第30話 豊穣祭の準備2

 昼も過ぎると、祭りの準備も大半終わるようになった。

 エイジも料理の手順を説明し、後は料理上手な女衆に任せることにした。

 その後は食料物資の搬入に、大量の水汲み、枯れ木の調達と足を使う仕事を手伝った。


 風は冷たかったが、ひたすら荷物を持って歩き続けていたから、寒さを感じなかった。

 空には雲もなく、祭りにピッタリな快晴だ。

 真上に太陽が輝いていた。


 今も要領の悪い人間が動き回っているが、残りは祭りに向けて待つだけといった男たちが広場に残る。

 一年でも数少ない休日だ。

 それも丸一日休めるのは、この冬の間くらいのものだろう。


 ほとんどの人間がめいめいに集まって、楽しそうに言葉を交している。

 表情には笑顔ばかりが浮かび、広場に明るい空気が流れる。


 エイジは一体どの輪に入ろうかと見渡し、いつものメンバーが固まっているのを発見した。

 同じタイミングで気付いたのか、草地に座っているマイクが手を振って呼ぶ。


「おい、エイジこっちこっち」

「もう皆さん仕事は終わったんですか?」

「当たり前だろ。さっさとしないと母ちゃんにどやされちまう」

「あんた、まだやってるのかい。とろとろ遅いね! ってね」

「そうそう。めちゃくちゃ怖いんだぜ」


 恐れるように体を震わせるマイクを、周りの男達が笑う。

 猟師のマイク、大工のフェルナンド、木こりのフィリッポ、農夫のジョルジョとベルナルトと、知る人ばかりだ。

 ある程度認められたとはいえ、普段顔を合わせない村人とはどうしても軽く緊張してしまう。


 すぐに見つかってよかった。

 すぐ隣まで来ると、豊穣祭のために用意された筵を敷いて、そのまま座る。

 男たち一同で円座を組む形になった。


「いい所に来たべ」

「いま面白い話をしてるところだったんだ」

「お前さんも参加するよな」

「する、な?」


 ホッとしたのもつかの間、男たちの顔に浮かぶ笑みを見て、少し警戒する。

 恐らくろくでもない内容だろう、と。

 話題の中心は、村の女で自分の妻を除き、最も魅力的なのは誰かということだった。


 くだらないとは思ったが、笑えない。

 昔は自分も似たようなことをした記憶がある。

 高校で誰が一番可愛いか。大学では誰が一番美人か。


 懐かしい話だ。鍛冶師として生きるようになってからは、とんと縁のない話だった。

 彼らはこの時期になると毎年話し合っているのだという。

 まず、ベルナルトが自分の考えを述べた。


「オラはフェルナンドのところの嫁っ子が一番キレイだと思うだ」

「ああ、まあ確かに」

「な、納得だ」


 フェルナンドの妻のアデーレは、村の出とは思えないぐらい上品で落ち着いた美人だ。

 非常に丁寧な物腰で、一つひとつの動作に気品がある。

 エイジに対しても初対面からとても親切にしてくれた。


 なんでも、こうした祭日の巫女を務めるため、挙措を昔から伝え教えられていると聞いた。

 ベルナルトの言うことは一理ある。

 キレイという意味では、確かに一番しっくりくる女性だ。

 妻を褒められたフェルナンドは、やや照れながら、自分の候補を挙げた。


「可愛さで言えば僕はフィリッポの嫁さんだと思うな」

「確かに。あの小さな体で、フィリッポとよく付き合えるな」

