第16話 行商人
行商人の馬車は村の中央、村長の家の前に止まっていた。
村長の家が特別大きいのは、外部から来た人間を迎えるためのものでもあるらしい。
家の横に、村で飼っているものよりも一回りは大きい馬が、木に繋がれ、桶の水をガブガブと飲んでいた。
近寄るエイジに気づくと、真っ直ぐな瞳を向けてくる。
黒々とした目は大きく輝いていたが、圧迫感があった。
エイジはこの村に来てからも、馬に触れ合ったことがなかった。
果たしてこのまま近寄って大丈夫なんだろうか、と不安に感じる。
「あまり不用意に近づくと、蹴られるよ」
エイジに声をかけたのは、大きな男だった。
背は高くないが、全身が筋肉で太い。
顔は四角く、髪が赤みのかかった茶、剛毛というに相応しく、短く刈り上げられた毛先が天に向かって尖っている。
全体的に一つ一つのパーツが大きいのに、目だけが小さく笑うと筋のように細くなる。
前腕と左の額にうっすらと切り傷があった。
エイジが村で見たことがない顔だから、その男が行商人だということはすぐに解った。
「初めて見る顔だね。なにか欲しいものでもあるのかな?」
「色々と相談してみたいものがありまして」
「相談か、いいよ。詳しく聞かせてくれるかい」
話してみると、言葉使いが軟らかく、声色はさらに優しかった。
だが、優しいだけの人ならば、額に傷を作ることはないだろう。
外見に相応しい凶暴性を見せることもあるはずだった。
どのように話を切り出そうか、とエイジは考える。
石鹸を最初から持ち出すのは、愚策かもしれない。
村の外の情報を手に入れたかったが、石鹸の良さに気づいたら夢中になって流れる可能性がある。
「先に自己紹介をさせていただきます。この村で鍛冶師を始めた、エイジといいます」
「ご丁寧にありがとう。俺はジャン。見ての通りこの馬車で行商人をやってる。この村が急に鍬とかを買わなくなったのは、兄ちゃんのせいだったんだな」
「まだまだ未熟で、せっかく作ったのも殆ど修理が必要になりましたが」
「なに。それは経験でなんとかなるだろ。そういう奴がいるっていうことが大切だと、俺は思うぜ。だから鉄なんて脆いもんに挑戦せず、ちゃんと青銅を使っておきな」
青銅ではなく、鉄を扱っているという事に気付かれているのは、冷や汗が出るぐらいの衝撃だったが、ジャンはエイジの未熟という発言を信じたようだった。
うんうん、と深く頷くと、失敗は成長の糧だと、アドバイスをくれるぐらいだった。
「それでですね、私はこの村に来て間がないので、周囲の様子とかがあまり分からないんですが、ジャンさんは行商で、どれぐらいの村を回っているんですか?」
「俺か。俺はこの島の村には全部回っている――」
「島、島なんですか?」
「ん? ああ。俺は村には何泊かするが、ぐるっと1周するのに大体3ヶ月ぐらいかかるが、それぐらいでまわれるくらいの島だぞ」
「……回ってる村の数はどれぐらいですか?」
「三〇ぐらいかな?」
「この村はどれぐらいの規模ですか?」
「やや大きいぐらいだな。小さいところだと五〇人ぐらいでやりくりしてる集落もあるぞ」
「大きいところだと?」
「一番大きい領主の村だと、四〇〇人ぐらいかな」
ジャンの言葉が重なるに連れて、エイジは自分の予想が現実と大きく離れていくのを感じた。
この村は陸続きになっていて他の国と交易がある、そんな地理をエイジは考えていた。
道路の舗装がされていないから、一日に一体どれだけ移動できるのか、単純には測れないが、無茶苦茶に広い島ではないだろう。そして人口はかなり少ないのが分かる。
エイジのいる村の人口が約二五〇人。それが平均より多いならば、二〇〇人前後。三〇の村があっても、わずか六〇〇〇人だ。
頭がクラクラとして、視界に星が混ざる。
自然と息が詰まった。
「おい、大丈夫か? 酷い顔色だぞ」
「いえ、大丈夫です」
指摘されて我に返る。
むりやり深呼吸して、気を落ち着かせる。
急激な発展は絶対に望めないとはいえ、自身の技術が大きな問題になる可能性も下がったはずだ。
外部に漏れる可能性は減るから、島で技術を独占すればいい。
積極的にポジティブな思考へと切り替える。
状況を受け入れて一生を過ごすならば、考え方次第では充分に好条件だ。
「村のフェルナンデスさんが、海向こうから人が来ると言っていましたが、どこかの国と交易をしているんですね?」
