第67話 少女と巨馬
フランと呼ばれた少女は、外見とは違い落ち着きがなかった。
直情的というか、より率直に言えば幼い言動が目立つ。
「父ちゃん、エイジとフェルを早く連れていこ?」
「まあ待て。彼らも色々と準備があるだろう。エイジさん、フェルナンドさん、アウマン村の村長、ディナンだ。こちらは妻のキアラ。二人を当村にお招きしたいと考えておりますが、どうされますか?」
「お願いします」
ディナンは歯に衣着せぬ、豪放磊落というような性格だった。
表現には荒々しさはあるが、決して粗野という訳ではない。
行動はこちらを気遣ったものが多く、人を思いやる心はむしろ厚いようだった。
「ところでディナンさん、娘さんの言った通りとはどういうことですか?」
「フランですか。まあ、家についたらお話しましょう」
ディランの意味ありげな笑みを浮かべる。
出来ればもったいぶらずにすぐ教えて欲しいと思ったが、答えると言われている以上、これ以上は催促も出来ない。
船の積み荷をいくつか下ろした後、運ぼうという段になって、フランがストップを掛けた。
「運ぶのはちょっと待つと良いぞー。それにしてもでっかい荷物だなー。何が入っているんだ?」
「私が船に乗ってくるのは分かっても、これは分からないのかい?」
「んー、分からん!」
フランがニパッと笑った。
邪気のかけらもない笑みだった。
きっと誤魔化そうとか、嘘をつこうとか、そんなことは一切考えていないだろう。
ただその笑みを見ただけで、フランを、そして育てたディナンとキアラを信じたくなる。
船の積み荷は、基本的には木箱に収められている。
木蓋の角には杭が打てるようになり、それが上に載せる積み荷の安定する留めになるように設計してあった。
コンテナ輸送をエイジなりに実現させた結果だ。
「さて、それでいつまで待てばいいんだい?」
「んー、もうすぐ来る」
「来る?」
「そう。あっ、来た。ギュス! こっちだぞー」
フランがその場でぴょんぴょんと飛び跳ねて、大きく手を振る。
何が来たのかはエイジにもすぐに分かった。
馬だ。
しかし、これは――
「大きい! フェルナンドさん、馬ってこんなに大きかったですか?」
「馬鹿言うなよ。こんな巨馬を見たのは初めてだ」
「ギュスは大きいぞ。なあ父ちゃん」
「ああ」
足音を立てながら、数頭の馬が走り寄って来ているのが分かる。
非常に早い。そして、その先頭を走る馬の大きさは、否応なく目を引くものだった。
以前初めて間近で見た行商人のジャンが連れていた馬を比較すれば、一回りどころか二回りは小さい。
かといって、その馬がたとえばポニーのように小さな馬かといえば、そうではない。
明らかに、今走り寄って来ている馬が規格外に大きいのだ。
馬が全速で走る足音というのは、重厚で、腹に来るような音だった。
戦では馬や人が走ると地響きが起こるというが、それがなんとなく理解できた。
フランのすぐ近くまで来ると、馬は減速し、ゆらりと立ち止まった。
ブフン、と巨馬が鼻息を吐いた。
黒々とした馬だった。
毛並みには艶があり、目は涼しげで、知性を感じさせる。
ただ大きいだけではない、気品があった。
「ギュスありがとなー」
「この馬はギュスというのですか?」
「そうだぞ。ギュスは馬の中で一番偉いんだ。ボスだ。そしてフランの第一の父さんだ」
「父さん?」
「そうだ! エイジ、馬に乗ったことはあるか?」
「いや、一度もありませんね」
「よし、じゃあ乗れ!」
フランは言ったかと思うと、ギュスの脇に手をやり、体を跳躍させた。
それは人の身とは思えないほどに軽く伸び上がり、全く間にギュスの背の鞍に乗った。
ギュスの背はエイジの頭の高さほどもある。
村の誰も、この少女のような動きはできないだろう。
フランが指示すると、ギュスに付き従っていた栗毛の馬が、エイジの前にやってきた。
こちらは普通の馬と変わらない大きさで、少しホッとする。
だが、やはり鐙もなく、足をかけられない状態ですぐに飛び乗れるとは思えなかった。
少なくとも台がいるだろう。
「どうした、エイジ。乗らないのか?」
「いえ、なにぶん初めてでしてね」
仕方なく積み荷を台替わりにすることにした。
