第60話 再度タル村へ

 船は滑るようにして進んでいく。

 空は晴天が続き、暖かな陽気が降り注いでいた。

 いい旅立ちだな……。


 初めての船旅だから、勝手がわからない。

 天候だけが心配だったが、それも杞憂に終わりそうだった。

 空は雲ひとつ無く、太陽はさんさんと輝いている。

 甲板に腰を下ろしたエイジは、普段味わうことのない船の揺れを楽しみながら、視線を先に向ける。


 船は牛に牽かれた荷車に比べ、はるかに早く進む。

 川を下っているということもあるだろう。

 この速度ならばそう経たずにタル村には辿り着くだろう。


 船の上から見る景色は、歩きとも車とも違って。

 視点が高く、澄んで見えた。


 エイジがタル村を訪れたのが、秋口に入るかどうかだったから、およそ半年振りになる。

 凄まじく濃密な一年を過ごしているな、と思った。


 エイジはオールを川面に差し込む。

 シエナ村を離れて以来ずっと続いていた森が、ようやく途切れ始めた。


 そこから先はすぐにタル村になる。

 木を切り倒して村を開拓するほど人口は増えていない。

 森は広く、所々にある森の途切れた場所に村があった。


 水の勢いを受けて、表面がわずかに飛沫を上げ、手にグッと力がかかる。

 オールをそのまま固定すると、船首が徐々に右に折れていく。

 フェルナンドがエイジの隣に立った。

 その視線は同じく、タル村に向けられている。


「おいおい、まだ一時間ぐらいだぜ。めちゃくちゃはえーな」

「私が行った時だと、丸一日かかりましたからね」

「だいたい着くのは夕方ぐらいだからな。こいつが船か」

「私がうるさく言ってた理由をご理解いただけましたか?」

「ああ、納得だよ」


 フェルナンドはタル村との交易を任されている。

 それだけに、船の早さ、便利さがよく分かるのだろう。

 貨車は人が荷物を持たずに歩くのよりわずかに遅いぐらいだった。

 朝一番に出て日が沈む頃に到着するのだから、村の間隔はおよそ四〇キロほどだろうか。


 となると、この船は時速三〇キロ強で進んでいることになる。

 この調子なら、どんどん次の村へと回ることが出来そうだな、と思った。




 村長の家にもっとも近くまで進んだエイジは、船尾に向かうと、錨を二つ降ろした。

 ドボン、と重たい音とともに錨は沈む。

 やがて船につないだ鎖が伸びきり、ガクン、と引っかかったように大きく揺れる。


 接岸してロープに留めようにも、川岸が整備されていない。

 そのため船底を傷つける可能性があったから、錨で停泊することにしたのだ。

 エイジが流れのある場所で船を止める方法を知らなかったためでもある。


「いやー、もう到着か。早いね」

「これだけ早ければ、今後交易も進みますね」

「前は二日は必ずかかったが、これなら日帰りだからなあ。大したもんだよ。で、どうやって荷を下ろすんだ?」

「それは……」


 エイジが川岸を見る。

 船は水深のある川の中央で泊まっている。

 目測で水深一メートルは下らないだろう。


 シエナ村の時は川岸で直接荷を積み込めたが、今回は水に濡らしてしまう恐れがあった。


「考えていませんでした。大樽に載せましょうか。今後は各村に小舟を用意してもらうか、停留所を作って貰う必要がありますね」

「しっかりしてくれよ。君が発案者なんだからさ」

「気を付けます」


 先ほどの得意げな顔は一転、エイジは神妙に頭を下げた。

 タラップで出来る限り川岸に近づけた後は、タライや樽に毛皮や鍛冶道具を載せて運ぶ。

 荷を下ろす作業をしていたら、船に気付いた村人がやってきた。


「フェル! これはどうしたことだい!?」

「ようジロ。僕が作った船だよ。今回の交易はコレで川を渡ってきた」

「川を……船で……こんなもの、見たことがない」


 ジローラモが船とフェルナンドの顔を交互に見て、そして言葉もなく立ち尽くす。

 これまで小舟よりも大きな、しっかりとした船を見たことがなかったのだろう。


 どうしてまともな船が発達しなかったのか。

 それは鋸が関係していると、エイジは思っている。

 鋸を使わずに真っ直ぐな木材を作ることはとても手間がかかる作業だ。