「んだ。潰れてしまうんじゃないかと思うだ。この前水桶もって川から家に帰る時、フラフラしてたから、つい手伝っちまっただ」

「つい守ってあげたくなるね。それに笑った顔がすごく健気な感じがするじゃない。僕が推す理由はそこかな。――いいかい、魂に刻みこむんだ。“小さいは正義”」


 フィリッポの嫁のエヴァは身長が一四〇ぐらいしかない。

 れっきとした成人で、子供も三人産んでいるのだが、二メートル近いフィリッポのとなりに並ぶと親子としか思えないぐらいの差がある。

 最初に夫婦だと聞いた時、エイジは思わず犯罪だろう、と思ってしまったのを思い出す。

 夫婦仲は新婚同然の熱さで、常に甘い空気を振りまいている。


「あ、あいつは本当にもったいないくらいの嫁だ。……だけど、嫁以外に一人選べと言われたら、た、タニアが一番魅力的だと思う。最近本当に幸せそうだから」

「ああ、確かに。もともと美人だから、最近しっかり食事もとるようになって、余計綺麗になったなあ」

「昔のタニアは本当に美人で、そのくせ可愛らしさがあってよ。まだ独り身の男のほとんどが、タニアを嫁にしたいと思ってたんだぜ。まあ、結局外から血を入れることになったがよ」


 マイクの口からしみじみと語られるタニアの過去に、もっと早く出会いたかったな、と思いが浮かぶ。

 きっと今とは違う色々な思い出を作ることが出来ただろう。

 もちろん今からでも楽しい記憶がいくつも作れるだろうが、少しだけ悔しい。

 中学生や高校生ぐらいのタニアはどんな姿だったのだろうか。


「タニアを隣で見てきた俺も、確かにそう思うな。エイジ、おめえはよくやってるよ」

「タニアさんが魅力的なのは当然です。むしろ全員一致にならないのが不思議なくらいですよ」

「のろけやがった」

「おでの母ちゃんが候補に上がったことなんて一度もねーんだぞ。ナマイキだぁ」


 ベルナルトとジョルジョが冗談半分に声を上げると、まあまあとマイクが抑えるように手を挙げる。

 ジョルジョさんの叫びがあまりにも悲痛で、思わず慰めたくなった。もちろんそんな事をすれば火に油を注ぐ結果になるのは、想像に難くない。

 もともと豊穣祭を前にした余興だ。

 だれも熱を上げて口論をするつもりはない。


 だが、悪ふざけは存在するらしい。

 マイクは突然にやりといやらしい表情になったかと思うと


「注目!」


急に立ち上がり、片手を上げると大きな声を出した。

 それは周りにいる誰もが思わず顔を向けるほどの大声だ。

 周りにいた男衆が会話を止めて、マイクに注意するのが気配でわかる。


「熱い夏の夜の日の事だった! 一人の男が、指輪を片手に、“タニアさん。鉄は叩いて強くします。僕はあなたに言葉をぶつけ、愛を強く確かなものにしたい。真っ赤に燃える鉄のように、熱い恋をしましょう”」

「な――、の、覗いてたんですか!」

「指輪がはめられる。“愛します。何が起ころうと、そして自分の何がわかろうと”」

「や、止めてください!」

「ボーナの婆さんに言われて、お前たちの仲を確認させられてたんだよ。糞暑くて虫がブンブン飛ぶ中で覗くがわの立場にもなってみろ。おまけにあんなイチャイチャした光景見せやがって」

「いや、若いってイイね!」

「んだんだ。それならタニアが一番魅力的で決定だ」


 やめてくれ!

