第66話 不思議な少女

 モストリ村で食事をとった後、エイジたちは再び船旅を続けた。

 これまで川上から吹き下ろしていた風は、ある一点から変わり、川下から逆風になった。


 これでは帆を広げているとかえって速度が遅くなる。

 エイジもフェルナンドも船旅は初めてだ。

 縦帆の微妙な角度の調整など出来ない。


 帆を折りたたみ、川の流れに任せる。

 水流だけで走る船は、随分とゆっくりになった。


「いやあ、しかし良い取引だったな」

「そうですね。フェルナンドさんも、新しい建築法を学べるようですし」

「うん。個人的には今回一番の収穫だったと思っている」

「しかし、どうしてあんなに私たちを試したんでしょうね」

「分からん。だが、あれだけ圧力をかけてきたんだ。何かしらの理由はあったんだろうなあ」


 お手上げだとばかりに、フェルナンドは肩をすくめる。

 エイジも同じような気持ちだった。

 下手をすれば敵対しかねないような、危険な一手のはずだ。


 すぐに人柄を判断しなくても、取引を重ねていけば自然と信頼が積み重なるし、ちょっとしたトラブルの際の対応で、その人間の対応能力なども把握するだろう。

 ここまでして急いで把握したいと思う理由なんて、見当もつかないな……。

 まあいい。


 エイジは船倉にギュウギュウに詰め込んだ綿を思い出して、相好を崩した。

 布団二枚だけでなく、新しく布を織ることが可能なほどの綿が手に入った。

 機織り自体は現在も量産すべく少しずつ製作を続けている。


 そのため、今後麻布にしろ綿布にしろ、布の独占状態になっていくだろうことが予想できる。

 羊毛にしろ毛皮にしろ、シエナ村は一大生産地だ。

 衣食住のうちの一つを握ることが出来れば、今後交渉でも優位に立てるだろう。


 そして鉄という新しい交渉材料もある。

 シエナ村の未来は明るいようにエイジは思えた。


 エイジは視線を前方に移し、これから向かうアウマン村を思った。

 一体どんなところなのだろうか。

 結局、ピエロは肝心なことについて教えてくれなかったが、村の簡単な情報に関しては、聞かせてくれた。


 アウマン村は、島内で唯一の馬の生産地だ。

 もともと村の周りは広大な牧草地が広がる。

 住みやすい環境だからか、自然と馬が集まったらしい。


 自然の馬を捕獲して手懐けるのは大変な労力で、危険も多い。

 その分実入りも良かった。

 アウマン村の面々は半分が野生馬の捕獲、調教に働き、残り半数は畑仕事に精を出している。


 ここ数年は、非常に質の良い馬が毎年のように出てきて、交易馬車用にとても助かっている、とピエロが漏らしていた。


 だが、この情報と、今回の船旅で最も驚くだろうという予測とがつながらない。

 果たして何が待ち受けているのか。

 エイジは不安になった。


「フェルナンドさん、一番驚くって、何だと思います?」

「うん? ああ、ピエロさんの言葉か。気になるのか?」

「あんな言われ方したら、嫌でも気になりますよ」

「まあ、そりゃそうだよね。バカでかい馬がいるぐらいじゃ、一番とは言えないだろうし」

「うーん気になる」

「どうせ着いたら分かることなんだろうし、ここで悩んでもしかたがないんじゃないか?」

「それもそうですね」


 フェルナンドの答えに納得すると、エイジは思考を切り替えた。

 この船旅も、あとひとつの村を回れば終了する予定だ。

 最後は海辺の村で塩を交換し、川を遡上そじょうする。


 家に帰れば、出産の準備もそろそろしないといけない。

 やるべきことはいくらでも有った。


「おっ、森が無くなったな」

「本当ですね。一面きれいな草地ですよ……こんな風景もあったんですねえ」

「僕も見たのは初めてだよ」


 なだらかな丘と、膝元まで伸びた芝。

 川辺には名も知らない美しい花が咲いている。

 春ということもあり、青々とした一面はとても綺麗だった。


「ん?」

「どうしました?」


 フェルナンドが何かに気付いたように、前方へと目を凝らす。

 何があるのだろうか。

 エイジも釣られるように前を凝視した。


 川は少しだけ右に曲がりながら続いている。

 その川岸に、ぽつりと小さな人影が見えた。

 それも三つ。座っている


「誰か居るな」

「珍しいですね。漁師でしょうか」

「もうちょっと近づいたら分かるだろう」


 船が進み、人影が徐々にハッキリとしてくる。

 一人の男と、二人の女。

 一組の夫婦とその娘だろうか。


 夫婦の年は、エイジよりもやや上に見えた。

 三人はエイジたちに気付いたのか、立ち上がると、手を振った。

 エイジは手を振り返すと、手早く錨の準備をする。


 船が止まり、エイジたちが船上から三人を見下ろす。

 三人共、手に釣り竿を持っていた。

 かめの中には魚が泳いでいるのが分かる。

 それなりの数が釣れているようだ。


「ご家族で釣りですか?」

「ああ。今日はいい天気だからな」


 エイジの質問に、旦那が答えた。

 日によく焼けた精悍な顔立ちだ。

 服の上からでも分かる立派な体躯は、どうみても釣り人には見えない。


 たまたまの休日だったのだろうか。

 そして一家総出で釣りを楽しんでいる。

 そのような想像をした。


「でっけえ船だな。こんな大きな船は初めて見た」

「今回、交易のために造ったものです」

「そうかあ。フランの言うとおりになったなあ」

「言うとおり?」


 意味が分からなかった。

 言うとおり?


 そもそもフランとは誰だろうか。

 エイジは視線を走らせる。

 男が名前を出すと、娘と思われる少女が僅かに反応した。

 男は、そんなエイジににっこりと笑って、信じがたいことを呟く。


「おう。フランがよ、お前さんたちが今日川からやって来るっていうんで、こうして釣りをして待ってたんだ」




 待っていた。

 一体どうやって?

 ピエロが教えたのだろうか?


 いや、違う。フランが言った、と目の前の男は言っている。

 では、フランはどうやって、やってくることを知ったのか。

 それも、川で・・


 普通、他の村から人が来る場合、牛車や馬車を使う。

 つまり陸路だ。

 今回の水路はかつて行われたことのない方法だった。

 それだけに、これまで行った村では皆が驚いたのだ。


 エイジは本当に驚いた。驚愕といって良い。

 全身に電気が走るようだった。


 これがピエロさんが言っていたことか。

 納得しながらも、言葉が出ない。


 フランと呼ばれた少女は、真っ赤なショートカットが特徴的だった。

 目が大きく、好奇心でキラキラと輝いている。

 この島の女性にしては珍しく、ズボンを履いているのは、動きやすさを追求しているのだろうか。


 覗くふくらはぎや二の腕は躍動感を感じさせる。

 エイジの見たところ、年は十四、五歳。

 まだ子供と大人の境にいた。

 フランは大きく口を開けて、笑顔を見せている。


「ヤッホー、フランはフランだよ。お兄さんの名前は?」

「エイジ……シエナ村から来ました。フランちゃん、よろしくね」

「おー、エイジかー。良い名前だなー。隣のおっちゃんは?」

「お、おっちゃん!? 僕の名前はフェルナンド。……エイジはお兄さんで僕はおっちゃんかよ」


 ボソッと悲しげに呟くフェルナンドに掛けられる言葉もなく。

 エイジはフランを観察する。


 どう考えても、普通の少女にしか見えなかった。

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