第63話 モストリ村の村長 ピエロ 中編

 ベッドに腰掛ける。ギシッと音を立ててわずかに軋むが、綿の柔らかな弾力が返ってくる。

 ……本当に綿を使っている。すごいな。

 一体どれぐらいの蓄えを使っているんだろうか。


 しっかりとした綿布団の感触は、日本での生活以来だ。

 つまり一年ぶりになる。

 もはや現代日本の水準の生活に戻ることはないだろうと覚悟していたが、意外なところで、意外なものに触れることが出来た。


 エイジは部屋を改めて見回す。

 この宿泊施設は一体どれほどの頻度で使われているのだろうか。

 客を迎えるのだから、出来る限り豪勢にしておくに越したことはないのだろうが、それでもこれはかなりの贅沢だ。


 フェルナンドはベッドに倒れこんで、大きく息を吸ったり、ゴロゴロと転がったりしている。

 子供かと思ったが、フェルナンドがいなければエイジも同じようなことをしていただろう。

 しばらく二人、言葉もなくゆっくりと体を休めた。

 慣れない船旅で疲れた身体が、ほどよく休まったのを感じる。


 藁のベッドに比べれば圧倒的な魅力だった。

 これを持ち帰ることが出来ればタニアさんは喜ぶだろうなあ。

 取引の際に、綿を仕入れられないか考える。


 これだけの量となると、かなりの農具などを交換しなければならないだろう。

 当然私用目的なので、交易用の村の供出品ではなく、エイジ自身の持ち出しになる。

 かなりの出費になるだろう。

 いや、だが子供が生まれた時にはきっと必要になるはずだ。

 むむむ、とエイジが悩んでいると、理由がわからないフェルナンドが不思議そうな表情で聞いた。


「どうしたんだい?」

「いえ。このベッドがすごくて、うちにも欲しいなと」

「まあ、エイジ君なら交換できるんじゃないかね。鍬やナイフを出せば、多少高くても価値は分かってくれるだろう」

「そうですね……」


 エイジには今回の船旅で、手に入れたいものがあった。

 それは大量の塩と海魚だ。

 川をずっと下っていけば、当然ながら最終的には海へと辿り着く。


 もともと、シエナ村では必要最低限しか塩は手に入らない。

 海辺の村で作られた塩は、村々で交換されるにつれ、その価値は飛躍的に上昇していく。

 塩は保存食を作るため冬場には大量に必要になるが、日常生活でも必需品だ。


 そして、その塩は高級品だった。

 もちろん逆の場合もある。

 シエナ村では皮革は最も手に入りやすい材質だが、海に近づくにつれて、その価値は高騰するだろう。


 海辺の村では、シエナ村が交易で手に入れる塩の数十分の一の比率で塩を交換することが出来るはずだった。

 そして、大量の塩を手に入れれば、エイジは失敗覚悟であるものを作る予定だった。

 だが、それも諦める必要があるかもしれない。


「どちらにしても、綿をどれぐらいで譲っていただけるか聞いてからですね」

「ああ。そろそろ行くか」

「ええ。ああ、それとフェルナンドさん」

「うん?」

「今日か明日になるか分かりませんが、交渉に関しては、私に任せてもらえませんか?」




 エイジには忘れられない、苦い思い出がある。

 それが、フランコとの交渉だった。

 今でもエイジは、あの時の交渉で自分に落ち度があったとは思えなかった。


 圧倒的な情報差による限られた条件の中で、最低限守るべきラインは守り通した。

 だが、一方的にペースを握られていたのは、事実だ。

 本来交易の交渉はフェルナンドの仕事だ。


 村の代表として交易を行い、ジローラモとも友好な関係を築いていた。

 その交渉力は一定の水準に達しているはずだ。

 だから、短期的に考えればフェルナンドに任せたほうが賢い。


 だが、エイジが今回の交易に参加したのは、発案者だからというだけではない。

 エイジ自身の知識や技術が交渉において有効なカードであることと、交渉における経験を積むことが目的だった。

 エイジは誰にも言わず、表情にも出さなかったが、ずっと秘めていたのだ。


 やられっぱなしでは終われない。

 次にフランコと対峙することがあれば、今度は同等以上の成果を上げてやる。

 エイジは気炎を吐いた。


「やあ、ゆっくり出来たかい?」

「ありがとうございます。素晴らしい部屋でした」

「それは良かった。我が村の一番の自慢どころなんだよ。最近訪れる人は慣れてしまったからね。君たちみたいな、初めてのお客様の驚きを見ると、やはり嬉しいよ」


 エイジたちがピエロの家を再度訪れたところ、すでに室内には火が灯され、部屋には美味しそうな料理の匂いが漂っていた。

 家にはピエロの他に、三人の女性がいた。