 小舟以上の大きさを作る手間を考えると、技術の前に、その必要性を感じなかったのではないか。

 考えるエイジに、ジローラモが頭を下げる。

 以前も思ったが、この村長はとても腰が低い。


 そしてとても暖かい。

 言葉も、笑顔も安心させてくれる。良い男だった。


「やあ、エイジくんだったかな。お久しぶりですね」

「お久しぶりです」

「前回は釘や金鎚などありがとうございます。とても助かっていますよ。それで、今回は……」

「ええ、お約束通り、鍬や鎌も持ってきています」

「そうですか。それは良かった。村の皆も喜びます」


 ジローラモがエイジの鍛冶場を訪れたのも、随分と前の事だ。

 その時、エイジはジローラモの依頼を一度断った。

 村人から欠けやすいという指摘があったから、これはまだ不完全だ。


 不完全なものを渡すのは、職人として心苦しい、と。

 それからも色々と試行錯誤した。

 鉄の炭素含有量の調節、火造りの温度の把握など、多岐にわたり感覚を掴んだ。


 今や自分で作った鉄の全てを知り尽くしたといっても過言ではない。

 エイジは自信を持って、鋤鍬をジローラモに渡すことが出来る。

 ジローラモは人のよい笑みを浮かべ、心より来訪を歓迎してくれた。




 ジローラモの掛け声で、村人たちが集まっていた。

 エイジたちを輪になって囲む。

 多数の視線にさらされるのには慣れていない。

 いつもよりもぎくしゃくとした動きで、エイジが道具を取り出した。


 鍬、鎌、鋤、伐採斧をむしろに取り出す度、おおっ、と大きなどよめきが起こる。

 自分の作った道具が注目されているとわかると、作者冥利に尽きるというか、喜びがむずむずと湧き上がってくるのを感じる。


「これが鉄鍬ですか……。真っ黒ですね。これがあの錆びやすい鉄と一緒ですか」

「僕はもう見慣れたけど、やっぱり最初に見たときは違和感あるよね」

「産まれた時から鉄を見ている私には、よく分かりませんね。あと、湿らせたままだと錆びやすい性質は変わりませんよ。ちゃんと水気を切って、陰干しさせてあげることが大切です」


 ジローラモの感想は、村人全員の総意だろう。

 エイジは取り出した道具をそれぞれ村人たちに持たせた。

 鍬であれば軽く土を掘り起こしたり、鎌であれば草を刈ってみたりと、それぞれ使用感を確かめている。


「おお。これが噂の鎌か! 軽いな」

「まずは力の弱い年寄りから都合するべきじゃろう」

「いや、若い奴が持ってこそ、広く畑が耕せるんだ。だからこれは俺が持つべきだ」

「お前は自分が楽をしたいだけじゃろ。年配を敬うんじゃ!」

「普段俺たちに力仕事を寄越すくせに何言ってやがる!」


 鉄の噂はタル村全体に広がっているようだった。

 たちまちにして誰が所有するか、取り合うようにして喧嘩が始まってしまった。

 皆少しでも優れた道具を手に入れようと必死になっている。


 だが、エイジも全員へ農具を渡すわけにもいかない。

 これから先の村にも、交易品として持っていく必要があった。

 心苦しいが、提示した鋤鍬などは今回は限定二十品としていた。


「所有する人の人選はタル村内のことですので、お任せします。それよりも、農具以外でこんな道具が欲しいといった希望はありませんか? 物によっては今日中に作りますが」

「ああ、私はヘラが欲しい!」

「ヘラですか? 小さいものですし、良いですよ。今からお作りしましょう」


 現地でないと分からない必要な道具もある。

 エイジは鍛冶道具を持って村を回ることで、宣伝と交易を効果的に行うつもりだった。


 即座に注文した小柄な女性の望んだ品は、焼き物を作る際に粘土を切ったり、貼り付けたり、はたまた形を整えたりと、細かな作業に使うらしい。

 真っ直ぐの薄い鉄板を、望みの形に切るだけだから、製作作業自体はとても単純だ。

 エイジは即座に了承した。


「フェルナンドさん、人払いを」

「みんな、こっちは作業があるから、離れていてくれ。ヘラを頼んだ奥さん、そう、随分とベッピンなあなた。あなたはちょっと残っていてくれますか。これから作るヘラの形状や持ち手について、幾つか質問させてください。お名前は。あ、フィオレって言うんですか。良い名前ですね。あと今晩良かったら一緒に食事でもどうですか?」

