第62話 モストリ村の村長 ピエロ 前編
タル村を出たエイジたちは、再び船上の人となった。
船は軽快に進んでいた。
帆は風を十分に受けて膨らんでおり、力強い前進を続けている。
シエナ村からタル村への短い移動とは違い、今日は長時間の航行となっている。
モストリ村に到着するまでの間にも、三つの村を素通りしていた。
それらの村はこれといった特色がなく、交易による旨味がない、というのが、タル村の村長ジローラモの助言だった。
ジローラモ自身からすれば、すぐ近くの村が栄えてくれた方が交易で助かるだろうに、エイジたちの利益を優先させた形になる。
ありがたい話だった。
鉄の道具を広めるという必要があるとはいえ、すべての村に直接交渉する必要はない。
間隔を開けて宣伝していく方が、噂は波紋のように広がって、効率的だろう。
船から見える光景は単調だ。
最初は慣れないことをしているために新鮮味があったとはいえ、それも何時間も同じような光景ばかりが続くと、流石に飽きる。
エイジはぼんやりと進行方向を眺め、時折オールで進行方向を修正していた。
朝早くに出発していたが、すでに日は西に傾いている。
ジローラモの情報によれば、そろそろモストリ村にたどり着くだろう頃合いだ。
船首に立っていたフェルナンドが、何かを見つけたようだった。
「おっ! エイジ君、見てみなよ。あれがモストリ村じゃないかな?」
「どれですか?」
「この距離で見えないのかい? 君は少し目が悪いんだな。もう少し近づけばわかるよ。凄い家並みだ」
フェルナンドが指さした先はまだ小さく、ぼやけてハッキリとうかがうことは出来ない。
この島の人達の目が良すぎるんだよな。
エイジは苦笑を漏らす。
炎を直接眺める鍛冶師は、目を傷める者が多い。
幸いにしてエイジは遺伝的に目が弱いということはなかったが、それでも鍛冶師として働くようになり、若干視力が落ちた。
だが、それを抜きにしても、シエナ村の人々は明らかに視力に優れている。
マイクなど、狩人ということもあるのだろうが、明らかに視力や夜目に優れ、エイジが米粒のようにしか見えない人物でも、誰が訪れてきているのか、ズバリと言い当てて驚くことがある。
しばらくして、エイジにもフェルナンドの言うことが分かった。
「これって全部レンガ造りじゃないですか……?」
「ああ……。こんなことが出来るなんて、モストリ村はどれだけの技術があり、どれだけの人がいるんだろうね」
「村によって随分と差があるんですね」
「僕もせいぜいタル村しか行ったことがなかったから、正直なところ衝撃を感じているよ」
視界の先、レンガ造りの家が並んでいた。
しかも平屋だけでなく二階建てまである。
夕日に照らされたレンガはより一層赤々とした色合いになっており、見た目にも美しく、威容があった。
美しいな、と思った。
エイジが知るヨーロッパ建造物とは、基本的にレンガ造りだ。
だが、シエナ村は木造家屋が多かった。
数少ない例外は鍛冶場と、村長のボーナの家は石造りだったが、一部ではまだ泥壁を使っている。エイジも自宅に空いた穴は最初、粘土で補強した。
タル村は泥壁が殆どだ。
フェルナンドのような優れた技術を持つ大工がいないのが原因だった。
ならば、モストリ村はどれだけの数の優れた大工がいるのだろうか。
遠目からも美しいレンガ壁の精緻な肌目が分かった。
家々は等間隔で立ち並び、少しの乱れもないように思える。
フェルナンドは息を呑んで、全てを忘れたような呆然とした表情で町並みを眺めていた。
自分のしてきた仕事を振り返っているのだろうか。
よほどショックだったのだろう。
握られた拳が、小刻みに震えていた。
それを見たエイジは、そっと目を逸らした。
「とりあえず船を停めて村に行ってみませんか?」
「……そうだね。僕はいまだに目の前の光景が信じられないよ」
「それは私もです」
エイジは船を停め、フェルナンドとともにモストリ村へと向かった。
川べりの砂利を上がり、草地を歩く。
川べりから村へは一部をのぞき、道が作られていなかった。
道以外の場所は腰ほどもある草が生え、通行を妨げている。
川べりに沿って歩いて行くと、小道が見つかり、途端に歩きやすくなった。
そして、目に映る光景が信じられないでいる。
「ええっ……? フェルナンドさん、石畳で舗装されてますよ」
「すっげぇ。どれだけ人を使えばこんなことが出来るんだ?」
「知らなかったんですか?」
「知らないよ。なんだか、こんなの見たら人と会うのが怖くなってきたな。馬鹿にされるんじゃないか」
「いえ、それは大丈夫でしょう」
「どうだろうな。道も家も古臭いって笑われるかもしれん」
フェルナンドは若干顔を青ざめさせていた。
明らかに目の前の光景に気後れしているようだった。
エイジとしては、現代日本の生活を知れば、どちらも遅れていることは確かだった。
だが、同じ島でありながら、各村のあまりな格差に、若干の戸惑いがある。
何故これほどまでに技術に差があるのか。
詳しく話を聞いてみたいなと思った。
石畳の道は土道と比べてはるかにしっかりとした感触を足に返してくれる。
道には馬車用の溝があり、そして排水路が備えられていて、かなりの高い技術水準がうかがえた。
