第65話 モストリ村の村長 ピエロ 後編二

 ピエロはわずかに罅割れた笑みを、一瞬にして元の温和な笑みへと戻してみせた。

 だが、さすがに困惑しているのは隠しきれなかったのだろう。

 言葉を放った時、ほんの僅か、声に動揺が現れていた。

 それだけエイジのにべもない断りに、衝撃が大きかったのだろう。


「一体何が不満でしょうか? 悪くない条件だと思ったのですが……」

「そうですね。確かに、提示された条件自体に不満はありませんよ」

「では何が」


 エイジは落ち着いていた。

 ピエロの心の動きが良く分かった。

 上手く行っていたはずなのに、何故?

 ピエロは勝利を確信していたのだろうか。

 そうではないはずだ。

 エイジは一つひとつの動作をことさらゆっくりと、丁寧に身ぶり手ぶりし、今回の交渉を少しでも有利に持っていく。

 わざとらしく小さく頷き、はっきりと言う。


「提示されていない条件、でしょうか」

「提示されていない条件?」

「例えば私がいつ、どれだけ納入する必要があるのか。販売価値はいくらに設定するのか。どこに卸すのか。この契約をいつまで続けるのか……そういった諸々の条件をどうするか、全然お話にしていませんよね?」

「それは、細かな事は、契約の後に詰めようと思いまして」

「契約の後に?」


 エイジがジッと見つめると、ピエロは頷いた。

 一瞬で気持ちを立て直したらしい。

 もう、心の揺れは見られなかった。

 さすがに、行商という交渉一本で飯を食っている人間は違う。

 予想外なことがあっても、ほんの僅かな時間で平静を取り戻せるようだった。

 相手が隙を見せれば、どんどんと押すべきだろう。

 だが、相手が立て直した以上、突っ込めばこちらが手痛い反撃を受けることになる。

 無茶な要求や、甘い言葉は吐けなかった。


「契約した後では、断れませんからね。そんな重要な事は、契約の前に詰めるべきでしょう」

「それはつまり、私では信頼に値しないと?」


 ピエロの圧力がグッと増す。

 思わず、それは違う、と言いたくなる。

 口の中に唾が溜まったが、音を立てて飲み込んでは動揺が悟られてしまう。

 はぁっ、と溜息をついてみせ、首を僅かに横にふる。


「信頼とは、積み重ねです」

「む」

「これが今、私とともに来ているフェルナンドさんからの提案であれば、もしかすれば了承していたかもしれません。ですが、私とピエロさんは昨日出会ったばかりではありませんか。いくらピエロさん自身が、誠実な対応を心がけてきたとしても、一朝一夕で出来るものではない。いまピエロさんから条件を鵜呑みするのは、これはもう軽挙というべきものでしょう」

「ふむ……なるほど」


 ピエロが深く、何度も頷く。

 理解が得られたか、とエイジが安心したのもつかの間、ピエロはこれまでの温和な表情を一転させ、鋭い目つきになった。


「では、何が何でも契約しろと言われたら?」

「はい?」


 意味がわからない。

 一体何故、そのような不利な契約を飲む必要があるというのか。


「そう、例えば――この契約を断れば、今後モストリ村はシエナ村への交易を断絶させる、という条件を突きつけてみてはいかがですか?」

「……本気ですか?」

「聞いているのは私ですよ。どうされますか?」

「メチャクチャだ!」

「結構。それでどうするんですか?」


 ピエロが笑った。

 モストリ村の交易がなければ、シエナ村の交換比率は一気に上るだろう。

 特に島の東部からの物品はほとんど入ってこなくなると考えられる。

 どうすればいい?

 ここで要求に屈服するのは悪手だが、かといって逆転の手筋が見えない。

 しかし、あれほど信頼を大切にしていたはずのピエロが何故こんな要求を……。

 そうか!

 そこまで考えて、エイジはようやくこの状況を打破する方法を発見した。


「もう一度お答えしましょう、ピエロさん」

「なんですか?」

「お話になりませんね」

「なるほど。では、シエナ村は取引をやめるということですね?」

「そんなことをすれば、シエナ村は全力で反対しますよ。モストリ村の強引な契約を他の村に報告します。あなた方が大切にしている信頼関係など、到底得られないでしょうね。それが分かっているんですか?」

