第71話 塩の村

 さて、一体どうしたものだろうか。

 どのような理由があるにしろ、フランは村長の娘という立場だ。

 黙って連れてきてしまっては、外交問題に発展するだろう。


 ただでさえ馬は貴重で、そして労働力から替えがきかない存在だ。

 こんなことで信用を失って、取引を中止にするわけには行かなかった。

 何よりも人さらいをするような者だという誤解を解かなくてはならない。


「フラン、起きてください」

「うにゃ? おう、おはようエイジ」

「おはようございます。早速ですが質問です。いったいどうしてフランは船に乗っていたんですか?」

「ヤンとユンが、船を怖がってた。フランが傍にいたら落ち着くから、フランが船に乗った。眠たくなった」

「なるほど」


 フランの言葉は明瞭だ。たしかに一度も乗ったことのない船に乗ったとすれば、馬が怖気づくのはおかしくない。

 そしてフランが傍にいてあげようと思った心情も理解できる。

 その後寝てしまうのはどうかと思うが、出発前に全体を確認しなかったエイジとフェルナンドにも問題はあったのだ。


「少しここで待っていてください」

「フラン、喉かわいた」

「お水です。これを飲んで、少しおとなしくしていてくださいね」

「分かった。フランじっとしてる」


 寝起きでのどが渇いていたのだろう、フランは美味しそうにゴクゴクと喉を鳴らし水を飲んでいる。

 エイジの言葉に反論することも、破ってふらふらと動きまわるつもりもないらしい。

 聞き分けが良くて何よりだ。

 船首側へと戻り、フェルナンドと向き合う。


「どうしますか、フェルナンドさん。フランは寝ている間に船が出発したと言ってますよ」

「このまま逆行して帰すってのはどうだ?」

「できれば少しでも進みたいんですが……」

「おいおい、どうしたえらい急ぐじゃないか」

「今回の移動ももうすぐ終わりかと思うと、なんだか急に帰りたくなってきました。ああ、タニアさん体は大丈夫かなあ」

「また始まったよ。最近落ち着いてきたと思ったのに」


 なんとでも言うがいい。妻を愛する心はそんな言葉では少しも傷つかない。

 エイジは露骨な溜め息を気にせず、なんとか逆戻りせずに、かつ問題を大きくしない方法がないか考える。


「むしろ最寄りの村におろして、陸から帰ってもらうのはどうですか?」

「ふむ、近場の村なら徒歩でも一日か。たしかにその距離なら問題は少ないか」

「そうでしょう」

「だが、問題がある」

「なんですか?」

「僕たちはその村の場所がわからない。川岸から見えるところは基本的に寄るようにしてきたから、おそらく最後の村まで見つからないんじゃないかな?」


 しまった。せっかく名案だと思ったのに。

 いや、まだだ。まだ諦めるのは早い。

 エイジとフェルナンドが、見知らぬ土地で村がどこにあるか悩むよりも、フランに聞いたほうが早い。


 エイジは再びフランの元に戻る。

 フランはエイジたちよりも馬のほうが大事だったのだろう。

 船尾に繋がれているヤンとユンの首を撫で、ブラシで毛並みと整えてあげていた。


 その顔が、少女のはずなのに。

 まるで慈母のように優しく見える。


「どうかしたの、エージ」

「ああ、フラン。私たちはアウマンの村から、船で川を下って、港のある村に向かっているんだけど、途中に川沿いの村はあるかな?」

「川沿いか……フランはよく馬で遠駆けする。あるのはあるけど、ほとんどマリーナの村の近所だぞ?」

「マリーナ?」

「そこに行くんじゃないのか?」

「海沿いの村ですか」

「そうだぞ。フランはギュスとマリーナまでよく走ってる」


 あれほどの巨馬に乗っていたら、ちょっとした狼では襲う気にならないだろう。

 小さなフランがちょこんとギュスに乗ってはるか遠い場所まで走る姿を想像して、エイジは思わず笑ってしまう。


「というかフラン、君はそんなに頻繁に村を離れているんですか?」

「そうだぞ。もともとギュスたちと一緒にいたせいか、フランあんまり家とかにいると、頭がイー! ってなって、ガマンできなくなるから、よく走ってる」

「そんなことが」


 小さな頃に馬に育てられたという環境が、関係しているのだろうか。

 フランは気にしていないようだが、人と一緒に暮らすというのは、フランにとっては喜びもあるかもしれないが、同時に辛い環境であるのかもしれない。

 しかし、これで別の対応が一つ考えついた。


 もしフランの両親が外泊を気にも止めていないならば、このまま進んでいいのではないか。

 それが良い決断かと言われれば、そうではない。

 やはり信用のためならば、時間を無駄にしても引き返すのが最善だろう。


「フランはこれからどうする? もしフランが望むなら、ヤンかユンのどちらかに乗って、先に村に帰ることはできるよ? おそらくアウマンまでなら、船は十分に遡上してくれるはずだ」

