第18話 交易

 タニアの祖母、村長に会うのも随分と久しぶりだった。

 石鹸を交易商と交換していた時に会って、その時に軽く挨拶したぐらいだ。

 祖母だと知って以来、かえって気後れしてしまい、距離感をつかみにくいのが原因だった。

 赤の他人のほうがビジネスライクな付き合いですむだけに、はるかに気楽だ。


「おう、エイジ、来たかぇ」

「はい。お祖母さん。それで今日の用事というのは何でしょうか?」

「まあ、先にゆっくりと茶でも飲みなさいや」


 村長の家に上がると、椅子を勧められた。

 机の上に湯のみが置かれ、湯気が立っている。

 菩提樹ともティユールともいう、木の実で作られたハーブティーだ。

 飲むと花の優しい香りがする。


「私はこれに、菩提樹の花の蜜を入れて飲むのが好きでね。同じ一本の木から出来る花と実でできたお茶。生命が全てここに注がれている気がするよ」

「最近冷えてきたから、余計に美味しく感じますね」

「そうだろう? あの娘も好きでねぇ。持って帰っておやり」


 乾燥された実の入った壺を渡される。

 もう一つには少量の蜜が入っていた。

 全て村長自らが手摘みしたものだという。

 ありがたくいただく。タニアの喜ぶ姿が頭に浮かび、思わず微笑が漏れる。


「あんたが来て半年かぇ。人の使い方はまだまだだけど、よう頑張っとる」

「常時見てるわけにもいきませんし、難しいものですね」

「自分の仕事もあるとな。何かあったらタニアを使うといい。あの子は幼い時から私の背中を見て育ってるから、どうすれば良いか、ほとんどの事はよく分かっとる」

「そうなんですか? あまりそうには見えませんでしたが」

「それは夫であるあんたに一歩譲ってるからさ」


 記憶にあるタニアの姿は、確かにいつでもエイジを尊重していた。

 やることに対して文句を言わなかったし、愚痴や批判を言うこともない。

 見たこともない物を作ると言われた時も、分からないことは一度お任せしますと言って、石鹸作りでもなんでも試させてくれた。

 普通、訳もわからない物を作るとなれば、躊躇するものだろう。

 行商人とのやりとりも、隣につくこともなく、自由にさせてもらっている。

 全てを尊重してくれている。理解のある妻で、ありがたいことだ。


「惚れなおしたかぇ?」

「もともと惚れ尽くしてますからね。あまり変わりません」

「惚気(のろけ)るんじゃないよ」


 村長が苦笑を浮かべる。


「もともと死んじまった最初の男は、離れた村の、村長の次男だったんだ。新しい血を入れる必要があるのと、ある程度の釣り合いは必要だからね。その男に嫁がせたら、ゆくゆくはこの村を任せようと思っとって、あの娘には色々仕込んだ」

「そうだったんですね」

「あの娘の言うことなら、村の人間も言うことを素直に聞くだろうから、私に何かあったら、よく相談することだ」

「どこか体調でも?」


 何かあったら、という言葉にドキリとする。

 村長は50前後だろう。

 髪は白く、長年の苦労で背も縮んでしまっている。

 食料不足や毎日の肉体労働といった過酷な環境で、いつ寿命を迎えてもおかしくはない。

 それに、医療水準も低い。

 体力が衰えて病気になれば、なかなか治らないだろう。

 風邪ひとつが、充分に死の原因になるのだ。

 だが、村長の顔色はよく、声にもハリがあった。

 今すぐどうにかなるという気配はない。


「わたしゃあまだピンピンしとるわぇ。だが、直ぐに交代というわけにもいかんじゃろうが。仕事を覚えていって、一人前になっておくに越したことはない」

「それはそうですね」

「そういうわけで、お前さんは時間がある時はもっとうちに寄れ。ビシビシと鍛えていってやる。クソみたいな領主との交渉や、行商人との交換、他の村との顔合わせなど、やることは色々あるぞぇ」

