第59話 初鍛冶と船旅

 工程を最初からやらせることにした。

 順番はカタリーナ、ダンテの順番だ。

 カタリーナは金鎚をしげしげと見つめた後、にへらと笑った。

 目が妖しく濡れている。

 よほど初めて持つ道具が嬉しいのだろうな、とエイジは思った。

 カタリーナは何も載っていない鉄敷を、金槌で軽く叩きながら、感触を確かめる。


「これで叩いて作るんですね」

「そうです。ただ、今はその前にこの火箸を持ちましょう」

「あ、はい」

「この火箸で鉄塊を掴んで、炉に入れます」

「こうですか?」


 カタリーナが慎重に火箸で鋼材を掴むと、炉に差し込む。

 エイジは十能スコップで炉の中の炭をかき混ぜ、鉄に炭をかける。


「ほら、右の紐を引いて。水車が回って風を送るから」

「うわ、うわわ。炭が真っ赤に! それに熱くなってます!」


 ギギギ、と音を立てて木が軋み、水車が回る。

 いちいち仕掛けに慌て、驚くカタリーナの反応がエイジには楽しい。

 カタリーナは、炉が眩しいにもかかわらず、真剣な瞳で炎を見つめている。

 普段のおかしな発言は鳴りを潜め、目の前の光景を直接的に表現する。


「親方、炉の前って一気に暑くなるんですね」

「火をたいてるからね。さあ、火箸を引いてみて。鉄が赤くなってきただろ? そろそろ叩こう」

「はい。お願いします!」


 カタリーナが鉄敷に鉄塊を載せる。

 鉄塊は真っ赤に光り、熱を発している。


 カタリーナはほんの少し、黙って熱された鉄を見つめていた。

 右手に持った金鎚が、静かに振り上げられる。

 そして、大きな音を立てて――

 金鎚が、振り下ろされる。


 エイジが大鎚を持って、相鎚を打つ。

 気の向くまま、思うままに金鎚が振り落とされる。

 鉄塊は延ばされ、固められ、形を自由に変えていく。

 エイジは時折口を挟み、大鎚で延ばしながらも形を整えていく。


 普通、腕の良い親方が小鎚を持ち、弟子が大鎚を持つ。

 だが、この日ばかりは逆に立った。

 自分で全て作るという楽しみを知るためだ。

 それにスプリングハンマーや水力ハンマーを使って鍛冶が出来るように、制作物がある程度単純な作りならば、大鎚だけで作品を作ることは可能だ。


 良い動きだな、とエイジは思った。

 毎日まじめに鶴嘴を振ってきていたのが分かる。

 下半身や肩周りが安定していて、金鎚がぶれない。

 ゴツゴツとした鉄塊は形を変え、長方形となって滑らかな表面を見せる。

 たがねで穴を開け、後で柄を入れられるように形を整える。

 この工程だけは、エイジが行った。

 時間にして三十分程。

 ほんの短い間だったが、金鎚が出来た。


 初めての連続で、カタリーナは興奮しているのが分かった。

 表情はうっとりとして、目はうつろ。

 腕で汗を拭う姿はどことなく艶やかだ。

 ほうっと息を吐けば、火傷しそうなほどの溜息。


「感動です……」

「カタリーナ、鍛冶は面白い?」

「最高でした。暑くなって、何も考えられなくなって。無心で金鎚を振ってたら……気付いたら出来てました」

「良くやった」

「えへへ……ありがとです。親方ぁ」


 褒めるとカタリーナは小さくなって、恥ずかしそうに笑った。

 にへへ、と口元を歪めると、自身の手を眺める。

 エイジが確認すると、その手は度重なる重労働で豆ができていた。

 よく働く人間の手だった。

 カタリーナがエイジの視線に気づいた。


「えへへ、女の子っぽくないですよね」

「職人の手だよ。それで良いんだ」

「そうですか? 可愛らしくないですよ」


 珍しく、カタリーナが落ち込んでいるように見えた。

 鍛冶師になると心を決めても、やはり綺麗でありたいと願う気持ちは捨てきれないのだろう。

