第57話 仲裁

 ダンテが喧嘩をした。

 相手は骨折するほどの大怪我らしい。

 鍛冶場に駆け込んできたピエトロの慌てた顔を見て、エイジは表情を曇らせた。


 ピエトロは少しでも早く情報を届けようと走っていたのだろう。

 息が切れて、肩が忙しなく上下していた。


 エイジの胸中に、まさかという思いと、やはりかという思いが、両方同じぐらい湧き上がっていた。

 歓迎の宴の時から手が早いのは覚悟していた。


 だが、いくらなんでも来てから早すぎる。

 これも、弟子を制御できなかった自分の未熟ゆえなのか。

 まだ交流もほとんどしていない現状で、そこまで責任は持てない。


 とんだ災難だな。

 思いながら、エイジは作業を中断した。

 たとえどのような状況であれ、一度弟子入りを許可した以上、ダンテは自分の弟子だ。

 放っておくにはエイジは責任感が強すぎた。


 手早く炭をかき混ぜて火を消し、鉄蓋で空気が入らないように密封する。

 炭の火というのは意外といつまでもくすぶり続けるのだ。

 まあ、大丈夫だとは思うけれど。


 この鍛冶場はフェルナンドが火炉の近くだけ石造りで作ってくれている。

 だから火事になる確率は低いが、それでも火の用心は怠れない。

 ふわっと舞った火の粉は意外と遠くまで飛び、それが失火の原因になる。

 なにせ鍛冶場だ。炭は山ほどあり、燃料に事欠かない環境だ。


 実際、失火が原因で焼け落ちた鍛冶場というのは数えきれないほどある。

 そのため防火対策も考えられている。

 石造りの場所を増やしたり、屋根を藁や板葺きではなく瓦葺きにと、工夫の余地はいくらでもあった。


「それで、原因はなんだい? まさかダンテも暑いから殴った、なんて訳じゃないんだろう?」

「それがよく分からないんです」

「分からないって、何故?」

「ダンテは言いたくないって口を噤んでしまって。殴られた方は気を失ってるから、まだ事情が全然わかってないんです」

「一体誰が殴られたんだ?」

「アウグストっす」

「アウグストは確か……農夫だったな?」

「うす。村でも最北の家に住んでる偏屈野郎っす。酒を飲んでるか、賭博を打ってるか、文句と愚痴ばっかり垂れ流してる鼻つまみ者っす」

「ああ、そうだったね。前に来たことがあるよ」


 言われてエイジはすぐに思いだした。

 以前、欠けさせた鎌を修繕に持ってきた男がいた。

 記憶に拠れば、その時もアウグストは酒臭い息を吐いていた気がする。


 だが、鎌に関する注文はかなり的確だった筈だ。

 持ち手に対する角度をもう少し鋭角につけて欲しい、柄は短くて構わないなど、いちいち細かく、自分のクセをよく把握していると感心した覚えがある。

 あまり人と交わらないようだが、農作業の動作も的確だった。

 エイジが出した指示も誰よりも意図を察して動いていたはずだ。


 ただの飲んだくれではない筈だが、どうも厭世的とでも言うか、自棄になっているという表現が近いのかもしれない。

 忙しさもあって、あまり言葉をかわすことはなかったが、もう少し交流しておけば良かったと思った。

 そのアウグストが殴られて、骨折した上に気絶している。

 なにか、酔っ払って不用意な発言でもしたのかもしれないな。


「どちらにせよ、急ぐか」

「うす」


 火元を確認し、鍛冶場の鎧戸にかんぬきと施錠をした後、現場に走った。






 ボーナの家の近くの畦道に、一人の男が倒れ、その周りに人が寄り集まっていた。

 その中にはベルナルドやジョルジョの姿もあった。


「おう、エイジ。こっちだぁ」


 現場に着くと、大きく深呼吸する。

 この村に住むようになってずいぶんと体力がついた筈だが、それでもエイジはかなり体力のない部類に入った。

 ピエトロなど軽く息を弾ませる程度で、少しも疲れた様子がない。

 これでも田舎住まいで都会ぐらしに比べたら体力はある方だったんだけど。

 息を落ち着けると、ベルナルドとジョルジョに挨拶する。


