第38話 激闘の波乱
集会の次の日、エイジはピエトロと二人、鍛冶場に来ていた。
一振りでもいいから槍先を作るためだ。
人を殺すために武器を作らないと決めた。
だが、獣から身を守るためならば、話は別だ。
その後、人同士の戦で使わせない方法も考えついている。
「騒動が片付いたらすぐに別のものに叩き直せばいいだけだしな」
「何かいいましたか、親方」
「いや。今日は時間がないから、最初から水力ハンマーを使うよ。ピエトロはまず柄を削ることと、研ぎに専念してくれ」
「分かりました」
叩き直せば、その分鉄は減ってしまうが、自分の信念と現状に折り合いを付けるためには、これ以上の方法は考えつかなかった。
気持ちを作る武器へと集中する。
大きな槍先はいらないだろう。
狼の皮を貫けるだけの硬さと、鋭さがあれば、あとは出来るだけ軽いほうが良い。
普段から稽古をしているような兵士はいないのだ。
扱いやすい両刃で、かつ軽くないとすぐにバテてしまうだろう。
多少経験があるといっても、素人といって差し支えない程の腕だろうから、何頭も相手にできるとは思わない。
それに大きなものは作るのに時間がかかる。
その分良質な武器を数多く作ったほうが、助けになると判断した。
そこからのエイジの仕事は早かった。
とにかく水力ハンマーは折り返し鍛造には向いている。
人の力ではどうやっても不可能な圧力で、グングンと鉄を延ばしていく。
その速度はピエトロが大鎚を振るうより何倍も早い。
折り返し、くっつけては伸ばし、また折り返す。
そうして層を作り、地金を作る。
同じように鋼を作り、刃金を被せる。
手打ちだけなら一日に一つや二つの作業が、水力ハンマーを利用することで五個、作り上げることに成功した。
槍頭は二〇センチほどの短槍用の作りになっている。
すぐに刃が欠けても大丈夫なように、やや厚づくりになっていて、刃の角度も大きい。
どれも同じ形、大きさで、機械作りと言われても疑うものはいない出来栄えだ。
その内一つだけは例外の、刃先の長い大槍だった。
力自慢がいたら、この槍を振るってもらうつもりだった。
「親方も外回りなんですよね」
「うん。どれだけ役に立てるかわからないけどね」
「ケガだけは気を付けてくださいっすよ。俺、まだまだ親方から教えてもらわないとダメなんですから」
「自分の安全第一で動くよ。戦いには自信がないからね」
学生時代の球技や陸上といったスポーツならば決して苦手ではなかったが、それと実際の命のやりとりと一緒くたにはできない。
だから、エイジには無理をするつもりは全然なかった。
ピエトロの心配を有りがたく受け取り、安全を約束する。
夕方になった。
西の空が赤く染まり、徐々に寒さを増していく。
すでに外回りの一面は村長の家の集会スペースに集まっている。
「これは何ですか?」
「それで脛と腕を守るんだ。何もなしだと、あいつらの牙は骨まで貫いてくるぞ。そうしたら熱出してすぐあの世行きだ」
マイクから手渡されたのは脛当に
どちらも分厚い牛革でできていて、革紐で調整するようになっている。
叩いてみるとコンコンと硬い音と感触が返ってくる。
これはまさか……。
「お前が教えてくれたタンニン
「あれだけの情報で成功させたんですか……?」
「おうよ。大変だったんぜ。特にポイントがあってよ、一度に濃い液につけると、外側しか浸からないんだ。だから、段階的に濃度を上げることで、均一な浸透具合を図るんだよ。分かるか?」
「スゴイですね」
嬉しそうにアゴをこするマイクに、ただただ感心してしまう。
教えたとは言っても、タンニン鞣しという方法があるということと、木の皮や一部の雑草に多く含まれているらしいということしか伝えていなかった。
ほぼ一から、全く新しい技術を見つけ、確立してしまったのだ。
「マイクさん」
「何だよ。目がキラキラしてるぜ。気持ち悪い」
「あなたは結構天才だったんですね」
「おお!? 今まで生きてきて、生まれてはじめて言われたぞ」
「じゃあ聞き間違いです」
「そんな寂しいこと言うなよ!」
学者的な才能ではなく、職人的な才能はある。
普段の言動はともかく、生産者として素直に尊敬できた。
「ま、まあ良いからよ。しっかりそれを身につけとけ」
「照れすぎですよ。本気で褒められたことないんですね」
「うるせえ。俺がいったいどれだけ辛い思いをしてきたと思ってるんだ。小さい頃から狩りの腕はあるが頭は――」
「つけました」
「聞けよ! もっとちゃんと聞いてくれよ! どれどれ……って、緩んでるじゃねーか。もっとしっかり縛っとけ。長時間歩いてるとずれてくるぞ」
手伝ってもらいながら準備を終える。
周りを見渡せば皆同じ姿で、脛当と手甲をつけた姿は、かなり物々しい雰囲気がした。
これから戦いの舞台に立つということで、熱気と興奮に包まれている。
誰もがどことなく落ち着かず、口数多く会話を交わし、しきりに水分補給やトイレを繰り返している。
自分もそのうちの一人だな、とエイジは思う。
いくら安全第一と言っても、やはり心は落ち着かない。
唇が乾き、心臓がいつもよりもうるさい。
マイクはさすがに落ち着いているようだった。
他にも準備が完了していない者を見つけると、すぐに近寄ってアドバイスをしている。
「よし、みんな準備出来たな。そろそろ行くぞ」
「おう」
マイクの号令に、一同が頷いて村長の家を出る。
辺りは薄暗い。夕日が西に沈みきろうとしていた。