 妙齢で美しい女性ばかりだった。

 全員ピエロの妻らしい。

 女好きだなと思ったのだが、三人共夫を失った未亡人だったと聞いて、考えを改めた。


 未亡人の境遇は辛いことが多い。

 村長の妻となれば、それなりに暮らすことも可能だろう。

 村長という立場を活かした救済策なのだろう。


「さあ、おかけ下さい。あなた方という遠方からの来客に、今日の素晴らしい出会いに、神に感謝します」

「いただきます」


 ワインが注がれた。

 エイジが味を確かめると、ここでもというべきか、ワインの味が違う。

 タル村では酸味が強かったが、モストリ村では甘みが強い。

 それに僅かながらも度数が高いようだった。それだけよく発酵されたのだろうか。

 あまり飲み過ぎるのはまずいな。

 アルコールに強くないから、控えるようにしなければ。

 エイジが口を湿らせる程度にしようと決めていると、フェルナンドがグビグビと飲んでいた。

 この数日飲み続けているわけだが、アル中にならないのか、心配になってしまうが、杞憂なのだろう。

 二日酔いになった様子もなかった。お酒に強いのは羨ましい。


「おや、エイジさんはあまり飲まれないのですか?」

「私はあまり強くなくて」

「そうですか。ではエールでもどうですか? これならばまだ飲みやすいでしょう」

「ありがとうございます。しかしこのパンは美味しいですね」

「山羊のヨーグルトを使っているそうです。パンがやわらかくなるのだとか」

「……発酵ですね」

「発酵?」

「いえ、お気にせず。こちらの話です」


 ギラリとピエロの目が光ったようだったが、エイジは苦笑をこぼすことしか出来なかった。

 微生物や菌の説明をしても、おそらくは理解されないだろう。

 変人扱いされるだけでは何の得にもならない。


 それならば自分の知らない知識を持っている人間だ、という印象を与えておいた方が良い。

 濁した返答に対し、ピエロがそれ以上突っ込むことはなかった。


「それよりも、ピエロさん。あなたの口ぶりですと、祖父のピエロさんや父親であるピエロさんは、かなり優秀な方だったようですね。私はモストリ村に残念ながら詳しくないのです。お話をおうかがいしても?」

「ええ、そうですね。ぜひ聞いて下さい。モストリ村は、私の祖父の代まで、何の特徴もなく……いえ、それどころか、作物に全く向いていない土質という、過酷な特徴を持った貧しい村だったのです」

「貧しい……? とてもそうは思えませんね」

「毎年満足に麦もならず、生きていくのもギリギリだったそうですよ。ところが! 我が祖父はそれで終わらなかったのです」


 村の過去を話す段になると、ピエロの口調は熱を帯び始めた。

 誰だって、自分や村の過去を話すのは、嬉しい事なのだろう。


「ある年、祖父は実りが少なく、隣村へと食料を調達するため、交易に向かいました。二つの隣村では、同じものを交易しても、違う量で交渉が行われました。片方が多く、片方は少なく。その時、祖父は気付いたそうです。何か自分たちで物を作らなくても、何処からか仕入れた品を、求めている別の場所へと運べば、自分たちは豊かになれるのではないか、と」

「それが始まりですか」

「そうです。小さいながらも、この気付きが祖父ピエロの成したことですね。各村への信用を掴み、交易の起点としました。村が飢えることはなくなったといいます。そのため、交易の父と呼ばれています」

「スゴイ方だったんですね」

「ええ。ですが、その祖父の力も、父の協力あってのものですが」

「というと?」

「父は祖父のやり方を更に発展させました。交易に使う荷車を改良させ、馬が楽に牽けるようにしました。そして、これまで祖父だけが行っていた交易を、村の中心産業として捉え、交易隊を設立したのです。これによって島の全体に交易を行うようになりました。島にある村全体を効率よく回り、かつ全ての地域を回れるように、販路を決めました」

「それは、本当にスゴイですね……」


 ピエロの父は、時代にして一歩も二歩も先を進んでいると言わざるを得なかった。

 シエナ村の全村人を集めても、合理的な考えを出来る人間は数えられる程だろう。

 ましてや効率的な仕組みを考えられるのは、本当に稀有な才能だ。


「父の業績はこの一事をもってしても大変なものですが、それだけに留まらなかったのです。父は交易によって人手の余剰を創りだすと、次に村の開発に乗り出しました。当時扱える職人がただ一人となったレンガ建築を知る大工を引き抜き、村人に習熟させながら、次々と丈夫で立派な家を建てました。この村に残るほとんどの建物は、父の代にできた物なのですよ」


