第64話 モストリ村の村長 ピエロ 後編一

 食事を終えた後のエイジたちは、部屋に戻ってベッドでゆっくりと眠った。

 やはり寝心地が圧倒的に違い、夢を見ないほどの熟睡だった。


 一瞬にして朝を迎えたような気分だ。

 あらためて欲しいと思う。


 朝食も用意され、搾りたての新鮮な牛乳や、ふかふかのパンに舌鼓を打つ。

 一つ一つが高品質で、非常に美味しかった。


 これまで村の外に出て、一番贅沢をしているなと感じる。

 それだけで、このモストリ村のことが好きになりそうなのだから、食事の歓待というのは馬鹿にできないものがある。


 ピエロはもちろん、そのような感情の変化を分かった上で、このような贅沢をさせてくれているのだろう。

 強かで、それでいて嫌いになれない作戦だな、と思う。

 食事を終えて少し一服した後、ピエロが人のよい笑みを浮かべて言った。


「さて、そろそろ取引を開始したいのですが、商品の方は持って来られていますか?」

「はい。シエナ村の特産品を中心に、準備完了しています」

「分かりました。こちらでは数多くの品を扱っているため、すべての種類をこの場に持ってくることが難しいのです。そこで一度、倉庫をご覧になっていただきましょう」

「倉庫ですか?」

「ええ。各村から集まった特産品を、項目ごとに分けているんです。圧巻ですよ」


 ピエロがエイジたちを案内したのは、非常に広い倉庫だった。

 煉瓦造りのしっかりとした作りで、天井付近の壁には、驚くべきことに明かり取りのガラスが嵌めこまれていた。


 エイジがこの島でガラスを見たのはこれが初めてだ。

 この村には驚かされてばっかりだな……。


 もはや何が出てきても驚くまい。

 そう思いながらも、覚悟を決めて倉庫の中に入る。


 中は意外なほど明るかった。

 ガラスのおかげなのだろう。


 倉庫の面積は広かったが、隙間なく物が詰められているため、実際に移動できる幅に余裕は、さほどなかった。

 乾物、塩、竹、毛皮、香辛料と様々なものが木枠の中や、壺の中に収められているようだった。


 その中には高級な染料や鉱物を含め、一体どこから入手したのか、すでに鉄の鍬が一つ、片隅に立てかけられていた。

 一体誰と交換したんだろうか。


 予想外の事態にエイジは呆然と眺めることしか出来なかった。

 目に映る物一つ一つが見慣れないもので、新鮮で、興味が尽きない。


 フェルナンドは、入り口脇に積まれているレンガに目が釘付けのようだった。

 きっと今頃、どうやって建てればいいのか、色々と想像しているのだろう。


 交渉を任せてくれと立候補したのはエイジ自身だ。

 黙って、気が済むまで考え事に没頭してもらうことにする。


「種類だけじゃなくて量も大量ですね」

「各村で扱っている特産物を、一度ここに集めますからね。全て私たちが使うという訳ではないですよ。ほとんどは今後、また別の村へと出荷されていきます」

「そうして全体に行き渡るわけですね」

「そうです。全ての物が、全ての村に過不足なく。それが我が村の使命と心得ています」


 エイジが目で確認したところ、希望している綿花も大量に保存され、種も別に保存されていた。

 このような物は基本的に外部に持ち出されないはずなのに、どうやって集めているんだろうか。


 それだけ信頼があるということなのかもしれないし、それとも交渉の手腕がスゴイのだろうか。

 倉庫の中身を大まかに把握したエイジたちは、倉庫を出て、再びピエロの家の前に戻る。


 借りた荷車に、シエナ村の交易品が積まれている。

 その表面は毛皮で覆われていて、中身が見れない。


 これまで色々と驚かされてきたのだ。

 少しはこちらも意識を引かせておかなければならない。


「確認はすみましたか?」

「ええ。後でフェルナンドと相談して、私たちが欲しい物を述べましょう」

「では、次は私が見せてもらいましょうか」

「今回一番価値が高いのは、残念ながら予想されている鉄ではないんです」

「鉄ではない……? では一体なんですか?」

「それは……こちらです」


 エイジが取り出したものを見て、ピエロを表情が驚愕に彩られた。

 それは綺麗な紅色の布だった。


 ピエロが布を手に取り、じっくりと観察し、感嘆の息を吐く。

 幅だけで一メートルほどあり、長さは四メートルになる。

 シエナ村で作られた布の中でも、断トツの大きさだ。


「これは綿布ですね! しかも大きい。これだけの布を織ろうと思ったら一体どれだけの時間がかかるんですか」

「今後はこういうものを少しでも作れるようにしていこうと考えています」

「素晴らしい……。しかもこの布、丁寧な染色までされている。美しいネアカの紅色ですね。私の記憶では、これほどの染色が出来るのはナツィオーニだけだと思いましたが……」

