第13話 夢

 視界に入ってきた光景を見た瞬間、エイジはそれが夢であることを悟った。

 そこは和室だった。

 六畳間に和箪笥わだんす、ブラウン管のテレビにDVDとビデオのデッキが壁に並んでいる。

 部屋の真ん中にはコタツがあり、コタツ布団は外されている。

 そして何よりも懐かしさを感じさせるのは、コタツの奥に、エイジの父、英一が座っていることだ。

 毎日の鍛冶仕事で火傷だらけの腕が、袖口から覗いている。手元の作業が続くから、背中が丸く曲がっていた。

 強い意志を持つ目と、太い眉が特徴的だった。


「英次……帰ってきたか。座れ」

「はい」


 短く父に言われるがまま、エイジは向い合って座る。

 言葉に真剣な空気を読み取って、自然と正座になった。

 エイジが座ったのを確認すると、英一はギロリと睨みつけた。


 うっと、息を呑む。

 気の強い大男も思わず怯む視線が、エイジは苦手だった。

 父、英一の言葉はいつも静かだ。

 だが考えて吐き出される言葉は、心に打つものがある。


「担任の先生から電話があった。優秀な成績なのに、進学しないのはもったいないってな。お前、俺のあとを継ぐつもりだって答えたらしいな」

「はい」

「止めとけ」


 普通後を継ぐといえば、親は喜ぶものだ。

 だが、英一は一言で切り捨てた。


「今時鍛冶なんて流行らねえよ。現にこの辺りだって、山田さん所とウチだけになっちまった。長男に生まれたからって、無理に継ぐことはない」

「無理じゃない。……僕がやりたいと思ったから、やるんだ」

「なに?」

「それに既製品じゃない、一人一人に合った物を作るからこそ、工場じゃなく野鍛冶の価値があるって言ったのは父さんじゃないか。僕は継ぐよ。鍛冶が、好きなんだ」

「英次」


 思わず口から出たのは、長い間父親の背中を見て、その仕事に誇りを感じ取っていたからだ。

 鍛冶屋には後継者がいない、という話をよく聞いていた。

 現に次々と廃業していって、日本でも一〇〇を少し超えるくらいしか、野鍛冶は残っていない。


 エイジはそんな鍛冶業界の現状を変えたかった。それだけの魅力があると思っていた。

 言いたいことを言って、エイジの胸がドクドクと脈打っている。

 あとは答えを待つだけだ。喉が渇いて、ひりつくようだった。


 英一が不思議なものを見たような表情になる。

 物心ついて以来、ずっと聞き分けよく言うことを聞いていた。

 正面から反対意見をぶつけたのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。

 英一はしばらく黙っていたが、次の瞬間には口元に笑みを浮かべた。


「お前も言うようになったじゃねーか。だが、大学には行け」

「父さん!」

「聞け。今は鋼以外にも色々な合金がある。日常的に使うステンがいい例だ。何も関係のない科に行けと言ってるわけじゃない。金属工学っていうんだったか、そういう専門を学べば、将来役に立つ。中学卒業の俺には無理なことだ。なに、長期の休みに帰ってきたら、その時は嫌というほど教えてやる」


