第29話 豊穣祭の準備1
冬の一日は短い。
明かりがとても貴重な時代だから、一日は朝から夕までしか存在しないようなものだ。
必然的に夜は早く寝る。
その代わり、朝は夜明けよりも前、最も空が暗い時間に起きる。
朝だった。
扉を閉めた部屋は薄暗いが、太陽の気配がする。鶏が夜明けを告げていた。
エイジはベッドから起き上がると、ひやりとした空気に身を震わせ、もう一度潜り込む。
ああ、あったかい。
やっぱりベッドは最高だ。
作りたいとずっと考えていてようやく完成したベッドは、大きく成長した古木を贅沢に利用したクイーンサイズほどもある大きな物だ。
部屋が狭くなると文句を言いながらも、タニアもベッドを喜んでいた。
掛け布団には、綿シーツにすこしずつ集めた羽毛を収め、暖かな羽毛布団を作った。
敷き布団は綿花の量が少ない。せんべい布団のように固い弾力だけが難点だが、藁に
出来上がった時は手放しで喜んたものだ。
その後、一人で床に寝ることになったりもしたが。
それから、これまでは寝起きの良いと思っていたタニアが、この暖かさのせいか、早朝に起きられなくなっていた。
今もすぐ隣で静かに寝息を立て、夢の世界に旅立っている。
朝は自分より早く起き、寝る時はほぼ同時と、普段あまり隙を見せない女性だから、こうしてじっと寝顔を見る時間は貴重だった。
いつもお疲れ様。
苦労に感謝しながら髪を撫で、そのまま手はやわらかな頬へと移動する。
指で押さえるとぷにっとした感触が返ってくる。
やわらかいな。
タニアの体はどこを触ってもやわらかい。
それは女性らしい丸みを帯びる胸や尻だけでなく、四肢についても同じだ。
だが、一切だらしなさは感じない。
その奥には過酷な環境に鍛えられた、しなやかな筋肉がある。
女性特有のまろやかさと、しなやかさ。
それが美しい割合で同居している。
エイジの手がタニアの体を撫でていく。
首筋から鎖骨を撫で、豊かな乳房に届く。
手のひらでは覆えないくらいのサイズ。
そのすぐ下では肋骨の形がわかるというのに、素晴らしいボリュームだ。
外国人は体格が違うというけど、やっぱり村の中でも肉付きの良い女性が多いんだよな。
指を動かす。ふにふにと合わせていくらでも形を変える。
肌理の細やかな肌は吸い付くようだ。
どうしてこんなに落ち着くんだろう。
いくらでもこうしていたい気持ちになる。
遠慮なしに触れ過ぎたのか、タニアのまぶたがピクピクと動き出す。
何事もなかったように手を引こうか、いや、それとも堂々としておこうか。
考えている間にパチリと目が開いた。
「ん……あ……」
「起きました?」
「おはようございます。……また胸を触ってたんですね」
「魅力的すぎて」
「あん」
話しながらも手は止まらない。
タニアの口から甘い声が漏れる。
だが、そこに欲情はない。
あくまで口先だけのものだ。
タニアの見つめる視線はまだぼやっとしている。
低血圧なんだろうか。
「ほんとうにオッパイがお好き。赤ん坊みたいです」
「母親を知らずに育ったので、母性に餓えてるんですよ」
「あら、そうだったんですね」
意外そうな顔をした後、タニアが抱き寄せてくる。
大きな胸が視界にいっぱいになる。
頭を抱かれ、撫でられる。
「ほーら、お母さんですよ」
「恥ずかしいですよ」
「でもエイジさん、ときどきすごく子どもっぽい時ありますよね。必死にオッパイ吸ってきたり」
「男ですから……。というか、今日は怒らないんですね」
いつもなら、朝から何をしているんだ、と叱られるのに。
今日のタニアの態度はとても優しい。
素直に嬉しい半面、何か要求されるんじゃないだろうか、なんて裏を読んでしまって、落ち着かなかったりもする。
「祭りの日ですからね。今日一日は仕事もないし、特別です」
「そういうことですか。じゃあほんの少しだけ、甘やかせてください」
