第9話 斧と披露目 第一章完
水車が完成するまでの間、自分の力だけで斧を打つしかない。
エイジは改めて気合を入れなくてはならなかった。
これまでこの村で作ってきた鍛冶道具よりも、かなりの多工程、大規模鍛鉄になる。
炉温はいつもよりも高温になっている。
鉄鉱石を炉に入れて、熱が移って温度が高くなるのを、じっと待つ。
大量に作り置きしている鋼ではなく、軟らかな軟鉄(なんてつ)が必要だった。
鋼と
二%前後が鋼。それを増やせば銑鉄。減らしたものだと軟鉄だ。
炭素量の調節が難しい鋼に比べれば、軟鉄の生成は難しくなかった。
わざわざ柔らかい軟鉄を作るのは、斧を長持ちさせるためだ。
鋼鉄は硬く切れ味鋭いが、硬い物の宿命として脆さがある。
鋼鉄だけの斧を作れば、容易く欠け、刃こぼれをきたしてしまうだろう。
軟鉄は軟らかく切れ味は鈍いが、粘り強さがある。
“折れず、曲がらず、良く切れる”という矛盾した性能を持たすには、鋼鉄で
「おっ、溶けてきたな」
エイジが炉を見て、思わず呟いた。
炉温は今、一二〇〇℃を超えている。
炉に入れた板金が、赤く染まっているのが分かる。
温度計はないから、目で大凡の温度を掴む。
もう何十、何百と繰り返し、体に染み付いた動作だ。
エイジは軟鉄を出来る限り強く叩き、形を変えていく。
柄との接合部を慎重に作る。
僅かな形状の差異が、使い手にとっては大きな差になって感じられる。
細かな作業の連続だ。
一時足りとも気が抜けない。
「……よし」
集中しているためか、意識もなく声がこぼれる。
出来上がったものは、人の前で試されるのだ。
期日も近くなってプレッシャーが押し寄せてきていた。
鉄が青銅より強く、優れているのは間違いない。
だが、彼らは青銅のほうが良いと思い込んでいるだろう。
それはこれまで、鉄の精製法が分からないため、不純物が多く、錆びた鉄を使用していたからだ。
鉄といえば
思い込んだ考えが正反対に変わるほどの成果を出さなくてはならない。
高いハードルだった。
それだけに、認められれば、見返りは非常に大きなものになる。
恐らく島中の道具作りを一手に担うことになるだろう。
気合を入れて鋼を熱していく。
叩いて伸ばした鋼を折り曲げると、間に藁灰をまぶして強く叩いていく。
鋼が溶け合わさり、再び一つの塊になる。
「折り返し」と呼ばれる強度を上げる技法だ。
何度もこの折り返しを繰り返すと、鉄の層ができる。
刃の表面に美しい文様が出来る。
日本刀やダマスカスに見られる特徴だ。
鉄を叩いて伸ばし、また一塊にする作業はとても大変だ。
金属の塊を、人を助ける道具にするため命を吹き込む。
それが――鍛冶の仕事だ。
刃金の形が整った。
次は地金との接合だ。
刃金を薄く伸ばして折りたたみ、その間に地金を入れる。
藁灰と泥をかぶせ、火に当てる。
甲伏(こうぶ)せという技術だ。
これが刀のような様々な角度から衝撃の加わる刃物だと、四方詰めや本三枚と呼ばれ、分けるパーツが増え、難度が上がる。
この作業次第では、後の焼入れの際に罅(ひび)や割れを起こしてしまう。
均一な温度管理が求められる難所だ。
エイジは睨むように炉の中を確かめている。
眩しい炎の色、灼熱する鉄の色を見極める。
今――!
