第24話 過去

 大きな背中だった。

 炎の燃え盛る音、金属を打つ音、焼けた鉄が水を一瞬にして蒸発させる音。

 様々な音とともに、暑い日も寒い日も、嬉しい日も哀しい日も、その背中を見て育った。

 父は多くを語らない人だった。


 息子よりも、おそらくは鉄や炎と語らう時間のほうが長かっただろう。

 それ故に、父親と正面から意見をぶつかり合わせることが出来た、大学生の長期休暇は、エイジにとって楽しい時間だった。


「鉄の扱い方を教える」

「良いの?」

「入学祝いだ、約束は守る。だが親子だからって甘くはしないからな」


 それは大学の入学の前の事だった。

 大阪への引越しと入学の準備に追われているエイジにとっては忙しく、時間づくりが大変だったが、念願の教えだ。

 一も二もなく頷いた。


「よし。入れ」

「よく部屋から父さんの背中を見ていたんだ。いつか俺も後を継ぎたいなって、ずっと思ってた」

「厳しくって逃げ出しても知らんぞ」

「大丈夫だよ。よろしくお願いします」


 頭を下げるエイジに、英一は鼻の頭を掻いた。

 顔が少し赤くなって、照れているのだ。


 実際に作業場に立つと新鮮な発見と驚きがいくつもあった。

 一つの物を作るのにどれだけ多くの手間と工程が存在するのか、実際にやってみないとわからないものだ。

 英一は棚から鉄の固まりを三つ持ってきた。

 エイジにはそれがどう違うのか、見分けがつかない。


「これが鍛冶に使う素材の鋼だ。安来鋼(やすきはがね)の青紙、白紙。これが黄紙」

「どう違うわけ?」

「青紙は長切れする。白紙は研ぎやすい。クロームやタングステンの量が違う」

「黄紙は?」

「職人じゃなくて一般人用の鋼材だ」

「見分け方は?」

「グラインダーにかければ火花の散り方で分かる」

「どれが一番いいの?」

「使い方と腕次第だな。材料もそうだが、火造り……叩き方の具合が一番左右する。炭素量の違う一号や二号と種類はより分かれて、それぞれ焼入れや焼戻し温度も違うから、きっちり覚えろよ。腕のいい職人は頭も必要だ」

「分かりました」


 実際にグラインダーにかける。

 火花の量が違う。

 そして飛んだ火花の先が華のように咲くか、飛んだだけで終わるかというのも違う。

 修理の時などはこの火花の違いで鋼材を見分け、火の入れ具合などを調整しなければならない、大切な情報だ。


 父の教えは厳しかった。

 ほんの小さなことも決して見逃さず、厳しい叱責を与えた。

 同時に細かな成長の痕跡を見逃さない人で、確実に良くなった部分は褒めた。

 入学まで耐えきり、喧嘩もせずに済んだのはエイジの忍耐力だけの問題ではないだろう。




「ただいま」

「もう帰ってきたのか。通い始めたばかりじゃないのか」

「夏休みだよ」

「テストは」

「大丈夫だから帰ってこれたんだ」


 それから休みの度に実家に帰った。

 知ることが増えれば増えるほど、鉄のことが分からなくなった。

 技術のある女優のように次々と別の表情を見せて、気難しく、そして魅力的だった。

 打ち込む父の気持ちが分かる。


 分かったのは父に関してもだ。

 これまで私生活の姿しか見ていなかったが、実際に鎚を振るうようになると、言葉以外の様々な所から父の思考が漏れ伝わってくる。

 英一は教えながらも、日々の注文をこなしていく。

 鍛冶場の数は減っているのに、仕事は意外と忙しい。


「昔は地元の客ばっかりだったんだが、最近は素人さんが買っていくな」

「意外だね。ネット注文とかじゃなくて?」

「ほとんど通りがかりだ。やっぱり一品物は使い勝手いいだろ。最初は自分のものだけ包丁とか買っていくんだが、一度使いやすさに気づくと、親戚や友人にって買い続けてくれる人が出てくる」

「へえ。うちはホームセンターとかで包丁買ったことないから、分かんないな。その気持ち」

「うちの家でホームセンターの包丁なんて使ってたら俺はその日から廃業する」

「一番ショックだろうね」

「他にも地元の物産展に商品を出してくれとかな。そういうのがあって暇じゃあない」

「良い事だね」

「だからお前はさっさと慣れて、砥ぎ一つでも満足にできるようになれ」

「分かった」



 英一はエイジの知りたいことはなんでも知っていたし、聞けば必ず答えてくれた。

 自分なりの考えをしっかりと持って、鉄を打っているためだろう。

 ある日、エイジは日本古来の玉鋼について知りたくなった。

 日本刀に使われていた、と聞いて試したくなったのだ。

 だが、これまで父は一度も玉鋼について語ろうとしなかった。

 良い思いがないのか?

