第61話 タル村との約束

 鍛冶仕事が終われば、エイジたちはジローラモに村長宅で歓待を受けることになった。

 季節は春だ。

 食卓にはキャベツやセロリといった春野菜や山菜のフライ、山羊のチーズや川の焼き魚と彩り豊かだった。


 冬ではこうは行かないだろう。

 慎まやかな食卓で、ほとんどが塩漬けか、燻製ばかりが並ぶ。

 しかもパンは白パンだった。


 ジローラモがいかに歓迎しているか、それだけでも察せられた。

 エイジは船の交易品に積んでいた蒸留酒の壺を一つだけ、食卓に添えた。


「これは?」

「とびきり辛い酒だよ。僕が大好きな酒だ」

「フェルが? エイジさん」

「ええ。特殊な製法で、ワインの酒精を強めたものです。この人はこのお酒が気に入ったようで、仕事の報酬にこのお酒を要求して、次々と呑み込んでしまうため、蓄えが減っているそうですよ」

「へえ。フェルがそれほど嵌まるのは珍しいですね。うちがどれだけご馳走を用意しても、涼しい顔をしていたのに」

「飲んでみますか?」


 ジローラモが興味津々といった様子で、蒸留酒の入った壺を眺めた。

 その表情は興味津々といった様子で、ジローラモもお酒には目がないようだった。

 その隣では、フィオレが約束通りに控え、こちらもまた蒸留酒に好奇心を傾けている。


 蒸留酒を勧められると、二人は一も二もなく頷く。

 どうやら二人とも酒は嗜むらしい。


 酒盃に酒を注ぐと、ジローラモはゆっくりと香りを嗅ぎ、色を確かめ、そして舐めるようにして味を確かめた。

 瞬く間に目が見開き、驚愕に彩られた。


「これは……! う、美味いな。酒精の味がとてもハッキリしている」

「何これ? こんなの初めて。すごく濃い」

「ジロなら分かってくれると思っていたよ」

「うん。本当に美味しい。こんなお酒は飲んだことがない。このお酒は一体誰が?」

「私です」

「……なるほど。エイジさんは鍛冶といい、私たちが知らない技術を、色々と知っているようですね。出来れば私たちにも、このお酒の作り方を教えてはいただけませんか? 相応のお礼はさせていただきます」

「作り方をですか? それは……」


 はたして教えてしまっても良いだろうか。

 エイジは考える。

 教えない場合は、技術を独占することになる。


 とうぜん利益を独占できる。

 反面、製造を村に限定するため、供給量が非常に少ないという問題があった。

 シエナ村は現在様々な技術を発展させつつあり、人手は常に足らない。


 村の子供達を家の手伝いから繰り上げてさえ、まだ手が足りない状況だ。

 水車で時間削減に乗り出して空いた時間は、新しい仕事にあてはめているのが現状だった。

 その分、村の暮らしは飛躍的に向上しつつある。


 エイジの改革は今後も続けられる。

 どこかで技術を外部に放出する必要があった。

 問題は、それがタル村で良いのか、そしてそれが蒸留酒で良いのかどうかということだ。


 酒は金と人と権力を集める不思議な魅力がある。

 そのため、酒の製造を行う家は強い力を持つ。

 それはエイジの知る、日本の政治家に造り酒屋の家が圧倒的に多いことからも明らかだ。


 エイジはゆっくりとジローラモを眺めた。

 なぜ蒸留酒を作りたいと思うのか、その意図をしっかりと把握しなければならないと思った。


「ジローラモさんはなぜこのお酒を作ろうと思うのですか?」


 エイジの問に、逆にジローラモは質問を持って返答とした。


「エイジさんはこの村が何を特産物にしているかご存じですか?」

「焼き物ですよね。以前見学もさせていただきましたから、よく覚えていますよ」

「そうですね。うちの特産は陶器です。しかし、陶器はとても重いし割れやすい。運び辛いからといって価格を上げるのにも限度がある。交易には不向きなのですよ。その点、このお酒ならば交易品に向いていると思いました」

「しかしこの蒸留酒は、量を作るにはやや不向きですよ。方法は言えませんが、普通のワインを何倍にも濃くしたようなものですからね。それなら普通のワインを作ればいいのでは?」