「おいフェル、お前何やってるんだ」

「いいじゃないか、ジロ。交流だよ交流」


 一体この人は何をしているんだろうか。

 やれやれとため息をつきながら、エイジは川へと戻る。


 船から鍛冶道具一式を持ち運ぶ。

 レンガを組み、炭を置き、鞴を用意すれば、瞬く間に簡易火炉が出来上がる。

 金鎚や鉄敷といった鍛冶道具を揃え、いつでも作業を開始できる準備を終える。

 フェルナンドはまだ懲りずに声をかけているようだった。


 と思ったが、どうやらナンパはかなりうまく行っているようだった。

 女性、フィオレが笑顔を浮かべている。

 楽しそうな会話の邪魔をして悪い気もするが、これも仕事だと割り切る。


「フェルナンドさん、ちょっと中断してください」

「ん、ああ。すまない」

「お話中すみません。大きさなど、見本はありますか?」

「いえ、全然構わないです。本当に、少しも。今私が使っている奴は木なんですけど、それで良いですか?」

「大丈夫です。大きさと形を知りたいので」


 急に真っ赤な顔つきになると、謝られた。

 どうも我に返ったらしい。

 エイジは用意していた鋼材の中から、すでに板状にしていた小さな物を取り出すと、火炉に放り込んだ。

 赤くなった鉄を叩いて延ばし、鋏で切る。

 同じ作業をする人も多いらしく、同時に幾つか纏めて作ってしまう。


「なあ、エイジ君」

「なんですか」

「黙っててくれよ」

「はい? 本気で意味分からないんで、さっさと柄作ってもらえませんか?」

「いや、分からないならいいんだ。俺も酒を飲むだけだしな」

「ええ。分からないからうっかりアデーレさんに全て話してしまうかもしれません」

「止めろぉおお! あいつ怒るとヤバイんだぞ」

「どれぐらいですか?」

「懲罰用のムチを持つぐらい」

「…………」

「頼むよ」

「あ、いえ。はい……前々から思ってましたけど、アデーレさんの愛情表現って、過激ですよね」


 思わず頷いてしまった。

 フェルナンドはぶつぶつ呟きながら、ナイフを手に、スパスパと材木を切って柄を作り上げる。

 その動きは素早く、的確だ。


 出来上がったヘラを柄の切れ目、割り込みに差し込んで、目釘を打てば出来上がる。

 フェルナンドの採寸は、チラリと一目見ただけなのに、一度入れたが最後簡単に抜けないほどピッタリだった。


 準備を抜けば、二人合わせてものの三十分程の作業。

 エイジは出来上がったヘラを持って、フィオレの元に向かう。


「お待たせしました。こちら、ご注文のヘラです」

「あ、ありがとうございます。こんなにすぐに出来ると思ってませんでした」

「普段はもう少し待ってもらうんですが、今回はフェルナンドさんがいましたからね。特別ですよ」


 これが研ぎなどが必要な刃物なら、もっと時間がかかっただろうし、普段はエイジが作ってから、フェルナンドが柄を作るため、もっと時間がかかる。


 焼きを入れる必要もなかったため、こんなにすぐに出来たのだ。

 だが、フィオレはなにか勘違いしたのか、顔を赤くして、フェルナンドをチラチラと覗き見る。


「あ、ありがとうございます。また夜に!」

「あ、はい。また夜に?」


 逃げるようにして去ってしまった。

 なにかマズかっただろうか。

 致命的なひと押しをしてしまったような気がする。


「エイジ、ナイスサポート!」

「言いはしませんけど、バレても本当に知りませんよ」

「あいつは村から出ないから大丈夫! ああ、これぞ旅の醍醐味よ」


 フェルナンドの嬉しそうな声に、エイジはため息をついた。

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