 自然、質問する時は慎重な物言いになった。


「玉鋼ってどうなの?」

「……良いな。折れにくい軟らかい鋼なのに、切れ味が長持ちしてな。刃を作るときもこうスーっと楽にできるんだ」

「スゴイんだね」

「それに折り返しがしやすいのも良いな。安来鋼に比べると焼入れや焼戻しの温度管理も、余裕があって、数回は試せる」


 英一はやや興奮を伴って答えてくれた。

 玉鋼の魅力を知っているからだろうか。その反応が、意外な気持ちだった。


「なんで使わないの? 売ってるんでしょ?」

「俺たちじゃ手に入らん。基本的には刀匠以外は販売されてないんだ」

「ネットで調べたら、自分ところでやってる所もあったけど」

「ちょくちょくと話は聞くな。だが、うちみたいに一人でやってるところは無理がある」

「調べてみても良い?」

「……必要なら、うちの名前を使えば良い。話しぐらいは聞いてくれるだろう」

「良いの!?」

「見学もできるはずだ。満足できるまで試せば良い」


 結局、玉鋼の制作現場まで見学に行くことになった。

 鍛造の光景も観ることが出来、頭領の器の大きさを痛感した。


 その後も休みの度に実家に帰り、叱られながら腕を磨き続けた。

 一人前と呼ばれるようになったのは、卒業して更に三年後。

 入学から数えれば七年だ。

 それでも一流とは決して言われない。ただの一人前。

 エイジはいつか父を越えようと、工夫をこらし続けた。







 これは……。そうか、私は――。

 テーブルに並べられていた物を見た瞬間、エイジにはそれが何なのか、瞬時に理解できた。

 そしてそれこそが、エイジがシエナ村の誰とも繋がりを持たない、突然のさすらい人であるという証拠でもあった。

 それらはエイジの持ち物だった。

 今いる場所の技術では、到底再現不可能なものばかりだ。


 細い糸で作られた生地の服はエイジのお気に入りの一着だ。

 ダメージ加工を施された紺のジーンズに、艶やかな光を放つスマートフォン。

 大学の入学祝いに貰った自動巻きの腕時計。

 皮作りの財布。

 それらが綺麗に並んでいる。

 どれも形だけでなく、機能も損なわれていない。

 携帯は動かなかったが、腕時計はゼンマイを回せば、同じように時を刻み始めた。


「お前さんを見た時、あまりにも変わった風体をしていた。怪しげな人間をそのままにはしておけなかったから、一時的に荷物を取り上げたわけじゃ。もちろん素性が分かればすぐに返すつもりでな」


 ところが、その素性がわからなかった。

 エイジの記憶が失われていたからだ。

 会話こそ成り立ったが、農作業をさせてみてもまるで手慣れた様子もなく、しかし手先は器用で、物づくりの才能が有ることはすぐに解った。


「村の滞在を許すにしても、少し様子を見ようということになった。すぐに記憶が戻るかもしれん。それならば謝って返せば良いと思った。ところがあまりにも記憶が戻らんし、フランコはお主の存在を確認するしで、少々放っておけなくなった。どうじゃ、記憶は戻ったかぇ?」

「はい。一つ一つが呼び水のように、記憶を呼び覚ましてくれました」


 南方英二、それがエイジの名だった。

 和歌山県田辺市で八代続く、歴史ある鍛冶の一族だ。

 昔は刀鍛冶だったそうだが、廃刀令があって野鍛冶に転換した。


 エイジは父の跡を継ぐために、大阪の公立大学に進んだ。

 そういった自分に関する記憶ははっきりと分かるようになった。


 だが、シエナ村で目覚めた前後の記憶はいまだ混濁している。

 どうしてシエナ村にたどり着いたのか、その理由がまるでわからない。


 記憶にハッキリと残る最後は、飛行機に乗る自分の姿だった。

 ドイツの工房を見学する予定だった。


「ふむ……わしには何を言っとるかまるで理解できんな。この重たい鉄が鳥のように空を飛び、海の向こうには別の大地が広がっておるか……こんな不思議な物を持っておらんかったら、気でもおかしくなったかと思うところじゃ。タニアは理解できるか?」

「いえ、機械ですか。エイジさんがこれまで作ってきた物の何倍もスゴイ物が溢れている世界なんて、想像もできません。でも、誰も食べ物に困らない世界というのは、素敵ですね」