「それだとそれぞれの村で作ってしまうじゃないですか。この蒸留酒は見たことも聞いたこともないお酒だ。きっと皆、少々の無理を言っても欲しがりますよ」


 ジローラモは蒸留酒の価値にしっかりと気付いていた。

 そして、目的もまた、村の繁栄のためだという。

 ある程度の条件を飲むのならば、教えても構わないか、という気になった。


 蒸留酒の一部を、消毒用アルコールにしてもらえばいい。

 とはいえ、エイジも村外のことだ。

 軽々しく頷くわけにはいかなかった。


「村で一度協議しますので、保留させてもらいます。ただし、教えたとしても、最初の交易先をシエナ村にしたり、いくつかの制約はつくと思いますよ」

「それでも構いません。今の陶器作りだけでは先が見えていなかったのです。村の未来のため、ぜひ前向きに考えてください」

「なあ、難しい話もいいけど、そろそろ飲み食いして親交を深めようぜ。せっかくの料理が冷めちまう」

「フェルの言うとおりだな。エイジさん、大したおもてなしも出来ませんが、楽しんでください」


 ジローラモの一言で、歓迎の宴が始まった。

 フィオレが酒盃になみなみとワインを注いでまわる。

 エイジはタル村で作られたワインを飲んでみた。


 シエナ村で飲んだものよりも酸味が強い。

 村によって同じようなワインでも、微妙に味が違う。

 当然のことか、と思った。


 産地や年によってワインは味や値段が変わるのだ。

 すぐ近くとはいえ、村によって味に差が出るのは当然のことだろう。

 焼き魚も塩がしっかりと利いていて美味しかった。


 何より白パンは普段食べているパンよりも格段に美味しく、蜂蜜が使われているのだろう、かすかに甘かった。

 食事も進んだ頃、フィオレが立ち上がり、家の片隅に向かった。


「では、シエナ村から来られた二人を歓迎し、一曲吹かせていただきます」

「フィオレは笛の名手なんですよ」


 フィオレが木を繰り抜いた横笛を取り出すと、静かに息を吹き込んだ。

 途端、静かだった村長宅は、にわかに音の彩りに添えられた。

 細やかな音の上下が時に情熱的に、時に甘く柔らかに表現される。

 これはスゴイな、とエイジは素直に感嘆した。


 耳が心地いいのだ。

 思わず息を潜めて、旋律に聞き入ってしまう。

 どれだけの研鑽を積んだのかは分からないが、かなりのハイレベルな演奏なのは間違いなかった。


 めくるめく指の動きは複雑で、一時たりとも休まない。

 祭りの時の音楽とはまるで違い、華やかな曲だった。

 やがて、ひときわ高らかな音が演奏の終了を告げた時、エイジは自然と拍手をしていた。


「いやあ、初めて聞きましたが、素晴らしい演奏ですね」

「ブラーヴァ! フィオレちゃん、僕は感動した! 君は音の女神の化身に違いない。さあ、このお酒を飲んで口をうるおすと良いよ」

「ありがとうございます」


 フェルナンドが蒸留酒をぐいぐいとフィオレに勧める。

 まさか酔い潰すつもりじゃないだろうな、と思ったエイジだが、ジローラモが何も言わないので、特に注意することはなかった。

 フェルナンドがフィオレにつきっきりになったので、エイジは自然とジローラモと話をすることになった。


「そうか。君が前回うちから帰った後、そんな事があったのか。やはりフランコは油断ならん男のようだね」

「そうですね。まさかこんなに早く弟子を取ることになるとも思っていませんでした」

「厄介事を持ち込まれて大変でしょう。何かあったら相談してください。微力ながら力になりましょう」

「ありがとうございます。でも、どうしてそこまで?」

「シエナ村は島で最も端にある。タル村もその手前、端にあります。隅の者同士、力を合わせて協力していくのが一番でしょう。……私はね、いがみ合ったり、力で奪ったりするよりも、協力し合った方が、お互いはるかに得をすると思うんですよ」

「そうですね」

「ナツィオーニは島を統一するという素晴らしいことを成し遂げたけれど、その後の政策は正直にいうと、誰も得をしていない。絞りとって、ナツィオーニの町が一人勝ちの状態だ」


 そして、ジローラモが声を伏せた。

 優しい目つきが急に真剣な色を帯び、潜めた声には厳しさがにじむ。


「私はね、早晩この支配は失敗すると考えています」

「まさか……!」

「どこからか不満が爆発して、反乱が起きます。鎮圧されるか、成功するかは分からないけれど、一波乱は必ずありますよ。その時、本当に頼りになるのは、それまでの関係をきっちりと築いた相手だけです」


 ジローラモの断言に、エイジは息を呑んだ。

 エイジが考えているよりも、世の中の動きははるかにピリピリと張り詰めているらしい。


「私はこれまで関係を保ってきたフェルをはじめ、村長のボーナさんも尊敬できる人だと思っています。そして、エイジさん、あなたもまた新しい、多くの人間を幸せにする知識や技術、人を惹きつける魅力がある。だから、私の協力が必要ならいくらでもします。まあ、感謝の前売りですからね。言葉通りに受け止めず、注意した方がいいですよ」


 笑って自分で注意しろと言うあたり、ジローラモは本当に人が良いのだろう。

 仮にこれが演技だとしても、良い関係を保ちたいという気持ちは本物だと思った。


 エイジは酒盃を持ち上げた。

 ジローラモもまた、酒盃を持ち、コツリと当てる。


「その時は遠慮無く頼らせていただきますよ、ジローラモさん」

「いつでもどうぞ」


 クッと喉を鳴らしワインを流し込む。

 身体だけでなく、心も熱を持ったように、暖かかった。


「おーい、二人して真面目な顔してどうした。飲まないのか?」

「いただいていますよ、フェル」




 次の日の朝。

 藁布団から起き上がると、フェルナンドが腰を抑えていた。


「いつつ……腰がいたいな」

「まさかフェルナンドさん」

「ん? どうした、エイジくん」

「いえ、何でもありません」

「ああ、大丈夫だよ。普段と寝具が違うから、腰が痛かっただけだ」

「そうですか。ホッとしました」


 フェルナンドは結局、最後まで手を出すことはなかったらしい。


「さあ、それじゃあそろそろ次の村に行く準備を始めるか」

「そうですね。フェルナンドさん、次の村の名前は何ですか?」

「なんだ。計画を立てた君が知らないのかい。次はモストリ。行商隊で有名な村さ」

「行商隊? 行商人が多いということですか?」

「行けば分かるが、まあ一つだけ言っておくと、以前シエナ村に来た行商人ジャン、彼はモストリの出だ」


 行商隊とは何なのか。

 交易の活発な村なのは間違いないだろう。

 エイジにはその言葉が、とても魅力的に聞こえた。

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