第32話 移民の歌

 残った牛は慣習として丸焼きにされる。

 イノシシやブタと違い、牛を丸焼きにするとなると大変なはずだ。

 男衆の中でも力自慢が集まって杭を通していき、吊るすと直火で炙りはじめた。

 巨体だ。火に炙りながら、くるくると回していく。


 焼けた外側から切り落としていくとはいえ、火が通るまでかなり時間がかかるだろう。

 神に捧げた後は、人々が責任をもって口に収めて処分する。

 そんなところに精神性と現実性が合理的に組み合わさっていた。


 丸焼きの肉ができるまでの間、先に潰していた牛と豚の合い挽きハンバーグが村人に配られた。

 配られた先から歓声が聞こえてくる。


「こりゃウメエ!」

「や、やわらけえ! こんなやわらかい肉初めてだぜ!」

「この臭いと味は牛と……豚だな。それも割合はおよそ七対三。筋繊維を切ることで肉の硬さを消し同時にパン粉を使いふんわり感を出し、豚を混ぜることで脂の味を引き出す。牛肉の臭みは牛乳と卵、それに各種ハーブで対処し、チーズでこってりとした味わいを重ねている。そして付け合せにはピクルスか。この味の調和……総評するなら、旨い」


 一部を熱狂に巻き込みながら、基本的には好意的に受け入れられた。

 気に入られるだろうとは思っていたが、実際に喜んでもらうとホッとする。

 硬い肉のほうが、食べごたえがあっていいという意見もでた。


 じっくりと噛んで食べることから、お腹が膨れやすいという利点もあるのだという。

 みんなアゴが丈夫すぎるんだ。

 焼かれたパンひとつとっても、歯ごたえがまるで違う。


 エイジと比べると、驚くほど皆アゴの力が強い。

 そんな意見のものは、供物として捧げられた丸焼き肉と、その人のハンバーグを交換することで、不満のないように自然と対処されていた。

 特に歯の悪い年配の人からは、とても喜ばれたのがエイジには嬉しかった。


「つまり、私のアゴの力は、この村の歯の悪い年寄り並ということか……」


 急に老けたような気になった。






 祭りの雰囲気に当てられたかな。

 エイジは酒が配られれば飲み、ハチミツ入りのパンを渡されれば食べると基本的に断らないでいた。

 この半年ほどで最も贅沢な食事を口にして、少し酔いが回るのを自覚する。


 だが楽しい。

 久々の贅沢は美味しかった。

 冬の夜の寒さに負けないくらいに火を焚いて、満天の星空のもとで酒を飲むと、心が開放的になった。


 隣には自分の仕事の終えたタニアが、遅まきながらの食事をとっていた。

 その顔はアルコールで紅潮している。


「タニアさんがお酒を飲むのは珍しいですね」

「お酒を飲む女性はいやですか……?」

「いいえ、普段飲まないから不思議に思っただけです」

「良かった。だって酔っ払っちゃったら、恥ずかしいです」

「ちなみに今は」

「ほろ酔い気分です?」

「で、後ろに並べられた徳利は?」

「お腹の中です?」


 なぜ疑問形なのか。

 いつもの理知的な瞳がしっとりと濡れている。

 表情もやわらかく、身動きもどことなく緩慢だ。


 口元に手を当ててほうっと息を吐くさまは、見とれるほどに色っぽい。

 まっすぐ座っているのが疲れるのか、エイジにしなだれかかる。

 肩口に感じる体温が熱いくらいだ。

 この広場全体がどことなく温かいのも、人の発する熱によるものだろう。




 タニアはハンバーグを口に含むと、驚きの表情を浮かべた。

 あら美味しいとつぶやき、それからしばらく黙りこんだ。

 エイジを見る目は、アルコールに酔ったものではなく、真剣なものに変わっている。


「……これってエイジさんが提案した料理ですよね」

「ハンバーグですね。でも作ったのは私じゃないですよ」

「こんな美味しい料理を作れるなんて知りませんでした」

「いや、だから作ったのは」

「でも、人に教えるくらいだから、自分でも作れるんですよね?」

「それは、まあ」


 まいったな。

 エイジは困惑を隠そうと頭をかく。

 この話の流れでは作ることになりそうだ。

 やれば出来ないことではないが、仕事を終えて家事までするとなると負担が大きい。

 可能ならば家のことはタニアに任せたい、とエイジは思う。


「お願いがあるんですけど」

「何ですか?」

「私にエイジさんの知ってる料理を教えて下さい」

「そう言われても、私もあまり詳しくありませんよ?」


 作れというわけではないのか、と少し安堵しながらも、別の問題に頭が痛い。

 白米も味噌も醤油もない。

 トマトやジャガイモもなく、イタリアンは全滅だ。


 いったいどれだけのものが作れるのか。

 実際のところエイジ自身もわからないので自信がなかった。


「エイジさんが食べていた味を少しでも再現したいんです。エイジさんは私の料理に文句ひとつ言わずに食べてくれていますけど、好みに合わせたほうが良いじゃないですか」


 たしかに毎日口にするものだ。

 この時代、この技術ならこんなものかと思うより、少しでも自分の好みに合わせたほうが今後の生活に彩りがある。