「先日、ナツィオーニから染色に携わっていた方がいらして、特別に作っていただいたんです」

「うーん。確かにこの大きさと、染めの美しさはちょっと簡単には値がつけられませんね。宝石でも安すぎます」


 これまでの手織りのやり方では、大きな布地を作ることは非常に難しい。

 そのため、服などを作っても継ぎ接ぎの多い、見栄えの悪いものが多かった。

 例えばこの布を使えば、綺麗な旗や、ほろを作ることが出来るだろう。


 エヴァが作った機織り機だからこそ、時間を短縮して大きな布を作ることが出来たのだ。

 そして、それをカタリーナに頼んで色染してもらった。


 最初は染色の仕事から手を引いたつもりだったため、少し躊躇していた様子だったが、最終的には快く引き受けてくれた。

 この布は有効な交渉材料になるだろう。


 村の多くの人が関わりあってできた一品だ。

 この布には作り手たちの心がこもっている。

 出来る限り高い価値をつけて売りつけたかった。


「それと、これがうちの村で新しく作り始めたお酒です」

「ほう。一口いただいても?」

「ええ。どうぞ。まずは少しだけ含むようにして下さい。驚かないように」

「はい? ……おっ! 辛い!」


 ピエロは蒸留酒にも強い興味を持った。

 ピエロはシエナ村の変化に敏感だった。


 農具を嬉々として眺め、酒の味を楽しみ、布をしみじみと手にとって褒めちぎった。

 この島で誰よりも、物の価値に触れてきたことで、その目が肥えているのだろう。


 色々なものをもたらしたエイジよりも、はるかに変化の重要性に気付いているようだった。


「さて、これで今回の取引を終えさせていただきますがよろしいですか?」

「お願いします」


 実に良い取引だった。

 魚醤や蜂蜜といった、普段手に入らないような物が、この村では簡単に手に入れることができた。


 エイジが個人的に欲しかった綿花も、薄い布団ならば可能なぐらいには手に入った。

 この村のようにふかふかの布団にしようと思えば、もう二、三度取引を重ねる必要があるが、それでも将来に希望が持てる。


 エイジはつい表情がホクホク顔になってしまうのを抑えることが出来ない。

 逆にピエロは、笑みを浮かべながら冷静さを保っていた。


 ああ、いけないな。

 浮かれてしまっている。気を引き締めなければ。


 エイジの心を声を聞いたのかどうか。

 ピエロが笑みを崩さぬまま、エイジに問いかけた。


「エイジさん、今回の取引とは別に、少し提案があるのですが」

「何でしょうか?」

「私どもが島中に商隊を出していることは、昨日の話からもご理解いただけたと思います」

「ええ」

「もしよろしければ、エイジさんの作った鉄製品を、専属契約を結ばせていただけませんか?」

「どういうことでしょうか?」

「シエナ村の中での取引は、エイジさんがご自由にされます。そして、村の外に関しては、一度すべてを私たちの村に卸していただきたいのです」

「続けて下さい」

「はい。私たちは一定の手数料以外、取りません。例えば遠方で非常に高額で交換できたとしても、その取り分は手数料を引いた後は、全てシエナ村の物です」

「それではモストリ村が一方的に苦労を負うことになり、意味が無いのでは?」

「その代わり、我が村は恩を売ることができます。また、祖父や父が目指した、買い手と売り手、両方が得をする交易が可能になるのです」

「その代わり、うちはすべての商品をモストリ村に卸すと」

「そうです。お互いに得ではありませんか? シエナ村の方は、この川岸の村ならともかく、離れた所や、そもそも東方には伝手がありませんよね? モストリ村ならば、これまでの実績があります。損のない話だとは思いますが……」


 エイジは頷く。

 なるほど。ピエロの言うことは尤もだ。


 確かに、シエナ村は今回の交易まで、タル村以外との付き合いがなかった。

 新しく関係を作るのは大変だし、そもそも本当に東には行けない。

 それだけの時間的余裕が無い。


 エイジはピエロを見た。

 その顔には笑みだけが浮かんでいる。

 だが、エイジはその笑みに、裏を感じてしまった。


「お断りですね。どう考えたって、その提案には乗れませんよ」


 笑みに、ヒビが入った。

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