 ピエロが自慢気に胸を張るのも、当然と言えた。

 確かに交易隊の収入を考えれば、実入りの少ない土地を耕すより、儲けが多くなるだろうし、必要な手間や人員も少なく済ませられる。

 そこまで考えて交易隊を設立したとしたら、ピエロの父は偉人と呼ばれて相応しい。

 何よりエイジが気に入ったのは、交易隊は大きな儲けを持ちつつも、交易先の各村も安定して手元に物品が入ることで、買い手良し、売り手良しの関係になっていることだった。


「とはいえ、父も全てに成功したわけではないんですよ?」

「そうなんですか?」

「ええ。一番の失敗は、なんといっても道路敷設の断念だった」


 確かにこの村には立派な石畳の道があった。

 だが、この道路は村内だけに限られているのだろう。

 シエナ村はもちろん、タル村でも道らしい道は見たことがなかった。

 せいぜい牛車の通った轍の跡ぐらいのものだ。整備されたものではない。


「道を作れば今よりも早く荷馬車が走れる。各村との交流も今以上に深められると言って、父は隣村に提案したのだが……」

「にべもなく断られたと」

「そう。まず人手の問題が大きい。隣村は普通に農業で生計を立てているからね。だが、それ以上に必要性を理解されなかったんだ。彼らはせいぜい月に一度、一人が交易に出る程度だ。大変な思いまでして、多少早くなったところで、うちには何の利もない、と断られてしまった。もっともな話だ。なにより道があるせいで、戦の時に攻められやすくなると言われた。これは父も想像もしていなかったが、実際大勢の人間が一度に道を使うことなんて、戦ぐらいしかあるまい。こうして道路敷設計画は村内だけで終わってしまった。手本を見せるために村内の工事を終えていたから、大赤字だったよ」


 とは言え、道路自体は村内だけでも便利になったはずだ。

 特に雨上がりは道が泥状になり、車輪が取られて進むのに難儀する。

 エイジも手押し車を効率的に利用するために、道路を敷設したかったから、道路を作りたいという気持は良く分かった。

 幸い、公共事業になるらしく、村人は十分な食事が与えられて、文句は出なかったらしい。

 祖父ピエロが種を撒き、父ピエロが立派な花を咲かせた親子二代の発展物語は、聞いていて楽しかった。

 人の過去や土地の昔を聞くと、思いがけないドラマがあることに気付く。

 シエナ村にも同じようにドラマが有り、妻タニアにも昔の思い出があるのだろう。

 帰ったら一度聞いてみたいなと思う。


「それでさ、ピエロさん」

「はい、なんでしょうか?」


 話が一段落したところで、フェルナンドがワイン片手に声をかける。


「いや、あなたの祖父や父が立派なのはよく分かったよ。で、もしよかったら現村長ピエロさんの活躍も聞かせてくれないかい?」

「ああ!」


 途端にピエロが苦しむように喘ぎ、天井を見上げた。

 その様子に、エイジもフェルナンドもびっくりした。

 エイジがフェルナンドを睨むと、その表情には、もしかしてやってしまった? と書かれている。


「私は偉大なる祖父や父に比べ、あまりにも凡庸なのです。次の段階を考えてはいるのですが、それを実行するには私の村だけでは難しく、時間を必要としているのですよ」

「ちなみに何を?」

「市ですよ。近隣の村から人を集め、迎賓館に泊まってもらい、一度に交易を片付ける。私たちは場所を提供し、すこしばかりの上がりをいただく。交易自体の儲けは多少減りますが、物の行き来や人の行き来は確実に増えるでしょうね」


 この一族は本当に優秀だな、と思った。

 考え方が完全に商業寄りだが、村の発展をきっちりと効率的に考えている。

 市自体の儲けよりも、村の活気や、村人が交換して豊かになることを想定しているのだろう。

 今後人口が増えれば、人と行き来はより大きくなるはずだ。

 より先を見据えた政策だ。


「しかし、何が問題になっているんですか?」

「うちの村単独じゃないからね。まだ説得が上手く行っていないんだよ。まあ、それも時間の問題さ」


 ピエロは胸を張って、そう主張した。

 だが、果たしてそううまく行くものだろうか?

 モストリの村の近くは、比較的交流が普段から多いだろう。

 わざわざ集まることに意義を見出すだろうか。

 ピエロの父のような人でも、お互いの利に合わなければ、交渉は決裂する。

 いかにメリットを提示し、相手に譲歩を自発的にさせるかが、交渉の鍵なのだろう。

 エイジにも少しずつ、その呼吸が分かってきたような気がする。


「君たちは、交易品を持ってきたんだよね?」

「そうです」

「明日の朝、見させてもらうよ」

「よろしくお願いいたします」

「シエナ村の毛皮や毛糸は良質だからね。ここまでの移動費は、ちゃんと計算に入れるよ。期待してくれて良い」

「明日はそれだけじゃありませんがね」

「へえ。何だろう? ジャンが言っていた石鹸かな?」

「明日をお楽しみに」


 鉄製品を見せて興味を惹かせたら、一晩かけて冷静にさせるよりも、一気に交渉に持っていった方が良いだろう。

 食事が終わって、それぞれがゆっくりとした時間を過ごしていた。

 ワインやエールを片手に、チビチビと飲んで、チーズや燻製肉をツマミにする。

 ピエロは三人の妻たちに囲まれて、楽しそうに笑っている。

 フェルナンドもさすがに人妻に声をかけることはないのか、言葉を交わしながらワインに意識を向けている。

 そうして夜が更けていった。

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