第52話 採掘 中編2

 採掘所を後にしたエイジが向かったのは、エヴァの所だった。

 先日作った織り機の具合を見るためだ。

 玄関に立つと、カコン……カコン……とゆっくりとした木の音が聞こえてきた。


 ペダルを踏む音だろうと思いながら、エイジは玄関扉を叩く。

 程なくして扉を開けられると、顔を出した人物に驚いた。

 家にいるだろうと思いっていた、タニアがそこにいた。

 そのすぐ後ろではエヴァが機織りを動かしている。


「エイジさん、いらっしゃい」

「どうしてここに?」

「力仕事が出来ないから、その代わりに機織りをしているんです」

「タニアさんはとっても頑張ってますよ。動けなくなると夫の負担になっちゃうのが嫌だから、今のうちに少しでも布を織るんですって」

「あんまり無茶しないで下さいよ」

「大丈夫ですよ」


 まいったな。心底楽しそうに笑顔を浮かべられると、何も言えなくなる。

 エイジは母体に問題はないのか、湧き上がる不安をぐっと飲み込む。

 エヴァは出産経験があるから、問題があればすぐにでも対処してくれるだろう。

 そう考えれば、まるっきり悪い選択ではない。


「大丈夫じゃないかなあ。最近お腹さわりながらずっと惚気けてくるし」

「のろけ、ですか?」

「そう。昨日はエイジさんが御飯作ってくれたんです、美味しいんですよ。お腹を気遣ってくれるとか優しすぎですとか言って。……愛されてるねえ、エイジさん」

「ちょ、エヴァさん。何でバラしてるんですか」

「あれ、これって内緒だっけ?」

「ちゃんとお願いしたじゃないですか」

「うっかり忘れてました」


 後ろからヒョッコリと姿を見せたエヴァが言うと、タニアの顔がみるみる間に真っ赤になる。

 目線が左右に泳ぎだし、一瞬目が合う。

 大きく見開いた目が、どうして、と言っていた。


 口が何かを言いたそうにパクパクと開いた。

 だが結局、いい言葉が思いつかなかったのだろう。


「うぅ~。ああ、恥ずかしい! エヴァさんのバカ」

「まあ、それぐらい良いじゃないですか」

「良くないです! 恥ずかしい」


 と言うと、顔を伏せてしまった。

 エイジはタニアの顔を見ようと身を屈めるが、タニアは顔を手で覆うと、身を翻して家の中へと駆ける。

 走って大丈夫なのか、と心配する間もない。


 物陰へと姿を消すと、あう~、う゛あ~、と悶えるような声が聞こえてきた。

 最近言動が以前よりも更に幼くなってきたような気がするんだよな、と思う。

 だが、可愛らしいと感じてしまうので特に問題はない。


「いやー、タニアちゃんはからかうと良い反応するなあ」

「お手柔らかに頼みますよ。結構気にするタイプだと思うので」

「いやー、あれで照れてるだけで、気にはしてないと思うよ。それにずっと人の旦那の惚気話を聞かされる私の身にもなって欲しいのよ。お腹いっぱいよ?」


 失敗、失敗と頭を掻くエヴァを、エイジは疑わしげな目で見下ろす。

 この人、かなりイイ性格をしているな。

 技術者としての好奇心は通じるところがあったが、イタズラ好きのような性格を見て、苦笑する。


「ほら、タニアさん。隠れてないで出てきてくださいよ」

「良いんです。ちょっとここで心を落ち着かせます」

「ほら、かなり気にしてますよ」

「んー、反省します」


 テヘッ、と舌を出して謝る辺り、少しも誠意が感じられないが、悪気もなく笑みを浮かべられては、これ以上怒る気にもなれなかった。

 溜め息をひとつ、エヴァに誘われて部屋の中に入る。

 機織り機が三台出来ていた。


 第一号を作った後も、エヴァはたった一人、量産品として作り続けてきたらしい。

 エイジたちが一台作り上げてから、それほど経たず、たった一人で更に二台を作ったことになる。

 フェルナンドのように本職としてやっているわけではないのだから、かなりの早さだ。


 手先は本当に器用なようだなあ。

 出来具合を確かめるエイジの前で、エヴァが一台の機織りを指さす。


「良いところに来てくれましたね」

「何かあったんですか?」

「ちょっと相談したいことがあったんですよ。実は、ペダルからついた綜絖そうこうの歯の間隔を間違えてしまって、まあ、動くから問題ないかと思って続けてたんですけど、一つ飛ばしに糸が交差するようになってしまって。意見を聞いて貰って、改良したいなと」

