺らはいつものように馬を捕らえに行った。野生馬に縄をくくりつけて、教えこませるんだな。俺たちは馬群を見つけて、そこに馬を走らせた。だが、様子がおかしい。普通は警戒して逃げ出す馬の群れが、ピクリとも動かない。そこに、ギュスとフランがいた。まあ、普通に考えたらフランは足手まといになる。だが、だからといって置いて逃げるわけにもいかなかったんだろうな。ギュスはまっすぐにこっちを見てな。そりゃすごい迫力だった。俺は村の長として、常に先頭きって馬を捕らえに行ってるが、あんな恐ろしい目に会ったのは初めてだよ」
ディナンは身振り手振りを交えながら、その時の様子をありありと説明してくれた。
太古の昔から、獣に育てられた人の言い伝えは多数あり、ギリシャ神話のゼウスは山羊に育てられたし、楚の子文は虎に育てられた。
フランは馬に育てられたのだろうか。
「その時の彼女は何歳ぐらいだったのですか?」
「さて、四つか五つか。それぐらいだろうな。その時から驚くほど足が早く、最初は言葉をほとんど話せなかった」
「それは……育てるのが大変だったでしょう」
「まあな。だが、同時に動物とは話せたんだぜ」
「馬とですか? 少し信じがたいですね」
「まあ、そうかもしれんが、実際にその後を見てたら信じざるをえん。そして、意思の疎通は馬だけじゃない。ほとんどの動物とフランは意思の疎通が出来るらしい。おそらく、君たちの来訪を知ったのも、鳥獣から聞いたんだろう」
「そんな不思議なことが……」
エイジにはとても信じられなかった。
現代科学の発達した今、神話や幻想のような話をいきなり信じることは難しい。
だが、逆に迷信と神話の中にいる人々にとっては、信じやすいことなのだろう。
フェルナンドは、信じたようだった。
「お父、準備できてきたぞ」
「おう、そうか! よし、じゃあ移動するか」
勢い良く扉から入ってきたフランに、ディナンも威勢の良い声で返答し、立ち上がる。
「どこかに行かれるんですか?」
「おう。村に人が来たときは、これで迎えるのがうちのルールよ」
「一体何でしょうね」
「ふふん、すぐ分かる。この村でしか出来ないことだ」
連れられて家の外にでる。
そこには何頭もの馬が鼻息も荒く並んでいる。
そして、一体どこからこれほど集まったのかというほどの人の姿があり、それぞれが血を昇らせて興奮しているようだった。
管理役の男がなだめていて、その手に大きな旗があるのがわかった。
「馬といったら、やはり競争よ。どうだ、客人。これから賭けをせんか?」
「賭けだ賭けだ! 賭けるものなくなって、母ちゃん賭けるか?」
「そんなことしねえよ」
「おい、エイジくん。僕はやるぜ」
「フェルナンドさん、あなた以前の問題を忘れたんですか?」
「ありゃあ村の中だけの話だろう。それに、僕は賭けに強いんだぜ?」
競馬と聞いて、フェルナンドがにわかに活気づいた。
――――――――――――――――
一応ご報告として、今回ヒーロー文庫のヒーローコミックス様よりコミカライズされることになりました。
2023年9月29日(金)より各話配信開始とのことです。
よろしくお願いします。
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