 エイジが慰めるように、その手を取った。


「親方の手、私よりももっとゴツゴツですね。指も、掌も、豆だらけです」

「そうだよ。毎日鎚を握ってれば、手袋をしたりと注意しても、嫌でもそうなるんだ。だから、気にしたら負けだよ。むしろ、この手は職人の自慢じゃないかな」

「自慢、ですか」

「ああ。よく働いた証だよ」


 カタリーナが自分の手を見つめた。

 ぐっと握りしめ、力が入る。

 よく働いた証か、とカタリーナが小さな声で呟いた。


「私、気にしません!」

「それで良いと思う」

「おい、親方よお。二人でいい雰囲気なのは結構だけど、いったい何時俺に教えてくれんだよ」

「まったく、弟子の心のケアも親方の仕事なんですよ。ほら、カタリーナさんはダンテと場所を替わって、後ろから作業を見学しましょう」

「分かりました、親方。んべっー」


 カタリーナが舌を出して、ダンテと場所を変わる。

 もっと作品を作りたかったのかな、とエイジは思った。


「へへっ、ようやっと俺様の番か。まったく待ってるだけじゃあいけねえ」

「やり方は見て理解しましたね? ダンテは力があるから、少しだけ大きめの鋼材を使いましょう」

「おう。バカでけえ奴を頼むぜ。俺様の力だ。十キロでも軽いもんだな」

「……それは鉄敷サイズの大きさになりますよ」

「もうちょっと考えて物を言ったらどうかしら?」

「うるせえ、勢いだよ、勢い。俺様の技術を見せてやるぜ」


 ダンテは火箸を掴むと、パパっと火炉に鋼材を入れる。

 思い切りが良いのだろう。

 細かな動作の無駄は非常に多いが、動き自体は早かった。

 エイジが隣について、助言を加える。


「熱い内にしっかり叩きますよ。形をしっかりと整えるように、火箸を操作します」

「鉄は固いっつうからそのつもりでいたら、結構柔らかじゃねえか」

「それは熱し過ぎです」

「なんだって!?」

「熱を入れ過ぎると炭素が抜けて、冷えた時に軟らかくなりますよ」

「そういうことはもっと早く言えよ」

「集中してるから話しかけるなといったのは君でしょうが」

「ふにゃふにゃだねー! 元気ないね?」

「そこ、黙ってなさい」


 ダンテが騒がしいのが原因だろうか。

 先程のピンと張った空気が鳴りを潜め、楽しげな雰囲気が伝わってくる。

 ダンテはよく動いた。

 力自慢は嘘ではなく、小鎚を勢い良く振り、鉄に素早く力を加えていく。

 形の修正は必要だったが、カタリーナよりも早く作品ができた。

 早さもまた技量の一つだ。

 将来腕が上がれば、カタリーナは繊細な仕事を、ダンテは確実で素早い仕事をこなす職人になるかもしれない。


「さて、ピエトロはこれまでにも何度か作ってきたけど、もうひとつ頑張るかい?」

「お願いします!」


 新弟子たちが全員終わり、ピエトロが最後の番だった。

 これまでやじりなどを作ってきただけあって、金鎚さばきは誰よりも正確だ。

 火炉で過熱するタイミングや、抜き出すタイミングなど、細々とした所で確実に力をつけているのが分かった。

 わずか半年と少しの経験の差が、如実に出ている。


 カタリーナやダンテたちは、まずはピエトロの背中に追いつけるように仕事を覚えていく。

 ピエトロは弟子たちに自分の技術を教えることで、自分の持っている技を再確認できる。

 分からない所や、至らない所はエイジが教えるという体制が出来つつあった。


「それじゃあ、出来上がった物を実際に使ってみようか」

「うわ、なんかバランスわりーな。本当に俺様の作品か?」

「ちょっと軽すぎたかなあ」

「俺は丁度いいっす」


 それぞれが金槌を持って軽く振るって感触を確かめる。

 最初から満足が行くものが出来るわけもなく、それぞれ首を傾げているが、その表情には嬉しそうな笑顔が浮かんでいる。