「フランはマリーナに行く! あそこの魚美味しいぞ!」

「でもフランは、出かけることを伝えてないよねディアンさんは怒らないかい?」

「う……だ、大丈夫」

「本当に?」

「いつも何も言わずに出てるから、多分」

「そうか。でもね、次からはちゃんと言った方がいい。たとえギュスが隣にいたとしても、彼らはきっと心配するよ」

「分かった」


 小さく呟いたフランの姿を見て、エイジはこの娘はまっすぐに育っているんだな、と感じた。

 大切に育てられている証だ。


 話が決まれば早い。

 あとは気にせず船を進ませるだけだ。


「フェルナンドさん、そのまま全速前進です!」

「分かった!」


 わずかに潮の匂いの混じった風を受けながら、船は川下へと下っていく。




 エイジは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。

 風に潮気を感じる。

 懐かしい空気だ。ああ、久しぶりだな。


「どうした、久しぶりって」

「声に出てましたか……。以前、住んでたところが海に近かったんですよ」

「へえ? エイジくんは確か、山裾に住んでるって言ってなかったっけ?」

「凄い勾配の急な地域で、海からずっと急な坂が続いてるんです。ちょっと上がっていけばすぐに山裾ですよ」

「なんだそりゃあ。変わった場所だね。って、まあシエナ村の西も似たようなものか」

「山を超えたら海なんでしたっけ?」

「ああ。崖も岩礁もひどくて、下りられないらしいけどな。しかし、これが海の匂いか」

「フェルナンドさんは海は初めてでしたっけ」

「まさか生きてる間に海を眺めることになるとはね……。人生何が起こるか分からないよ」


 川はゆっくりと曲がりくねりながら、徐々に広がり、勢いを失いつつある。

 もうすぐ海にたどり着くのだろう。潮気がどんどんと増していくのが自然と分かった。


「フランはよくここまで来たんだろう?」

「おう。ギュスと一緒に来てたぞ。皆ごはん食べさせてくれて、いいやつばっかりだ」

「まさか、奢ってもらってたの?」

「うん? ギュスが働いて返したぞ」

「そうか、それなら良い」


 フランは子供っぽいところがあるから、これからマリーナの村でお世話になる時に、どんな迷惑をかけるかわからない。

 これは目が離せないかもしれないな。


 そんなエイジの心配をよそに、フランは初めての船を楽しそうに眺め、船首に行っては前方を確認し、船尾に向かってはユンとヤンの世話をしてと、実に充実しているようだった。


「で、でけえっ! なんだこれは!」

「これが海ですよ」

「あはは。フェルは驚き過ぎだぞ!」

「二人とも見たことがあるからってバカにするなよな」

「してませんよ。ねえ、フラン」

「してないぞ。エイジはちょっと怪しい」


 初めての海に大騒ぎするフェルナンドの反応を見ると、やはり海を見たことがない人っていうのは感動するものなんだろう。

 鼻を刺激する潮の匂い、聞こえてくる波の音。

 照りつける太陽はチリチリと刺激的で、ここが同じ島とは思えないぐらい変化に富んでいる。


 海は、やはり広く大きかった。

 国や場所を問わずにそこにあり、変わらなかった。

 そんな当たり前のことが、エイジの心を安心させてくれる。

 変わらないものは、そこにあった。


「お! エイジくん、見てごらん、川岸が舗装されてるぞ」

「本当ですね。さすがは海辺の村です。留めさせてもらいましょうか」

「ユン、ヤン。もうすぐ陸に降りられるぞ! 良かったな」


 エイジはあたりを観察する。

 個人で漁をしている人が多いのか、小舟が多かった。

 これでは近海までしか出られそうもない。

 外海への航海はどうなっているのだろう。

 そんなことを考えながら、エイジは錨を下ろし、ロープで係留する。


「さて、それじゃあ最後の村を、拝見しましょうか」


 建っている建物も、どことなく異国情緒あふれているように目に映る。

 エイジは積み荷を下ろしながら、村人がやってくるのを待った。

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