第58話 鉄敷と蹄鉄

 鍛冶場にはエイジを始め、ピエトロを含めた六名の弟子が集まっていた。

 普段は広々とした作業場も、今は立つ位置に気を付けないと肩がぶつかり合うほどの混雑だ。


「へー、これが鍛冶場なんだぁ。ずっと見たいと思ってたけど、ようやくだなあ」

「うーん、俺様にはちょっと天井低いな。圧迫感があるぜ」

「ダンテくんが無駄に大きいんじゃないかな」

「無駄じゃねえよ」


 エイジが、ナツィオーニからやってきた五人組に鍛冶場を見せるのは初めてのことだった。

 今日まで鍛冶師として働いてきたが、一度として鍛冶場には連れて行っていない。


 ただひたすら採掘場に向かう毎日だった。

 それだけに目に映る物すべてが目新しく、興味を引くのだろう。

 キョロキョロと視線が落ち着きなく移動する。


「ねえ、ピエトロ先輩、これは?」

「これは回転砥石っていって、刃先を研ぐんだよ」

「カックイー!」

「なあ、ピエトロさんよ、こいつは何だ? なんか、壁から柱が突き破って出てきてるが」

「それは水車の軸だよ。そしてこれが歯車。これで力を伝えて、この石を回すんだ」

「へえ、力強そうじゃねえか。俺様とどっちがつええかな」

「比べ物にならないよ」

「へっ、俺様の勝利ってことか」


 エイジは火炉の前に立ちながら、弟子たちの動きを楽しげに見つめていた。

 かつての自分をそこに重ねる。

 父親の背中を、鍛冶場ではなく、家と隔てる扉からずっと眺めていた。


 炎に向かう父親の背中は大きく、格好良かった。

 惹きこまれた。


 それだけに、初めて鍛冶場に立った日は、興奮が足元から寄せてきて、全身が震えるほどに昂った。

 もう、ずいぶんと昔の話だ。


 エイジは父から受けた最初の注意を思い出す。

 鍛冶師にとって、いや、職人にとって、一番最初に教えることは何だっただろうか?

 それは決して、最初から鎚の握り方を教える類のものではなかった。


 エイジは見渡した。

 ダンテもカタリーナも、他の三人も、皆目をキラキラと輝かせている。

 ドキドキと、ワクワクとしているのが、よく分かった。


「さて、皆に説明する前に一つだけ注意をしておきます。決して気安く置いている物や設備に触れないこと」


 エイジが言った途端、五人がピクリと肩を震わせた。

 好奇心のままに、先ほどから触ろうとしていたからだろう。

 エイジは続ける。


「職人の道具は持ち手の魂です。軽々しく扱う人間は、どんな目に遭っても文句は言えない。君たちはまだ自分の道具がないから、私の物から貸すわけですが、細心の注意を払うこと。使ったらすぐに元の場所に戻すこと。この二つは徹底してくださいね」