「お手柔らかに」

「いーや、ビシビシと鍛えていいオトコにしてやる」


 クハハ、と笑う村長に対して、エイジは苦笑いを浮かべることしか出来なかった。

 孫娘の夫を鍛えて役割を果たさせることで、繋がりも身元の保証もない自分に安全を与えようとしてくれているのだろう。

 その気持はわかるが、やっぱり、この人は少し苦手だ。

 シエナ村の村長は、優しさと厳しさが同居した一角の人物だった。





 やや肌寒い風が吹いている。

 頭上には青空とうろこ雲が広がっている。

 小さく無数に存在する雲が、秋を思わせる。

 その隙間から陽の光が降り注ぎ、秋風の冷たさを和らげてくれる。


 ガタガタという音と共に、エイジのお尻に小さな振動が伝わってくる。

 牛車の車輪が、路の小さなくぼみや石にのることによって振動に変わる。

 台車にコイルばねをつけたのは随分と前のことだ。

 フェルナンドに頼んで作ってもらった手押し車は、使い勝手は良かったが振動が凄かったので、ばねを自作したのが始まりで、交易用の牛車には4対のばねが付けられている。

 鉄線を切り、曲がりを均一にするという作業はかなりの技術を要した。

 均等な弾性を保つのは難しかった。

 だが、その難しさが職人としての楽しみの1つだった。

 車輪の軸の一部と、軸受も鉄製に変わっている。

 摩擦も耐久も大幅に改良された。

 牛車は今、シエナ村を出て、川下のタル村に向かっていた。


「いい天気ですね、エイジさん」

「本当に。タニアさん寒くないですか?」

「大丈夫ですよ。エイジさんの温もりが伝わってきて、ぽかぽかです」


 荷台の前に、二人で肩を寄せあって座る。

 大きな毛布をお互いの肩にかけていると、確かに互いの体温が伝わってきて、ぽかぽかと温かい。

 好きな人の温もりが心まで暖かくなる。


「かー! 新婚夫婦と一緒に出かけるなんて、最悪だな……」


 一人、牛車の座席に座り手綱を持っているフェルナンドが悪態をついた。

 村長との会話で、まだ村に来てから一度も外に出ていない、という話をしたら、交易の仕事を任された。

 普段交換しているものが分からないから、交渉人として、口の上手いフェルナンドが表に立つ。

 普段からフェルナンドは交渉に参加しているらしい。


「まあ、一緒に外に出かけたこともないんで、勘弁して下さい」

「そうですよ」

「はいはい。積荷が壊れないようにだけ注意してくれよ」


 いくらサスペンションをつけたからといって、牛車の揺れが無くなるわけではない。

 また、村と村の間には深い森がいくつか続き、道幅が狭い。

 定期的に交易用の牛車と行商人の馬車が通るため、大きな石は取り除かれているが、段差にひっかかることもある。


 積荷は毛皮と、毛皮製品が多かった。

 他には羊毛にチーズといったものが積まれている。

 シエナ村はやや小高い場所にあるから、農業よりも畜産に適しているらしい。

 他には山に自生しているハーブが積まれている。

 ミント、レモングラスなど、エイジでも知っているハーブだ。

 そして少量の鉄製品。持ち運びしやすい鉄釘や針、鋏に包丁や鍋など。


「替わりに何を貰うんですか?」

「今の時期、一番必要なのは塩だな」

「塩ですか。まあ、近くに岩塩の採れる場所がないですからねえ。料理に使う分ですか?」

「それだけじゃありませんよ。この時期は干し肉やハム、ソーセージ、塩漬け魚といった保存食を作るにも大量の塩が必要になるんです」

「ああ、保存食がありましたか」

「そういうことだ。魚は冬でもなんとか採れるが、狩りは難しくなるからな」

「マイクさんは渡り鳥を上手く仕留めてくれますけれど」


 エイジにとっては初めての冬だ。

 どれだけ大変なのか、想像もつかないが、話しぶりでは結構過酷なようだ、と予想する。


「必要そうなものがあれば言っておけよ」

「分かりました」


 一体どんな村なのだろうか。

 違いはあるのか、土器が特産物だと言っていたが、塩を交換するということは、他所からの流入物も多いのだろう。

 何か村の役に立ったり、タニアにプレゼントできるものはないだろうか?

 住む人に違いはないのか。一体どんな感情をシエナ村に抱いているのだろうか。


 初めて見る、他所の村を直前にして、エイジの胸が高鳴った。


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ティユールはフランスで中世に一般的に飲まれていた飲み物の1つです。


参考文献を知りたいという方がいましたので、少しご紹介します。


『世界の食用植物文化図鑑』

『ヨーロッパ中世ものづくし』

『古代の発明』

『鋼の時代』

『華麗なる交易』

『ヨーロッパものしり紀行』

『中世ヨーロッパの農村世界』

『食の歴史』などを参考にしています。

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