第19話 タル村との交易
いつから眠りについていたのだろうか。
ふと気付いた時には、エイジは体を横たえていた。
視界に映る空はやや赤焼けており、夕暮れになっている。
昼食を軽くとって、それからしばらくはタニアとフェルナンドの三人で会話を楽しんでいた。
代わり映えのない景色を繰り返し、少し小休止となって、その後記憶がはっきりしない。
タニアは積まれた毛皮を背もたれに、器用に座ったまま眠っていた。
普段はエイジよりも早く起きるため、めったに見ることのない寝顔を観察する。
こうしてじっくり見れば見るほど、綺麗な顔立ちをしているのが分かる。
自分にはもったいないくらいだ。
「おう、起きたかい。いいタイミングだ。ちょうどタル村に着いたところだ」
「お任せしてすみません。人に働かせて自分だけ寝てるなんて」
「なに、慣れないことをして疲れたんだろう。それに運転してみたことはないんだろう?」
「はい。今度試させてもらいます」
フェルナンドは村に着いたといったが、それは正確ではなく、村の外れに着いたという意味だったらしい。
一件の民家と、周囲に畑がぽつんと見えるだけだった。
あれが家か?
家は屋根が藁葺きで、泥壁という非常に質素な作りになっている。
木造のシエナ村に比べると、かなり技術的に劣るのは、大工の数が足らないからだろうか。
人口が半分しかなければ、動員できる労力も限られてしまう。
牛車が進んでいくと答えが明らかになった。
村の中心地は、外周に比べて作りがしっかりとしていて、シエナ村と同じ木造だった。
建て替えが進んでいないのか。
一際大きな村長の家に着くと、すでに到着の報告を受けていたのか、ジローラモが迎えに出てくれていた。
相変わらず渋い顔つきだ。
「ようこそ、フェル。そしてシエナ村の方。あなたは確か鍛冶師の……エイジさんだったかな」
「よっす。久しぶりだな」
「お久しぶりです。英二です」
「そして、こちらの美しいお嬢さんは」
「お上手なんですね。エイジの妻、タニアと申します」
「はじめまして。そして宜しく、タル村の村長、ジローラモです」
ジローラモはエイジとタニアに対しては丁寧に頭を下げるが、フェルナンドには握手が挨拶のようだった。
並んで立つとジローラモのほうが随分と年上だが、息は合うのかもしれない。
「交換するのはいつもどおりか?」
「基本的にはな。今年はエイジが入ってきたから、必要な物が少し増える。こちらからも欲しがっていた釘なんかを用意したから、後で交換比率を合わせよう」
「それは助かるな。エイジくん、必要な物は何かな?」
「油ですね。鉄製品の摩擦防止なんかに、結構な量がいるんですが、ありますか?」
「あるよ。といってもそんなに多くの備蓄があるわけじゃないけれど。オリーブとグレープシード油、菜種油があるけれど、どちらがいるかな」
「菜種油を頂けますか。オリーブ油も少し」
「あんまり大量にいるんなら、村で作れるようにした方がいいかもしれないね」
「考えておきます」
シエナ村は段々畑の割合が高く、あまり畑の生産性が良くない。
小麦の収穫率も2.3倍ほどで、種籾の分を除くとほとんど余剰がない。
その為食料不足に陥りやすい。
余剰人員がいないから、新しい仕事に振る余裕は非常に少ないだろう。
ピエトロがついたのも、エイジ自身がある程度高齢で、技術の喪失を防ぐためという意味合いが強い。
犁の数を増やし、輪作を一日でも早く導入して生産性を上げ、家畜の増加と人口増加を狙うしかない。すぐにとりかかったとしても、大きな成果が出るのはずっと後になる。
一年や二年で出来る話では無さそうだった。
あとは水車動力を少しでも増やして、労働時間の短縮による人員の確保だろうか。
黙って考えを纏めていると、まるで自分が為政者になったようだ、と気づく。
案外村長の仕事を手伝うのも、悪くはないのかもしれない。