 ゆっくり考えるエイジに、タニアはハラハラとした表情で待っている。


「じゃあ、作り方だけお伝えするので、お願いします」

「あ、ありがとうございます」

「でも、今の食材じゃ難しいものもありますよ」

「どれだけ時間がかかっても、いつか成功させます。だから、ちょっと気長に待ってくださいね」


 少しでも美味しいものを食べてほしい。そんな妻の優しさが嬉しかった。

 手に入る材料で考えたら、洋食だろうか。

 やっぱり早く畜舎を作って家畜を増やせる環境を整えたい。


「でも、それは明日からにしましょう」

「今日はしっかり食べて、飲むんですね」

「飲むのはほどほどにね」

「はい」


 うれしさを隠そうとしない、飛び切りの笑顔に、思わずエイジは見惚れた。




 広場の前方に、十人ほどが集まっている。

 その人物に向けて、他の村人が拍手や口笛などで迎えている。

 一体何の催しだろうか。

 タニアが杯を傾けながら、指さした。


「あ、歌が始まりますよ」

「歌うのは……あれはジェーンさんですね」

「ジェーンさんは歌がすごく上手なんですよ」

「普段から芯に響く声ですからね。いつも急に声をかけられるとびっくりするんですよね」


 あの体型だから、オペラ歌手のように響く声が出せるんだろうか。

 ジェーンの体型に失礼な感想を抱きながら、歌を待つ。

 楽器を構えるのが五人、前に立ち歌うのが五人。ジェーンが一番前に立っている。


 やがて前奏が始まった。

 縦笛に太鼓、ギターのような楽器が旋律を奏でる。


 それは移民の歌だった。

 住み慣れた故郷を離れ、親や友人と別れ、新たな土地へと旅立つ歌だった。

 住むのに適した場所を求め、山を越え、森を抜け、海を渡る歌だった。

 ともに旅するものが時に病に倒れ、怪我で脱落し、それでも希望を捨てない歌だった。


 どうしてだろう。

 どうしてこんなにも、悲しい気持ちになるんだろう。

 気づけば、胸の奥から堪えようのない寂しさが湧き上がってきて、それを抑えることができないでいた。


 声を出さず、ひっそりと――エイジは泣いていた。

 嗚咽をあげず、息すら殺し。

 誰にも気付かれないよう、祭りの楽しさを損なわないよう――独り。


 この村の誰も、歌の気持ちはわからないだろう。

 故郷を離れた先祖と違い、彼らはこの村に生まれた時から住み着き、育ってきたから。

 それが悲しい。

 自分独り、取り残されたから。

 それが嬉しい。

 同じ悲しい気持ちを抱く人がいないから。


 父さんはどうしているんだろうか、とエイジは考えた。

 元の世界での自分の扱いはどうなっているんだろうか。

 死んだことになっているのか、それとも行方がわからない状態だろうか。


 不器用で、あまり面と向かって好意を表す人ではなかったが、その分情に篤い人だった。

 心配して体調を崩していないだろうか。

 父親が落ち込む姿が容易に想像できる。


 食事もほとんど自分で作らない人だったのだ。

 痩せてはいないだろうか。

 鍛冶の仕事は続けているだろうか。


 元いた場所の友人、世話になった知人、いろいろな人が思い浮かんだが、何より父のことが気になった。

 二度と消息を知ることが出来ないならば、それは永遠の別れ、死と変わらない。


 会いたい。

 会いたいな。

 一言でいいから、自分は無事でいますと伝えたかった。切実に願った。

 色々な問題が次から次へとやってきて、大変な思いもしているけれど、それでも妻を娶り、鍛冶師として腕を磨く毎日ですと、教えたかった。


 歌は続いている。

 視界は涙でぼやけているが、それでも声は耳に届いてくる。

 不意に、頭を抱えられた。


 気づけば転ばされ、膝枕の体勢になっていた。

 やわらかい温もりが伝わる。

 満天の星空と、優しい妻の顔。


「寂しいですか?」

「……はい」

「エイジさんの会いたい人に、会わせてあげることはできないけど」


 言葉が途切れると、頭を撫でられた。


「私がここにいます。どこにも行きませんから、安心してください」

「これじゃ、以前と逆ですね」

「本当です。いくら寂しいからって、泣いちゃう、なんて、反則です」

「ごめんなさい。でも、あと少しだけこのまま」


 タニアの声も、涙混じりになった。

 自分のことのように悲しみ、涙を流してくれる人がいる。

 それがエイジにはとてもありがたく感じた。

 胸の奥に空いた恐ろしいまでの孤独が、すこしずつ小さくなっていくのを感じる。


 いくつもの星が空に広がる。

 その一つに、地球もあるのだろうか。

 それとも、時代が違うだけで、ここが地球なんだろうか。


 伝わらないとは思うけれど。

 父さん、私は元気でやっています。どうか父さんも、お元気で――。


 気づけば歌は終わり、万雷の拍手に包まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る