これならば例え雨の日でも、車輪がぬかるみに取られることはないだろう。
手押し車を使うシエナ村でも、その効果は絶大だろう。
すぐに導入することは不可能だろうが、それでもゆくゆくはシエナ村にも石畳の舗装路を敷設したいものだ。
エイジが感心しながら道を歩くと、ふいにフェルナンドが立ち止まった。
隣にはレンガ造りの家がある。
その壁をジッと見つめると、フェルナンドは釘付けになったように動かなかった。
「どうしました?」
「いや、この建物、僕が知っている組み方と微妙に違うな」
「そうですか?」
「ああ。僕は段によって、石の組み方を変えているんだ。下の段が短いなら、上の段は長くなるという具合でね。でも、この建物は同じ段で長短を交互にしている。長いレンガ、短いレンガが順番に来るようになっているんだ」
「どっちが良いんですか?」
「……さてね。僕は偉大な先達のやり方を真似してきただけだからなあ。一度色々と試してみたいものだけど……」
フェルナンドは家に近づくと、ペタペタとレンガを触りる。
うんと力を入れて唸ってみたり、角度を変えて建物全体を眺めてみたりと、観察に余念がない。
だが、それを横で見ているエイジとしては、気持ちはわかっても、ありがたいものではなかった。
いつ終わるともしれないからだ。
手持ちぶたさだし、誰かに見られたらと思うと、気恥ずかしかった。
「そろそろ村長の家を探しませんか?」
「うん、それは多分あそこで間違いない。目につく限り一番大きな二階建て、しかも隣には馬車用の倉があるからね」
「なるほど」
「だから、もう少し続けさせてくれないかな?」
「いやいや、それなら村長さんに話をつけて、家の中も調べさせてもらいましょうよ」
「それもそうだね。君は今とても良いことを言った」
フェルナンドはウキウキとした態度でエイジの案に了承する。
お酒を飲む時と、新しい建築技術に触れた時、普段の冷静さを失うようだ。
これは今後要注意だな。
少しでも早く見たいと、今にも走り出しそうな態度のフェルナンドに苦笑しながら、エイジは村長の家と思わしき建物へと向かった。
出てきた男は金髪碧眼の鼻筋のくっきりとした、目の大きな美男子だった。
フェルナンドもシエナ村では一二を争う美男子だが、この村長の前では霞んでしまうほどだった。
綺麗な装いをしているのも、そのような印象を与えるのに一役買っているだろう。
驚くほど贅沢な綿のシャツに、麻のチョッキ、麻のズボンで、いかにも涼しげだった。
男はエイジとフェルナンドに固い握手を交わすと、白い歯をキラキラと輝かせながら名乗った。
「やあやあ、遠方からよく来たね。歓迎するよ。僕こそがモストリ村の偉大なる村長、大々ピエロが孫、大ピエロの息子であり、また現村長を務めるピエロだ」
「シエナ村の鍛冶師、エイジです」
「フェルナンド。シエナ村の交易担当と大工を務めています。この度は突然の訪問にもかかわらず歓迎いただき誠にありがとうございます。ピエロさんのご厚情には感謝にたえません。早速で申し訳ありませんが、荷物だけでも置かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わないとも。ちなみにピエロという名は襲名制なんだ。ややこしいかもしれないが勘弁してくれたまえ。祖父と父の偉大な業績を決して忘れないようにと、村人の総意で決めたことなのでね。何ならピエロ三世とでも呼んでくれたまえ」
ピエロがクネクネと体を動かしながら、説明する。非常に美しいが、その動きはどことなく女性的だ。
二人が案内されたのは、家の外だった。
「実はうちは他の村と違い、この村では訪れた客人は専用の家を用意しているんだ。勝手が違って戸惑うかもしれないが、安全性は抜群だし、なかなか快適だと思うよ。ぜひ安心して過ごして欲しい」
ピエロが案内したのはすぐ隣りの家だった。村長宅よりは少し小さいが、それでも十分な広さのある二階建てだった。
一階の右端は馬車置き場になっていて、左が玄関という間取りだ。
「さあ、ではこちらに荷物をおいて、少し休んだらまた来て欲しい。歓迎しよう」
ピエロが部屋を出て、エイジとフェルナンドは息をつく。
もはや、驚きすぎて溜め息しか出なかった。
「これが、客人用だそうですよ」
「うちとが違いすぎるな……ハハッ、笑うしか出来ないよ」
エイジはチェストに荷物を置き、部屋を見回す。
部屋の中は清潔で、広かった。
大きな鎧戸が設けられていて、昼間はとても明るいだろう
また、燭台には油がなみなみと注がれていて、夜遅くまで起きていることが出来そうだった。
また寝床は床ではなくベッドだった。
木組みで作られたベッドの上には、驚くべきことに綿ふとんが敷かれている。
エイジも一年近くを過ごしてきて、少しは物価も分かってきたつもりだ。
その感覚で考えれば、布団になるほどの綿を使うことが、どれだけの贅沢か。
考えるだけで頭がクラクラとする。
それだけの物を、毎日来るわけではない客人用に使うとは。
「エイジくん、僕は本気で怖くなってきたよ」
「私もです……」
二人はもはや感嘆するしかない現状に、恐ろしささえ覚えていた。
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