第56話 別居

 ああ、息苦しい空気だ。

 まったく、どうしてこんな事になったんだろうか。

 エイジは今回の騒動の大元を思い返す。

 それもこれも、カタリーナさんが紛らわしい発言をするからだ。

 今後、誤解を生むような紛らわしい発言には気を付けてもらうようにしよう。

 次に会った時に必ず注意をする、と心に刻む。


 心中でそのようなことをつらつらと考えながら、エイジは俯いた状態のまま、チラリと上目になった。

 ただの現実逃避だった。

 タニアは先程の能面のような表情から一転して、ニコニコとしている。

 一見して柔らかな表情に見えるが、目だけが笑っていない。


 ――恐い。


 まともに目を合わせられる自信がなかった。

 普段は優しい妻が今、無言で殺気を放っていた。

 一挙手一投足まで観察されているようで、身動きもできない。

 押し黙ったまま、時間だけが流れすぎる。

 釈明しようにも、言葉が上手くまとまらなかった。

 

 まだ朝晩など肌寒い日が続くのに、顔から汗が吹き出し、ベッタリと髪が張り付いた。

 喉が絡まったようにへばりつき、声にならない。

 胃のあたりがギュッと締め付けられるような不快感がある。


「いつまで黙っているつもりですか?」

「そう、だな……説明しようか」

「納得させてくださいね」


 さらりと言われ、まいってしまう。

 ピエトロが会っていないと言ってしまった以上、説得するのはかなり難しい。

 だが、やらねばなるまい。

 夫婦として毎日接する以上、必ずいつか誤解で喧嘩する日が来るだろう。

 それが今日だったということだけの話だ。

 エイジは覚悟を決めた。

 もとより無実である。

 状況が悪かろうと、堂々としていなければ、余計不審がられてしまう。


「まず、言っておきたいことがあります」

「なんですか?」

「信じがたいかもしれません。でも、私は浮気なんてしていません。これから説明するので、どうか冷静に判断してください」

「……分かりました」

「時系列に話していきます」

「はい……」

「昨日の仕事に関してはタニアさんもご存知でしょう。採掘場へとピエトロたちを伴って出かけ、その後は織り機や水車の改善点を見るために、村を歩き回りました。タニアさんも見ていたし、水車小屋や農場でも、それぞれ複数の人間が見てくれているから、聞けばすぐに事実だと分かります」

「そうですね。でも、問題はその後ですよ?」

「再び採掘場へと行った後は、弟子たちとともに帰ってきて、私はタニアさんと一緒に夕食を食べました。その後、一人で出かけました。行き先は鍛冶場で、会っていたのはピエトロだった」

「でも、ピエトロ自身が否定しましたよ」

「それは、技を教えることを秘密にしていたからです」

「技術そのものを知る必要のない妻にさえ、秘密にする必要が何処にあるんですか?」

「他の弟子たちとの間に軋轢を産みたくなかったからです。彼らは思うでしょう。ピエトロだけに技を教えるのかと。また、万が一覗き見られることを危惧したからです」

「私が喋ると思っているんですか。そんなに信用ができないわけですね」

「そうとは思っていません。そうだとしたら、たとえ釈明のためにも話していません。ただ、少しでも確率を下げたかっただけです。どうしても疑うようなら、ダンテたちに聞いてみたら良いです。昨晩カタリーナがこっそり外出していないのが分かれば、少しは信用してくれるんじゃないですか」

「…………」


 きつい口調になってしまっただろうか。

 返事はなかった。

 納得してもらうには、まだ、しばらく時間がかかるだろう。

 エイジは待った。言うべきことは言った。

 あとはこれまでの自分の行いが、どれだけ信用に値するかだ。

 