台に乗り、首を掻き抱く。
馬の毛は暖かく、血の通いを感じさせる。
非常に研ぎ澄まされた筋肉の弾力を感じながら、エイジはこわごわと馬の背に乗った。
革で作られた鞍は、イスなどに比べれば軟らかいが、これが動き、衝撃があることを考えれば、不安を覚えるような硬さだった。
フェルナンドはもう一頭の馬へ乗る前に、積み荷を空荷の馬の背に括りつけるところだった。
作業をせずに馬に乗ってしまったことを悔いながらも、もう一度降りて手伝う気にはなれない。
「エイジ、あんまり怖がると馬も怖がるぞ」
「ど、どうすれば?」
「慣れないのは仕方ないから、堂々としてろ?」
「わ、分かりました」
フランに言われるがまま、エイジは胸を張った。
美しい栗毛のたてがみを撫でながら、よろしくな、と声をかける。
馬が分かった、と言ってくれたような気がした。
馬が足を動かす度に、座るべき場所がうねうねと微妙に動くのが、初めての感覚だった。
視界が高く、いつもよりもはるかに高い位置から見える風景は、はるか遠くまで見渡せた。
フランを始め、ディナンとキアラも馬に乗り慣れているのだろう。
危うげなく歩ませているが、エイジとフェルナンドはまだこわごわと、歩くような速度でしか馬を動かせない。
堂々としなければならないと言われても、なかなかうまく行かなかったが、馬のほうが賢いのか、エイジを舐めることなく、ゆっくりと歩いてくれている状態だった。
「すごいね。馬に乗るのは初めてだけど、聞いた話では、もっと難しいと思っていたよ」
「普通の馬なら今頃振り下ろされてるよ。うちの馬というか、ギュスが連れている馬は特別だ」
「はぁ。スゴイ馬なんですね。この黒馬は」
「ああ。どんな馬群でも、ギュスが行けばすぐにトップになってしまう。そして気付いたら、野生馬がおとなしくなっちまう。うちの村がこの十年ほどで大きくなったのは、ギュスとフランのおかげだな」
ディナンはそう言って、ギュスを褒める。
褒められたギュスの方といえば、時折首をひるがえし、じっとエイジとフェルナンドを観察していた。
深い色の目が、まるでエイジとフェルナンドを計り、害意あるものから守ろうとしているようだった。
「んあー! やっぱりゆっくり過ぎてダメだ!」
フランがギュスの背から飛び降りた。
そしてグッと身を沈ませ、前傾姿勢になると、競争だ! と声を上げる。
「ギュス、勝負だ」
そう言うと、フランが全速で走った。
速い。動きに無駄がないのか、いっそ緩慢な動きに見える。
だが、その体は霞むように前に、前に進んでいる。
先ほどの跳躍でも思ったが、やはりフランの身体能力は驚異的だ。
狼退治の時のフィリッポの動きも人間離れしているように感じたが、どうやらこの島の一部の人間は、エイジの知る現代人よりもはるかに身体能力が高いようだった。
ギュスはフランに僅かに遅れて、足を早めた。
土が一瞬盛り上がり、そして弾け飛んだ。
ドッ、とという音とともに、ギュスの身体がぶれたようにエイジには見えた。
瞬く間に追いつき、そして追い越していく。
「ばかー! そんな本気で走ったら追いつくわけ無いだろ! ギュスのバカ!」
青空の下、フランの文句が聞こえる。
ギュスは困ったように走りを緩め、そしてゆっくりと止まった。
フランが追いつき、隣に立つ。
「ギュス、もう一回勝負だ! よーい、ドン!」
フランが再び走り始めた。
その動きはやはり風のように、あるいは放たれた矢のように速い。
ギュスは気だるげに首を振ると、フランと変わらぬ足並みで走り始めた。
やがて、ギュスがゆっくりと負け始めた。
フランに花を持たせようとしているのだろう。
徐々に差が出来、フランが先頭に立った。
だが、フランはそれで満足しなかった。
「見え見えな手加減するなよ、ギュス!」
フランの物言いに、ギュスは困ったように首を振り、遠く離れたエイジを見つめた。
その目は、客人のあなたなら、なにか手があるのではないかと問うているようだった。
そんな目をされても困る、とエイジは思った。
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