 父の言葉を理解して、知らずエイジに笑顔が浮かんだ。

 反対されなかった。

 それが何よりも嬉しい。


「言っとくが俺の教えは厳しいぞ。逃がしゃあしねえからな」

「大丈夫だよ。やりたい事を教えてくれるんだ。きっと我慢出来る」

「大きな口を叩く。……まあ良い。今日は酒だ。お前も呑め」

「僕未成年だよ」


 父が一升瓶を取り出して、早速コップに注ぎ出す。

 視界が遠ざかっていく。

 ゆっくりと意識が覚醒していくのが分かる。


 本当に懐かしい記憶だった。

 何も知らず、未来に何の不安もない頃の生活。

 今はもう、二度と戻ることはできない。

 父さん――。

 エイジの頬に涙が伝った。






 ゴウンゴウンと休みなく音が響く。

 体の芯まで震わせる音は、水車によるものだ。

 箱ふいごが休みなく風を送る音、炉の熱が高まり、炎の燃える音、そして金属を打つ音。それらが渾然となって鍛冶場に響き渡る。


「親方、すごい量ですね。これ全部修理ですか?」

「うん。僕の予想以上に鍬も犁も駄目になってる。ピエトロも仕事が増えて大変だけど、よろしくね」

「頑張ります。でも、僕にはやっぱり仕上げは早かったんですね」

「中研ぎを精一杯やってくれたら良い。急かせすぎてるのは分かっていたことだし」


 鍛冶場には数多くの鍬先が並んでいる。

 それはエイジが鍛冶をこの地で行なって以来、作り出したものの殆どを占める。

 修理の理由は、開拓作業で歯が欠けたものが殆ど。

 予想よりも炭素量が多かったのかもしれない、とエイジは考える。

 鋼の炭素量が多いと、硬くて鋭くなるが、欠けやすくなる。

 それとも、土中の石が多すぎるのか。


 用意してあった新しい鍬先は、すべて交換してしまっている。

 あとは刃先を継ぎ足していくわけだが、これはかなりの手間がかかる仕事だ。

 1つ1つ丁寧に欠けた刃先を熱して、鋏で一度切り落とし、新しい鋼をつけていく。

 切り落とした刃先は、また溶かして再利用することが出来る。

 現代の鋼鉄と違って、鋼を作るのはなかなかに重労働だから、再利用できる所は徹底的に再利用する。


 そろそろ今日も終わろうか、という時に珍しい客が来た。

 猟師のマイクだ。

 手には革鞘に収められた大振りの牛刀が握られている。


「ここに来るのは珍しい。注文ですか?」

「おう。もう秋だから。家畜の牛と猪を燻製にしないとダメだからな。包丁を一つ頼まあ」


 言葉とともに牛刀を手渡される。


「革や脂がよく切れる、良い牛刀だ。お前さんの腕はこれで分かったから、次は少しだけ小ぶりで作ってくれ」

「でも、どうして燻製に?」


 村で冬を越したことがないエイジの素朴な疑問に、マイクは珍しく押し黙った。

 微妙な沈黙の空気が、当たり前の質問をしたことを表している。


 だが、エイジからすれば分からない。

 保存技術も発達していないのだから、燻製にせずに生かしておいた方が良いのではないか、と率直に思っただけだ。


「……そりゃオメエ、冬になれば草が枯れちまって、満足にメシも与えてやれなくなるんだ。痩せて餓死させるより、早めに殺して少しでも肉をとったほうが良いだろうが」

「ああ……そうですよね。これから初めて輪作をしようっていうんだから、当たり前のことですね。思い当たりませんでした」

「まったく。しっかりしてるのか、どこか抜けてるのか分からない奴だよ」


 アハハ、と笑いでごまかし、頭をかく。

 エイジの常識と、この場所の生活はあまりにも違うため、今でもこういった食い違いがあちこちに見られた。


「いつまでに作ればいいですか?」

「来週だな。家畜をシメるのは俺以外にも、猟師のやつが6人でまとめてやる。作れるだけ作ってくれ」

「分かりました。鍬の生産もあるので、どれだけ作れるか分かりませんが。……ああ、そういえば燻製って脂を取るんですよね?」

「お、よく知ってるなあ。最低限は残しておくが、脂の塊とかは取るぞ」

「それ、もし使わないなら、分けてもらえませんか?」

「まあ、使い道も限られているし、保存できないから幾らでもやるけど、何に使うつもりなんだ?」

「石鹸です。鍛冶をしてると毎日大量の灰が出るんで、畑以外にも何かに使えないかなと考えていたんです」


 石鹸がよく分からない、というマイクに、エイジは汚れをよく落とすものだ、と簡単に説明する。

 鍛冶と違い、こちらは初挑戦だ。

 どこまで出来るか分からないが、挑戦する価値はある、とエイジは思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る