「親方ー、ダンテとカタリーナが揃いました、よ……。お、おおっ?」

「ピエトロ……そんな時間か」

「う、うす」

「分かった、すぐ行く。タニアさん、行ってきます」

「…………」


 ピエトロが異様な空気に気付いたのか、慌てた様子だった。

 席を立つも、タニアは反応を示さない。

 まだ疑惑は晴れていないらしい。

 溜息をついて機嫌を損ねたくなかった。

 胸の奥に重いものが溜まるのを感じながら、エイジは家を出た。


「お、親方どうかしたんですか?」

「道中話す。今は気にするな」

「はあ」


 ピエトロを叱るわけにもいかない。

 エイジは気持ちを切り替えて、集合場所へと向かった。


「じゃあ、俺のせいでタニアさんが誤解してしまったんスか」

「ピエトロのせいじゃないよ」

「俺、あれが試験だと思って……」

「分かってるよ。本当にピエトロが悪い訳じゃない。これは家の問題だからな」


 事情を説明すると、ピエトロは肩を落とした。

 ピエトロに非はない。

 だが、誤解を招いてしまったのは事実だ。


 何とか事情を説明して、名誉挽回しなければいけないだろう。

 考えこむエイジを前に、ピエトロは顔をガバっと上げた。

 先ほどまでと違い、何かを決意した凛々しい表情だった。






 音を立てながら、水車が回っている。

 そして砥石が回っていた。

 エイジは一人、この数日で作っていた切出や斧の先などの研ぎをしていた。

 ピエトロやダンテたちは、今日も採掘作業だった。

 同じ作業をまとめてやった方が、効率が良い。


 最近水車に少しの工夫を加えた。

 水車で巻き上がった水の一部を、竹筒で運ばせ、砥石にかかるようにしたのだ。

 これで作業の途中でいちいち水をかける必要も無くなった。


 一部の砥石をのぞいて、砥石は常に水に潤わせる必要がある。

 摩擦によって渇いた砥石は摩擦熱を出して、刃を傷める可能性がある。

 また、溶けた粒子が砥石の隙間に詰まり、研ぎが入らなくなってしまうのだ。


 エイジは切出の刃の斜めになった表面を当てる。

 最初は荒研ぎと呼ばれる、目の粗い砥石を使い、刃筋をつける。

 鋼出しとも呼ばれる工程だ。

 この時の角度によって、切れ味が大きく変わってしまう。

 これまで幾度と無くやってきた作業だ。

 エイジの手は考えるまでもなく、自動的に最適な角度に当てる。

 砥石の表面を潤わしている水が小さな飛沫しぶきとなって散る。

 丁寧に刃先から刃元まで刃をつけていく。

 その後は面を裏返す。

 片方から斜めに刃をつけた場合、“まくり”と呼ばれる斜めに突き出した断面が出来る。

 反対側からそのまくりを研ぎ落としていく。

 成形と刃をつければ荒研ぎは終わりだ。

 エイジは作り置きしていた五本の切出を次々と同じように荒研ぎしていった。


 次は中研ぎに移る。

 先程よりも目の細かな回転砥石に場所を移動して、ザラザラとした鋼の表面を綺麗に整えていく工程だ。

 やることは変わらないが、移行する前に綺麗に切出を洗う必要がある。

 荒砥石の粒子が刃についていた場合、研ぎが不完全になったり、砥石の目が潰れやすくなったりするためだ。

 エイジはこれもまた、黙々と作業を続けた。


 鈍い光しか走っていなかった切出の刃が、徐々に艶やかな表面となって輝きだしてくる。

 光に当てて表面を透かし見れば、その差は一目瞭然だ。

 綺麗に研いだ刃は錆びにくくなる。

 刃物を作る時は、その材料となる鉄の工夫や、焼入れや焼戻しなどの作業が大切になる。

 だが、それと同じぐらい研ぎの重要度は高い。

 良い刃物を渡しても、それを維持出来なければ同じだった。


「あっ」


 エイジが声を発したのは、切出の刃先がわずかに砥石に当たったからだ。

 鋭利な刃先は回転している砥石に傷をつける。

 こんなミスは滅多にないことだった。

 少なくともシエナ村で鍛冶を始めてから、初めてのことだった。


「どうかしてるな……」


 首を振ってため息をつく。

 いつもと比べると、明らかに集中を欠いていることを自覚していた。

 こんなことではいけないな。少しでも早く関係を戻さないと。

 タニアさんは動いただろうか。

 真実を聞き出してくれただろうか。

 仕事が終われば、すぐに分かる。

 エイジは気持ちを切り替えようと、頬を力強く叩くと、再び作業に戻った。




「ただいま」


 家に帰ると、いつもは暖かな返事が返ってくる。

 たとえ喧嘩をしていても、今日もそれは変わりない筈だった。

 だが、迎えの言葉はなかった。


「……ただいま。いないのか?」


 鎧戸を開き、外の光を取り入れる。

 やはり返事はない。

 代わりに飼っている牛の呼吸音と、足元に擦り寄ってきたボタンのプヒプヒという鳴き声だけが聞こえる。

 一人の家は、初めてだった。

 いつも家に帰れば、タニアが待っていたから。

 時には笑顔で、時には心配そうな顔で。


 動物の息遣い、ボタンの体温を感じながらも、空気が寒々しかった。


 エイジが部屋に上がると、テーブルの上に色々なものが置かれているのが分かった。

 何だろうか?