「ふふ。本当にちっちゃい子みたい」
「今日は特別です。特別」
たっぷりと甘えた。
「さあ、朝食にしましょう」
「もう少しだけ……」
「そろそろ起きる時間ですよ」
「分かりました。ちなみにその後の予定は?」
一瞬の隙にタニアはすっと起き上がり、上手くすり抜けられる。
何もなければイチャついて時間を過ごしたい。
そんなエイジの考えを前に、タニアは微笑を浮かべる。
「楽しい祭りには準備が必要ですよ。私たち女衆は踊りの打ち合わせや料理の準備です。男衆は舞台の設置とかがあるって聞きましたよ」
「私は故郷で覚えた料理を今日出すつもりです」
「エイジさんって料理もできたんですね」
どうして作ってくれないのか、という視線に、苦笑が浮かぶ。
エイジは料理をしながら薪で火の強さを調整したりする自信がなかった。
いくら鍛冶で火を扱っていても、仕事で扱っている技術とはまた別問題だ。
何気なく、しかし毎回おいしい料理を作ってくれる妻は本当にスゴイ。
「男料理だから、タニアさんの美味しい料理には負けちゃいますよ」
「美味しいものを食べて欲しいって、愛がこもってますから」
「いつもごちそうさまです」
「……」
やばい。顔が熱い。
気恥ずかしい。
言っていて自分で恥ずかしくなったのか、タニアも顔を真赤にして俯いた。
お互いかける言葉も無い。しばらく甘く身悶えしたくなるような沈黙が続いた。
ゴホン、と咳払いをして、思わずはにかんでしまいながら、家を出る。
「水、汲んできます」
「お願いします」
顔を見合わせて、お互いに恥ずかしそうに笑いながら、それぞれが朝の準備を始めた。
豊穣祭の準備は村中総出で行われていた。
場所は村長の家から西に向かい、広がる森の手前だ。
その辺りの森は底なし沼になっていて、普段から立入禁止の区域になっている。
手前の広場は今枯れ草が刈られ、篝火の準備や、焚き火の準備がされている。
傍には大量の酒やそのまま食べられる果実などが集められている。
中央には古い壇があり、人が十人ほど動き回れる舞台のようになっている。
これが祭壇と呼ばれるものだろうか。
他の建物は食料庫などを除きほとんどが木造であるのに、この祭壇は完全な石造りだった。
それだけ長らく使うことを考えられた、重要な施設だということだろう。
「エイジ、こっちだよ!」
あたりの様子を確かめていたエイジの姿を認めたジェーンが、大きな声で呼ぶ。
相変わらず女衆のまとめ役なんだな。
数人の村の女がジェーンに指示を仰ぎ、それぞれすぐに持ち場へと移動していく。
ジェーン自体はパンを作っている最中だった。
普段は滅多に食べることのない白パンが練られ、しかもハチミツを混ぜている。
結婚祝いの時以来の贅沢だ。
味を想像すると、思わず唾液が溢れる。
いくら料理技術が上手くても、使える素材が限られていると、美味しさには限りがある。
こんな素材でタニアさんが作ってくれたら、そんな想像をしてしまう。
「よく来てくれたね」
「すごい活気ですね」
「当たり前だよ。一年の収穫を願う豊穣の女神の祭だからね。どの祭りよりも力が入るってものさ」
「なるほど。たしかに実りのでき次第で、餓えるかどうかが決まりますからね」
「それだけじゃないよ」
「というと?」
「豊穣の女神は子宝を授けてくれる神様なんだ。タニアもそろそろ子供がほしいみたいだし、アンタもしっかりお祈りしておきな。それより夜を頑張るほうが大切かもしれないけどね」
ハッハッハと豪快に笑いながら、バシバシと叩かれる肩が痛い。
ジェーンは多産傾向があるのか、子どもを七人も産んでいる。
うち四人は成人になる前に病で死んでしまったが、残る三人は元気に育ち、家の手伝いをしている。
そろそろ弟か妹を、なんて話を聞くぐらいだから、まだまだ夫婦仲は良好なのだろう。
「私は大丈夫ですが、マイクさんがやつれてましたよ」