家の前には大きな台車が一台ある。
その上には木板と大量の石が積まれていた。
「あれ、何に使うんですか?」
「狼対策の秘策だよ」
「木板がですか。どうやって使うつもりですか?」
「俺様が考えた頭脳プレーだ。安心してその時を待ってろ」
「マイクさんの頭脳とか、不安しかありませんね」
「もう少し信用しろよ!」
身を乗り出してくるマイクの前に、両手でまあまあと落ち着かせる。
「してますよ。ジェーンさんがマイクさんに愛想を尽かす可能性ぐらい信用してます」
「えっ、それってどういうこと? まさか、愛想尽かされかかってるわけ?」
「信用してます。さあ、みんな出発を待ってますよ」
「ちょっ、おい、答えてくれよ! お前急に性格悪くなり過ぎだぞ」
「緊張してるんですよ。大丈夫です。夫婦仲は少しも心配いりません」
エイジは他のメンバーと列を組む。
ジェーンがマイクに愛想を尽かすならば、とっくに別れているだろう。
二人の仲は極めて良好だ。
それはつまり、頭脳には期待していないということでもあるが。
村の女性陣が何人か見送りに来ていた。
帰ってきた男たちに食事を提供したりする役目のある者たちだ。
主に子どもが生まれておらず、戸締まりをしっかりして集まったほうが安全な女性が、この場に来ていて、タニアもその一人だ。
「タニアさんも気をつけてね」
「私はみんなと一緒にいますから。エイジさんも怪我したらダメですよ?」
「大丈夫です。でも心配だから、安全祈願にちょっとキスしてください」
「ええっ、みんなの目があるじゃないですか」
「無事に帰るためです」
「は、恥ずかしい……!」
キスは一瞬だった。
唇に少しだけ、柔らかな感触があったかと思うと、すぐに離れてしまう。
それが少し寂しいが、衆人環視の中、勇気を振り絞ってくれたのだ。
贅沢は言えないだろう。
はやし立てる男たちの声に、タニアは顔を真赤にして俯いてしまった。
同じようなことをする別の夫婦も出てきた。
子持ちの夫は相手がその場にいないため、それをただ眺めているだけだ。
けっ、爆発しろ。
そんな声が聞こえてきた気がした。
出発をはじめた男衆に向かって、タニアはいつまでも手を振っていた。
恐らく姿が見えなくなっても、手を振っているんだろうな。
タニアは前の夫を戦で失っている。
きっとこうして狩りに送り出すのも、かなりのストレスになっているだろうことは容易に想像できた。
手に槍と盾、松明を持ち、時折交代しながら台車を押す。
隊列は三列縦隊で、エイジは常にその中ほどにいた。
マイクは常に先頭に立ち、後ろはフィリッポが固めている。
猟犬のジェロも常にマイクの隣を歩いていた。
その敏感な嗅覚で、狼の姿を発見しようとしているのだろう。
時折止まり、少しずつ進路を変更する。
ガラガラと車輪の動く音が大きく響く。
最初は村の道を歩いていたが、やがて道から離れて羊や山羊の飼われた牧場へと移動していく。
足場は徐々に悪くなり、そして視界は暗く、見通しがきかなくなってきた。
「現れますかね、フェルナンドさん」
「さてね。あいつらは鼻が良いし、羊を囮にするって言っても、いったいどれだけ上手くいくんだか」
「ヘタしたら待ち伏せされているのを感づいて、別の所を襲いかねませんよね」
「まあ、そこらの習性もわかった上で、動かしているんだろうが……」
「心配ですね」
「心配だ……」
目と目を合わせ、頷き合う。今、二人の心はひとつになっていた。
はぁ、と溜息をつくと、改めて隊列を見渡す。
本来羊が囲われている牧場の中を、わざと三匹ほど置いておき、他の羊は別の柵へと移動させる。
狼がやってきたところ、柵を閉めて逃げ出せない状態にし、周りから包囲し徹底的に叩く作戦だ。
視界の悪いところ、結構な距離を歩くためか、みな一様に疲労を感じ始めている。
視線は左右に走り、暗闇の中いつ狼が襲ってきても対応できるよう、気を張り続けているのだ。
狼は手強い。
彼らは集団で、用心深い戦い方をする。
人は弱く、傷つきやすい。
策が成功したとしても、狼は囲まれれば命を賭けて、死に物狂いでかかってくるだろう。
そうなれば必ず被害が出る。
そして人にとっての勝利は、自分たちが傷ついていてはダメなのだ。
少しでも傷つけば、病に倒れて死人が出る恐れがある。
犠牲のない、一方的な勝利でなければならない。
それは、とても難しい。
不意にジェロが止まった。
闇に向かって唸り声を上げている。
それは風下の方向だった。
闇は深く、その前を見通すことはできない。
いると言われればいるのかもしれない。
耳を澄ませば今にも狼の息遣いが聞こえてきそうだった。
……ハッ、ハッ、ハッ。
聞こえた。
一瞬、男たちの動きが止まった。
微動だにせず、全員の意識が一方へと釘付けになる。
だが、荒い呼吸音はいつしか一方ではなく、前後左右から聞こえるようになっていた。
……ハッ! ハッ! ハッ!
フェルナンドが盾を構えて、表情を険しくしている。
外側に立っていた男たちが闇に突き出すようにして、松明を掲げる。
暗闇から薄く、ぼんやりと狼の姿が浮き上がる。
「これってもしかして……」
「ああ、俺たちが囲まれちまってるな」
策が成功して、囲んだ状態でもケガは免れないだろう。
では、逆に囲まれれば――。
誰かがポツリと言った。
「最悪だ。死人が出るぞ」
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