 影になって見えづらかったそれは、近づけば、すぐに分かった。 

 まだほんのりと温かな料理だった。

 エイジが帰ってくる時間帯に合わせて作っていたのだろう。

 麻布が傘のように覆われていて、埃や煤が入らないように配慮されていた。

 そして、皿の影に置かれているものに気付いた。

 それは贈った指輪だった。

 オパールが表面に飾られていて、虹のようにいろいろな光を反射している。

 黒々とした指輪は艷やかで、毎日嵌められていたはずなのに、鉄の表面に錆一つ浮いていなかった。

 それが、どれだけ大切にされていたか、これまで数多の鉄を見てきたエイジだからこそ、よく分かった。

 毎日汗を吸い、水に浸かり、垢に塗れた鉄が、手入れもせずに綺麗さを保つことなどありえない。

 きっと、毎日布で拭いたり、油を塗ったりしていたのだろう。

 大切にされていたのだ。

 指よりも少し太いと、自分の指はそんなに太くないと、少しだけ拗ねたように言っていた。

 それ以上に嬉しそうに、何度も指輪を嵌めた手をくるくると回して、喜んでくれた。

 そして、その指輪が置かれている。


「タニアさん……!」


 エイジは家を出た。

 辺りはすでに暗くなってきている。

 タニアが家を出たなら、行き着く場所は限られている。

 それほど広い村ではないのだ。

 身を寄せるとすれば、ジェーンの所だと近すぎる。おそらくはボーナ、祖母のところに戻ったのだろう。


 プヒー! と鳴き声を発したボタンがエイジの背中を押してくれた。


「ああ、行ってくる!」


 エイジは走った。

 すぐにでも迎えに行きたかった。






 夕日は山へと隠れるため、シエナ村は余所よりも遥かに日が短い。

 ボーナの家についた頃には辺りは暗くなっていた。

 戸を叩くと、すぐに開いた。

 ボーナが厳しい顔で立っている。


「おお、エイジかい。今日は一体どうかしたのかぇ?」

「タニアさんはこちらに来ていませんか?」

「うむ、昼過ぎに帰ってきたぞ」

「そうですか、少し会わせてもらえませんか」

「そりゃ少し難しいの。あの娘は今、泣きつかれて寝てしまっとるからな」


 にべもなく断られては、返す言葉もない。

 言葉を返せないエイジに、村長は更に口を開く。


「で、どうなんじゃ。あの娘はお前さんが浮気したと言うとるが、本当にそうなのかぇ?」

「まさか。誤解ですよ」

「うむ。そうじゃろうな。まあ、ワシは村長としての立場なら、お前さんがカタリーナに手を出したことをとやかく言わん。むしろ、良くやったと褒めてやりたいぐらいじゃわ」


 カタリーナを手篭めにすれば、シエナ村には貴重な働き手が増える。

 技術の流出が防げる。外からの血を増やすことが出来ると、良いこと尽くめだ。

 問題は一夫多妻による妻同士の仲違いだが、そこはボーナの知るところではない、という所だろう。

 だが、自身で容認の言葉を吐きながらも、決してそれを認めたわけではないらしかった。


「じゃが、あの娘の祖母としては許せん。まあ、身内の欲じゃな。やっていないなら、それをはっきりとさせせねばならん」


 ボーナが遠い目をした。

 それはかつての記憶を思い返す目だった。


「あの娘の両親が病で亡くなった時、あの娘は天井を睨みつけるようにして顔を上げてな。目尻いっぱいに涙を溜めていたが、決してそれを流そうとはしなかった。ワシはなんと強い娘じゃろうと思った。その後、ようやく嫁いだと思ったら、初夜も迎えん内から旦那を失ってな。その時もあの娘は泣かなかった。黙々と一人で暮らしおった。そんな気丈な娘っ子が、いま泣いておる」


 分かるか、とボーナが言った。

 それだけ、心を許しているのだと。


「あの娘には家に戻って冷静に話し合いさせるようにちゃんと言いつける。だが今は黙って帰りなさい。まともに話を聞ける状態じゃないからな。一刻も早く仲直りできるよう、全力を尽くそう。今日は帰るとええ」


 エイジにはもはや何も言うことはなかった。

 深々と頭を下げた。


「よろしくお願いします」

「心配せんでええ。そんなことで壊れるような仲じゃとは、わしは思っとらんからの」


 ボーナの目は、とても優しかった。






 誤解は続いた。

 次の日、マイクがエイジを呼び出した。

 その顔は、烈火のごとく怒りに燃えている。


 またか、と思う。

 いい加減うんざりしていた。


 呼び出されるがまま、家の外に出たエイジは、近づく人影に気付いた。

 一体誰だろうか?