鍛冶師として生きる、という前提さえなければ。
「ぼーっとしてどうかしましたか?」
「ああ、すみません。……少し考え事を」
「夫は時々、自分の考えに没頭してしまうんです。すみません」
「いや、構わないんだけどね。後はいる物はあるのかな?」
「すみません。では、小さな壺を幾つか……10ほどお願いします」
「明日の出発までには用意しておくよ」
交易品の発注を済ませると、ジローラモの家に招待される。
来客用の部屋には大きなベッドが1つ、備え付けられていた。
村でもこの家にしかないらしい。
上蓋式の大きな長もちには青銅製の立派な錠前がついていて、そこに荷物を納めるようになっている。
「鍵はこれだから、明日まではしっかり保管しておいてください」
「分かりました」
部屋に案内された後は、すぐに食事が始まった。
着いたのが遅かったため、夕食は明かりが点けられた。
要らない出費を強いてしまい、申し訳ない気持ちになる。
非常に長いテーブルに、長椅子が二つ挟むように並ぶ。
片側にジローラモの一家、反対側にシエナ村の一面が座る。
ジローラモの家は子沢山で、子どもが五人もいる。
上は二五前後で、下は一〇にならないだろう。
テーブルには来客時のメニューが並んでいる。
ハムにソーセージといった保存食に、チーズ、燕麦の粥に豆のスープが並ぶ。
ハムは焼かれ、ソーセージは茹でて出された。
西洋カラシとパセリ、ペパーミントが添えられている。
チーズは二種類用意されていて、一つは牛の乳、もう一つは臭みの強いヤギのチーズだった。どちらもこってりとした味わいで、粥がすすむ。
飲み物はワインだ。
ワインといっても、ブドウではなくリンゴを発酵させたシードルだ。
食事をしながらの会話は、最初は世間話が中心だったが、途中からエイジが来たことによる変化、そして税についてが中心になってきた。
ジローラモは少しでも村の運営方法を良くしようと、色々なやり方を聞いているのだろう。
「なるほど。畑の作り方にはそんな方法があるのか。種もばら蒔くだけではダメなんだな。ぜひ実演してほしいですね」
「石を取り除くことと、種を蒔くことはすぐに実践できるだろう。犁はまだ僕達の村でも足りてないから、直ぐには無理だよ」
「春の収穫が楽しみだね」
「ああ。畑の面積は同じでも、そこからの収穫量が増えるわけだから、かなり蓄えが出来るぞ」
「税が高すぎる……」
ジローラモが困った表情でぽつりと愚痴る。
グイッと杯を傾けると、シードルを流しこんでいく。
「そんなに酷いんですか?」
「エイジさんは、まだ知りませんか。うちの村は一番戦で被害を受けたっていうのに、賦役は多いわ、焼き物は多量に持って行くわで、子どもも安心して作ることができない始末です」
賦役とは労働義務の事だ。
道の補修や領主の滞在先の建築、補修などの労働が課せられる。
週に二日ほどは手をとられる上、交易特産品の焼き物も多量に税として納める必要があり、代わりに麦などの税は抑えられている。
タル村はジローラモ以外の子供の数がまだ少ないらしい。
寿命が短く、医療技術や公衆衛生がしっかりしていない以上、多産でなければ村の存続が危うい。
現在は鉄鍋や包丁のお陰で、調理時間を生産に回すことが出来た、と喜ばれた。
「エイジさんも、徴税官には気を付けてくださいね。あいつらはひどく強欲な上、旨味があると気づくと、徹底的に絞ろうとしてきますから。鉄の魅力に気づかれたら、大変ですよ」
「そんなにですか」
「血も涙もない奴らです。つい先日もうちの村にフランコの奴が来ました。近いうちにシエナ村にも向かうでしょう」
ジローラモがわずかに赤い顔をして、厳しい表情で警告を与えた。
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