赤めた鉄が充分に軟らかくなったと確信し、鉄を取り出す。
真っ赤に灼熱している鉄の固まりを、叩く。
エイジは叩いた。無心に叩き、刃を作った。
接合が無事に終わったのを確認すると、焼きを入れ、焼戻しの作業まで済ませる。
「出来た……。出来たぞっ!」
息も絶え絶えだった。
自分の全てを、この一作に注ぎ込んだ。
都合七度の折り返し。
少し磨けば美しい刃紋が刃に映ってくる。
片刃伐採用斧、一振り――。
黒々と焼きの入った地金が、どこまでも頼りになる存在を示していた。
村の中でも少し開けた場所だった。
一本の大きな広葉樹が生えているが、その葉は今、散ってしまっている。
周りは黄土が広がり、雑草も生えていない。
踏み固められ、芽が育つ隙間がないのだろう。
そこは村長の家の前だった。
木を囲むようにして、人が集まっていた。
村長とエイジは当然、マイク、フィリッポ、フェルナンド、ジェーンにタニアまでいる。
みな、エイジがこの村に来て以来、深く付き合いのある人物ばかりだ。
村長が全員の前に立つ。
シワが多く髪も白いが、見た目に反して姿勢と眼光は力強かった。
「さて、それじゃあ始めようか。エイジ、準備は良いね?」
「はい。これが鉄で作った斧です。隣にあるのが、フィリッポさんが普段使っている物です」
青銅の斧の隣に、エイジの斧が並べられる。
それ等は外見からして違った。
真っ直ぐなフィリッポの斧に比べて、エイジの斧は柄から歯にかけて大きく反っている。
フィリッポがエイジの斧を担ぎ、構える。
「持ちやすさはどうですか?」
「良い」
「後は実際の切れ味が問題ってことだね。楽しみだよ」
鉄釘の便利さ、鋭さを知っているフェルナンドは、楽しそうに笑う。
逆に緊張で真っ青な表情になっている者もいる。
タニアだ。
信頼と心配は別物なのだろう。
エイジの服の裾を軽く握っている。不安に瞳が小さく揺れていた。
大丈夫、とエイジが肩に手をかけてやると、自信が移ったのか、表情を和らげた。
「それじゃあフィリッポ、いつもどおりの力で一〇回ずつ、斧を振ってもらえるかね」
「……ンッ!」
まず、青銅の斧が振られた。
使い慣れ、刃先までフィリッポの神経の通った斧は、音も高々に木皮を削っていく。
今回の試験に際して、公平を期すため丁寧に研ぎ直されたのだろう。
なかなかの切れ味だった。
「ふむ、なるほどのぅ。それなりに青銅の斧でも切れるようじゃが……」
「これってわざわざ鉄にする必要がなさそうじゃないか?」
「まあまあ、まずは鉄の斧の切れ味も見てみようじゃないか。話はそれからだよ」
現状で満足そうな、ボーナとマイクの言葉に、少し不安になった。
良い商品が売れるとは限らない。
優れた性能を持ちながらも、闇に消えた商品は星の数ほどある。
それだけに、使い手であるフィリッポの評価が、エイジの今後の未来を左右する。
フィリッポさん、頼みます……。
鉄の斧が、振るわれた。
コーン、コーンと小気味の良い音とともに、斧の刃が木に吸い込まれていき、木片を撒き散らしながら削っていく。
五回、一〇回――木は間違いなく切られている。
それが青銅製とどれほど違うのか、まだこの時点ではわからない。
だが、木を倒すことを生業とする男には、充分な違いを理解できたのだろう。
「すごい……エイジ、スゴイ!」
普段の、無口で落ち着いたフィリッポからは考えられない大きく興奮した声だった。
手にした鉄斧を興味深く、しげしげと見つめる。
子供が最高の玩具を与えられたような興奮の仕方だった。
「おうおう、フィリッポがこんだけ喜んでるんじゃもう比べる必要はねーな」
「旦那が珍しく良い事言った。あたしもそう思うよ」
「僕も同意だ。実際の使い心地は聞いてみないと分からないけど、優れているという証明には充分だと思う」
「そうじゃな……フィリッポ、この斧は間違いなく優れているか?」
「さ、最高だった。て、手応えが軽くて、全然疲れない」
どれどれ、と言いつつ、フェルナンドが斧を持つ。
軽く振り下ろすと、驚愕に目を見開く。
「かぁー! 本当だ。全然手応えが違うぜ。吸い込まれるように斧が進んでいくよ!」
「おい、俺にもやらせてくれ!」
「ではエイジ」
「はい」
「お主の腕を認め、村の一員として認め、また幹部格として扱う」
ワッ、と歓声が上がった。
おめでとう、と皆が祝っていく。
タニアがエイジに抱きついていた。
「エイジさん……! おめでとう……、おめでとうございます!」
はやし立てられ、赤面しながら
冗談で言ったようには見えない。
「ここにいるのは皆この村の幹部格だけだよ。全員認めてる。マイクから聞いたよ。なんでも畑のことにも詳しいそうじゃないか」