 影は大きくない。

 ああ、ピエトロか。


「おい、エイジ。俺は何度も言ったよな。タニアを泣かしたらただじゃ置かねえって」

「誤解ですよ」

「うるせえ! 誤解だろうがなんだろうが、泣かせたのは事実だろうが!」

「待ってください!」


 マイクが怒りに飛びかかってくる直前、ピエトロが大きな声を挙げて制止した。

 マイクの腰元にタックルし、全身で動きを止める。

 マイクが体を振り回し、ピエトロを剥がそうともがくが、離れる様子は無かった。


「ピエトロ、お前は部外者だろうが。何の権利があって口を挟んでくるんだ」

「俺は親方の一番弟子です。それを言うならマイクさんだって部外者でしょう!」

「俺はタニアちゃんの保護者代わりとして面倒を見てきたんだ! ええい、分かったから一度離せ!」


 マイクが振りほどく。

 ピエトロはマイクとエイジの中央に立ち、油断なく身構えていた。


「マイクさんに言っておきますけど、親方は浮気なんてしてませんよ。大きな誤解です」

「そんなことがどうやって分かるんだ。人が惚れるなんて一瞬だぞ? 間違いがないってどうして言い切れる」

「言い切れますよ。俺は親方の下で働いていて、普段どれだけタニアさんを大切にしているか、よく知ってるっすからね。生まれてくる子供の名前をどうしようかとか、妊娠中だから負担になって怪我でもしたら一大事だって、心配してるの知ってるっすからね」


 ピエトロの堂々とした物言いに、マイクも少し怯んだ。

 だが、とエイジは内心で思う。

 周りで疑われる中、自分のことを信じきって庇ってくれることはすごく嬉しい。

 だが、普段自分で気づいていなかった惚気話を冷静に聞かされるのは、精神的にダメージが大きい。

 これ以上の追い打ちは止めて欲しいなと思う。


「だが、こいつが疑われるようなことをしていたのは事実だぞ?」

「だからって、無実の罪で疑う方は悪くないんすか?」

「うぐっ。だが、無実である証拠がない」

「そんなのカタリーナさんからとっくに証言もらいましたよ」

「な、なんだって……そうか。じゃあタニアちゃんの完全な勘違いだったわけだな?」

「そうっす」


 マイクが肩を下ろし、溜息をつく。


「どうやら、早とちりしちまったみてえだな。悪かった」

「まあ、ピエトロのお陰で被害なしでしたからね、構いませんよ。でも、次はないですよ。ちゃんと確認を取って行動してください」

「ああ……。だが、エイジ、一つ良いか? お前、以前、指輪をタニアに贈ったよなぁ」

「それがどうしたんですか」

「あの時俺は思ったんだよ。ああ、こいつは良い奴だなって。俺がジェーンにプロポーズした時は、イノシシを渡した。だが、イノシシは食えば消えちまう。だが、指輪なら形に残る。タニアが大事に指輪をはめてたら、他の男が見ても、お前のもんだってすぐに分かる。俺には指輪を送るような甲斐性はない。その時俺は思ったんだ。どうせなら指輪をもう一つ作って、エイジも嵌めれば良いのにってな」

「それは……作業中に金属を持っていると、火傷の恐れがあります」

「別にそれ以外の時だけでもいいじゃねえか。お前がタニアの前でいつも指輪をしていたら、あの娘はもっと自信を持って待てたんじゃねえのか? だから俺は動いたんだよ。あいつを悲しませるなって、腹が立ってな」