「どうしてそうなったのか、分かるのかぇ?」

「いえ、それが少しもハッキリとしません」


 一番重要なことがわからない。

 心がどこかモヤモヤとする。

 シエナ村は居心地のいい場所だ。

 だが、それでも生まれ育った故郷ではないし、環境もまるで違う。

 愛する妻を放っておく訳にはいかないが、帰郷の思いは強くなる。


 両方がうまくいく案があればいいのに……。

 そんな出来もしないことを望んでしまうぐらい、二つの願いは等しく大きい。


「まあ、お主には重要なことじゃから、それはゆっくりと考えれば良い。それよりも問題は、記憶が戻った今、お主がどうするかじゃ」

「どうするか、とは?」

「この村に残るつもりなら、わしらは変わらぬ態度で歓迎しよう。だが、もし出て行くというのならば、それなりの対価を貰わなければならん。それなりの融通はしてきたからの」

「お婆様! エイジさんが本当に出ていって良いと思ってるんですか!?」

「そうは言っておらん。孫娘が好いた男じゃ。感情的には残って欲しい。だが、記憶を失っておるからこそ、わしらは強く残ることを勧めることができた。記憶を取り戻したエイジがどう望むかは、本人次第じゃ」


 村長の言葉に、タニアが強い勢いで疑問をぶつける。

 それに対する村長の言葉は、感情を排した冷静なものだった。


「私は嫌です。だって、約束したんですよ!」

「エイジよ。お主はお主の思うように決めるが良い」

「お婆様!」

「ワシから一つ忠告しておくと、この村から出てもすぐにお主が元いた場所に戻れるとは到底思わん。こうして妻ができて、この村で暮らすというのも、わしは悪く無いと思うぞぇ」


 エイジの答えは決まっている。

 この村に残って、タニアとの間に子をなし、鍛冶師として村の発展に力を尽くそう。

 だが、なぜか素直にその言葉が口から出てくれない。

 どうしてなんだろうか。心からそう思っていないからか、迷いがあるから?


 なかなかたった一言が言い出せないエイジの態度に、部屋の空気は張り詰めていく。

 タニアはエイジの態度にハラハラとした様子で、目に涙を浮べている。

 心苦しい。だが、それでも重要なその一言が口に出てこない。

 まるで父譲りの口下手さ。


 その時、扉が叩かれた。


「誰じゃ」

「ベルナルドです、村長」

「何の用じゃ。今は少し大切な話をしとる」

「エイジがこっちに来とるっちゅーて聞きましたんで。一言だけ伝えたいことがありまして」

「……まあ良いじゃろ。入れ」


 扉が開き、ベルナルドが入ってきた。

 農作業の途中だったのか、ズボンが土ぼこりで汚れている。

 ベルナルドはエイジを一目見ると、嬉しそうに笑った。


「お前さんが交易に出とるんで言えんかったんだが、この前種まきを教えてくれただろう」

「はい。あれからまだ種まきの道具は出来てませんが」

「そうじゃねえ。言われたとおりに種を蒔いたら、本当にどんどん芽が出てよ。お前さんに一言、どうしてもお礼を言いたかったんだ。ありがとうよ、おかげで広い畑を耕すこともできるし、余った分を食べる方に回すことも出来る」


 ああ、そうか。

 自分が残ることで、この人達が楽に暮らせるんだ。

 エイジは不意に実感した。

 頭では分かっていたことだし、喜ぶ姿も見てきた。

 自分の作ったものの一つ一つが、役に立っていることも知っていた。


 だが、ちょっとした知識で本当に感謝され、喜ばれる。

 そのことを今ほど強く感じたことはなかった。

 自分が元いた場所に戻れば、沢山の楽ができるだろう。

 だが、この場所ほど、自分の存在を必要としてくれるわけではない。

 ここは、自分がいることで最大限活かされる場所なんだ。


「村長さん、タニアさん、聞いてください」

「聞こう」

「……はい」

「私は、この村に残ります。そしてこの村の発展に、少しでも力になれればと思います」

「うむ……」

「エイジさん!」


 満足そうに頷く村長と、感激をあらわにするタニアに、自分の判断が間違っていないことを確信する。


「俺、お邪魔だったかな」

「そんなことありません。いいタイミングでした。こちらこそ、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」

「おう、ヨロシクな」


 わけを分かっていないのだろう。

 明るくよろしくと手を挙げるベルナルドは、自分のしたことを理解していない。

 ベルナルドの一言は間違いなく、エイジの背を優しく押したのだ。

 こうして南方英二――エイジは改めて、シエナ村の一員となることを心に誓った。

 そしてこれが村の大きな発展の、転機となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る