第二章

第11話 開拓開始

 月が出ていた。

 満天の星とともに、暗い闇夜をうっすらと照らしている。

 鳥や虫の声が聞こえる。


 食事を終えれば、貴重な明かりを使うことはほぼない。

 人は皆、早くから眠りにつき、朝日とともに起きる。

 電気を使って深夜まで起きることのできた、文明の日々が懐かしい。


 静まり返った村の中に珍しく、エイジの家はまだ眠りについていなかった。

 食事の後にまだやる事が残っていたからだ。


 暗い部屋の中では、タニアの鼻のかかった声が響き渡っている。

 堪えきれず、思わず漏れ出た、という感じだ。

 藁とむしろの布団の上に二人はいた。

 座って背を向けるタニアに、エイジが手を伸ばしている。


 エイジの手には、柔らかな肉の感触がある。

 みずみずしい肌の手触りで、ほんの少し、汗の湿り気を感じる。

 ぼんやりと浮かび上がるタニアの顔が、エイジを見る。

 その目はうつろで、焦点が合っていなかった。


「んっ……あっ……エイジさん、もう少し優しくしてください」

「そうですか? でも、ココはこんなに硬くなっていますよ。ほら」

「あっ! ~~~~っ!」


 肩をくねらせ、悩ましげな吐息がこぼれる。

 心地よさに顔の筋肉がゆるんでいる。

 口元からはよだれがこぼれそうになっているのが分かった。

 大分ほぐれてきたな。

 血行が良くなり、体に熱がこもるのを手のひらに感じる。


「そんなにつまんだらダメです」

「何がダメなんですか。こんなになって……。ほら、正直に言ってください」

「……き」

「き?」

「気持ち……イイ」

「はい、良く出来ました」


 エイジは笑って、肩の筋肉・・・・から手を放した。

 作業で凝り固まった筋肉がほぐれ、ふにゃふにゃになっている。

 近頃、一日の疲れをマッサージで取っておくのが日課になっていた。

 タニアはマッサージを受け慣れていないためか、反応が敏感でやる方も楽しい。

 ついつい言葉が追いつめるような形になりがちだった。


「ふわぁ~……気持ちよかったあ……」

「良かったです」

「私こんなに気持ちいいことしてもらえて本当に幸せです……」


 タニアは完全に脱力した状態でうつぶせに倒れている。

 本来なら交代してエイジが受ける番なのだが、どうやら今日は難しそうだ。

 うとうとと眠りにつきかける妻の姿に微笑ましい気持ちになりながら、布団をかけた。

 しかたがない。

 自分の分はストレッチでガマンするか。




 固い土だな。

 麦畑を前に、エイジが思ったのは、その一つだけだった。

 表面は土の塊がいくつもあり、乾いている。

 かと思えば雑草は生え、砂だけでなく小石が多い。


 おそらく掘り返せば、数多の太い根と岩石があふれているだろう。

 以前のタニア家の裏庭と同じような状態だ。

 石や木の根があれば、野菜は充分に根を張ることができず、痩せた作物になってしまう。


 小石はある程度水はけを良くするために必要だが、多すぎれば保水能力が落ちて乾燥が早くなる。

 エイジが畑と聞いて思い浮かべる姿と、目の前に広がる村の光景は、明らかにかけ離れていた。


 村人に話を聞いていく内に、いくつもの問題が浮上してきた。

 まず、家々が広く離れていて、畑もまばらに存在している事。


 そのため開墾の仕方は各家でまばらであり、深さや大きさ、形が揃っていない。

 反面、収穫や犂入れは村総出の作業なので、やり方が違い、効率が悪くなっている。


 家から畑への移動が大変という声も上がっている。

 それに、休耕地には家畜を放牧して地力を回復させるのだが、これも離れているため効果が激減している。


 農具作成の際に、農家から生の声を聞き、様々な要求に応えてきたエイジにとっても、実際の土づくりとなると頭の痛い問題だった。

 固い土を手にとって確かめるエイジに、マイクが声をかけた。


「で、どうするんだよ」

「新に畑を拓こうと思います。場所は村長の家の前から、地続きに両端へ向かいます」


 最終的に輪作で四輪式農法を行うつもりだが、二圃式農業の今、圧倒的な家畜不足、労力不足だ。

 当たり前といえば当たり前なのだが、四輪農法を取り入れようと思っても、その下地ができていなければ、実行には移せない。

 いくら収穫の増える知識があっても、使えなければ宝の持ち腐れだ。


 四輪農法には、いくつかの条件がある。

 ひとつは広い農地があること。

 ところが、中世以前の土地は木が生えすぎている。

 だからこの木を切り倒す、鉄製の斧や鶴嘴が非常に重要になってくる。