 手から力が抜けた。

 マイクの言葉に衝撃を受けていた。

 それが体から力を奪ってしまっていた。


 確かにそうかもしれない。

 ないがしろにしているつもりは一切ないし、愛情を持って接しているつもりだった。

 だが、もともとタニアはどちらかと言えば嫉妬しやすい性格だったし、子供を作ろうと提案した時も、やや情緒不安定な面があった。

 それらは、タニアに幾度と無く突如として襲う理不尽による、トラウマのようなものだったのかもしれない。


 疑われるようなことをしたのはたしかに自分が原因だ。

 ピエトロとの一件だって、先に一言ぐらい言っておけば、こんな騒ぎにまでは発展しなかっただろう。

 仲直りの方策を考えようとエイジは思った。

 幸いピエトロが証言を取ってくれた。

 ボーナも協力を申し出てくれている。

 誤解をとくのは、今となってはそう難しくないだろう。


 迎えに行く前に、もう一度指輪を作ろう。

 今度はタニアさんの分と、そして自分の分と――。





 鉄で指輪を作るとすれば、もっとも大切なのは錆び対策だろう。

 幸いエイジが扱う鉄は、錆に強かった。

 というのも、不純物が少ない磁鉄鉱から作る上、燃料の全てが木炭や生木から作られているからだ。

 現代の製鉄、鍛冶では石炭や石油を使うが、安価に作れる反面、硫黄分が含まれてしまう。

 硫黄は数多い成分の中でも、最も鉄を弱くする物質の一つに数えられる。

 日本でも玉鋼のような良質な鉄は、全て木炭から精製されるのだが、現在では生成量を年々減少しつつある。

 高純度な鉄は時に千年も同じ形を保つ。

 寺社仏閣で見つかる和釘や日本刀は、現在も美しい姿を保ったままだが、現代の鉄は千年後まで残っていないだろう。


 エイジは精製した鉄の中でも最も良質な部分を材料に決めた。

 ノミを使って鉄の塊を指輪用に小さく分け、あとはそれを何度も熱しては折り返し、また一つの塊にする折り返し鍛造を繰り返す。

 熱しては叩きを繰り返すと、どんどん鉄以外の不純物が取り除かれていく。

 そして鉄の塊は、驚くほどの早さで小さくなっていくのだ。

 拳大ほどもあった鉄の塊は、出来上がった頃には指輪二つ分しか残ってなかった。


 鉄の塊を曲げ、まずはおおまかにリングの形にしてくっつける。

 そして、鉄の棒にリングを通すと、それを叩いて形成する。

 棒は根本に行くほど太くなっていて、自由に太さを調整できるようになっている。

 サイズ調整を終えれば、作業は終わりだ。

 刃物と違い、焼入れなどは行われない。


「さて、最後の仕上げを」


 エイジは呟くと、指輪の裏に文字を彫り込んだ。





「エイジさん、すみませんでした」

「もう、勘弁して下さいよ」

「はい。反省します」


 エイジが作業を終えて帰ると、タニアが待っていた。

 ボーナの話を信じなかったわけではないが、まだ機嫌を損ねたままだろうと構えていたのが拍子抜けするほど、タニアは恐縮して謝った。

 深々と頭を下げ、決してあげようとはしなかった。


 一日が経って冷静に諭されたタニアは、落ち着いて情報収集したらしい。

 そして、カタリーナが出かけていないことを証言されたのだ。


「もう少し自分の旦那を信用しなさいって、お祖母ちゃんに怒られちゃいました。そんな態度を取ってたら、自分の価値が相手よりも下だって認めてるようなものだって。私、絶対負けませんから」

「いや、してないですからね、浮気」

「分かってます。でも私が妊娠していて、夜のお相手が出来ないから、エイジさんもしかしてって、そんなふうに考えてしまったんです」


 ふんむ、と力を入れるタニアに、誤解のないように釘を刺す。

 だが、仲直りが出来てよかった。

 お腹も大きく膨らんできたこの頃になって、あまり負担を掛けたくなかった。

 エイジは指輪を取り出した。

 以前に渡したオパールを飾った指輪と、新しく作ったペアリングを。


「これ、仲直りの指輪です」

「え、でも前も指輪を」

「今度はお揃いです」

「エイジさんも?」

「ええ、嵌めてください。今度は何の宝石もしていない、シンプルなものですけど」


 タニアは指輪をじっくりと眺めた後、指に嵌めた。


「今度はピッタリですね」

「二回目ですからね」

「この、裏に刻んでいる文字は何ですか?」

「内緒です」

「えー、教えて下さいよ」

「内緒です」


 タニアは書かれた文字を読めない。

 だが、それで良いと思った。

 書かれた文字が読めたら、恥ずかしくてとても刻めなかっただろうから。

 “Forever Love”とそこには刻まれていた。


「さて、では反省会といきましょう」

「はい」

「疑われるきっかけを作った私にも、責任はあります。事前に技術の秘匿性が高いため、理由を言わずに出ることがある、と言っておけば、今回の騒動も防げた可能性がありますからね」

「いいえ、エイジさんは悪くないです。早とちりして、嫉妬してしまった私が悪かったんです」

「そうじゃないです。私も悪かったし・・・・・・・タニアさんも悪かった・・・・・・・・・・。信用してください。私はあなたを裏切りません」

「はい……」


 タニアの頬を、静かに涙が伝った。


 それからは喧嘩が嘘のようにまた仲が良くなった。

 タニアは村中で指輪をつけて歩き、他の女性が羨んだ。

 カタリーナには注意したが、本人は何が問題だったのかまるで理解していなかった。

 改善は難しい。

 頭を抱えることもあったが、順調に進んでいた。

 だが、二ヶ月後、また新しい問題が起こった。


 ダンテが村人を殴ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る