「こんにちは。今回はうちのダンテがご迷惑をおかけしたようで。それで、アウグストさんの容態とダンテは?」

「んだ、アウグストは鼻の骨が曲がってな。今戻してやった所だが、気が弱いのかさんざん喚いてた。そんで、さっきまた気を失った所だ」


 ベルナルドが笑って綿棒をこれ見よがしに振る。血に染まって黒くなっていた。

 鼻の穴に棒を突っ込んで、内側から持ち上げたのだ。


 やられた作業を想像して、エイジは顔をひきつらせた。

 麻酔もなしに骨折の整復などされたら、誰だって苦痛で呻くだろう、とエイジは思った。

 痛みで気を失っても少しも不思議ではない。

 だが、医術が発展していないこの村では、骨折の整復程度では大げさなようだった。


 麻を栽培しているから、麻酔の原料となる麻の実自体は存在する。

 麻の実をすり潰した白濁した水を飲むのだが、それを飲むのは豊穣祭の巫女か、激痛の時に限られている。

 巫女が飲むのは、神との交流をはかる為だという。

 めったに飲まないのは、学術的には解明されていなくても、あまり体に良くないと体感的に知っているのだろう。


 アウグストの顔から、鼻血などは綺麗に拭い取られていた。

 骨折の治療後、それなりに時間が経っているらしい。

 しばらくするとアウグストは気を取り戻した。 

 起き上がるとぼんやりと周りを見渡し、そして自分の状態を把握した。


「いづっ……!」

「おい、鼻は触るなよ。またさっきみたいなことを繰り返さなくちゃならん」


 アウグストが顔に手をやろうとして、ビクッと震えた後、手をおろした。

 よほど痛かったのだろうな。


「そんでだ、アウグスト。一体どういう訳になってオメら、喧嘩んなった」

「それはだな……ゴホッ。水を飲ませてくれ」


 血が喉の方まで行っているのだろう。

 乾いた咳をしたアウグストは、革袋から水を貰うと、最初は口をゆすぎ、そして喉を鳴らして水を飲んだ。

 アウグストはエイジに気付いた。

 一瞬怒気を滲ませたが、直後落ち込んだように顔を伏せた。


「アウグストさん、今回ダンテが失礼をしました。経緯を聞かせてもらえませんか?」

「いつもの悪い癖で、俺は酔っ払っていた。頭が痛くて、気分が悪かった」

「はい」

「その時、ダンテが鼻歌を唄いながらやってきた。頭痛に悩まされる俺と違って、いい気なもんだと思った。そして、税のことを思い出した。必死に育てた麦のほとんどは、ナツィオーニに持っていかれた。家畜がした糞も持っていかれた。俺の家は壁は穴が開き、天井は雨漏りが酷い。ナツィオーニは毎日肉を喰らい、綺麗な嫁に妾を持ち、俺たちから上前だけを搾り取る。それで言ってしまった。お前の親父は強欲野郎だ。俺たちが苦しんでも、てめえの腹さえ満たせれば構わない最低な野郎だってな」

「それは、殴られてもしかたがないのでは?」

「おめ、それはダメだろ」

「ああ。分かっているよ。ダンテは最初は冷静だった。だが、俺は自分で言っている内に余計火がついてしまった。もっと酷いことを言ってしまったはずだ。だから、彼は悪くないんだ」

「なんでそんなことを言ったんだ」

「酔っていたんだ。醒めていたならとても言えなかった」


 言い訳のように聞こえた。

 ダンテは、よほど腹を据えかねたのだろう。

 直接的なことだったら、殴った理由を自分で言っているはずだった。

 エイジの知る限り、ダンテは自分の悪口なら、少なくとも口をつぐむ性格ではない。

 エイジは腹立たしかった。

 ダンテは少なくとも、熱心に仕事をしていた。

 このまま何もなければ、少しずつ村人と馴染んでいくはずだった。

 今回の事件は、必ず後に尾を引くだろう。そう思うと心が痛かった。


「だとしても、それはダンテの父の問題であって、ダンテが悪い訳ではないですよね」

「そうだな。俺が悪い」

「ケガをさせたダンテには、後にしっかり謝らせに行かせます。事件の顛末を聞かれたら、あなたは自分の非をしっかりと認めて、手を出したダンテだけを悪者にしないでください」