「見せてもらっていいですか」


 エイジが機織り機を見る。

 ペダルを踏むと、縦糸を上下に分ける綜絖が動く。

 なるほど、確かに一つ飛びになっている。


 横糸を通してみると、縦糸二つ表、一つ裏に通る。

 ペダルを反対にすると、一つ表、二つ裏だ。


「これは……綾織りですね」

「綾織り?」

「普段やっている交互に糸を通すのが平織り。綾織りはわざと織り目をずらす織り方です。平織りに比べて生地が厚くなって、しわになりにくかったりするんです」

「じゃあ、失敗じゃないんですね」

「失敗じゃないですよ。上着に使いやすいんじゃないですかね。確かコートとかはこの織り方の方が向いていた……ような気がします」


 エイジも詳しくは知らない。

 だが、織り方も色々あって良いと思っている。

 その方が布の種類も様々なものが出来て、用途によって使い分けられる。


「これ、良いですね。今後は二つのパターンで作り分けたら良いんじゃないですか?」

「じゃあ、これは修正せずにそのままで」

「良いと思いますよ」

「いやー。作るのはいいけど、直すとなったら大変だから良かったです。エイジさんに相談できて良かったです」


 あはは、と笑うエヴァに、エイジもつられて笑う。

 意外な所で少しずつ技術が発展していく。

 失敗も成功も糧にしていくエヴァの姿は頼もしかった。


「まあ、問題も解決したみたいですし、私は次のところに行きます」

「あら、早いですね。もっとゆっくりしていったら良いですのに」

「これから回るところが多いんで、そういうわけにも行きませんよ」

「タニアちゃん、エイジさん行っちゃうって」

「ええっ!? 私隠れてたせいで全然話していないし、働いている姿も見てもらってませんよ」

「それはタニアちゃんの責任だと思うよ」

「エヴァさんの責任でしょう!」


 物陰から出てきたタニアが、機織り機に座ると、仕事を始める。

 再び部屋の中に機織り機の心やすまる、規則正しいペダルの音がカコン、カコンと鳴り響く。

 まだそれほど大きくないお腹は圧迫する様子もないようだった。

 タニアは少しでも自分の仕事を見てもらおうと機織りに集中している。

 エイジはその姿をしばらく黙って見守った。


 機織りが出来てから間がないというのに、手の動きは正確だった。

 ペダルを踏み、横糸を通し、手元へと横糸を引き寄せる。

 手前から少しずつ布が出来上がっていく。


 見ていない所で、タニアさんも頑張っているんだな。

 普段知ることのない姿を見て、妻のことが少しわかった気がする。


「じゃあ、行ってきますね」

「お気をつけて」


 仕事に集中しだしたタニアは、落ち着いた声だった。

 先ほどとは精神状態がまるで違う。

 安心して自分の仕事に励むことが出来そうだった。






 エイジが次に向かったのは、これもまた先日出来たばかりの水車小屋だった。

 砂利道を歩いて小屋に近づくと、川のせせらぎが聞こえてくる。

 シエナ村の川は水量が多く、しかも上流にあるため流れが早い。

 水車を建てるにはピッタリの条件だ。


 水車には様々な音で満ちている。

 水車軸が立てる軋む音や、何かを打つ音、人の声。

 そして沢山の人の気配があった。

 エイジが中に入ると、見知った顔の中にマイクとジェーンの猟師夫婦、建設に協力してくれた女性たちがいた。


「おう、エイジじゃねえか。どうした今日は。いけ好かない野郎どもの躾は良いのか?」

「ピエトロに任せてきました」

「舐められるんじゃねえぞ」

「これでも親方ですからね。その辺りはしっかりとするつもりです」

「だったら良いけどよ。で、本当にどうした」

「水車の具合はどうかと思いましてね」

「おお、こいつか! こりゃイイぜ。これまでの仕事が何だったんだってぐらい楽に終わる」


 水車は水を受ける場所によって、その仕事量が変わる。下で水を受ける下掛け水車なら、わずか一~二馬力しか生み出さないが、中掛けならば一五馬力、上掛けにもなると、六〇馬力もの力を生み出す。


 だが、より馬力を生み出すような設備を作ろうとすれば、当然手間がかかる。

 水車の利便性を理解していない最初から大きな協力を得ることは出来ず、この水車は腰掛け水車といって、五馬力ほどの弱い力しか生み出さない。

 だが、それでも人が動き続けるよりもはるかに効率的だ。


 マイクがしていたのは皮革のなめしに使うタンニン液の抽出だった。

 オークやモミの樹皮、栗の木、ウルシの葉などを叩いて磨り潰すまでが、この水車の仕事だ。

 大きな槌が水車の動きに合わせて持ち上げられ、自由落下とともに叩きつけられ、柔らかく叩打されていく。


 臼からは植物特有のむっとするほどの匂いが立っている。

 非常に柔らかくなった樹皮や葉を、最後に圧搾機で搾り出すまでが今回の仕事だ。


 材料はフィリッポが伐ってきたものだ。

 芯材はフェルナンドが建材として使い、樹皮や葉はマイクが鞣し剤に、農夫が腐葉土や堆肥作りに使用する。

 枝は焼いて炭になり、エイジが使用するか、各家庭で燃料に使われる。

 一本の木は無駄になることなく、まるまる使われる。


 となりのハンマーではジェーンが鞣した革を叩いて、柔らかく形を変えている。


「ジェーンさんもどうですか?」

「ああ、私みたいなか弱い女には大助かりさ」

「いったい誰がカヨワイんだか」

「なんか言ったかい、あんた」


 ジェーンが拳を振り上げてマイクを睨みつける。

 マイクはふるふると首を振って否定した。


 だが、その腕がどう見てもマイクよりも太く逞しい。

 言ったら確実に怒られるから言わないけど、こればっかりはマイクさんに同意だなあ。


 鍛冶師でも、妻が相槌を担当することはよくあったらしい。

 力ではなくリズムや反動で器用に扱うため、意外としっかりと動ける人が多かったという。


「そうは言うけど、こいつは疲れないからね。私も楽ができるさ。それに、こいつは私が年をとったり、力が衰えても一緒の働きをしてくれるんだろう? そう考えたらほんとうにありがたいよ」

「そりゃまあそうだがよ……」

「なんだい?」

「お前はまだまだ若いよ」

「な、何言ってんだい!」


 真っ赤な顔になったジェーンが、照れ隠しにマイクを平手打ちにした。

 マイクが叩かれながらも、言葉を続け、ジェーンは大人しくなって、照れてしまう。

 ……ああ、なるほど。

 惚気に付き合わされるっていうのはこんなにも辛いことなのか。

 エヴァの気持ちが少しわかる。

 お腹いっぱいだった。


 その横では建設を手伝ってくれた女性たちが、目もくれずに脱穀作業に精を出していた。

 見習う必要があるな、と心底思った。

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