第28話 冬の到来・皮なめし
秋が深まり、吐く息が白くなり、木の葉が落ちてしばらくが経つ。
そして冬が来た。
最初に季節の移り変わりを感じたのは空気だった。
それまではやや乾燥を感じた空気が、気づけば湿気に富んだものに変わり、そして空から雪がちらついた。
「冬か」
「雪が降ってきただ。もう畑仕事もしばらく休みだな」
ベルナルドが島田鍬を杖がわりにしながら、額の汗を拭う。
雪が降るほどの寒さでも、動いていれば体は熱い。特に開拓時の土を掘り起こす作業は重労働だ。
寒さも増したためか、土はより硬さを増したようだった。
「おめさんは寒そうだな」
「そうですね。住んでた場所も冬は寒かったんですが」
タニアに貰った毛皮のコートをはじめ、その後交換で集めた手袋に革ズボンと全身を暖かな皮で覆っている。それでも吹きつけてくる風に顔が冷える。
監督として見ているだけじゃなく、自分も体を動かせば良かったな。
「だいぶ拓けましたね」
「んだ。最初はみんなぶつくさ言っとったのに、芽が出ると分かった途端、黙って動くようになった」
視界の先、赤黒い土が広がる。
雑草や木の生い茂る原野とは違う、綺麗な畑だ。
ここまで大変だった。
手伝いのエイジでも苦労したと思うのだから、実際に開拓をしていたベルナルトやジョルジョはもっと大変だっただろう。
木は倒され、根は掘り返し、石塊を掘り起こし、細かな小石までをも除去する。
種植に間に合わなかった畑は雑草や藁をすきこんで、地力を増すようにしている。
それもしばらくは一段落だ。
冬の間、畑は雪が降るため、そのまま放っておくのが通例だった。
「冬の間は畑仕事以外に何をするんですか?」
「この村は
「それはスゴイですね」
「あとはフェルナンドの手伝いだな。農作業の手が空いた今が、大きな物を造るのにええから、一番駆り出されるだ。エイジも手伝いに呼ばれるんじゃねーか?」
「それはどうでしょう?」
冬の間も砥ぎをしたり、小物の修理や今後の開発に必要な物の段取りをしたりと、それなりに予定は詰まっている。
いきなり引っ張られることはないんじゃないかな。
いや、畜舎の設計についての話し合いなどで駆り出されることはあるか。
エイジの曖昧な返答に、ベルナルドが笑う。
「まあ、エイジには革はちとキツイかもしれんから、フェルナンドの手伝いのほうがええぞ。間違ってもマイクに手伝わされることにならんようにな」
「それはどういうことですか? 家が隣なんで、けっこう高確率で声がかかりそうなんですけど」
「なに、断ろうと気を付けておけば問題ねえ」
ハッキリ言ってくれないだろうか。
要領を得ない返答に、少し心がささくれ立つ。
別に手伝いが嫌なわけではないが、大変ならそれで心の準備がしたい。
しかし革がキツイとは、一体何のことだろうか。
まるで想像がつかなかった。
「革、革。気をつけることか」
「悩んでも、呼ばれなきゃ無駄になるだ。無駄になるようなことは考えねえことが一番だで」
「まあ、それもそうですね」
村の人達の考えは一見無駄が多いように見えるときがあるのに、ふとした瞬間とても合理的なことがあって、その度にエイジは深く感心してしまう。
例えばどんなに小さいものも決して無駄にしない。麦一粒でも、彼らは本当に大切に扱う。
一日一粒の麦を無駄にすれば、年間三六五の種が無駄になる。だが、農業というのはそれだけで終わらないのだ。
その種を植えて育てれば、次の年には七百を超える麦に変わる。
――ではこれが十年なら?