「おう。了解したぜ」

「わっかりましたー」


 ダンテは鷹揚に、カタリーナは元気よく頷く。


「それじゃあ、実際に使う道具を紹介していこう」


 エイジが一つ一つ、手に持って示す。

 叩く土台となる鉄敷かなしき

 叩く道具である金鎚。

 鉄を掴む火箸。


 作った鉄を切り離すため、切れ目を入れるたがね

 鉄の表面に出来る酸化皮膜を取り除く金ブラシ、はさみやすり

 それら全てが、この地に来てから作ったエイジの手作りの道具だった。


 仕事の合間に少しずつ作り貯め、改良していったものだ。

 この一年で使い込んできた。

 どれも手にしっくりと馴染む。


 エイジが手に取って紹介する度、弟子たちは頷きながら、視線を降り注ぐ。

 目が語っている。

 自分にも欲しいと。

 それはもう少し先の話だ。

 まずは、そのためにも作業台――鉄敷を増やす必要があった。


 鉄敷とは鉄を打つ台のことだ。金敷や金床かなとことも呼ぶ。

 平らな鉄敷の上に鉄を置き、金槌で叩く。

 手で打つ鉄敷は比較的薄くて済むが、水力ハンマーのような強い力がかかる場合、分厚く鉄を張る必要があって、かなりの重量になる。


 その大きさから鋳鉄が使われることが多い。

 叩いた時の音は独特で、甲高く、澄んだ音を立てる。

 『鍛冶屋のポルカ』というクラシックの曲では、楽器として実際に登場する。


 炉は作るものが小さければ、二つでも三つでも同時に入れることが出来る。

 だが、鉄敷が一つでは、鍛えの作業が一組しかできない。


 エイジは一つの大きな木材を持った。

 再び視線が集まり、そして疑問を表情に浮かべる。

 ただの木が一体何の役に立つのか、という疑問だろう。


「これから鉄敷を作ります。この木はオークで出来ていますが、これを台座にして、上に鉄板を張っていきます」

「あ、全部鉄じゃないんですね」

「それでも良いんですがね。作るのが大変なんですよ」


 カタリーナの感想に、エイジは苦笑しながら答えた。

 鉄敷は重ければ重たいほど安定する。

 だから全てが鉄でも問題はない。


 しかし、大きくなれば水力ハンマーで叩くことも出来ないような大きさになり、作るのが困難になる。

 昔は独り立ちする職人に対し、一門全員で鉄敷を作って贈るのが習わしだった。

 川べりで皆が大鎚を持って、ひたすら力強く叩いて作っていくのだ。

 そして、それだけの労力を必要とするほど、重労働だったのだ。


「そういうわけで、今日は鉄敷を作ります。皆さんは今日は見学です。ピエトロは準備を始めますよ」

「はい」

「えー、俺様にもさせてくれないのかよ」

「ダメですね。それはもっと道具が増えて、失敗しても問題がないものから。今日は失敗できないからね」


 エイジは火炉に火を入れる。

 風をドンドンと送ると、炭はすぐに真っ赤に燃える。

 人が多いこともあって、鍛冶場の中は酷い熱気になる。


 エイジは鎧戸を開けた。

 風が吹いて、わずかに熱気が逃げていく。

 ダンテが額の汗を拭いながら言った。


「アチいな」

「夏場なんてもっと暑くなりますからね。今のうちに覚悟しておいた方が良いですよ」

「うへっ」

「私は暑いのぜんぜん大丈夫です。寒いの苦手ですけど」

「鍛冶場は冬でも十分暖かいですからね。向いているかもしれません」

「やったね」


 炭をガンガンと燃やし、鉄の塊を放り込む。

 十分に熱が移れば、作業開始だ。


「ピエトロ」

「はい!」


 鉄敷の上で、鉄敷を作る。

 エイジが小鎚を振るい、ピエトロが大鎚で延ばしていく。

 鉄を打つ音は驚くほど大きい。

 普通に話していては声が通らない。


 ダンテもカタリーナも、驚いた表情のまま、口をつぐんだ。

 粘土のように、あるいは熱い飴のように、鉄が姿を変えていく。

 熱を入れた鉄は、もはや自由自在だ。


 分厚い塊が板状になって、それが面を広げていく。

 温度が冷えて硬くなれば、再び火炉に放り込み炭を被せる。

 風を送り、熱を高める。

 また、鉄が赤くなる。


 金属音は鳴り止むことはなく、一定のリズムを刻む。

 もはや、見学する弟子から言葉が発せられることはなかった。

 ひたすら一定の作業を繰り返し、形を変えて物を作り出す職人の姿に見入っていた。


「よし、被せるぞ」

「こうですか?」

「そうだ。ここからは大鎚は良い。小鎚を持って」

「はい」


 十分に形を変えて、覆い被せる程に広がった鉄板をオーク材に載せる。

 煌々と光り輝く鉄の熱が、オーク材をわずかに焦がす。


「よし、斜めに叩いて曲げろ!」

「はい!」


 エイジが金鎚の音に負けないほどの大きな声を発し、それを怒鳴るようにピエトロが答えた。

 金鎚で叩かれる度に、鉄板は曲がり、木型に沿っていく。


 鉄が、変わる。

 ただの物体から、道具へと姿を変える。

 材料から、道具へと命を吹き込まれる。


 見ているか、とエイジは声に出さず、弟子たちに語りかけた。

 鉄敷を作る機会なんて、滅多にない。

 貴重な経験になるはずだった。


 最初に見せたのが、この作業だったのは、必要だったからだけではない。

 一番最初が、一番印象に残りやすいと思ったからだ。

 五年後、十年後、今日の日を覚えておけば、独り立ちの際にきっと役に立つだろう。

 エイジは口に出さず、集中して見ている弟子たちの姿を見る。


 やがて、作業が終わる。


「出来たぞ。ピエトロ、お疲れ」

「お疲れ様でした」


 出来上がったのはおよそ一二キロほどの重さの鉄敷だった。

 比較的軽く、アイロンの底のような形をしている。

 台座のオーク材の上をグルリと囲むようにして、黒々とした鉄が覆っている。

 そして足の部分だけが木肌を見せていた。


 ずっしりとした疲労感がエイジの体に漂っていた。特に右腕、肩の部分が酷い。

 今回は水力ハンマーを極力使わずに鍛えた。

 少しでも鍛冶師の仕事を見せようと思ったからだ。


 だが、そのためかなり腕を使うことになった。

 大鎚を持っていたピエトロの疲労もかなりのものだろう。

 良くやった、と労った。


 鉄敷をそれぞれ弟子たちに渡していく。

 カタリーナには重いか、エイジは軽く心配したが、杞憂に終わった。

 手など細そうに見えて、一日中鶴嘴を振れる体力と、気力のある女性だ。


「お、重たいですー」


 などと言いながら、様々な角度から鉄敷を確認する。


「そう言いながら、カタリーナは結構軽々持つよな」

「私は結構ギリギリですよ? なんだか昔っから勘違いされやすいんです。どれだけ困ってても、笑ってるって言われるし。ダンテくんなんてひょいっと持ってたじゃないですか」

「俺はまあ、力じゃ負けねえよ」

「うーん。まあどうでも良いんですけどね」

「おい!」

「いやぁ、それにしてもこの黒々と、テカテカとした黒光り。なんだかドキドキします」


 怒りをにじませるダンテの迫力にも、カタリーナに届いた様子はない。

 うっとり鉄敷を見つめると、頬ずりしそうなほどの熱い視線を送っている。

 少し。いや、かなり変わっているが、鉄に関する情熱は本物らしい。


 エイジはカタリーナの言動に若干引きながらも、情熱に対しては認めていた。

 女性の身で数ヶ月の力仕事は、生半なまなかな覚悟で出来るものではない。

 ダンテもまじめに見学していた。


 以前のようなふてくされた発言は鳴りを潜め、子供っぽいながらも真剣に日々を送っている。

 そろそろ、鍛冶の仕事を教えていってもいい頃合いだ。


「それじゃあ皆。明日は一人ずつ順番に、自分用の道具を作ってみようか」

「良いんですか!?」

「おっしゃあ」


 エイジの発言に、鍛冶場に興奮が包まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る