第17話 村の外

 エイジがこの村で作った鉄の製品は多岐にわたる。

 かつては作ることになるとは考えもしなかった、身近な鉄製品が多い。

 釘などはその最たるもので、完全に工業生産に代表されるものだったが、今は一つ一つ手作りだ。


 それらの製作品の中でも、村中で歓迎されたものが三つある。

 一つ目は農具で、二つ目が鍋や包丁などの調理道具。

 そして、最後の三つ目は、裁縫道具だ。


 家内工業が当たり前の時代だから、各人の服の裁縫は殆どが妻の仕事だ。

 しかも使われる素材は毛皮が殆どで、綿を使えるのはそれなりに裕福な家に限る。

 重く固い毛皮を貫ける頑丈な鉄の針は、熱烈な歓迎を受けた。


 その高級な半球状の布に、自作の針が何度も往復する。

 その度に綺麗に裁断された布が縫い合わさり、刺繍されていく。

 半球状の布が二つ、そこから二つの紐が縦と横に伸び、紐同士はホックで留まるようになっている。


 それはブラジャーだった。

 執拗なまでの採寸を繰り返し、タニアの胸にピッタリと採寸された布の表面に、花柄の刺繍を添える。


「タニアさん、ちょっと良いですか?」

「また採寸ですか? 一体何度測るつもりなんですか」

「いやあ、ピッタリと合ったものを作りたいんで」

「はぁ、そう言いながら触りたいだけでしょう」


 分かっているんですからねと、赤い顔でじろりと睨みつけてくる。

 圧力を笑いながらやり過ごし、エイジがタニアの背後に立つ。

 ブラを胸に合わせていく。


 メジャーのような便利なものがないから、布に目印を付けて、あとは微調整を繰り返した。

 もともと職人気質で完璧主義なエイジは、何度も計測を繰り返す。


「あれ、また胸が大きくなってませんか……?」

「毎夜、飽きもせずに触ってくる人がいますので」

「タニアさんだからですよ」

「当たり前です! 他の女の人にこんなことしたら、絶対許しませんからね」


 嫉妬の声が耳に心地よい。

 会話に紛れて胸をこね回す。確かにボリュームが増えている。

 滑らかな肌がしっとりと吸い付くようだ。


 たっぷりの肉がやわらかく指に合わせて形を変える。

 エイジの手が膨らみの頂点へと向かうのを察したのか、手の甲をキツく抓られた。

 明るい間は決して許してくれない。

 何度肌を重ねても身持ちの固さを損ねない所も、エイジは好きだった。


「朝から止めてください」

「夜ならいいって事ですよね」

「……知りません。もう採寸は終わったでしょう。放してください」


 顔をうつむかせて、決して視線を合わせようとしない。

 耳が赤く、熱くなっている。

 少しほつれた髪からうなじが覗いている。


 白いうなじには、昨夜さんざん吸いたてたせいか、キスマークが残っている。

 やばい、このまま押し倒してしまいたい。

 だが、そうするとその後が非常に厄介なことになることを、エイジは経験済みだった。


 本当に機嫌を損ねると、一日は収まらず、軽蔑の目で見られることになる。

 心が折れそうになるほど冷たい視線なのだ。

 葛藤を追いやり、要求通り手放したエイジに、タニアは溜息を一つ。

 そそくさと離れて木棚に向かうと何かを取り出した。


「これは何ですか?」

「毛皮の上着です。最近は冷えるので、その服だけでは肌寒いでしょう?」

「ありがとうございます。大切にしますね。じゃあ、お返しです」


 チョコチョコっとブラのホックを調整すると、タニアに手渡す。


「あら、これって未完成じゃなかったんですか?」

「ホックの位置調整だけだったので、すぐに終わるところだったんです」

「じゃあ先程の採寸は不必要だったのでは?」

「いえ、とても大切です、最終調整ですから。とても大切です」


 エイジは上着に袖を通す。

 なめされた鹿の毛皮はすぐに温もりを持ってくる。

 丁寧に作業を施されているのか、動いても肩口が引っかかるということもなかった。

 タニアはエイジの姿を嬉しそうに見守っている。


「タニアさんもブラを付けてみてください」

「じゃあ後ろを見ていてください」

「えっ……見てちゃダメですか?」

「ダメに決まってます」


 仕方なく背を向けていると、衣擦れの音が響く。

 何度も見ていても、やはり見たい。


「良いですよ」

「うん、やっぱり綺麗ですね」


 覗く暇もなく着替えてしまった。

 大きな胸が支えられて、より綺麗な球を描いている。

 手足は日差しによく焼け、服に隠された肌は真っ白だ。

 赤色に染色されたブラが、はち切れるばかりに肉の詰まった健康的な肢体によく似合っていた。

 綺麗な奥さんをもらって幸せだなあ。

 しみじみとしているエイジの前で、タニアが手繰り上げていた服を下ろしてしまう。


「はい、おしまいです」

「早い! 延長は!?」

「お仕事頑張ってきてくださいね」

「あっ、ちょっと。押し出さないでくださいよ」

「頑張る男の人って素敵ですよ」

「……そう言われたらやるしかないですね」