 これはエイジ自身の技術によって解消できる問題だ。


 次に、多くの家畜――特に牛か馬がいること。

 農地を拓くというのは、簡単な労力でできることではない。

 特に土中深くに埋まった木の根は、人の手だけで抜くことは困難だ。


 そして、家畜を揃えるには、十分な食料がいるという問題に突き当たる。

 十分な食料を得るために、十分な食料がいるという矛盾。

 この問題ばかりは、順次解決していくか、交易で一時的にかさ増しするしかないだろう。


 さて、四輪式農法にはブロック分けが必要だ。

 小麦を育てる畑、マメ科を育てる畑、と順番にローテーションしていく。


 すでに使っている畑は継続して、今後土壌を整えていく。

 そして新たに作った畑と、隣接するようにしていく。

 収穫自体は増え続けるから、順次移行していくことができる。

 今は地続きの畑を作り、環境を揃えることが大切だろうと、エイジは考えた。



 村で農民として生活している数がおよそ六〇人。

 三チームに分けて、今回二〇人が集まっている。

 自分たちの畑を二日見て、一日は今の場所を開梱していくローテーションを組んだ。

 知識はあっても新入りのエイジでは発言力が低い。

 マイクが積極的に応援に来てくれたのは、大いに助かった。


「さあ動け動け。使い方ややり方が分からない奴は、今のうちにエイジに聞いておけよ」

「この鍬だけんど、どう使えばええ?」

「形は違いますが、普通の鍬と同じです。深く掘れるようになっていて、雑草や木の根を切ることもできます」


 開墾に向けてエイジが用意したのは、島田鍬しまだくわと呼ばれる鍬だった。

 鍬にも平鍬、唐鍬、備中鍬など、様々な種類がある。

 島田鍬は鍬先が特徴的で、尖ったスコップのような鋭利な形になっている。

 硬い土に深く入り、茎や木の根を切りやすい。

 日本では冬の凍えるように硬い土の、北海道の開拓に使われた。


「さあ、まずは草刈りから始めましょう」

「おう、気合入れて行けよ!」


 これまでまともに顔を合わせたことのなかったベルナルド、ジョルジョといった農夫が鎌を手に畑予定地へと入っていく。

 今日のために用意された鉄鎌を手に、段取りよく背の高い草を刈っていく。

 長年放って置かれた草は育ち、胸元辺りまで伸びていた。

 刈った草は一箇所に集められ、乾燥した後、堆肥たいひとして使うつもりだ。

 ベルナルドたちが草を刈る度に、声が上がった。


「おっ、こりゃ軽い!」

「これはスゲェわ! オラこんなよく切れる鎌持ったことねえ」

「すぃーっと入っていくべさ!」


 思わず漏れ出てくる感嘆の声。

 エイジの表情から固さが抜ける。

 評価は上々。

 普段の仕事よりも楽と分かれば、不満も減るだろう。

 マイクが不満のないことを確認したのだろう、エイジに笑顔を向ける。


「心配なさそうだな」

「マイクさんが上手く指示を出してくれたから、助かりました」

「まあ、あいつらとは長い付き合いだからな。それにお前さんの道具が良いから、みんな信用してくれてるんだよ」

「そうでしょうか?」

「そうだ。もっと自信を持てよ。それだけ良い仕事してるんだから。俺はこれから狩りに出るから、何かあったらジェーンに言ってくれ」

「分かりました。気をつけて」

「おう。今晩こそ、上手くいってたらご馳走するわ」


 マイクが離れていく。

 その後ろ姿を見送って、よし、とエイジが気合を入れた。

 様子を見て監督するだけが仕事ではない。

 恐らく草刈りだけでも莫大な量を刈る必要がある。

 だから適度な指示と自身でも動く必要があるだろう。


「ジョルジョさん」

「なんだい?」

「この木の棒の深さまで、掘り起こしてください。本当に小さな小石は別として、石や木の根も全部掘り出して、土だけの状態にしてもらいます」


 途中で木があれば切り倒し、株を掘り返すといった作業もあるから、一日では大した量は掘り返せない。

 だが、地道な日々の繰り返しが大地を変え、年を追うごとに食事に悩まされることは減るはずだ。

 今年しっかりと土を作れば、来年は岩や根を取る必要はなくなる。

 一度砕いた土塊つちくれは砂になり、堆肥を混ぜることで柔かくなるだろう。

 農具は数を増し、家畜の数が増えることで労働力が倍増するはずだ。


 明るい未来と厳しい現実を目にしながら、まだまだ始まったばかりだ、とエイジは気合を入れた。

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