「だからって、俺は皆さんと会って三ヶ月ですよ。しかもいまだ身元もハッキリしていない。そんな人間が幹部に……?」
村社会は本来外部を迎えないものだ。
なのにどうして自分がこんなにも歓迎されるのか。
嬉しくないわけではない。
だが、それ以上に不思議で、分からないことが不安だった。
「お黙り!」
気合の入った叱責に、エイジの体が射すくめられた。
村長が厳しい表情を保ったまま、言葉を発する。
「あんたの知識を活かせば、全員が冬を満足に越せる。蓄えが出来て、子供も安心して産めるようになる。他所者がなんだってんだぇ! バカなことを言っとらんと、あんたは私の孫との間に子供を作っとったらええんだ」
「孫? 子供? ……タニアさんは、村長さんのお孫さん?」
エイジが抱きついているタニアに視線を向けると、頷きが返ってきた。
なるほど、それならばいきなりの幹部格もおかしくはない。
「それじゃあ試験は終わりだ。皆は祭りの準備を始めな。エイジ、あんたには大事な話がある。私の家に来なさい」
「よーし。今夜は飲むぞー!」
「楽しくね。ただ馬鹿騒ぎしたら許さないよ」
「……おめでとう」
「おめでとうさん。まあ、君の腕なら大丈夫だと思った。残りの釘も頼んだよ」
村長は一足早く家の中に入り、他の村民は慌ただしく準備に駆け出している。
残ったのは二人、エイジとタニアだけ。
「エイジさん……本当におめでとう。信じてました……」
「ありがとう。タニアさんのおかげです。あらためて、これからよろしくお願いします」
「はい、旦那様」
口づけを一つ。
抱きしめ合い、お互いの存在を確かめ合う。
守るべき人がいて、その人に守られる。
これから待ち受ける変化への不安も、今は耐えられそうだった。
村長の家に来たのは二度目だ。
相変わらず大きく、部屋の装飾品も多い。
木製の椅子に座って向かい合う。
木を繰り抜いて作られたコップが渡され、水を飲む。
先程までと違い、村長の目は優しかった。
「話っていうのは、三つある。一つはタニアのこと。一つは村の仕事のこと。最後の一つはあんたの作った鉄のこと」
「はい」
「さっきも言ったけれど、タニアは私の孫になる。両親はもうとっくに死んでる。病になって助からなかった。あんたはあの娘が次の婿を取ろうとしなかったことを不思議に思ったかい?」
「思いました。普通はすぐに別の旦那を探すかと」
村長はため息をついて、首を振った。
難しい表情だった。
「私達の村は血が濃すぎるんだ。出来たら外の血が欲しかった。で、ようやく条件の合う男を隣り村から無理を言って来てもらったのに、種を残す暇もなく戦で死んだ」
「それで、僕なんですね」
「そうだ。お前さんは身元が分からないが、逆にこの近くの誰とも繋がっていないのは確かだ。もちろんタニアが断るような男なら、叩き出せば良い。お前さんは良い男だったみたいだがね」
フフフ、と村長が笑う。
これにはエイジも笑うしかなかった。
「次は村だ。鍛冶の休める時や、火を落とした時で良い。それか誰かを捕まえてやり方を仕込んでも良い。とにかく少しでも収穫が増えるように、知ってる限りの知識を吐き出してほしい」
「わかりました。農具と合わせて、出来る限り力になります」
ふぅ、と疲れた溜め息が聞こえた。
聞きたい答えを引き出せて安心したのだろうか。
エイジは自分の目を疑った。
先ほど自分を叱責した力強い気迫は消え去り、外見相当の年寄りが目の前にいた。
「これで一安心、と言いたいけど、最後に問題が残っている」
「鉄のことですね」
「あぁ。鉄……そう、鉄だ。まだ私が小さい娘っ子の頃、確かに鉄はあったんじゃ」
「本当ですか?」
「誓って本当じゃ。あの黒い輝き、力強い鋭さ。私の爺さんが鍬にしておった」
「では、何故今は無いんですか?」
信じられない。
鉄の有効性を知っていながら、青銅に戻ってしまうなんて。
紀元前一四〇〇年頃、ヒッタイト人が浸炭法を発明して鋼を作れるようになって以来、鋼鉄の時代が始まったのだ。それから歴史は青銅を過去のものにした。
「私には分からん。もともとこの村では、青銅も鉄も作れやしなかったからね。だが、領主の村なら分かるかもしれん。今後納税や交易で行くことがあれば、お主を連れて行こう」
「お願いします」
深い謎を残して、エイジの試練は終わった。
宴が終わればエイジは晴れて村の仲間入りを果たし、タニアと婚姻の誓いを上げることが出来る。
不安、期待、様々なものを入り交りながらも、負けるものか、とエイジは心に誓った。
第一章 完
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