「なーに、体力がなくちゃ猟師なんてできないさ。まあ、アンタがそう言うなら、今度精のつく料理を食べさせることにするさ」
狩人だから、肉にありつける回数は誰よりも多いはずだ。
恐らくニンニクやタマネギといった野菜に加え、レバーのような内臓系の料理が出るのだろう。
辺境の女は強い。
そしてその強さは単純な筋力だけに留まらないのだった。
朝、顔を合わせた時のぎょっとするほど憔悴したマイクの顔を思い浮かべ、心のなかで手を合わせた。
ご愁傷さまです。
そのうち腎虚にでもならなければ良いけど。
「まあ、うちの旦那のことは私に任せておけばいいんだよ」
「それはそうですね」
「それで、アンタは何を作るつもりなんだい? なんでも食べたことのないような料理を教えてくれるそうじゃないか」
「それがですね、ハンバーグというものを作ろうと思うんです。作り方は――」
「へえ、良いじゃない。味のほうも期待していいんだろ?」
エイジが考えたのは、一体どうすればこの村の食材をしっかりと使い切って、美味しいものをつくれるかということだった。
なにせ使える材料には限りがある。
牛、豚、鶏といった家畜は揃っている。
だが野菜はタマネギ、ニンジンにニンニク、カブにクレソンといったところだ。
イタリア料理に代表されるトマトやジャガイモはない。
エイジが自分で作れる西洋料理はイタリアンがほとんどだったが、そのイタリアンではトマトをすごく使用するという問題があった。
さらなる問題は、味付けだ。
単純にフライを作ってもいいが、ソースがない生活のため、自分の中で納得できる味が作れそうもなかった。
ソースの材料である野菜や果物は、腐りそうなら全てお腹に収めるのが、この時代の食糧事情だ。
味は二の次、一番は栄養だから無理は言えない。
今後食料に余裕が出てきたら、絶対に改善に着手しようと思っている。
米は諦めるにしても、醤油や味噌、ソースあたりはぜひとも作りたい。
ハンバーグならば多少塩味をきかせ、ハーブで香りづけすれば旨いものが出来るだろう。
ハンバーグの優れている点はもうひとつあって、それはミンチ肉だけにスジなどの普段捨てられてきたあらゆる素材がそのまま使えるということだ。
「手の空いてるの集合!」
説明を終えると、ジェーンは早速女衆に新たな指示を飛ばす。
今日の祭りのために用意されていた牛と豚を即座に
血がとか、内臓がとか悲鳴を上げたり、目をそらしたり、そんな可愛らしい反応を見せる女が一人もいない。
むしろ心のなかで悲鳴をあげたのはエイジの方だった。
つぶらな瞳が悲しそうに見開かれていると、思わず顔を背けたくなってしまう。
もちろん、飼い育てていた飼い主は世話をして情を注いだ分悲しいだろう。
だが、この場にいる誰もがそんな反応を見せなかった。
ああ、現代とは違う世界に来たんだなあ。
綺麗に血抜きされたパック肉が並ぶ世界とは違うのだ。
脳ミソは取っといて鞣しに使うよ、などといった声が上がり、誰もそれを拒否しない世界なのだった。
昔の女性は強かったんだなあ。
もちろん彼女たちもなりたくてそうなったわけではなく、環境が強くさせたのだろう。
だが、人としての強さの違いをまざまざと見せつけられる気分だった。
タニアさんもこんなに強いんだろうか。
夫婦喧嘩したら多分負けるなと、少し不安になるエイジだった。
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戦時中、泥炭を吸い出していたら、底から古代人が発見されることが多かったようです。
保存状態が極めて良い例もあり、当時の人の生活を知る手がかりになりました。
生贄であったり、刑罰であったり。ほかには青銅製の腕輪なども捧げられていたことが分かっています。
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