「そんなことが本当に可能でしょうか。私たちの村の交易がなくては、成り立たない村がいくらあると考えています」

「例えそうであったとしても、それなら私たちが協力し、新しい販路を作ればいいだけの話です」


 それがどれだけ難しいことか、容易に想像しながらも、エイジは退かなかった。

 ここで一歩でも退いたら、後は良いように追いやられてしまう気がした。

 しばらくピエロは黙っていた。

 沈黙もまた、一つの交渉のカードだろう。

 次の言葉を待つ内に、エイジの胃がギュッと縮み、痛みを訴えた。


「ふ……」

「ふ?」

「ふはは!」


 ピエロがおかしそうに大笑した。

 これまでの威圧がふっと掻き消え、代わりに空気が弛緩したように感じる。

 視界が急に広くなったような気がした。

 ああ、緊張していたんだな……。

 硬く握りしめられていた手を、開いたり閉じたりしながら、軽くほぐす。

 おそらく交渉は上手くいく。

 前回のようなてつは踏まないで済みそうだ。ホッとする。


「何かおかしかったですか?」

「いえ、納得出来ましたよ。最初のエイジさんの言葉通り、条件をもっと詰めましょう」

「試したんですね?」

「そうですね。申し訳ない」

「試すのはこれっきりにしてくださいよ」


 溜め息混じりに言うと、ピエロが肩をすくめた。

 本当に悪いとは思っていなさそうだった。


「商人にとって、もっとも大切にする判断基準とはなにか知っていますか?」

「いえ」

「人ですよ。相手がいくら栄えていようと、力があろうと気にしません。私たちは常に目の前に見えたものではなく、目には見えない物を大切にします。本当に優れた人物は、窮地に陥っても必ず再び立ち上がってくる。どれだけ栄えていようと、それを扱う人自体が腐っていたら、必ずまた、地に落ちていきます。」

「だから」

「そう。だから、いつかは一度試さなければならない。その相手が、本当に自分たちが信頼を預けるに足る人かどうかを」

「試された方はたまったものじゃないですね」

「それは仰るとおりです。この通り、謝罪します」


 ピエロは頭を下げた。

 一部の隙もない、綺麗な謝罪だった。

 試したと言ってはいたが、そのまま条件を呑んでいたら果たしてどうなったのだろうか。

 これまでの言動を考えるに、ピエロが明らかに不利な押し付けをしてくるとも思えなかった。

 信頼を大切にする商人らしく、最低限の節度を持っているように感じた。

 だが、今よりも多少条件は厳しくなっていただろう。


「エイジさん、あなたは私たちがぜひ手を組みたいと思う人物です」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 がっしりと手を組みながら、ようやく息の詰まる交渉が終わったことを、改めて実感した。


「実際のところ、条件はどうですか?」

「そうですね。やはり自分たちで自由に交易に使いたい、というのがあるので、この島の東側へのために、優先的に卸しますという約束ぐらいしか出来かねますね」

「まあ、それが妥当な所ですか。分かりました」


 結局、川を挟んで西側はシエナ村が交渉の権利を持ち、東側はモストリ村が権利を持つことになった。

 最初に言っていた手数料だけという条件もそのままで、モストリ村は本気で島自体の発展を考えていることも分かった。


「商売は、買い手も富んでいなければ、売るに売れませんからね」


 ピエロはそう言って笑った。

 清々しい笑みだった。



 それから更に詳細な条件を詰めて、フェルナンドにも確認をとって、契約を結んだ。

 契約内容は木版に墨でエイジが書き留めた。

 日本語がわからないピエロは、文字に興味津々だったが、この場で答えるのは保留する。

 どのような影響があるか分からなかったからだ。


「さて、では交易以外の交渉を始めましょうか」

「交易以外の?」

「ええ。例えばフェルナンドさんが気にしている、煉瓦建築のやり方など、いかがでしょう?」


 約束通り、これまで交渉事には一切参加しなかったフェルナンドが、この時ばかりは反応した。


「教えてくれるんですか!?」

「構いませんよ。私の村から一人派遣しましょう。その代わり、泊まるところと食事、また可能ならば婚姻と移住が可能な女性を見つけていただきたい。こちらから送る人物は、独り身なのです」

「なるほど。分かりました。僕が責任をもってお相手を探しましょう」


 上手い交換条件だと思った。

 伴侶探しは結構難しい問題だ。

 特に村外から人を迎えるのはかなり大変で、なかなか条件にあった伴侶を得ることが出来ない。

 すでに村中で相手が決まっている場合が多いからだ。

 技術の対価としてはやや不足するかもしれないが、相手が望んでいることなので、フェルナンドも問題なく頷いた。

 シエナ村に滞在している間に人柄もわかり、紹介できる人間も決まるだろう。

 このようにして、次々と取引が終わって、一息ついた頃、ピエロがそういえば、と思い出した様に聞いてくる。


「次の村で、何かお求めになるものは有りますか?」

「馬、ですね」

「馬ならばこのまま下っていけば、アウマンという村があります。ですがあの村は……」

「何か問題が?」

「いえ。問題ではありません」

「では、何が」

「エイジさん、あなたはアウマンの村で、おそらく今回の旅で一番の驚きに遭遇するでしょう」

「なんだか良いのか、悪いことなのか、知るのが恐い予言ですね」

「ふふふ。それはついてのお楽しみですよ。私もあそこでは驚きましたからね。教えてしまっては私が楽しくない」


 大丈夫、決して悪い意味ではありませんから。

 ピエロの笑顔に、なんだか悪い予感を覚えるエイジだった。

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