 結局、押し出されるような形で、仕事に出ることになった。




 いつものように鍛冶場で金槌を振るう。

 時折農作業を手伝ったり、灰を処分するために石鹸を作ったりするが、やはり鉄を扱っている時が最も心が落ち着く。

 鍛造を行なっている時は、ピエトロに作業を中断させ、やり方を見ながら覚えさせる。

 簡単なものなら相鎚を打たせることもある。


 赤く焼けている鉄の板金を細くハサミで切り、叩き形を整え、鉄床で転がしていく。

 細く丸い柱が出来、更に先だけを転がして尖らせていく。

 先を削れば、釘の出来上がりだ。


 この作業を何十回と繰り返す。

 今回は作るものが小さすぎて水力ハンマーを使わない。

 何度も扱っているおかげで、最適な炭素の配分量が感覚として掴めてきた。

 以前よりも粘りのある鋼が出来る。


「親方、お客さんです」

「ん、分かりました。これを終わらせたら直ぐに向かうので、少しだけ待ってもらってください」

「了解です。お客さん、親方がくるまで、ここで座ってお待ちください」


 滑らかな曲線でできた、鉄製の椅子を用意していた。

 鉄製品の良さを分かってもらうための展示品としての役割があった。

 そしてエイジに、鍛冶場を訪れた客を中に入れるつもりはない。

 弟子に技術は惜しみなく伝えるが、製法に関しては門外不出が当たり前だった。


 区切りの良い所で作業を中断して、玄関口に向かうと上下を毛皮でこしらえた服を着た男が椅子に座っていた。

 壮年で体格は細め。目が温和そうな男だった。

 村の中では見たことがないから、隣村の者だろう。


 時折、エイジの鍛冶場に隣村から交易として人が来るようになっていた。

 一体いつ鉄が伝わったのかしらないが、最初は斧を注文された。

 最初は断っていたが、流石に独占を続けるわけにも行かない。

 村の交流関係を保つためにも、少数であるが交易品として販売することになった。

 農具は消耗が激しいから作っていないが、包丁や鍋、ナイフや斧などは時折注文を受け付けている。

 かなり高額をとっているので多数購入されるわけではないが、一回の交易に2つ3つは注文される。

 耐久性や切れ味の魅力は、それだけの価値があるらしい。


「いらっしゃいませ。お待たせしました」

「すごい熱気ですね」

「初めての方はみんな驚かれます」

「はじめまして。タル村で村長をしているジローラモといいます」

「ああ、村長さんが直々に」


 タル村は、エイジたちが住むシエナ村から川沿いに一日下っていったところにある村だ。

 人口が一〇〇人強で、土器づくりが中心で、エイジの家にあるほとんどの食器などは、この村で作られたものだった。

 他の産業は殆どなく、鍛冶師もいない。

 近くに鍛冶師が来てくれて助かる、とジローラモがいった。

 これまでは行商人に頼み、足りない分は隣村との交易で手に入れるわけだが、距離が離れるに連れて価値が高くなっていく。

 金属製品は高級品だった。


「では農具は作られないと」

「もう少し耐久性が出るようになれば、販売するつもりです」

「中途半端なものは売れないというわけですね」

「修理に追われて私の負担が増えすぎまして。申し訳ない」


 出来れば求めに応じたい。

 だが、激しい使用に耐えられる状態ではない。

 商品として正しい価値を発揮できないならば、それを売るべきではないという価値観がエイジにはあった。

 心苦しく頭を下げるエイジに、ジローラモが手を横に振る。


「いえ、それなら結構です。金槌と釘と、斧と、やじりといただきましょうか」

「金槌、釘と鏃はすぐに用意出来ます。斧は選んでもらいましょうか」

「選ぶ?」


 意味がわからないと不思議そうな表情。


「斧と一口に言っても、伐採用に薪割り用、片刃に両刃と使い方によって変わるのですよ」

「ああ、なるほど。木樵きこりの使うものなら、伐採用の両刃が良いのかな?」

「そうなります。確か、柄を入れれば使える奴があったと思います。出発はいつに」

「今日は泊めさせていただいて、明日に出る予定です」

「今から削り出せば間に合うでしょう。明日の朝、また来てください」


 交換品を相談し、決める。

 ジローラモが帰った後、早速柄の作成に入る。

 両刃の柄は、片刃のように反りを作る必要はない。


 ひたすら真っすぐに削りだし、刃に突っ込み、木槌で抜けないように固定する。

 良い品物しか渡さないことで、購入者の期待以上の結果を残す。

 いい結果は評判につながり、購入者が増える。

 こうして、もともと村外に鉄製品を普及させるつもりがなかったのに、少しずつ村の鉄製品は知られていくようになった。


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ちなみに古代ローマではパット入りブラが存在したとか。

『一日古代ローマ人』

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