 かーっと血が昇って、恥ずかしさのあまり言葉を口にすることができない。

 エイジ、エイジとはやしたてる男衆を、口をパクパクさせながら、精一杯睨むが、それもあまり効果はない。

 悪ふざけにノッた彼らは、少しも収まる気配がない。

 一発殴って止めさせてやろうか。珍しくそんな物騒なことをエイジは考えた。


――だが、それは唐突に終わりを告げた。


「あら、ワタクシ、こんな熱い言葉で求婚された覚えなんてないですけど、フェルナンドさん?」

「ア、アデーレ?」

「せめてもーちょっととアタシに指輪の一つでも贈ってから、人を笑いものにしたらどうだい、あんたぁ!」

「ジェーン!?」

「フィリッポさん聞きました。ワタシより、タニアさんのほうが好きなんですか?」

「エヴァ! 誤解だ」


 大声に周りにいた女の誰かが呼びに行ったのだろう。

 気づけば男衆の嫁たちが勢揃いして、包囲していた。

 にこやかな笑みを口元に浮かべているのに、背筋が凍るように寒い。

 目が、目が笑ってない。


 あの朴訥だが誰よりも頼もしく見えるフィリッポさえ、狼狽し冷や汗をかいている。いつもの巨体が今は小さく見える。

 とうてい言い逃れできない状況だと悟ったのだろう。

 大きな体を小さく折りたたみ、青ざめた表情で必死に許しを請うている。


 フェルナンドは普段の飄々ひょうひょうとした態度からは嘘のように平静さを失い、狼狽ろうばいしている。


 自分の番が回ってこなくてよかった。

 エイジは幸運に心から感謝する。

 朝、あれだけ甘えておいて、ほかの女性の魅力について話してなんていたら、タニアさんがいったいどれほどへそを曲げるか。

 想像するだけで恐ろしい。


 謝り倒している男達を横目に、エイジはそろそろと後ろ足に輪から離れる。

 トン、と背中に優しい衝撃が走った。


「誰……ってタニアさん!?」

「はい」

「もしかして見てました?」

「いえ、詳しく聞きました。見られてたんですね」

「そうみたいです。まあでも、聞いてください」

「はい?」

「見られててもなにか変わるわけじゃありませんから。告白した言葉も、その思いも、本物です」


 顔を赤くしてうつむくタニアさん。

 今日はお互いよく赤面する一日だ。

 だが、今回は人の目があるから、黙っている訳にはいかない。


「ああ、お前たちだけイイ雰囲気になりやがって」

「ゆ、許さない!」

「そうだそうだ。僕なんかこれからお仕置きされるんだぞ!」

「んだんだ!」

「人の一生に一度の告白を笑いものにしたあなた達が悪いんです。自業自得ですよ」


 卑怯者、裏切り者、そんな罵声が聞こえるが、気にしてはいけない。

 どうせ祭りが始まれば、みんなケロッと元気な顔で戻ってくるだろう。

 それまでの間、自分はタニアさんと楽しめばいい。

 そんなふうに考えたエイジは、目くじらを立てている女衆に深々と頭を下げた後、その場をそそくさと後にした。

 後ろから、大きな悲鳴が響いていた。






「で、エイジさんは誰を候補に上げるつもりだったんですか?」

「いや、私は家と鍛冶場ばかりの往復で、ほとんどの女性を詳しく知りませんからね」

「そうですか?」

「そうですよ」

「そうですか。……」


 顎に人差し指を当てて考え込んだタニアを前に、エイジは無言で表情を保つ。

 嫌な汗が背中に流れる。

 嘘ではないが真実でもない。

 鍛冶場で作る道具は、全てオーダー制だ。

 使用者の体格や普段の使い方、希望などを聞いて、その人に最もあった一品を作る。


――世界でただ一つの、ただ一人のための道具。


 だから時にはその人の生活習慣や性格など、色々なことを質問することはある。

 フェルナンドの妻、アデーレは華奢な体に相応しい細身の包丁を望んだ。フィリッポの妻のエヴァは、夫の大食のために大きな寸胴鍋を欲しがった。


 情を移すほど触れ合ったわけではないが、まったく知らないという関係でもない。

 ああ、綺麗な人だなとか、可愛らしい人だなといった感想を抱いたのは確かだ。

 後ろめたいことはしていないが、言えばきっと感情を害するだろう。


「信じますよ」

「どうぞ」


 そういってくれたタニアに、エイジは少しホッとしながらも、平静な声で答えた。

 どれだけほかの女性に一瞬目が奪われようと、それは魅力とはまた別の話だ。一緒に暮らし、一生を共にするのは妻だけだ。

 今頃折檻されているだろう男たちもそれは変わらないだろうと、エイジは思った。

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