「分かった。そうするよ」

「それと……」

「何だ?」

「今後私が作った蒸留酒を、あなたにお渡しすることは出来ません」

「な、何だって!?」

「人に喧嘩を吹っかける人に渡せるほど、余裕がある訳じゃないんです。楽しく飲める人が先なのは、当然でしょう?」

「ぐ……そうだな。俺も、反省してしばらく酒を断つよ」


 エイジの言葉に、アウグストは衝撃を受けたようだったが、項垂れると断酒を口にした。

 アルコールを断つことはかなり難しいだろうが、アウグストも骨折をするような目にあえば、少しは反省するだろう。

 それに、アウグストはアルコールを除けば、かなりやり手なのだ。

 エイジは華麗なる復活を望んだ。






「親方、スマン」

「すみませんでした、だ」

「すみませんでした」

「頭出せ」

「うん?」


 珍しく殊勝な態度だった。

 バツが悪そうに目を伏せたダンテは、言われるがままに巨体を折り曲げて、頭を出した。

 握り拳をつくって、上からゲンコツを落とす。

 ゴッ、と鈍い音がした。

 この男、頭が硬い……!

 殴った方の手が痛くなるような石頭だった。

 一体どれだけの骨が詰まっているんだ。

 殴られたはずのダンテは、頭を軽く撫でるぐらいで、大して痛がってもいなかった。


「……痛えな」

「殴られて鼻の骨を折ったアウグストさんはもっと痛かっただろう」

「そうだな」

「ダンテ、職人の手は誰かを傷つけるためにあるんじゃない。誰かを幸せにするためにあるんだ」

「前も言ってたな」

「それが職人の生き様だからだ。出来ないなら、私から教えることはない。早めに別の仕事を探した方が、ダンテのためだ」

「俺は……」

「今晩じっくり考えて、明日答えを聞かせて欲しい。どんな答えを出そうと、構わないよ」


 言いたいことを言って、肩に手を置く。

 ダンテは言葉に詰まったまま、自分の考えに迷っているようだった。


 たとえどんな理由でこの村にやってきたにせよ、向いていないことを強制されるほど辛いことはない。

 それならばいっそその人間に向いていることに集中させた方が、はるかに良い結果を生むだろう。

 ダンテは悪い人間ではないはずだ。

 ただ、少し生き方が不器用で、誤解を招きやすいだけだ。


 エイジはそう信じていた。






 次の日の朝、エイジが裏の畑に出ようとしたら、ダンテが待っていた。

 日が昇る前から起きていたのか。


 ダンテは真剣に考えたのだろう。

 迷いのない目をしていた。


「なあ」

「うん、なんだい」

「俺は鍛冶をやる」

「そうか。じゃあやれば良い」

「それだけかよ!」

「うん?」


 いろいろ考えて、自分の中で覚悟を決めて鍛冶師になると決めたのなら、一体何を拒むことがあるだろうか。


「昨日言っただろう。どんな答えを出そうと構わないって」

「あ、ああ」

「ちゃんと考えたんだろう?」

「おう。考えた」

「じゃあやれば良い。応援するよ」

「そ、そうか……。よ、よろしくお願いします」


 いつもは偉そうなダンテが、その時ばかりは恥ずかしそうに、少年の表情で、はにかんで。

 そして、頭を下げた。


 頭を下げられるということは、自分がお山の大将ではないと認めたということだ。

 自分が弟子として教わる立場だと、認識したということだ。


 周りに流されてじゃなく、自分の気持ちで考えたのだ。

 ダンテはようやく、一歩を踏み出した。


 エイジは厳しい表情で、ダンテを見据えた。

 ダンテがエイジの顔を見て、キリッと表情を引き締める。


「それじゃあ、シエナ村の鍛冶見習い、ダンテ!」

「おう!」

「まずは最初の命令だ」

「なんでも来い!」


 胸を叩いてやる気を見せるダンテに、エイジは言う。


「まずはアウグストさんに誠心誠意謝ってこい」

「お、おう」

「自分のしたことに責任を持つんだ。その後は村の懲罰として労役が待ってるぞ。良かったな、自慢の力が存分に発揮できるぞ」

「や、やってやるよ! チクショウ!」


 悪さをすれば罰を受ける。

 文句を言いながらも、ダンテの表情に晴れ晴れとしたものが浮かんでいた。

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