 出来は別として、自分のために作った初めての道具、という体験そのものが、嬉しいのだろう。

 そしてピエトロの金鎚は、実際に使用に堪えるだけの品質だった。


「やったな。経験が生きてきてる」

「うへへ。親方の指導のおかげっす」


 ピエトロが本当に嬉しそうに笑う。

 髪の毛をくしゃくしゃと撫でてやりながら、エイジは再び火炉に立つ。


「さて、それじゃあ少し手直ししますか。柄を外して、金鎚の頭を貸して」


 エイジが金鎚と火箸を持った。

 弟子たちはすぐに場所を移動し、それぞれの角度から真剣に手元を覗き見る。

 少しでも技を盗めるように。


 エイジはもう、無駄な口を叩かなかった。

 ダンテの金鎚も、カタリーナの金鎚も、それぞれの持ち手の特徴を考えながら、形を整えていく。

 赤く熱せられた鉄は金鎚が音を立てる度にあるべき姿へと収まっていく。

 その動きには一切の無駄がない。

 余計な動作がないから、何よりも早く、それでいて動きの質は精密だった。


「凄い……綺麗になってく……」


 カタリーナが感動したように呟いた。

 使いやすい形には、機能美がある。

 それは使わなくても、見ただけで感覚的に分かるものだ。

 同時に、見ただけで分かるが、それを作り出す、ということは難しい。

 美しい絵だと分かっても、美しい絵が描けないように。

 物の美しさが分かっても、それを産み出すには、数多くの経験が必要だ。

 ピエトロもダンテも、カタリーナも、火炉の熱を受けて、額にびっしりと汗をかいたまま作業を続けるエイジを、尊敬した目で見た。


「ふぅっ。流石に疲れたな。それじゃあ、もう一度使ってみようか」

「すっげえ。何だこりゃ。本当にさっきのと同じ金鎚かよ」

「ああ……綺麗……」

「やっぱり親方はスゴイっす……」


 それぞれの反応を見たエイジは、今ならば言葉が素直に届くだろうと確認する。


「ほんのちょっとの、細部のこだわりが、使いやすさに大きな影響を与えるんだ。だから、少しの気配りを決して忘れてはいけないよ」


 はい、と威勢の良い返事を聞きながら、エイジは頷いた。

 言うべきことは全て終わり、今日の作業はこれで終わった。


「どうよ、俺様の金鎚。すげえだろう」

「ふふん。私の金鎚の方が使いやすいわ」

「一点物だから、所有者が一番使いやすいのは当たり前っすよ」

「俺様の金鎚……ククク」

「ああ……身体が熱くなっちゃいますぅ!」


 金鎚を見てダンテは不敵な笑みを浮かべ、悦に入る。

 悪役のような笑い声を上げている姿が、かえって子供のように見えてエイジには微笑ましい。


 カタリーナは自分の体を掻き抱くと、クネクネと身をよじった。

 手が豊満な胸を押し上げて、プルプルと震えるのを見て、エイジはそっと目をそらした。

 けっして誘惑などには負けない。

 心は少しも揺れない。

 ここはエイジにとって神聖な職場だからだ。

 外だと危なかったな、とエイジは思った。


 普段は影の薄い残る三人の新弟子も、今は興奮冷めやらぬ姿だ。

 それを見て、エイジはうんうんと深く頷く。

 今後少しずつ自分専用の道具を増やし、仕事を増やしていこう。

 そうすれば鍛冶場の作業効率はグッと上がる。

 それぞれに専門性を持たせて技量を教え込めば、住み分けも十分できるだろう。

 もとより鍛冶師はそれぞれの分野で独立していることが多い。

 のこぎり鍛冶やかんな鍛冶と、道具の数だけ鍛冶師が分かれていても不思議ではないぐらいだ。

 先が楽しみだな、とエイジは思った。






 風が吹いていた。

 川下から川上へと上っていく、強い風だ。

 豊かな水量を誇る川は、小さな水音を立てながら変わらぬ様子で流れ続ける。