一生涯では恐ろしい数の損になることを、彼らは計算せずに心の奥深くで理解している。
彼らは山を見て、空を見て天気を見分ける。
天文学の統計的な知識がなくても、暦を理解していて、夏至や冬至を把握している。
しなければ作物が上手に育てられないとはいえ、その経験知には頭がさがるばかりだ。
「オラは帰って、祭りの準備するべ」
「祭りですか?」
「んだ、もうすぐ冬至だべ」
「冬至に祭りですか?」
「他にいつするんだ」
「いや、正月とか、クリスマスとか」
「なんだそら」
それはそうか。
ふしぎそうなベルナルドの顔を見ながら、エイジは納得する。
技術水準から考えて、とてもキリストが生まれている時代とは思えない。
ならばいつを暦の基準にするのが最も適当かといえば、国の創立記念日や、分かりやすい冬至などになるのだろう。
国といえる程の行政機関がないから、冬至になるのは不思議ではない。
「おめさんは本当に変わってるだな。まあ、不思議なことばっかりで面白くてエエけどよ」
「祭りでは私は何をすればいいでしょうか?」
「おめさんが何か面白いものでも知ってたら、それを見せてくれたらいいし、歌や音楽でもええし踊りでもええ、料理も喜ばれるべ」
なるほど。それなら自分でも何とかなるか。
料理も男二人の所帯だったから、作るのはもっぱらエイジの仕事だった。
男料理らしくあまり手の込むものは作らなかったが、それでもそこそこのものは出来る。
問題は調味料が殆ど無いことか。塩とハーブ、そして限られた野菜で何が作れるだろうか。
頭のなかに料理をいくつか考えながら、ベルナンドに礼を言って別れた。
何故こんなことになっているのか。
ベルナルトの忠告を真剣に聞かなかった自分を殴ってやりたい。
涙目になりながら、エイジは手を動かす。
マイクの家だった。
採光窓もない薄暗い室内には、大量の動物の皮が並んでいる。
一部は
革
「おら、エイジ。いい大人の男が泣きかけてるんじゃなくて、手を動かしてくれよ」
「分かってますよ!」
誰のせいで泣きかけていると思っているんだ。
エイジはスプーンの底がない、縁だけのような道具を手に持ち、皮に押しあててひたすら手を動かした。
皮の裏面には肉片や脂肪がしっかりとこびりついている。
それをこそげ落としていくのだ。
最初血の臭いと脂肪のヌルヌルとした感触に怖気づいた。
そして獣臭さに胃がムカムカとした。
獣脂石鹸を作った時に、タニアが相手をしてくれなかった理由がよく分かった。これなら確かに臭いが鼻について、愛を囁く気持ちにはなれないだろう。
その後臭いや刺激的な光景にある程度慣れると、今度は部屋の中で煙が焚かれた。
ピンと張られた皮に松葉や藁の煙を当てて、
エイジとタニアの家もそうだが、村の家には煙突がない。
そんな考えすらないのだろう。唯一あるのが鍛冶場だけだった。
煙の逃げる場所がなく、瞬く間に部屋中の空気が白っぽくなり、喉と目がやられる。
板で火を大きくしているジェーンが謝った。
「すまないねえ。旦那と私だけじゃ人手が足りなくてね」
「それは構いませんけど、ジェーンさん、この煙は何なんですか?」
「革を
「煙に当てて?」
「物によっては方法が違うんだけど、煙に当てて水分を取ると、革が柔らかく丈夫になるんだよ。同時に草汁に漬けて、色を染めてやるのさ」
「ほかにはどんな方法があるんですか?」
「油につけてひたすら叩いたり踏む方法とか、毛皮をとった動物の脳ミソを煮込んだ湯で漬ける方法とか、色々さ」
「私の知ってる方法と違いますね」
ポツリと呟いた言葉に、マイクが敏感に反応した。
「お前、皮の鞣し方まで知ってやがるのか」
「いえ、詳しく知ってる訳じゃありませんよ。特別接点があったわけではないですし」
「なんだっていい。教えてくれや」
エイジの知る限り、鉈や小刀の柄や鞘に使われる革は、おもにタンニン
牛革が多く、使っている内に光沢のある飴色がにじみ出てくるのが特徴だ。
エイジが職人となってからは、鞄や財布という小物は合成皮ではなく、全て本皮を使うようにしていた。ほかの職人と会う時に、持ち物によって評価が変わることがあるからだ。
大切に使えば使うほど味が出てきて、いいんだよなあ。
時々手入れをしたものだ。
この世界には唯一財布だけは持ってこれていたので、マイクに見せる。
「すげえ! おいジェーン、見てみろ。すげえぞ」
「なんだい興奮して。あらあら、こんな細かい加工、よく出来るねえ。こんなに薄く削るだけでも一体どれだけ時間と根気がいることやら」
「おまけにこの柔らかさ……。神業だな。使ってる革の材質は牛だな。これは別に変わらねえか」
マイクとジェーンが興味津々といった様子で財布を観察していく。
こんなに興味を持つなら、もっと早く教えたら良かったな。
エイジにとって二人は猟師ではあっても、皮革職人として意識することがなかったから、紹介しなかったのだ。
悪いことをした。
「で、この滑らかな触り心地とこの渋い艶をどうやって出すんだ?」
「たしかタンニンという植物に含まれた液に漬けるというぐらいしか知りませんよ」
「隠してるんじゃないだろうな」
「しませんよ」
「まあ、隠すつもりならこれまでの技術も全部隠してるか」
「第一、専門じゃない私が隠して自分でやっても、とうていマイクさんたちに勝てるとは思えません」
「そりゃそうだ」
タンニンといえばお茶と柿、ワインぐらいしか思いつかない。
一体どうすれば良いのか、まるで詳しい方法はわからなかったが、とにかく財布に目を奪われたマイクは、タンニン鞣しの方法を模索するつもりのようだった。
それから冬の間、ときおりどうすればいいんだ! とマイクが懊悩している姿を見かけるようになった。
諦めさせようとするジェーンとの間で夫婦げんかが勃発したりして、かなり迷惑をかけてしまった。
生半可な知識披露は人に苦労させることになるという良い経験になった。
天罰だろうか。
子供を作ると約束したというのに、しばらくタニアが別々に寝ることを提案してきた。
石鹸の時と違い、今回は手伝いで半強制的だったというのに。
理解のない妻の言葉に、エイジは寂しくて泣きそうだった。
それから手伝いは、フェルナンドの方を応援している人に交代してもらうことにした。
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