「うん……? いや、この地にそんな相手はいないぞ。それは流れ人だな。海に流されてきた奴の事だろう。そもそも海を見渡しても、他の島とかは見えないからなあ」
「そうなんですか……孤島か」
「おう、そうゆうことだ。で、村の間をつなぐのが、俺の仕事ってわけだ」
ジャンが自分の腕をパシンと叩く。歯を見せる満面の笑みは、仕事への誇りだろう。
確かに、海路の交易が無い以上、行商人の役割は非常に大きい。
「とりあえず知りたいことは分かりました。ありがとうございます」
「構わねえよ。で、なにか買うものは決まったか?」
「ああ、そうでしたね。食用油と布はありますか?」
「油はマカダミアオイルがあるぞ。布は目が細かくて上質だ。何と交換する」
「布を見せてもらっていいですか?」
「おう。ちょっと待ってろ」
ジャンが村長の家に入ると、布を手に持って、出てきた。
言うだけあって丁寧に作られているのが分かる。
だが、水洗いしかされていないためか、小さな汚れがある。
エイジは石鹸の入った壺を取り出す。
「なんだそれは」
「石鹸といいます」
「白くて……ヌルっとしてるな。何に使うんだ?」
「汚れを落とします。この布、少し汚れていますよね」
「まあな。きっちりと洗ってもらっちゃいるが、道中で埃がついたりも、やっぱりする」
「一枚だけ貸して頂いても?」
「ああ。そりゃ構わないが」
「こうして水に浸した後、布に石鹸を塗りつけて擦ると。……どうです?」
「こ、こりゃあ! 汚れの落ち方が全然違うじゃねえか。な、何だコレは!」
「石鹸です」
「名前はさっき聞いたよ! どうやって作るんだ! コレだけしかないのか!?」
ジャンが驚きながら、エイジに詰め寄る。
手に持った布の一方は、綺麗に汚れが落ちている。
もう一方は普通の汚れは落ちているが、油分を含む汚れはそのままだった。
「作り方は言えませんよ。量は龜に一〇個以上ありますね。ただ、常時は作れません」
「何か季節が関係する材料なんだな?」
「……まあ、そういう事です」
全く未知のものに触れて驚きながらも、会話から一瞬にして鋭い推察をしてくる。
エイジはあまり余計なことは言えないな、と言葉を選ぶ。
「でも、この石鹸のスゴイところはそれだけじゃ無いんですけどね」
「何だ!?」
「これで頻繁に服や体を洗うようになると、シラミが減ります。ダニやノミは家畜がいる以上減りませんが、シラミの痒みとはサヨナラです」
「おい……」
「はい?」
「いくらで譲ってくれる」
ジャンの目は真剣だった。
石鹸を利用した商売が今も数多く思い浮かんでいるのだろう。
儲けを前にした商人の目は、冷静でありながらも、欲望にギラついていた。
安売りするつもりはなかった。
自分以外にはピエトロしか作れないのだ。
貴重な物の値は釣り上げるに限る。
「これぐらいでどうだ!」
「話になりません」
「これじゃあ!?」
「足りない足りない」
「これでどうだ!」
「貴方自身がこれで足りると思っていますか?」
「もう鼻血も出んぞ!!」
「もう一声!」
「えーい! これで良いだろう! どうだ、満足か!」
「はい。ではこれで」
「まったく……交渉の上手いやつだ」
フゥフゥと荒い息をつくジャンと、ほくほく顔のエイジ。
馬車の積荷のかなりの品が、交換の条件に出された。
綿の布や毛糸といった物から、宝石や金や銀といった貴金属に、油、塩、干し肉といった食料など、多岐にわたる。
これで冬を越すのが非常に容易になって、それどころか多数の蓄えも出来た。
いくらか村に渡したとしても有り余る。
だが、ジャンにはそれでもなお儲けがあるからこそ、交換に応じたのだろう。
石鹸を一体どのように儲けにつなげるのか、エイジには興味深かった。
「ああ、それと」
「なんだ。これ以上は付けられんぞ」
「いえいえ。今後ですね、他の村で食事のあとに出る廃油なんかを溜めていて貰って、ここに運んでもらえると、ジャンさんも喜ぶことになるかもしれません」
「ほう……良し、分かった。約束しよう」
商談は握手とともに締結された。
こうして、予想だにしない騒動の幕開けが開始されることになった。
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