 中央部分まで行けば、水深はかなり深い。


 エイジは川岸から、川の澄んだ水を見ていた。

 その後ろにはタニアが物言わず立っている。

 キラキラと水面が陽光を反射している。

 川奥には深い森が広がり、足を踏み入れることは出来そうにない。

 間に細い一本道があって、その先を数日歩くと、ナツィオーニの町にたどり着く。


 エイジの後ろにフェルナンドが立った。


「エイジ君。本当に“コレ”で行くのかい?」

「ええ。最低限の仕事を教えた今が、一番時期として良いでしょう。物はフェルナンドさんが造ったんです。心配していませんよ」

「まあ、そりゃ大丈夫だがよ。初めてだから、やっぱりな……」

「フェルナンドさんがそんなに心配しているの、私初めて見ました。明日は雨が降るんじゃないですか?」

「タニアちゃん、それは酷すぎるよ」


 いつも仕事に関しては自信満々のフェルナンドが、珍しく口を濁した。

 フェルナンドの視線の先には、一艘いっそうの船がある。

 交易用に新たに作られた帆とオール両方を使う船だ。

 エイジが提案し、フェルナンドが弟子のトーマスとともに造ったものだ。

 だが、初めての物である上に、転覆や沈没の恐れもあるとあって、フェルナンドはかなり心配しているようだった。

 だが、大丈夫だろう、とエイジは気楽にしていた。

 それだけフェルナンドの技術を信用していた。

 こっそりと小型船を何艘も製作していたのも知っている。


 その船は今、川岸で荷を積み込まれている。

 マイクやダンテが中心になって積み荷の役を買ってくれていた。

 冬の間に加工した大量の毛皮製品や羊毛といった特産物を中心に、エイジが作った農具、鉄敷かなしき箱鞴はこふいごといった鍛冶道具が載っている。

 先日作ったばかりの鉄敷だった。中が木製だから、持ち運びに便利だった。


 エイジは以前から、荷車で交易を行うのに疑問があった。

 一度に運べる積載量に、大きな差があったからだ。

 シエナ村やタル村を始め、その下流にも村が続いている。

 川の水が農業に欠かせないためだが、それならば船を使ったほうが効率が良い。

 エイジの主張は最初、船を使っていなかったシエナ村の面々が納得しなかったが、根気よく説得することで、最終的には折れた。

 その後ろには、タニアの力添えがあった。


「おーい、準備できたぞ」

「すぐ行きます! それじゃタニアさん、留守の間、よろしくお願いします」

「任せてください。また、美味しいご飯を作れるように、頑張ってます。エイジさんはケガや病気に気をつけてくださいね」

「タニアさんも無理しちゃダメですよ。お腹の子に何かあったら、私悔やみきれませんよ」

「気を付けます」

「行きましょう、フェルナンドさん」


 エイジは船に乗り込む。

 マイクとダンテが船を押し出していく。

 船がギギィ、と音を立てながらゆっくりと揺れ、そして少しずつ、川下へと進んでいく。


「行ってきます!」

「気を付けて!」


 エイジは手を振って、しばらく見送ってくれているタニアたちを見続けた。

 徐々に姿が小さくなっていく。

 やがて船は川に沿って進路を曲げ、姿が見えなくなった。


 エイジは前を向いた。

 風が吹いていた。

 川の上で感じる風は遮るものがない。

 風は強く、冷たかった。

 左右には川岸の砂利と、その奥に広がる深い森がどこまでも続いている。

 鳥の囀りと、時折オールを漕いだときの水音だけが聞こえてくる。


 一行は言葉もなく、船はぐんぐんと進んでいった。

 目指すはタル村にとどまらない。

 川沿い全ての村々を訪れるつもりだった。

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